第63小節
ホテルにもどって昼寝した。
バスのなかでのような夢はもう見なかった。
見なかったけど、ひと眠りしたら、あのバスのなかにいた女性の顔を思い出せなくなっていた。
どんな服を着てたかも。
あの女性がいったことばだけが妖しく耳にこびりついていた。
どうせ夢だからとわたしは忘れることにした。
カラオケルームに行く途中に、支配人から明日の午前中に連弾の練習をしたいという彼からの伝言を聞いた。
何時くらいがいいか聞かれたので10時くらいならと答えた。
支配人はそう伝えておくといった。
カラオケルームに入り、ドア近くのスイッチを入れた。
そこはまるで宇宙空間だった。
天井に本物のようにリアルな色彩の銀河がひろがっていた。
足もとやテーブルやカラオケ機材あたりにはちゃんと間接照明が当てられていてけっして真っ暗闇といったわけではなかった。
それにしても家庭用プラネタリウムがここまで進化しているとは思わなかった。
最新型かな。
さすがにすごい。
柊エバーグリーングループ。
わたしはドアを閉め、ソファーに座った。
空調の音が静かに聞こえていた。
部屋の温度は相変わらず快適だった。
室内を見渡すと、ミニ冷蔵庫も備えつけられていた。
テーブルにはリモコンとリニューアルされたマイクが置かれてあった。
わたしは迷うことなく1曲目をセットした。
今日、この日に最初に歌うのはこの曲しかなかった。
母のデビュー曲。
黄金の80年代アイドルポップスのなかでも奇跡のようにきらめいている曲。
なぜ売れなかったのかわたしは信じられない。
あの頃。
確かにあの頃。
美しいメロディーがたちが、それらを歌う美しいアイドルたちが百花繚乱の時代だった。
イントロが流れはじめた。
わたしはせき払いをして、マイクに向かった。
「え~それでは聴いてください。牧野美風で……」
× × ×(ここはひとつ現在の絶世の美少女スターが歌うその愛らしい姿をご想像下さいませ)
それから続けてわたしは3曲歌った。
× × ×(同)
× × ×(同)
× × ×(同)
休憩後、それからさらに10曲ほど80年代のアイドルポップスを歌い(同)、そして最後に黄金時代の終焉から1年後の91年に登場したアイドルソングの集大成のような曲を最後に歌って、この日は終演にした。
世界に永遠の平和をもたらす愛をはじけさせる少女の歌だ。
× × ×(同)




