桜白舞(4)
「……でも、貴女優しいんだねぇ。殺す気無いでしょ?」
多分それは、言葉も表情も口調も、その全てが噛み合ってはいない……いや、無理矢理歪ませて噛み合わせているように見えるから……なのだろう。
「ええ、そうね。少なくともアンタよりは優しいつもりよ」
「酷いなー。初対面でそんな事言っちゃうの?」
「悪かったわね。久し振りにアンタみたいな邪悪なのを見たから思わず口が滑ったの」
「あー……そんな事言っちゃうんだー。礼儀がなってない子にはお仕置きが必要だね」
「本当、趣味の悪い女ね」
「そう?」
問い、メリッサの薔薇色の瞳が愉しげに歪む。後頭部で一つに纏めた焦げ茶の長い髪がしなり――目の前で歓喜に身を震わせる。
速い。
「チィッ」
目の前に繰り出された拳をすんでのところで交わす。頬が切れ、血が滲む。魔力付加を施しているというのに掠っただけでこれというのは、相手は中々に化け物らしい。
「ありゃー? 意外とすばしっこいんだねぇ。折角お返ししてあげようと思ったのに」
「すばしっこいのはどっち……よっ!」
避けた際の力の流れに逆らわず、アタシは重心を移動させて体重を乗せた紫電の剣でメリッサへと斬りかかる。
「ダメダメー、そんなんじゃ当たらないよー?」
対するメリッサは下から掬い上げるように鞭を撓らせてアタシの刃を弾いた。
「出し惜しみしてるの?」
腕ごと剣が上へと持ち上げられ、体が無防備になってしまったアタシにメリッサは囁く。
わざとらしく大きな動きで振りかぶった左腕をアタシの顔に打ち出すと、口の中に鉄の味が広がった。
「ほらほら、ちゃんとしないと痛いよー?」
「アンタ結構根に持つのね」
嘗めた戦いをしているのはどっちだと口に溜まった血と一緒に吐き捨てた。真っ白では無くなった雪景色が更に侵される。
「ふふっ、だってそうした方が本気で来てくれるでしょ?」
反吐が出る。
「……アンタさっきアタシが仲間をやった時、わざと何もしなかったでしょ」
「うん! だって邪魔なんだもん。私が手を出すといつも煩く言われるし……楽しくないじゃない?」
「アタシが言うことじゃないけど、アンタここに何しに来てるのよ……」
そう言い、アタシは構えを正す。アタシの感が正しければ……
「えっ? そんなの暇潰しに決まってるじゃない?」
この女は、危険だ。
走る。出来るだけ無駄の無い動きで。距離を詰める。腕を振るう。
「わぉ! 早いね! ヤル気になってくれたの?」
撓る茨を掻い潜って《贖罪のジューン=クルサード》の黄金の柄で、顎を狙って殴り付ける。しかしそれもメリッサの空いている左腕で受け止められてしまう。
「〝拘引されし女神の嘆き〟」
……けれども、狙い通り。アタシを中心に半球形に逆巻く風と雷が広がる。流石にこれは避けれまい。
「楽しくなってきたね!」
「そんな事言ってられないわよ」
そう言い、動かそうとするメリッサの右腕を、アタシは掴み逃がさないようにする。
風と雷がメリッサを呑む。
「舞え《披荊斬棘》」
そんな呟きが耳に入った。
「……ぁっ?!」
途端、体の内側から焼けるような熱さが、痛みが襲ってきた。魔法陣が消滅し雷が止む。手に持っていた己の得物ごと地面に手をついてしまう。
「危ない危ない、惜しかったね。残念ながら、私の武器の能力はそんなに強力じゃないよ。殺傷性は低いから、死ぬことは無いと思う。けど、生きている間はずっと苦しいから、頑張ってね」
そう緊張感の無い笑顔で言うメリッサの薔薇色の瞳は、真っ直ぐにアタシを見据えている。
期待を込めたようなその視線が腹立たしい。……いや、“ような”等では無いのだろう。この女はアタシがどうするのかを、アタシの抵抗を期待して楽しんでいる。
……気に食わない。
こんな所で終わってどうする。こんな所で苦戦していてどうする。こんな所で立ち止まっていてどうする。アタシの目的は何だ。痛みなんて、とうの昔に慣れているだろうに。
「……ッ〝クルエル・ブライズ〟……!」
内側から込み上げてくる痛みを打ち消すように歯を食い縛る。心臓の音に合わせるかのように押し寄せてくるものを誤魔化して雷の最上級魔法の名前を口にする。
青白く光を映す五芒星の魔法陣は、アタシとメリッサを囲むように半球形に幾つも展開されていく。
「なっ……まさか道連れに……!?」
ここに来て、漸く初めてメリッサの余裕な表情が崩れる。どうだ見たか、アンタの御要望に応えてやったんだから楽しみなさい。
「道連れ? そんなわけ無いでしょ。《贖罪のジューン=クルサード》!! 好きなだけ魔力持っていきなさい!」
アタシは自身の得物の能力であるブライズ・フォースを発動させると、アタシの言葉に応えるかのように手の内にある白銀はバチバチと紫色に空気を震わせた。
魔力を食ったアタシの武器は大量の紫電を迸らせ、足下の雪を溶かし地を焦がす。
同時に、アタシはメリッサとは逆の方向へ、元々の目的地である塔へと向かって走り出した。
そうして己が生み出した雷を、手に持つ雷で迎え撃ち、自身で自身に呑まれるのを防いだ。
紫電と爆風の舞い上がる、魔法陣によって作られた半球形からアタシは抜け出し、塔の入り口へと足を掛ける。出来ればこれで終わっていて欲しいけど――。
「中々面白かったよ。けど、貴女の後ろを着いていけば、そんなに危険でも無かったな」
――やはり、無事か。化け物め。土煙を浴びて少し頬が黒く染まってはいるが、どうやら何ともないらしい。咄嗟に動いたとしてもほぼ無傷では居られない筈なのに、たった一秒が命取りになるように発動したのに、これはこれで少し悔しい。
消えていく魔法陣を背に立って、笑顔で茨を操るその女は、ゆっくりとアタシに向けて歩みを進める。
「凄い凄い! 凄く刺激的だよ! ……でも、ちょっと残念だなぁ。私の見立てではもうちょっと優雅に戦うタイプかと思ってたから、そんな泥臭い戦い方されると、ちょっと萎えちゃうんだよねぇ。だって、高い所に居ると思っている人を引き摺り落として地に這い蹲らせる方が面白いじゃない?」
だからね?
そんな風に嗤う女は茨を操る右腕を高く翳した。
「もう、終わらせよっか」
メリッサの台詞に従うかのように、茨のような緑の鞭は正確にアタシの首へと真っ直ぐに飛んでくる。
中距離。それは恐らく彼女が一番得意な距離。そして彼女は自分の武器が何処まで届くのか、何れだけ操れるのかを把握しており、アタシが今数歩下がって避けようとしても刈り取られてしまう場所までお喋りをしながら距離を詰めていた。言葉の割には手堅い事をしてくるものだ。
対するアタシの今の体勢はメリッサに対して左半身を前に出している半身の状態。目の前に迫る鞭を避けるのは無理。魔法を発動したとしても攻撃は間に合わない。普通ならば、絶体絶命の状況。
「御生憎様、アタシは元々優雅に戦うの。誰かさんのせいで、こんな泥臭い戦いをしてしまったけどね――」
そう、普通ならば。




