第83小節
クレアとわたしの連弾。
クレアとわたしで、ひとつのピアノ。
その音が、はじめてわたしたち以外の人びとの耳に届いた。
どんな顔をして聴いてくれているのだろう。
でも、不安はなかった。
練習はクレアが満足するまでやった。
自信や楽しみになるほどまで、やった。
クレアとわたしが、これほど息が合うとは思っていなかった。
ライバルだし、性格は違うし、生きてきた環境もまるで違う。
それなのに、わたしたちは双子のようにぴったりと音を重ね合うことができた。
ピアノを通して、クレアとわたしはふれあっていた。
こころの、深いところで。
わたしは今日、生まれてはじめて、じぶんのピアノの音が美しいと感じた。
譜面の音符の音だった今までのじぶんのピアノが、音色になったような、そんな気がした。
ふたりの音色がとけあった色。
わたしにはそれは、めざめに見た葡萄色の空を連想させた。
まるでその大空を、自由自在に飛んでいるような気分だった。
彼のいった、あの言葉。
じぶんのピアノの音が好きかって。
はい。
とっても。
わたしは今、そう答えることができると思った。
10分弱ほどの長さの曲は、瞬く間に終わりに近づいた。
ふたたび、クレアのソロになった。
音色が透き通るように、クリアに聴こえた。
そこには、永遠にその美しさがつづいてほしいという、願いが込めれているみたいだった。
メロディーがリフレインしながら、そっと、終わった。
一瞬、ホール内から音が消えた。
無音の状態が、数秒間つづいた。
すると、男性のイェアというような掛け声があって、その次の瞬間、割れんばかりの拍手がわき起こった。
今度はクレアが、両手で顔をおおって泣きだした。
わたしはその男性の声が、彼だと思った。
クレアも、彼がきていることは気づいていたと思う。
何ていったのか、はっきりとはわからなかった。
クレアって、聞こえたようにも思えるし、そうじゃないようにも思える。
それは、クレアにしかわからない言葉だったのかもしれない。
わたしはクレアがそうしてくれたように、わたしもクレアの肩を抱いた。
クレアのしゃくりあげる肩の動きが、クレアの何かをあらわしているようだった。
やっぱりクレアは、何でもいいから、どんな小さなことでもいいから、とにかく彼のために何かをしたかったのだろう。
あの夏から、ずっと。
ずっとずっと。
でも、何もできなかった。
ピアノで応えること以外は、何も。
それが、わたしがこの譜めくりのアルバイトを選んだことによりその機会が生まれたのだとしたら、そうだったら、わたしはうれしい。
わたしはトントンと、クレアの肩をそっと叩いた。
クレアはうなずいた。
クレアを支えるようにして、わたしたちは立ちあがった。
おだやかにつづいていた拍手が一段とおおきくなった。
わたしたちは、深々と礼をした。
お客さんの何人もの人が花束を渡しにきてくれた。
カメラのフラッシュが、両サイドから光った。
持ちきれないほどの花束で顔がかくれたわたしたちは、お互いに顔を見合わせると、笑顔になった。
クレアのあんなにうれしそうな笑顔を見たのは、はじめてだった。




