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譜めくりの恋  作者: ゆぶ
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第4小節



 ホテルのエントランスを入るとロビーには、白い背広がスタイルのよさでよりひきたっている50代くらいの男性が立っていて、わたしに向かってゆっくりと一礼した。


 わたしも、どうもと一礼した。

 

 スポーツチームのコーチのような精悍なマスクの男性はやわらかな笑顔を浮かべるとわたしに近づいてきていった。


牧野美風まきのみふうさんですね」

「はい」

「支配人の森川です」

「あっ、牧野美風です。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。さっそくですが、いくつかお話させていただきたいことがありますので、あちらのラウンジ席で」


 支配人はそういうと、窓際のほうの席をしめした。


 全面ガラス張りの向こうにはおだやかな海がひろがっていた。


 空の迫力に圧倒された。


 区切られた空間のなかで、より空が強調されて見えた。


 目の高さに水平線があり、自然と見上げるかたちで空があった。


 海と空がまじわる場所が水平線、ただそう見えるだけで現実にはふれあってはいない。


 なぜだかそんなことを考えた。


 この景色の何かがそう感じさせるのだった。


 わたしは空間デザイナーの空の切り取り方を感心しながら支配人のあとをついていった。


 そこには向かい合ったシングルソファーがあった。


 こちらへと、と案内されたほうの席にわたしは座った。


 ラウンジでは爽やかなジャズが静かに流れていた。


 支配人は向こうにいるスタッフに指で何かサインを送ってから、わたしの目のまえの席に座った。


 ショルダーバッグを下に置いたわたしは、姿勢をただした。


「荷物は部屋に届けてありますからね」

 と支配人はいった。

「すみません。ありがとうございます」

「部屋のことなど、わからないことは担当のスタッフがおりますので遠慮なく聞いて下さいね」

「わかりました」

「おつかれでしょうから、細かいことはじょじょに」

「助かります……あの」

「はい」

「この流れてるピアノ。弾いてるのは野崎京介さんじゃありませんか?」

「よくおわかりで」

「へえ~。ジャズ弾くんですね」

「何でも、クールダウンにはジャズがちょうどいいとかで」

「そうなんですね」

「おわかりになったのはあなたで2人目ですね」

「あらっ。ちなみに最初に気づかれた方は」

「ええ、指揮者をされているデンマークの男性の方でした。時間があれば世界中の桟橋を見てまわってるとのことでした」

「いるんですね、やっぱり」

「はい?」

「さきほども桟橋の写真を熱心に撮ってる方がいて」

「ああ」

「そうですか。2人目ですか」

「わたくし音楽にはうといのですが、どのあたりでそうだとおわかりになられるのですか?」

「ああ。音調ですかね」

「おんちょう」

「ええ。話し言葉にアクセントとかイントネーションとかありますよね。メロディーでいえば音のつなげ方とか切り方とか、そういったものがまさしくそうだと」


 支配人は深くうなずいていた。


「公表してないんですか?」

 とわたしは尋ねた。

「していません」

「知ったら、ファンの方おおぜい泊まりにくると思いますよ」

「そうなんでしょうね。しかし野崎様はこちらではプライベートな時間をおすごしいただいておりまして」

「ああ」

「はい」

「あの、口外しませんので」

「そうしていただけると」

「はい」


 支配人はそれから海のほうへと顔を向けた。


 わたしもつられて見ると、視界にカットインしてきた一羽の海鳥が、風をもとめるように上空へと飛翔してゆくのが見えた。


「ゆりかもめですね」

 支配人がいった。

「あれが」

「あの一羽がこのホテルに住み着いているんです。気に入ってくれているのか、それとも何かほかの理由があるのかわかりませんが」

「へえ~」

「冬羽の姿も美しいですから、その時期にも是非」

「ふゆばね……いまは、夏羽」

「ええ、違いがわかるはずです。ふたつが混じっている、春と秋もふくめて」

「季節の使者なんですね」

「その通りです」


 そこへホテルの男性スタッフがやってきて1枚の用紙を支配人に手渡した。

 

 その用紙を支配人はどうぞとわたしに差しだした。


 わたしは、はいといって受け取ってその用紙を見た。


「演奏会のパンフレットの表紙用です」

 と支配人はいった。


 テラスの席で白いシャツに黒のスラックス姿の端正な顔立ちをした30代くらいの男性が涼しい瞳で海を眺めている姿がそこにはあった。


 この流れているピアノ。


 プライベートな時間をすごしてるって。


 まさかね。


 そんな訳ない。


 だけどどう見たって彼だし、どう考えたってそんな訳あるんだけど。


 かといってここではしゃぐのも失望させてしまいかねないので、とりあえずわたしは背景の風景に関心があるところをみせることにした。


「素敵な写真ですね」

「ええ。当ホテルのクラブフロアにある専用ラウンジのテラスで撮影したものです」

「そうですか。この上ですか?」

 とわたしは左手の人さし指で上をゆびさした。

「はい。最上階のワンフロアになります」

 と支配人は左手の五本指をきれいにそろえて上をしめした。

「特別な会員の方しか利用できないんでしょうね」

「いえ、そちらのフロアのお部屋にお泊まりの方はどなたでも」

「わたしでも予約できますか?」

「もちろんです」

「お高いんでしょうね」

「見合うサービスをご提供させていただいていると思っております」

「クラブフロアにいつか泊まってみたいなって思ってるんです」

「では是非、最初のお泊まりは当ホテルで」

「そうします」

「お待ち申し上げております」

「ところでこの方はそうですよね」

「はい。野崎京介様です」

「はあ、やはり」

「こちらは今朝、撮られたものです」

「今朝ですか?」

「はい」

「泊まられてるんですか?」

「いえ、会員様ですのでよく専用ラウンジのほうをご利用いだたいております」

「ということは、譜めくりは野崎さんの」

「はい」

「はあ……」


 わたしは想像をはるかに超えた展開にただもうあ然としていた。


 

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