第3小節
目的地の駅を降りて、地名のついたリゾートホテル経由の路線バスに乗ることにした。
ホテルに泊まる客はたいてい送迎バスを利用するらしい。
ホテルの採用担当者の方は午前10時から00分発で1時間ごとに運行しているのでそちらをご利用下さいといっていた。
スマホで時刻を確認すると午前9時だった。
ホテルに着いたら電話する約束だった。
到着は10時すぎならいつでもといってくれていたので、はやく着いたら海岸で時間をつぶせばいいと思った。
そのとき路線バスがやってきた。
正面の行き先の下にホテル経由であることが小さく書かれてあった。
わたしは乗車してレモン色した乗車券を取った。
いちばん後ろの席が空いていたのでそこに座った。
乗客は年配の方がおおかった。
バスは海岸通りをしばらく走り、長いトンネルを抜けるとつぎは丘の上に建つおおきな古い病院のまえで停まった。
アナウンスは「HEG記念病院前」と流れていた。
乗客のほとんどがそこで降りて、残ったのはわたしともうひとり首から大きなカメラをさげた中年の男性のみだった。
バスは病院を出発するとおおきな森のなかをくぐって、ふたたび海岸線に出てからホテルへと到着した。
わたしとともに中年の男性もそこで降りた。
男性はさっそく道路から浜辺へと下りて砂浜をわきめもふらず歩いていった。
明確な目的が男性にはあるみたいだった。
地理的には半島の最南端にそのホテルは位置していた。
バス停から見ると、白壁で統一された低層のホテルと海との色づかいの対比はどことなくエーゲ海のそれを連想させた。
浜辺の端には岩場の上に生えた木立ちがあって、その向こうに桟橋の一部が見えた。
木立ちはホテルを囲む森からつづいているようだった。
木立ちの向こう側には浜辺からは行けないようで、男性は木立ち越しに桟橋にカメラを向けてしきりにシャッターを切っていた。
わたしは思った。
あの人は桟橋マニアなのかもしれないなと。
日本にどれくらいの桟橋があるのか、ふと気になった。
それと、桟橋のどこにひかれるのかも。
それは古さなのか、長さなのか、あるいは空や山や海や湖とのコントラストの美しさなのか。
そう考えていたわたしの脳裏に浮かんだのは、小学生のときに家族で訪れた湖の桟橋の風景だった。
湖畔のホテルから幻想的な光につつまれた桟橋の光景を眺めながらわたしはその神秘的な美しさにみとれていると、あるメロディーが、わたしのなかで生まれた。
思い浮かんだそのメロディーは、ほんのワンフレーズだった。
それはいまも大事に胸にしまってある。
わたしの場合それ以来、風景の美しさはワンフレーズのメロディーになる。
逆にいうなら、メロディーにならなければわたしは美しいとは思っていないということのようだった。
わたしのこころの仕様はどうやらそうなっているらしい。
このホテルでの滞在中にメロディーが浮かんでくるような桟橋の光景が見れたらいいなと思った。
海を眺めていたわたしはふと木立ちのほうを見ると、そこにはもうさっきまでいた男性の姿がなかった。
わたしは気になって浜辺へと下りていった。
波打ち際まで行って木立ちの向こう側を見ようとした。
そこからでもまだ向こう側の浜辺までは見えず、男性の姿を確認することはできなかった。
そのかわり桟橋のその姿はよく見えた。
あの湖には遊覧船が停泊していたけど、ここの桟橋にはプレジャーボートが1隻つなげてあるだけだった。
桟橋の入り口近くには古いボートハウスが建っていた。
その影から桟橋の上にその男性があらわれた。
ボートハウスの向こうから桟橋に上がれるようだった。
ほっとした。
それからふり返った。
これから譜めくりのアルバイトをすることになるホテルを、わたしはじっと見つめた。