第9章 上下と左右
講義終了のチャイムが鳴り、ナオトは脱力して机に突っ伏した。
椅子と一体化した、やたらと横長の机は年季が入っていて黒光りしており、埃っぽい匂いが鼻をつく。
隣に座っていたリョウガがお疲れ、と言って、ぽん、と頭を軽く叩いた。
1回生のうちは学科が違っても基礎教養科目は同じクラスになることがあるのだ。
今の授業は”基礎ゼミナール”といって、毎回学部内の異なる学科の教授がオリエンテーションとして講義をするというものだ。
ただひたすら受け身で90分間話を聞くのは、睡魔との戦いでもありかなりの拷問だ、とナオトは思った。それも昼食のすぐ後に。翌週に短いレポートを提出しなければならないので、うかうか寝てもいられない。
しばらくその姿勢から動けずにいるナオトを、カズヤがつついた。
入部以来、なし崩し的に3人で行動することが多く、講義も並んで座っていたのだ。
「なぁ、ちょっとカフェ寄ってかへん? まだ部活までに時間あるやんかぁー。そこでレポートやろうや」
「んー……めんどくせぇ」
「ナオト、今やらないと内容忘れるぞ。部活終わってから家でレポートやる根性がお前にあるのか」
「……ない」
図星を突かれて思わず正直に答えてしまった。
そういうリョウガはほとんど半分くらい、授業中にレポートを仕上げてしまっている。メモを取る要領で聞きながら考えをまとめればいい、と本人は言っていたが、読解力と文章力の乏しいナオトには絶対にできない神技だ。
のろのろと体を起こし、いつも持ち歩いている黒いナップサックにノートやペンケースをしまい込む。
連日の部活での筋トレとランニングのせいで全身筋肉痛になり、今も体を動かすたびにあちこちの筋肉が悲鳴を上げる。テニスとは使っている筋肉が違うのだろう、今まで意識していなかった部分が痛くてたまらない。
平日は週3回だけの部活とはいえ、それなりに練習内容はハードだ。今日もたぶん筋トレから始まるだろう。ぎこちない動きになりながらもたもたしていると、他の学生たちはほとんど教室からいなくなっていた。
「おいナオト、早くしろよ、言うほど時間ないんだぞ」
「わぁってるよ、筋肉痛であっちこっち痛ぇんだよ。急かすなって」
リョウガに煽られてぎくしゃくと立ち上がる。机と椅子の狭い隙間を、ほとんど横ばいになって器用にすり抜けながら、3人は広い教室を後にした。
講義棟から少し離れた構内の中心部にあるカフェテリアは、いつものように多くの学生たちのおしゃべりで賑わっていた。
一面ガラス張りの大きな窓から差し込む光が高い天井の隅々まで届き、白い壁に反射して広々とした空間を明るく照らしている。淡いクリーム色のリノリウムの床は磨きあげられていて、歩くたびにスニーカーの底がキュッキュと鳴った。
ナオトたちは入口近くの比較的空いているエリアの、4人掛けのテーブル席に座った。
「で、カズヤ、お前はレポートやるんじゃねぇのかよ」
「まぁそうなんやけどぉー。ちょっと腹ごしらえもしときたいやん?」
席につくなり担いでいたカバンを机の上に放り投げ、ズボンのポケットから財布を取り出して中身を確認しているカズヤを見ながらナオトが突っ込む。ここのカフェテリアの奥にある小さな売店のソフトクリームがお気に入りで、来るたびに買い食いをしているのだ。
「ナオくんもソフトクリーム食べるぅ? 俺、ついでに買ってきたろか?」
「いらねぇよ。それよりさっさと行って来いよ」
「あ、カズヤ、俺アイスコーヒー欲しい」
「ほいほーい! じゃ、立て替えたるからあとで100円ちょうだい。ほなちょっと行ってくるわぁ」
ルンルンと駆け出していくカズヤの背中を見送って、カズヤはため息をついた。
あいつはなんでいつもあんなにご機嫌なんだ。羨ましいを通り越して呆れてしまう。
「……で、ナオトは何を悩んでるんだ。授業に集中できないくらいに」
早速レポートの続きに取り掛かっていたリョウガが唐突に切り出す。
ナオトは驚いて目の前の親友を見つめた。リュックサックからノートを取り出そうとしていた手が止まる。
「え、なに? 別に何も悩んでねーけど」
「ふっ、相変わらず嘘が下手だな。今日一日でお前が何回ため息ついてたと思う?」
「別に、ため息なんてついてねーよ。お前の気のせいじゃね」
と、笑いながら視線を外した。途端にため息が出る。
慌ててリョウガのほうを見ると、呆れたような顔でこっちを見ていた。
「ほらな。カズヤには言えないことか」
「……別に」
「じゃあ決まりだな、部活のことだろう」
思わず視線が泳いだ。こりゃバレバレだな。
「部活の何が不満なんだ。まだ辞めるかどうか判断できるところまでやってないだろう」
「何も不満なんてねぇよ。やるって決めたの俺だし。どっちかっつーと、お前らのほうが俺に巻き込まれたんじゃねーか、嫌じゃないのかよ」
「俺の話はいい。一番やる気だったお前が何を悩んでるのかと思ってな」
「……」
口を噤んで下を向いてしまったナオトを、リョウガは辛抱強く待っている。
こいつはいつもそうだ。がむしゃらに突っ走って、途中で何か引っ掛かってブレーキがかかって、だけど変な意地やプライドが邪魔をしてそのことを誰にも言えない。そして最後にはその引っ掛かった”何か”に足を引っ張られて失速する。一番大事なところを自分ひとりで抱え込んで悩んで、その悩みに喰われてしまう。
「別に大したことじゃねーよ」
「大したことじゃないなら言えるだろう。いいから言ってみろ」
「んなっ、」
口ではリョウガに勝てない。眉間にしわを寄せてイライラと髪をかきむしると、ナオトは考えをまとめようと試みる。
「……まぁ、なんだ、その、先輩たちってすげー強ぇのな」
「?」
「ほら、高校の頃からやってる人ばっかだろ。インカレとか、U-20代表とかさ。すげぇよな」
「たしかにな。それでお前、そんな人たちと比較して落ち込んでるのか」
「や、比較しようとすら思わねぇよ。それぐらいはわかってるからいいんだ」
「じゃあ何なんだ。実力の差がありすぎてヤル気がなくなった、とか?」
「んーそうじゃなくて」
椅子の背もたれから座面へズルズルと沈み込みながら、釈然としない答えを寄越す。
自分でもよくわかっていないようだが、”なんとなくモヤモヤしている”状態がテンションも下げているようだ。
「目標が立てられないんだろう。先輩たちのレベルまでは難しいが、かといって遊びでやるのも性に合わない。そういうことじゃないのか」
「ん……」
たぶん、と言って小さくうなずく。
サークルではなく部活を選んでしまった時点で、お遊び気分ではできない。
じゃあどこまでストイックに、何を目指すかというと、身近なお手本のレベルがあまりに高すぎてとても現実的に思えない。
仮にも高校まで真剣に部活に取り組んできた彼は、”目標に向かってひたすら努力する”ことがスポーツをやるうえで当然のことだと思っている。
それに、図らずも偉大な先輩たちを持ってしまった身としては、先輩たちに恥じないレベルにいなくてはというプレッシャーも感じてしまっていた。自分たちのせいで鳳城大学洋弓部が1部リーグから脱落するはめになっては、いたたまれない。
だが、今のままでは来年のリーグ戦の見通しは暗い。アオバもシンイチも、自分たちの前では口にこそ出さないが、それを危惧していることはなんとなく伝わってきた。
「俺らさ、」
かすれた声でナオトが言う。辛うじて顔は上げていたが、視線はリョウガを捉えてはいない。
「……マコト以外全員初心者で。頑張ってもたった1年じゃ先輩たちのレベルどころか、マコトに追いつくこともできないと思う」
「そうかもしれないな」
「先輩たちが頑張って全国大会行ったり世界大会行ったりして活躍してるのに、後輩の俺たちは何なんだって思われるよな」
「そうだな」
「俺たちのせいで、入江先輩や一条主将に恥ずかしい思いさせるかもしんない」
――マコトも本当は、俺らと一緒じゃ不満なんじゃねぇかな。
マコトとは学部も違うし練習日も平日は1日しか一緒でないので、実はまだあまり打ち解けられていないのだ。彼自身、練習メニューが他の1回生とは異なることもあり、中途半端な立ち位置はそのままで仲良くなる機会がないままだ。それに、マコトの態度もなんだかよそよそしくて、気軽に話しかけられないのだ。
本当は、1回生同士、11人でまとまりたい。いや、まとまるべきだと思っている。
それが、”部”という単位で活動する場所だから。
早くもプレッシャーを感じて悩むナオトに、リョウガは思わず笑みをこぼした。
「ふっ、お前らしいな」
「んだよ、笑うなよ!どうせ俺のことバカにしてんだろ」
「バカになんかしてないさ。褒めてるんだ」
「……全然褒められた気がしねぇ」
さっきまでとは打って変わって意思のある眼差しに戻ったマブダチを見て、リョウガは自分がまた少し彼の背中を押せたのだと知る。
「別にお前だけがプレッシャー感じることじゃないだろ。俺もカズヤも、みんなで頑張ればいいんだ」
「……当たり前だ」
「それに、もしかしたら俺がものすごくアーチェリーに向いていて、突然才能が開花するかもしれないだろう」
急に調子を変えておどけてやる。ナオトがわかりやすく食いついてきた。
「え、何言ってんだリョウガ、お前には負けたくねぇっ!」
「そんなもの、わからないだろう。力任せにラケット振り回してたやつよりも、繊細な楽器をやってたやつのほうがアーチェリーにすんなり馴染めるかもしれないぞ」
「力任せってなんだよ! スピンかけたりちゃんとコントロールするのだって簡単じゃねーんだぞっ」
すっかりいつもの調子を取り戻してムキになるナオトを、まぁまぁと笑いながらなだめる。
そこへカズヤが戻ってきた。片手にソフトクリーム、もう片方にリョウガのアイスコーヒーを持っている。
「なになに、何の話しとったん? 楽しそうやん」
リョウガが100円玉を財布から取り出してカズヤの前に置くと、その片手からアイスコーヒーを受け取る。
「……別に、なんでもねぇよ」
「俺とナオトとどっちがアーチェリーに向いてるかって話」
「あぁ~、そんなら一番向いてるのは俺やな! なにせ弓道部の元・主将やからな!」
早くも垂れてきたソフトクリームにかぶりつきながらカズヤは胸を張った。
「でもよ、矢上先輩が言ってたじゃねーか。弓道とアーチェリーは全然違うって。お前が向いてるとは限らねーだろ」
ふん、と鼻を鳴らしてナオトが反論する。
「いやいやー、言うても同じ弓の競技やで? そりゃ細かいとこは違うかも知れへんけど、だいたい同じようなもんやろ」
「まぁ、そういう意味では今はカズヤが一歩リードしてるのかもな」
「へっ、俺だってすぐに追いついてやるさ。それに、こないだ橘先輩に射型フォーム褒められてたのは新藤だぜ。あいつバレーやってたんだろ。もしかして身長関係あんじゃねーの」
新藤カネヒサとカズヤでは、身長は10センチくらい違う。173センチのカズヤは、日頃からもう少し背が欲しいと言っていたのでここぞとばかりに抉ってやる。まぁ、175センチのナオトと大して変わらないのだが。
「う、せやけど、マコトくんは俺より背ぇ低いで? でもめっちゃうまいんやろ」
「あいつは特別なんじゃねーの。他の先輩らはみんな180センチ近くあるじゃんか」
揃って大柄な先輩たちと一緒に射場レンジで練習していると、マコトはすっかり埋もれてしまい背の低さが際立つのだ。
だが、細身で小柄な体で大きな弓をいとも簡単に操っているときは、普段は可愛らしいと評される顔立ちもキリリとしてさらに男前に見える。たとえ50メートル先に置かれたリンゴを射抜けと言われても、彼の実力なら確実に命中させるだろう。
「……でもさぁ、マコトくんってちょっと取っ付き難いよなぁ。俺、仲良うなりたいねんけどな」
初めて聞くカズヤの真面目なぼやきに、思わずナオトとリョウガは顔を見合わせた。
言われてみれば、カズヤの性格ならとっくにマコトとも仲良くなってもおかしくない。ナオトやリョウガと初めて会ったときでも、そのコテコテの関西弁と人懐っこい笑顔でぐいぐいと懐に入り込み、こうしてすんなりと3人に収まっているのだから。こいつでもそんなことを思うのか。
「何、お前、いつもみたく全開でガンガンいけばいいんじゃねーの。なんでマコトにはいかないんだよ」
「えー、なんやそれ、俺が能天気なやつみたいやんかぁ。俺かて空気くらい読むわぁ」
「は? お前空気とか読めるわけ?」
「読めるわ! ってかナオくん、俺のことなんやと思てんの?さすがに傷つくわ」
ソフトクリームを唇の端につけたまま、机に身を乗り出して珍しくカズヤが吠えた。
すかさずティッシュを取り出してカズヤの口にリョウガが押し付ける。
もご、と言ってカズヤはおとなしくなった。
「で、カズヤ、空気を読んだ結果マコトと仲良くなれないと思ったのか」
「んんー、仲良くなれんことはないけど……ちょっと時間かかるんちゃうかなって」
「なんで」
「なんで? ナオくんこそ、なんでかわからんの?」
「ちげーよ! なんでお前がそう思うのか聞いてんだよ!」
カズヤのストレートな物言いが気に障り、今度はナオトが吠える。
ちらりとそちらを見やって、意外なほど冷静にカズヤが続けた。
「部活って、なんやかんやゆうても先輩後輩と同期ってきっちり線引きされてるちゅうか、そこが一番の仲間みたいなもんやろ」
「そうなのか?」
「まぁ、そうだな」
「マコトくんは俺らと違ってアーチェリー経験者やし、練習内容が違うのも当然やとは思うねん。せやけど、先輩らの中に完全に混じることはできへんやろ。やっぱり1回生なんやし。そんでも、休憩時間とかまで一緒におるのは俺らとちごて先輩らやん」
「……そうだな」
上下関係のゆるい軽音部だったリョウガにはあまりよくわからない感覚らしい。育ちがいいので先輩に向かってタメ口を使うことはないが、同じバンドのメンバーは年齢に関係なく言いたいことは遠慮なく言い合っていた。根っからの体育会系気質のナオトは、ときどき彼らの会話を聞いてひやひやしたものだ。それに、メンバーもいくつかのバンドを掛け持ちしているのが普通で、仲間というよりも一匹狼の集まりというドライな感覚のほうが強いようだ。
「別に、それがあかんと思ってるわけやないで。せやけど、俺らと打ち解ける気ぃあるんかな、ってときどき心配になんねん」
「心配っつーか、俺はあいつの態度は気にくわねぇけどな」
「……ナオくん、喧嘩はせんといてや。頼むで」
「なっ! んなことでいちいち喧嘩なんかしねーよ。ガキじゃあるまいし」
いつもハイテンションな姿しか見せないカズヤに諭されて、カッと頬に血が上った。あのテンションは計算なのか。ナオトが感じていたマコトに対する違和感をきっちり言葉にして並べられて、スッキリしたと同時に面喰らった。
「ま、もう少ししたらお互い慣れるだろう。そうしたらマコトとも近づけるんじゃないか。マコト以外のやつらとも、まだ大して打ち解けているわけじゃないしな」
「せやな! 11人みんなで仲良うなったら楽しいで!」
リョウガに賛同してハイテンションに戻ったナオトは、ソフトクリームの最後の一口を放り込むと席を立った。
「おい、どこ行くんだよ」
「え、足りんかったからやっぱりマクドでも買うてこようと思ってー」
「は?どんだけ食うんだよお前!」
「……二人とも、そろそろ時間だ。部活行くぞ」
「えぇーっ! もうそんな時間かよ」
「……レポート、終わらなかったな」
「「あ」」
いつの間にか一人だけきっちりとレポートを完成させたリョウガが、すずしい顔でノートをカバンにしまい込んだ。
がっくりとうなだれる二人を連れて、リョウガは軽い足取りでカフェテリアを後にした。
*
クラブハウス棟の209号室。
鳳城大学体育会洋弓部の部室では、3回生の幹部ミーティングが開かれていた。
集まったメンバーは、主将の一条ケイを筆頭に副将の橘ヒカル、会計担当の結城アキラ、主務のツバサ、渉外担当の星野タクローの5人。揃いも揃って大柄な彼らが集まると、ただでさえ狭い部室がいっそう狭く感じる。白熱した議論のせいで、心なしか酸素も薄い。
議題はもちろん、今年の新入部員の育成についてだ。
この時期、関東リーグ戦と王座予選の二大試合があり、通常ならば練習に明け暮れているところだ。
新入部員と言えど今まではアーチェリー経験者がほとんどだったため、入部早々に同じレベルで練習をし、試合にもメンバーとして一人か二人は食い込んでくるのを先輩の意地で阻止する、というのが例年の状況だった。
ところが今年はマコト以外の全員が初心者だ。
まったくの初心者に教えるという経験がほぼない部員たちが、今度は彼らを育てていかなければならない。
大学の部活が高校のそれと大きく異なるのは、実質的に指導してくれるコーチがいるかいないかだ。もちろん、体育大学など部活をメインで力を入れている大学は専属のコーチがみっちり指導してくれるが、生憎と鳳城大学には名ばかりのコーチがいるだけだ。新入生歓迎会と追い出しコンパの行事のときのみ、形ばかり姿を見せて訓示を垂れることしかできない。
そんなわけで、このミーティングはいっこうに進まなかった。
「……とりあえず、”月刊アーチェリー”でも買って勉強しろって言ったら?」
「バーカ、本読んだだけで上達するかよ」
何の解決にもならない投げやりな意見を出したツバサに、アキラがすかさず突っ込んだ。
もちろん、誰一人賛成はしない。
「少しでも弓が引けるようになってきたら、本を読んで勉強するのも効果的やろな。今はまだ、逆に頭でっかちになってしもてもしゃあないからな」
「ヒカルの言う通りだ。妙な癖がついてしまったら、それこそ直すのが大変だろう」
主将のケイの指摘に、皆が無言でうなずいた。
「じゃあさ、タクローはどう思う?お前、俺らの中で一人だけ初心者だったじゃん。上達するコツとか、なんかあんだろ」
ツバサの発言ではたと気づいた4人は、期待を込めた目で壁際に座ったタクローを見やった。
星野タクロー。ツワモノ揃いの3回生の中で、アーチェリー未経験者で入部してきて今でも残っている最後の一人だ。中学・高校とサッカー部に所属していたのだが、大学では『変わったスポーツをやってみたい』とアーチェリー部に入部した。
サッカーをやっていただけあって体力は底なしにあったが、上半身を使うことに慣れておらず最初は苦戦していた。本人の努力の結果、今ではインカレや東日本大会くらいには出場できるレベルだ。
急に話題の中心になったタクローは、肩をすくめて4人の視線を受け止める。
赤が好きだという彼は、今日も真っ赤なTシャツにダメージジーンズをあわせて着こなしている。淡い栗色に染めたフワフワのくせ毛に良く映えていて、華やかな雰囲気がそこに漂っていた。
「俺はただ、もう意地だよな。お前らと一緒に全国とか遠征とか行きたかっただけだからな。コツって言われてもガンバレとしか言えねぇよ」
「ははっ、こりゃまた俺より酷い意見だねー」
ツバサの突込みをまぁまぁ、と言ってなだめ、アキラが引き取る。
「基礎はともかくさ、ある程度教えたら手取り足取りいつまでもする必要はないんじゃないの? 俺らの背中を見て覚えろってさ。そこまでの根性がなきゃ、どうせ続かないし上達しないっしょ」
「せやなぁ。タクローだって、俺たちが教えたっていうよりも、俺たちに教えてくれって言ってきたからこっちも真剣になったとこはあるしなぁ」
「大学生にもなって、自分で決めた部活で受け身なやつなんて、素質がない以前の問題じゃねーの」
タクローは自分にも他人にも厳しい。そう言えるだけの結果を残した人間の発言だろう。
ばっさりと切って捨てるとツバサが、おぉ怖ぁ、と大袈裟に震えてみせた。
ヒカルもタクローも、言っていることはもっともだ。とはいえ、いきなり精神論だけでぶつかるのもいかがなものか。ケイは眉間にしわを寄せてひとり唸った。
「今の俺たちの弱点は、誰も教えた経験がないということだ。これからも初心者が入部してくることに備えて、俺たちだけじゃなく2回生にも指導させるようにしようと思う。元々、1回生の指導は2回生がやる仕事だからな。ただ、技術面では俺たち3回生がメインになって、2回生にも補佐をさせるやり方でどうだ」
一番妥当と思える案がケイの口から出てきたのは、それから30分も経ったあとだった。
あぁでもない、こうでもないと非建設的な意見が飛び交い、いい加減みんながうんざりした頃だ。
「うん、なかなかいい案やな! 他人に教えるのも上達の方法やし、ちょうどええんとちゃう?俺は賛成や」
「じゃあ具体的なメニューは俺とツバサで考えてみるよ。ケイ、外せないことだけ教えといて」
「タクロー、お前の意見が一番重要だかんな。逃げんなよ」
じゃ、とりあえず今日の練習が終わったあとでタクローんちに集合な!
アキラが一方的に宣言してその場を畳んだ。
一人暮らしのタクローのアパートは大学から最も近く、なんだかんだと3回生のメンバーが集まって飲み食いするのに使われていた。少し広めの1LDKで、5人までなら雑魚寝もできる使い勝手のよさもある。
「は?! 俺、今日レポートやんなきゃいけねーんだけど。明日提出なんだよ、お前らに構ってる暇はない!」
「何のレポートなん? もしあれやったら先輩の昔のノート、借りたらええやん」
「そんな邪道は働かねーよ! 一応俺は真面目なんだ!」
「まぁまぁ、そんな真面目なタクローくんならレポートなんか1時間もあれば終わるっしょ。先に俺らだけで進めてるから、構わずやってもらってていーんだぜ」
「ったく、相変わらず人の都合はおかまいなしかよ……」
好き勝手に話を進めていく仲間たちを見ながらため息をつく。今夜は徹夜で決まりだ。
今日は11人の新入部員のうち、とびきり活きのいい3人が練習日だ。
元テニス部、元弓道部、元軽音部。
3人とも初心者だが、特に元テニス部の大月ナオトのヤル気は他の誰より抜きんでているのは、彼の練習への取り組み方でよくわかる。やる気のある人間には教え甲斐があるというものだ。
5人はようやく立ち上がると、それぞれの荷物を手にして部室を後にした。