第35小節
なかなか寝つけなかった。
明日、初日の演奏会。
くるんじゃないかと他人事のようにして思うようにしていた、初日。
やっぱりほんとうにきて、もう他人事じゃいられないとたかをくくったはいいけれど、カラダは正直だった。
でもいっぽうで、こう思っているわたしがいた。
彼の曲が観客に届いて、どんな共鳴を感じることになるのか。
それをはやく体感したかった。
それでわたしをピアノにひきもどして欲しかった。
しばらく階段をのぼれずに踊り場でたたずんでいるわたし。
そうした状態をクレアはクレアなりにわたしの背中をおしてくれている。
それがうれしかった。
じぶんのグループのためだとはいっていたけれど、そればかりじゃできないことがあるってことくらいわたしだってわかっている。
現優勝者の彼女だもの。
彼女にだってこの夏、すべきことは山ほどあったはず。
それなのに。
わたしのことで彼女の足をひっぱりたくはなかった。
もしわたしに何かあっても、彼女がフォローしてくれると思うとたまらなく安心していられるわたしがいた。
彼も、彼女も、そっと安心をくれる。
だからといって甘えてはいられない。
しっかりつとめを果たさなきゃ。
このところ、悔しさで眠れない日がおおくあった。
クレアに対しての悔しさではなく、自分に対しての。
自分のあら探しばかりしていた。
そんな日々がつづいた。
そうだ。
彼の言葉が胸をうずかせた。
ライバルとしてではなく、親友としてクレアのピアノを聴いてごらんと。
クレアの演奏が聴きたかった。
YouTubeにあるかな?
スマホでさがした。
あった。
前々回のコンクールのときのクレアだ。
聴いた。
短いものだったが、それでじゅうぶんだった。
くりかえし、くりかえし聴いた。
わたしはぼう然とした。
わたしがミスだと思っていた箇所が、ミスに聴こえなかった。
さらにくりかえし聴いた。
やはり、ミスに聴こえない。
わたしの耳がおかしくなったのだろうか?
いや、違う。
いままでのわたしの耳がおかしかったのだ。
彼はいった。
わたしがクレアに勝てない理由がわかると。
そうか。
そうだったんだ。
それはミスではなった。
それは美点であり、たまらなく愛らしい彼女のチャームポイントだった。
ああ、観客は、審査員は、彼女を好きになっているのだ。
演奏でそうさせている彼女がすごかった。
わたしは涙がこぼれた。
ミスだと思い込もうとしていたじぶんが情けなかった。
それで優越感にひたってたなんて、その救いようのない愚かさに恥ずかしくて涙は別の意味に変わった。
いつかわたしも、じぶんの音が好きになれる日がくるのかな。
その好きという感度は、いまわたしが思っているものとは違うのだろう。
クレアはどうやってそれを身につけたのかな。
その夜わたしは、クレアのピアノをずっとずっと聴いていた。




