第29小節
ホールでのわたしの指定席にわたしは座って待っていた。
時間ちょうどに彼が楽譜を抱えてあらわれた。
わたしは立ちあがって礼をした。
彼は笑顔を浮かべながらきて、昨日はわるかったね、といってピアノに楽譜を置いて、わたしに向いて座った。
いえ、とわたしは答えて座った。
「聞いたよ。控えの件」
と彼がいった。
「何かすいません」
「ぜいたくな話だよね」
「えっ」
「だって、このまえのコンクールの1位と2位だよ」
「ああ」
「ライバルで親友って素晴らしいよね」
「そう、ですかね」
「そう思うな。何だか1位様と2位様についてもらうなんて申し訳ない気がしてきたよ」
といって彼は笑った。
わたしも、ははっ、と乾いた笑いをした。
「あ、ごめんね。2位様なんて言い方よくないね」
「いいえ」
「わるかった」
「だいじょうぶです。わがままをいってご迷惑をかけているのはこちらのほうですから」
「これっぽっちも迷惑とは思ってないからだいじょうぶだよ」
「それを聞いてホッとしました」
「ホテルもホテルで彼女の登場に演奏会の態勢を見直してるようだから、ちょっとものものしくなるかもね」
「それは望んでないんじゃないですか?」
「ぼくが?」
「ええ。カジュアルな感じの演奏会を望んでいるんじゃ」
「だったけど、ふたりのためを思えばそうすべきだと思うよ。そこはフレキシブルでいいんじゃない」
「はい」
「でもまあそこはね、あのグループだから、演奏会の雰囲気をこわすようなまねはしないプロフェッショナルを雇うだろうから心配はしてないけどね」
「そうですね、あのグループなら」
「うん。で今日さっそくそこのぼくがいるマンションに越してきたみたいだしね、彼女」
「今日」
「そう」
「もう」
「もう、なんだ」
「はっや」
「何だか華やかな夏になりそうだね」
「いや~」
「何、いや~って」
と彼はたのしそうに笑った。
「いや~」
とわたしはくりかえした。
彼はさらにからだをふるわせながら笑った。
「きみおもしろいね」
と彼はいった。




