第87小節
いつものお嬢様ファションとは違って、麦わら帽子にTシャツにショートのデニムパンツ姿のクレアがわたしの横に座った。
その格好に、ちょっと嫉妬した。
いや、うんと嫉妬した。
わたしはバスタオルの端にずれた。
クレアは、ありがと、といって麦わら帽子をとって手の下に置いた。
「ホテルに行ったら、ビーチパラソル借りていったっていうから」
「3週間近くもいて、一度もこういうことしなかったから」
「なるほどね」
「眠れた?」
とわたしは聞いた。
「きのう?」
「うん」
「眠れた」
「そう」
「あなたは?」
とクレアは聞いた。
「ぐっすり」
「そう」
「あしたの朝、帰ろうと思うの」
「そっか」
「あなたは?」
「きょう、これから」
「いそがしいのね」
「いろいろとね。あっそうそう。ホール、結婚式場にもどすんですって」
とクレアからの発表がある。
「そんな気がしてた」
「もうあそこで演奏することはないのね」
「何か、寂しいね」
「そうね。でね、そこに森があるじゃない」
「あるね」
「あそこに、今度コンサートホールを造ることになったのね」
「へえ~」
「円形のね、その中央にステージがあって、まわりに客席があって、さらにそのまわりを円形のホテルで囲むようなかたちの木でできたコンサートホールになるらしいのね」
「すてきね」
「そうでしょ」
「森のステージホテルって感じなのね」
とわたしは何気なくいった。
「そうそう。ん? それいいネーミングね」
「そう?」
「ホテル森のステージのほうがよくない?」
「まあそうね。えっ、あそこの木、伐採するの?」
「知らないのね」
「何を」
「うちのグループは建物をつくるために木を伐採したら、その何十倍もの自然林を保育するスーパーエコロジー企業なのよ。外国産の木材にたよって国内の林業は衰退し、いつしか放置され荒廃していった日本の森を、この地域で育てた若者たちが巣立って元気にしているの。ここの森で得た、ううん、ここの森でしか得られなかったたくさんのノウハウを、その手に持ってね」
「素晴らしい。だからこの森には、何か生命力を感じるのね」
「そういうこと。懸念は晴れた?」
「晴れた」
「よかった。じゃあ、ネーミングいっとくね」
「誰に?」
「おじいさまに」
「決まったらネーミング料ちょうだいね」
「アルバイト料がっぽりもらうくせに」
「あなただって」
「わたしはもらわないわよ」
「ああ、お小遣いのほうがもらってるもんね」
「わたしお小遣いもらったことない」
「うそ」
「いつもカードでおろしたり支払ったりしてるから」
「ある意味そのほうがすごいわ」
「でね」
とクレアがカラダを少し寄せた。
「うん」
「そのコンサートホールの専任ピアニストに彼がなるらしいのね」
「へえ~」
「どう?」
「どうって?」
「つまり、彼の専用コンサートホールみたいなものになるわけだから、あなたも定期の特別ゲストとして」
「いいの?」
「おじいさまの構想の目玉らしいわよ」
「何が?」
「あなたのステージが」
「まさかぁ」
「おじいさまはお金にならないことはしない人よ。まあそれはじぶんのためじゃなくて地域の人々のため、さらには社会全体のためなんだけどね」
「わたしがお金になると」
「じゃない?」
「わたしが人を呼べると」
「じゃないかな」
「このわたしがスターになると」
「またはじまった」
「じゃあ今日はやめとく」
「よかった」
「じゃあさ、将来的には単独ライブとかできたりするの?」
「できたりするんじゃない?」
「おっとセットリスト考えなきゃ」
「セットリスト?」
「あっ」
「ははあん、さては」
「いや」
「ライブとかいうからもしかしてと思ってたら」
「ピアノのだけのステージよ」
「ほんとかな」
「ほんとほんと」
「なら、オッケーっていっとく」
「あっ、是非ってね」
「是非ってね」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
わたしたちはクスクスと笑い合った。
「ねえ、彼と共演するの楽しみね」
とわたしはいった。
「ほんとね」
「レコーディングも楽しみ」
「電話するね」
「うん」
日影にいると、風の層の一部にひんやりとした風を感じた。
クレアが、思いきりくしゃみした。




