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洋弓男子~INNER10!~  作者: 星いさご
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第8章 サバイバル


 いーち、にー、さーん、しー

 ごー、ろーく、しーち、はーち

 にー、にー、さーん、しー

 ごー、ろーく、しーち、はーち。


 威勢の良い、とは程遠い掛け声が響く。

 時刻は16時半。鳳城大学体育会洋弓部が練習を開始する時間だ。

 部員全員で広いグラウンドのさらに外周を5周みっちり走らされ、その後軽い準備運動をし、それが終わると新入部員は2人ずつペアになってストレッチをしているところだ。上級生たちはさっさと弓を組み立ててレンジに入っていった。

 入学までのわずか3か月ほど部活から離れただけですっかり鈍りきった体は、少しのランニングで筋肉がパンパンに張り、そこへもともと体の硬い男子たちはひざ裏のストレッチで早くも弱音を吐いている。ただし、今日の教育係当番であるアオバが仁王立ちで見ているので、心の中で、だ。


「お前らぁ、声が小せぇぞ~! 声出すのも準備運動だ!」

「「「「はいぃぃっっ!」」」」


 半ばやけっぱちのような返事だが、声の大きさだけはようやく一人前の体育会系らしくなってきた。

 11人の新入部員のうち、今日の練習は6人。ナオト、リョウガ、カズヤの3人組に加え、マコト、カネヒサ、ジュンペイだ。一人だけ運動部が初めてというジュンペイは、ランニングの3周目で早くも周回遅れとなっていた。こいつは苦戦しそうだなぁ、と今も顔を真っ赤にしてストレッチに取り組むジュンペイを見て、アオバは気が重くなる。地面に座って前屈をしているのだが、ペアを組んだカネヒサが後ろからぐいぐいと背中を押しても、痛がるばかりでちっとも体は曲がっていない。焦っても仕方がないのでこいつは気長に見ることにした。


「おーし、これでストレッチは終わり! 今からは射型の練習に入る。一条主将と橘副将が教えてくれるから、みんなしっかり覚えるように!」


 おぉっ、と1回生たちがどよめいた。”鳳城大のエース”と呼ばれる一条ケイが自ら教えてくれるというのだ。入部してからこれまで自分たちは基礎練習が多く、なかなか接点のなかった3回生たちが皆揃いも揃って全国区クラスだということは、散々2回生のアオバたちから聞かされていた。特に一条ケイはアオバとマコトにとって高校時代から最も尊敬する先輩の一人であり、ほとんど神格化せんばかりの勢いで彼らによってたっぷり洗脳されてきたのだ。1回生たちの反応は相応のものだろう。


 「ってアオバ先輩、俺もっすか?」


 マコトが慌てて口を開く。ストレッチまではまだしも、アーチェリー経験者のマコトが今更初心者に交じって射型から練習するのだろうか。もっともな質問だ。


 「あー、お前も一応新入部員だかんな。それに言ったろ、1回生が慣れるまで面倒見ろって。同期の成長を見守るのも大事なことだ」

 「えぇーっ、そこまで面倒見るんスか?! 俺だって自分の練習したいッスよ!」

 「うるせーな、先輩の言うことが聞けねぇのか! 俺だって最初はそうだったんだからよ、教えるのも勉強だぜ」


 先輩権力でそこまで言われてしまっては反論できない。マコトは渋々ながらも引きさがった。スネたように唇を尖らせているが、顔立ちのせいでばっちり絵になってしまう。大きな瞳をくりくりにさせたままそんな表情をしても、不機嫌どころか甘えているようにしか見えない。


 正直、マコトと他の1回生の間にはもやもやとした、それでいて大きな溝がある。

 一人だけアーチェリーの経験者で、入学前から先輩たちに交じって練習していた、ということで他のメンバーはなんとなく気後れしてしまい、気軽に話しかけられない雰囲気になっている。それにマコトの実力は、本人は何も言わないが他の先輩たちと話しているのを聞いていると、『インターハイ』だの『国体』だのにどうやら出場していたほどのものらしいということがわかった。ますます自分たちとの距離を感じてしまう。

 彼自身も、先輩たちからも同級生たちからも中途半端な立ち位置であることを痛いほど感じているらしく、ときどき困ったような視線を投げてくることがあった。とは言え、普段は『自分はあっち側』だというプライドがあるようで、あまり積極的に絡んでこようとはしないのだが。


 じゃ、あとは頑張れよ、と言って射場レンジの中へ失礼しますっ!と元気よく挨拶をして飛び込んだアオバの代わりに、ケイとヒカルが姿をあらわした。二人は自分たちの準備運動が終わるまで隣の近射的で射型の確認をしていたらしい。いつもよりインターバルの短い一定のリズムでバシン、バシンと矢を放つ音と固い畳に刺さる音が交互に聞こえていた。

 部内のワン・ツートップの登場に6人の表情も自然と引き締まる。

 二人の圧倒的な存在感たるや、自分たちがまるで虫けらのように思えるほどだ。

 後でナオトがリョウガにそう言ったら、「そうだな、お前はな」とけしからん返事が返ってきた。自分は違うって言いたいのか。


「主将の一条ケイだ。改めて、みんなよろしく」

「副将の橘ヒカルや。今日からいよいよアーチェリーの基本をやっていくで。俺らの形、よう見とってな」


 普段から言葉数の少ないケイがそっけなさすぎる挨拶をし、ヒカルがそれを補うように笑顔で話し出す。おそらくコンビとしては相性のいい二人なのだろう。阿吽の呼吸のように、ほとんど目配せだけでぽんぽんとテンポよくやりとりをするケイとヒカルの姿は、完全に信頼し合った仲間同士のそれだった。

 新入部員たちは縦一列に間隔をあけて並び、まずはシャドーイングを教わる。要するに、スタンスからセットアップ、ドローイング、リリース、フォロースルーの一連の動作を弓を持たずになぞるのだ。


「まず、的に対して垂直方向にまっすぐ立って。右利きの人は左足を前にシューティングラインを跨いで……そう、左右の足は腰幅に開いて平行に。腹筋を意識してしっかり地面に両足をつけるんや。頭からワイヤで吊られてるみたいに、まっすぐやで。これがスタンスの形や」


 この、まっすぐ立つ、というのが意外と難しい。テニスやバレーボールをやっているとどうしても”狙いを定める”とやや前傾姿勢になるし、スポーツをし慣れていないと、体と頭を一致させるのに苦労する。ましてや筋肉をピンポイントで動かすなんて尚更無理だ。


「お、新藤くん、だっけ、さすが元弓道部やな! いい感じやで」


 新藤カネヒサは新入部員の中では一番背が高いので、周りより特に抜きんでて見える。黒地に側面に左右一本ずつ黄色いラインの入った上下のジャージを着ているが、それがまた背の高さを強調している。

 ヒカルが大げさに親指を立ててみせると、カネヒサはいつものようにメガネのフレームを指で押し上げながらも真面目にありがとうございます、と返した。まだまだ硬い。


「顔は的の真ん中を向いて。そう、オッケー。じゃ、俺らが手本を見せるから、自分らは真似して一緒にやってみて」


 ヒカルとケイが彼らの前に立ち、シャドーイングをする。8カウントを数えながら、弓を持っているかのように滑らかにフォロースルーまでをなぞった。


 いち、に、さーんし、ごーろく、しち、はち。


 最初の”いち”はスタンス、”に”でストリングに右手の3本の指をかけ、そのまま”さーんし”で流れるように両手を同時に肩の高さまでゆっくりと持ち上げる。”ごーろく”で右腕引き手を引きながらあごの下へもっていく。このときに背筋を使って肘を自然に後ろへもっていくのがコツだ。

 最後の”しち”でさらに両腕をギリギリと体の左右に伸ばしながらストリングを放し、”はち”でフォロースルー。その間、視線はずっと的の中心に置き、腕は止まることなくスムーズに伸び続けること。逆に背筋は左右の肩甲骨を近づけるように動かすこと。

 弓は想像以上にカタイので、一瞬でも動きが止まってしまうと引き続けることは困難だ。

 プルプルと腕が震え、呼吸が止まり、制御不能になった状態で矢を放っても狙ったとおりにはまず当たらない。

 一人ひとり、お腹を触ったり肩を触ったりしながら、ヒカルは根気強くフォームをチェックしていく。ケイはずっと手本になっていたが、Tシャツ1枚のその背中が見た目以上に筋肉質なことに驚かされた。腕が上下するたび、肩甲骨や脇の筋肉が盛り上がり、細いがかなり引き締まった体をしていることがわかる。

 繰り返しシャドーイングをしながら、レンジ脇の道路に向けたナオトの視線の先には、いつの間にか丸い的がはっきりイメージとして浮かび上がっていた。


 ―———早く自分の弓を持ちたい。

 その弓で的の真ん中を射抜けたら、どんなに気分が良いだろう。

 先輩たちと一緒に全国を飛び回って試合に出られたら、どんなに楽しいだろう。


 いち、に、さーんし、ごーろく、しち、はち。

 6人のルーキーたちの声が春の夕空に響いていた。

 まずは全員、一斉にスタートだ。


******


 新入部員たちが真面目に練習に取り組んでいる頃。

 ふらりとレンジに現れた人物がいる。

 時間帯としては、完全に遅刻だ。裏口からまるで野良猫のようにするりと体を滑り込ませ、練習している部員たちに、お疲れさんでーす、とまったく悪びれた様子もなくにこやかに挨拶をした。わずかに京都訛りのはんなりとした口調が小憎らしさを加速させる。


「お疲れさんじゃねーよ、レン、お前完全に遅刻じゃねぇかよ」

「いえ、ちゃんと橘副将には言いましたよ、今日は学部のゼミで遅れますってね」

「ちぇっ、お前、ヒカルにじゃなくてケイに言えよな。いつまでもヒカルに甘えてんじゃねーよ」

「そんなんじゃありませんよ。たまたま一条先輩に電話したらつながらなかっただけですから」


 苦々しく説教するアキラとツバサを笑顔で軽くいなし、ほな、弓組み立ててきますと言って表へ出ていった。結局そっちに行くならわざわざ裏口から入ってこなくてもいいのに、彼は絶対に正面からは入ってこない。

 的場レン、2回生。ツバサが突っ込んだとおり、ヒカルの高校の後輩だ。

 父親がロシア人、母親が日本人のハーフで、グレーの瞳に合わせてかなり明るいグレーアッシュに染めた髪がよく似合う。色白で彫りの深い顔立ちに、いつも柔らかな、それでいて底の読めない笑みをたたえている。


 もっと端的に言うならば、アオバの最大のライバルだ。

 高校時代からお互い全国大会などで顔を合わせる機会が何度もあり、出身校がそれぞれ西の神戸甲南高校、東の上條東高校と並び称された二人だ。大学入学で仲間となった今でも、育ったライバル心はそうそう消えるものではなく、性格も正反対とあって二人の間にはピリピリとしたムードが漂うのだ。もっとも、そんなときでもにこやかにほほ笑んでいるレンのほうが、傍から見ていて数倍怖い、と言われている。 さっきも、アオバはアキラやツバサと一緒にレンジにいたが、ちらりとレンを一瞥しただけで何も言わなかった。


 レンジの外に回ろうとして、ふと足が止まった。やけに大勢の掛け声が聞こえたからだ。


 ……我らが後継者たちやな。


 完全に出ていく前に、近射場の出入り口のドアに身を隠し、そっと様子を伺う。

 マコト以外は全員初心者だと聞いている。ケイやヒカルがどうやって育てようかと悩んでいるらしいことも。

 レンにとってはどうでもいい、というか、アーチェリーはあくまで個人戦だと思っているため、周りが自分より実力が下だとわかったら興味が失せてしまうのだ。まったく悪気はないのだが、それをあまりに表に出し過ぎると顰蹙ひんしゅくを買うことくらいは承知している。何より、京都育ちのレンは普段から本音と建前の使い分けは朝飯前だ。おかげで、無用なトラブルに巻き込まれる事態にはなったことがない。ただ一人、アオバを除いては。


 ……へぇ、マコト以外にもなかなかイケメン多いやん。重畳重畳。


 仮にも一緒に練習する仲間たちが見目麗しいのは見ていて気持ちがいい。アーチェリーとは全然関係ないところで評価を下す。

 思わず、いつも貼り付けている笑顔を本物にして、レンはレンジの外へ出た。


「お疲れさまですー。みんな練習頑張ってるようやね。あぁ、一条先輩、橘先輩、遅れてすんません」

「おぉレン、来たか。ゼミお疲れさん」


 可愛がっている後輩の登場に、ヒカルが破顔する。素直に感情を表現してくれるヒカルは、レンにとって眩しく、そして心を許せる数少ない相手だ。


「あ、レンお前、まだ新入部員と顔合わせしてへんよな。ちょうどええから、挨拶しとき」

「え、でも今練習中とちゃいます? 邪魔したらあかんし、後でええですよ」

「ええわ、そんなんすぐやろ。それにお前ら2回生にはこいつらの面倒みてもらわんならんからな。お互い早よぅ名前覚えといてもらいたいんや」

「そうですか。ほな、一条主将、失礼します」


 ケイに一言断ってから後輩たちに向きなおる。


「的場レン、て言います。2回生です、よろしゅう」


 そう言って営業用のスマイルをきめると、ほな、みんな頑張ってなと言って踵をかえす。


「って、おいおい、そんだけかい! 後輩ら、まだなんも言えてへんやろ!」


 あ、そうか、自分の名前だけ言えばいいってわけやないのか、と気づく。つくづく自分は他人に興味がないようだ。

 そうしてヒカルから促され、新入部員一人ずつからカチコチの自己紹介を受けたが、どうも右から左へと抜けていく。ふむふむ、と笑顔で聞いていたが、その場で名前あてクイズでもされたらひとつも正解できないだろう。かろうじて、マコトの隣に立っていた気の強そうな男の子の名前は憶えられた。なぜなら数少ない従兄弟と同じ名前だったからだ。


「ご苦労さん。じゃ、自分は練習いってきてええよ。ありがとな」

「はい、失礼します」


 はんなりと優雅に頭を下げて、今度こそ敷地の隅にある部室兼更衣室へ向かった。


「……おい」


 不機嫌そうなトーンの声が後ろからレンに届いた。

 アオバだ。

 クィーバーを腰に下げたまま、レンジのコンクリートの壁にもたれて腕を組んでいる。

 レンは無言で振り向き、顔だけで”なに?”と疑問符を投げかける。


「お前、今のであいつらの名前覚えたのか」

「……一回では覚えられへんなぁ。あ、マコトくんは覚えてるで」

「ったりめーだろ、マコト以外の奴のこと言ってんだよ」

「あぁ、大丈夫やろ、どうせ連絡網とか部室に貼ってあるんやから、いずれ覚えるて」


 のんびりしたレンの答えに、チッとアオバが舌打ちを返す。


「今年はあいつら初心者を育てなきゃなんねーんだ、あんまり悠長なこと言ってらんねーんだぞ。わかってんのか? 今までみたいに自分のレベル上げんのだけ頑張ってちゃいけねーんだからよ」


 そりゃそうだ。このままいけば我らが鳳城大学が来年1部リーグから脱落するだろうことは容易に想像がつく。

 だけど、それが何だっていうんだ?

 仲良く団体戦なんてのは、学生と国体だけだ。

 それで全国大会に行くことに、何の価値があるというのだろう。

 レンはあくまで個人戦が好きだった。


 そもそもアーチェリーはチームワークを必要とされないスポーツだ、と思っている。

 個人戦の上位まで残ると体験できる、オリンピックラウンドの1対1での試合。

 ぶつかり合う二人が、大勢のギャラリーが固唾を飲んで見守る中、70メートル先に隣り合って並べられた新品の的に、1射ずつ交互に射ち合う。

 『10点!』『9点!』と、すぐさま点数が読み上げられる、あのプレッシャーと興奮。

 そういう場面にこそ、アーチェリーの醍醐味があるというものだ。

 そんな本音を押し隠し、自分に剣呑な視線を向けているアオバに微笑みかけてみせる。

 怒ったときのアオバのギラリと光る強い瞳も、レンの好みだ。ハーフの自分に負けず劣らず顔立ちのはっきりしたアオバは、どんな表情でもゾクゾクするほど綺麗で、高校の頃からこっそり見とれているのは秘密だ。


「わかってるさ、俺はこう見えて育てゲーは好きやねん。一緒に可愛いルーキーたちを立派なアーチャーに育てよか」

「育てゲーとか言うなっ! バカかてめぇはっ」


 そーゆーことは一人でやれ!この変態!と悪態をつき、じゃらじゃらと矢を鳴らしながらアオバはレンジの中へ戻っていった。

 肩をいからせてどすどすと歩き去る姿に、ふ、と思わず笑ってしまい、そこまで言うならと更衣室の壁に貼ってある名簿に目を通した。本来記憶力は良いほうなので、その気になれば11人の名前と顔などすぐに覚えられる。


「大月ナオト、壬生リョウガ、羽室カズヤ……さてさて、ここから何人残るんやろか……我が部はなかなか厳しいでぇ」


 ひとりごちて名簿を指で弾きながら、名前を目に焼き付ける。

 外ではルーキーたちの掛け声と、熱心に指導するヒカルの声が途切れることなく聞こえていた。


―——ほんの少しだけ、彼らの行く先を見てみたいと、そう思った。


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