第71小節
演奏する曲は何度も聴いておぼえている海シリーズのなかからふたつ、かⅢとⅤを選んだ。
そのふたつのなかには、いちばん大好きな曲も入っている。
彼になぜと、聞かれた曲。
Ⅲ。
リクエストでは上位に入っていなかったらしいけど、それでもわたしが心ひかれる曲。
それとアイドルポップス調にアレンジしたくらいお気に入りな曲(Ⅴ)のそのふたつ。
そのふたつがわたしが弾きたい曲であり、自信を持って弾ける曲であり、弾くべき曲のようにも思えた。
そう思うと、その曲がわたしがいちばん好きだといったほんとうの理由がわかるかもしれないような気がした。
なぐさめの、それじゃなく。
同情の、それでもない。
あの答えは間違っていた。
わたしはなぐさめて欲しかった。
わたしは同情して欲しかった。
その気持ちをあらわしてくれているかのような曲だと思った。
彼はわたしの返答にいい答えだといってくれたけれど。
あれも優しさ。
彼もその正しい答えがいつか聞けると期待して、肯定してから否定してくれたんだと思う。
期待してなかったら、否定する必要はない。
いじわるな、そんな彼でもなかった。
Ⅲから放たれているものは何なのか?
その正しい答えをわたしはここでつかんで、それを病院にいる彼に届けたかった。
一刻もはやく。
クレアが譜めくりをしてくれる。
わたしはいまピアノのまえに座っている。
衣装は白から淡いピンクのブラウスになった。
クレアがそばにいてくれている。
お客さんたちに不満の表情はなかった。
その手もとには急きょ作られたパンフレットがあった。
はじまるまえに支配人に控え室で見せてもらった。
わたしとクレアの経歴とともに、わりと綺麗に写ってある写真がそれぞれ使用されていた。
クレアとわたしは、お互いがそっちのほうが修正がひどいといつもの冗談のノリで言い合いになった。
そんないつものノリが楽しくて、わたしはすごくリラックスできた。
それも気づかいね、クレア。
しかしながらわずかな時間でこれだけのパンフレットを作れる体制にもびっくりしたけど、ひょっとしたらこれはすでに用意されていたものかもしれないなと、正直なところ思った。
いくら何でもはやすぎる。
この展開を、誰かが予測、あるいは演出しているのだろうか?
それができるのはひとりしかいないように思えた。
それができるから絶体絶命的な状況を抜けだして、あっという間に巨大なグループに成長させ、そしてみんなを率いてゆけるのだろう。
司会者を担当している女性スタッフが紹介を終えた。
お客さんたちがパンフレットを閉じて、わたしたちに注目した。
クレアがそっと、楽しんで、とささやいた。
わたしはうなずき、演奏を、はじめた。




