第43小節
わたしはそれから部屋もどって仮眠した。
昼過ぎに起きて、今日の公演の予習をした。
そして持ってきていた小説のつづきを読んだり、地元テレビの情報番組を観ながら時間をすごした。
夕方になり、わたしはシャワーを浴びて、身支度をした。
ホール横の控え室に入ると、すでにクレアが衣装を着てソファーに座って楽譜を見ていた。
「よいしょっと」
とわたしはいって彼女の向かいに座った。
「ねえ」
と彼女はいった。
「うん」
「さっき桟橋で一緒にいたの、真田くんでしょ?」
「真田くんっていうんだ彼。全国2位の水泳の選手だってね」
「そう。地元の期待の星よ」
「へえ~。何、よく知ってるの? っていうか、そんな時間にもうホテルにきてたの?」
「えっとね。まずあとのほうのことに答えるとね、ここの朝食が食べたくなってきてたのと、それからまえのほうのことに関してはね、子どものときからこのホテルにはよくきていたの、夏休み期間中にはきまってここへね」
「そうだったの」
「ちょっと変わったバタフライなのよね、あのコ」
「どんなふうに?」
「水しぶきがすごいのよ」
「どうゆうこと」
「つまりね。下半身ていうか、そうね、キック力がね」
「へえ~」
「かえって進まないんじゃないかってくらいなのよ」
「それでも全国2位なんでしょ?」
「そう」
「ふ~ん」
「そうそう、聞いた?」
「聞いてない」
「まだ、何も聞いてないじゃない」
「だから、何を?」
「桟橋の伝説よ」
「桟橋の伝説?」
「そう」
「何? その桟橋の伝説って」
「聞きたい?」
「はんぶんはんぶんかな」
「どっちよ」
「いまめんどくさい」
「えっ!!」
「いま聞きたい」
「オッケー。あのね、人魚返りの場所なの、あそこは」
「人魚返りって?」
「人魚が人間になってあらわれる最初の場所ってこと」
「まさかあ」
「ほんとだって」
「ほんとなの?」
「いやね、ほんとっていうか、だから伝説だって」
「伝説でしょ」
「でも見たもん、わたし、夜中に」
「何をよ」
「人魚が人間になるとこを」
「はいはい」
「ほんとだって」
「ちっちゃいときでしょ? 夢よ」
「いや違う」
「夢だって」
「知ってるもん、その人」
「誰?」
「真田くんのおばあちゃん」
「あの人?」
「知ってるの?」
「桟橋でちょっと話したことがある程度よ」
「ふ~ん」
「でもちょっと待って。おばあちゃんになるのはやくない?」
「ああ、あのおばあちゃんがその人魚のそばにいたの。だから彼女もそうだってことになるわけよ」
「そういうことか……って、そういうことになるのかな」
「そこであなたはある事実に気づかないかしら?」
「えっ」
「気づかないかしらね?」
「何か腹立つ」
クレアはふふふふっと、笑った。
「真田くん」
と彼女はいった。
「真田くん?」
「あのバタフライ」
わたしは、ハッとなった。
「でも、お孫さんになるわけでしょ」
「調べたけど、完全な隔世遺伝よね」
「調べたんだ」
「調べるわよ、それは」
「えー、でも、偶然じゃない?」
「あれは人魚の泳ぎ方よ」




