第6章 誰が誰なのか 誰でもいいのか
4限目の授業が終わり、大半の学生たちが三々五々教室を出ていく時間。
まだ朝夕は肌寒さが残る4月中旬だが、あちらこちらでキャンパス内の植物たちも初夏に向けて葉や枝を伸ばしつつある。
一歩校舎の外へ出ると、わずかに甘い草木の香りが爽やかに鼻孔をくすぐる。
広い、とはいえ都心部にあるキャンパスは他の地方の大学の敷地に比べて格段に狭いのだろうが、凸凹と高低のある小高い丘地に建てられているため、10以上もある講義棟の高さがバラバラに配置されていて、必要以上に奥行きを感じさせている。
今年で創立90年を迎える鳳城大学は、改修こそ重ねているものの当時から変わらない建物もあった。キャンパスの中心にそびえたつ15階立てのタワー棟は、周りをぐるりと噴水が取り囲み、その外側に配置された花壇には四季折々の花が咲き誇っていた。ところどころに配置されたベンチや藤棚の下に作られた小さなあずまやでは、学生たちが思い思いにおしゃべりを楽しんだり、サークル活動に専念している。
タワー棟の奥にある図書館は、創立時に建てられた最も古い建物で、緑の葉が生い茂るツタが絡みついた古いレンガ造りに、建物の正面にはめ込まれた大きな分銅式の時計がこの学び舎の歴史を存分に感じさせる。
一方で「地震で倒壊の恐れあり」とされた講義棟のいくつかは年々改修工事が進められており、正門からまっすぐなだらかな坂を上っていった正面に見える二つの講義棟は、ガラス張りの近代的でモダンなデザインの立派なものへと変貌を遂げている。もちろん中の設備も最新式で、パソコン実習環境だけでなくセキュリティも万全だ。うっかり学生証を忘れた日には一人では中に入ることができないという不便さもある。同じ敷地内に新旧入り乱れた景色を作っているのはなんともちぐはぐな印象だが、あと5年もしないうちにすべて新しく生まれ変わるのだろう。
ナオトとリョウガ、カズヤの3人は講義を終えてレンジに向かうところだった。
3人の所属する理工学部の講義棟は、裏門からは最も遠い場所にある。複雑な高低に配置された講義棟を迷いながらくぐり抜け、図書館の奥にある裏門へと向かう。
昼ごはんが足りなかったと言うカズヤのたっての希望で、途中のカフェテリアでハンバーガーをひとつずつ買った。ナオトとリョウガはチーズバーガー、カズヤはダブルバーガー。身長のわりにカズヤはよく食べる。好き嫌いもあまりないようで、そこは好感が持てるが、甘いものも大好きだという。高校3年の夏で部活を引退してから大学入学までに3キロも太り、お腹周りが少し柔らかくなったのはそのせいだそうだ。
裏門からはグラウンドへ続く一般道に降りる長い階段が伸びていた。ここも改修工事中で幅が狭いため、ひとりずつすれ違うのがやっとだ。傾き始めた西日が斜めから差し込んで、ハンバーガーを頬張りながら階段を下りていく3人の影を重ねている。
「なー、今日はオリエンテーションやって先輩ら言っとったけど、何するんやろなぁ」
あっという間にハンバーガーを平らげて、包み紙をくしゃくしゃと丸めながら先頭を歩いていたカズヤが振り返る。右のほっぺたにケチャップが少しついていた。
「まぁ、いきなり射たせてもらえるほど甘くはないだろうな。1回生全員招集かけられたから、今日は顔合わせと簡単な筋トレくらいなんじゃないか」
「えー、筋トレ? そんなんつまらんわぁ。ちょっとくらい弓触らしてくれへんかなー」
「無理だろ、あれめちゃくちゃ高いらしいじゃねーか。お前、うっかり触ってぶっ壊すなよ」
「そんなんせぇへんわ! ナオくん案外いけずやな」
「……は? おま、今なんて?」
「え、ナオトくんやろ、ナオくんって呼んだらあかんの?」
「あのな、別にダメとは言わねーけど、」
「なんだナオト、照れてるのか」
間髪入れずリョウガから冷静な突っ込みが入って、ナオトは齧りかけたハンバーガーを喉に引っ掛けた。
「っ! ごほっ、んなんじゃねーよっ!」
「えー、じゃあなんて呼べばええの? いつまでも“大月くん”なんてよそよそしくて、俺イヤやわぁ~。同じ洋弓部の仲間なんやし。あ、俺のことはカズヤって呼んでええからな!」
「……わかったよ」
はぁ、とため息をついたナオトの背中をバンバンと叩いてカズヤが、よろしゅう!ナオくん!と満面の笑みで言う。 知り合ってからわずか2週間で、こいつのペースにはいつも嵌められっ放しだ。もっとも、カズヤのほうはごく自然に振る舞っているだけなのだろうが。
「急ぐぞ、あんまりのんびり歩いてると遅刻しそうだ」
「え、マジ? 今何時?」
「16時15分。10分前には来いって先輩が言ってただろう」
「やべ、あと5分じゃん!」
スマホをポケットから取り出してリョウガが二人を急かした。
こういうところはリョウガが一番しっかりしている。ナオトは残ったハンバーガーを一口で放り込むと包み紙を乱暴にリュックサックに突っ込んで小走りになった。カズヤ、リョウガが後に続く。
バタバタと忙しなく走りながら、わらわらと賑やかに通りを歩いている下校中の学生たちを追い抜いて、3人は今度こそレンジへ一直線に向かっていった。
*****
射場の外にはすでに他の一回生たちが勢ぞろいし、先輩の指示があるのを立ったまま待っていた。ナオトたちは約束の10分前にどうにか到着して、他のメンバーに形ばかりの挨拶をすると様子を伺いながレンジに入っていく。
『レンジに着いたらまず中にいる部員に挨拶をしろ』というのは、見学に行った日に2回生の入江アオバに言われたことだ。
見学に行ったその日に、アーチェリーのかっこよさにたちまち惚れ込んで入部を決めたナオトに引きずられ、リョウガとカズヤもなんとなく入部する流れになったのだが、どうやらサークルのようにお気楽な気分ではいられないことがわかってきた。
アーチェリーというスポーツの存在自体をほんの2週間前まで全く知らなかったのだ。
しかも、競技は違えど高校時代までみっちりと部活でしごかれた3人は、大学生になってまで本気でスポーツをするつもりなどさらさらなく、“大学生らしい”学生生活を送るためにサークル活動に参加するつもりだった。その延長でたまたま見学にいったところがアーチェリー部だった、というだけの話だ。レンジの外に無造作に立てかけられた『初心者歓迎』の手作りの幟のぼりにも後押しされ、軽い気持ちで入部を決めたのだ。
「……失礼します! こんにちは!」
3人そろってレンジの狭い入口の扉から顔を出し、緊張した面持ちで中の部員に挨拶をする。さすがのリョウガも顔がこわばっているのを見て、ナオトは少しだけ安心した。
いつもいつも、リョウガだけ冷静な兄貴面はさせられない。
「おつかれーす」
「おー、おつかれーす」
「おつかれー」
「おっ、期待の新入部員だな! ようこそ~!」
中にいた5、6人の部員たちが一斉に手を止めてこちらを向き、揃って挨拶を返してくれた。全員上級生だろうか。 2回生の入江アオバのほかは見学に行った日には見なかった顔だ。練習中なのでそれ以上はこちらに構ってこないが、その目が新入部員に興味津々なのを感じて、3人はどぎまぎしながらペコペコと頭を下げて退散した。あまり長くいては練習の邪魔になるだろう。
「お、そろそろ時間だな。一回生、全員集まったか?」
練習していたアオバが弓をスタンドに置き、レンジの入口から外に向かって声を掛ける。全部で11人の新入部員たちは、全員借りてきた猫のように大人しく並んでおり、その様子をみてアオバはぷっと吹き出した。
「なんだよお前ら、そんなに硬くなっちゃって。これから仲間なんだからな、仲良くしろよ」
爽やかに笑いながらみんなの前に立ったアオバの一言で新入部員たちの緊張もややほぐれ、互いにぎこちない笑みを交わし合った。
「えーっと全部で1、2、3、4、……10人か。ん? 一人足りねぇな」
「……すみませんっ、矢取り行ってました!」
レンジから一人、腰にクィーバーを下げたままの小柄な男子が飛び出してきた。バレーボールのユニフォームらしき長袖の白い襟付きシャツには、右胸に『上條東高校』と書いてある。舌は紺色のジャージだ。アオバとは対照的だが正統派のイケメンだ。色白だが適度に筋肉のついた体つき、明るめのキャメルカラーに染めた長めの髪をなびかせ、まっすぐに整った鼻筋が顔の造作の良さを物語っている。細い顎とくっきりとした大きな二重の瞳がキラリと光るさまは、女装すれば女と間違えそうなほどの美形だ。
「マコトか、お前も一年なんだかんな、時間厳守って言っただろーが」
「はいっ、すみませんっした!」
眉毛をへにゃりと下げつつも、きびきびと頭を下げる様子は体育会系で鍛えられたそれだった。乱れた前髪をくしゃくしゃと手で無造作に整えている。
一回生は全員初心者かと思っていたが、マコトと呼ばれた彼は明らかにアーチェリー経験者だ。それも、先輩たちに交じって練習していたところをみると、高校でもかなりしっかり部活としてやっていたのだろう。ナオトは思わずまじまじと彼を見つめてしまっていた。
「全員揃ったようだね。じゃあオリエンテーションを始めようか」
レンジからもう一人、大柄な男がゆったりとした動作で外に出てきた。
背の高いアオバよりさらに10センチは高いだろう。浅黒い肌にガッチリとした体つきに似合わず、人の良さげなハの字型の眉の奥で黒い瞳が三日月に細められている。
「まずは自己紹介から。俺は矢上シンイチ。2回生だ。こっちが同じく2回生の入江アオバ」
「ちょっと待てよシンイチ、何さっさと始めてんだ」
「え、何、まずかった?いいよ、じゃあアオバが仕切ってよ」
シンイチと呼ばれた大柄なほうはクスリと笑ってアオバに譲った。茶色く染めた短髪をジェルでツンツンに立たせている。半袖のTシャツから伸びる腕を組むと鍛えられた筋肉が盛り上がった。
アーチェリーってこんなに筋肉つくのか、とまたこちらもナオトはしげしげと観察していた。
「えー、じゃあ改めて。新入部員のみなさん、ようこそ鳳城大学体育会洋弓部へ。俺は入江アオバ。長野上條東高校出身、法学部だ。アーチェリーは高校の頃からやってる。こいつ、シンイチは山梨出身、農学部だ。アーチェリーは大学から始めた」
大げさに手を広げてお辞儀をし、てきぱきと手際よく自己紹介をするアオバの隣で、シンイチがにこにこと頷いて聞いている。
高校の頃からやっている、という一言に、一回生たちは尊敬のまなざしを送った。アーチェリー部のある高校ってあるんだな。
「じゃあ、左から順に自己紹介してって。出身地と学部と、高校時代何やってたか」
はい、とアオバから向かって一番左端に立っていた、背の高い真面目そうなメガネ男子に手のひらを差し伸べて促す。指名された彼は一瞬びっくりしたように身じろいだが、すぐに姿勢を正して口を開いた。
「はいっ、自分は新藤カネヒサと言います。神奈川出身、法学部です。高校まではバレー部で、ポジションはレフトでした。よろしくお願いします」
元バレー部のアタッカーか。アオバと同じくらいの身長なのもうなずける。それに高校の男バレならばそこそこ鍛えられているだろう。ひょろっとした体型に、男にしては腰高なせいでものすごく脚が長く見える。さらりとした黒髪に細いフレームの黒縁メガネ。切れ長の一重に筋の通った鼻、薄い唇と全体的にしょうゆ顔だ。先輩たちと1回生全員に丁寧にお辞儀をしてから、長い指でくいっとメガネをあげる仕草が少し鼻につくな、とナオトは思った。
アオバが、うん、よろしくと簡単に言うと他の1回生も軽く会釈をする。次、と指名されて新藤の隣に立っていた小柄なイケメンが口を開いた。
「藤宮マコト、長野出身です。新藤くんと同じ法学部です。あ、俺も高校からアーチェリーやってました。入江先輩と同じ高校です!よろしくお願いしまぁす!」
へぇ、と納得したような声があがる。どおりで部に馴染んでいるわけだ。
「マコトは俺を追っかけて鳳城大に来たんだもんな。大学でも俺が可愛がってやるよ」
「いえ、俺はどっちかっつーと一条先輩を追いかけて……って、あだだだだだっ! 何すんスか、アオバ先輩!」
話の途中でアオバがずいと進み出て、マコトのこめかみを両の拳でぐりぐりと挟んだのだ。身長差が10センチはあろうかという組み合わせ、完全にいじめっ子といじめられっ子の構図だ。他の新入生たちは笑っていいものかわからず、控えめな苦笑、というか失笑が漏れた。
「あー? マコトお前、ここは嘘でも先輩を立てるのが礼儀だろうが……ったく、相変わらずダメだねー。またイチから指導してやるから覚悟しろよ」
「ってぇー……先輩こそ相変わらず手加減ってものを知らないっスね」
「手加減したら躾けになんねーだろうが。ビシッとやんねーと、ビシッと」
「まぁまぁアオバ、そのくらいにしてやりなよ。他の子たちが待ってるよ」
のんびりとシンイチが止めに入り、じゃれあう二人を引き離した。アオバもシンイチも、タイプは違っても基本的には面倒見は良いようだ。
じゃあ次、と促されてマコトの隣のリョウガが話し出す。
「壬生リョウガと言います。東京出身で、理工学部システム科学科です。高校では軽音部に入っていました。よろしくお願いします」
「ん? 軽音? バンドでも組んでるのか?」
「はい、今でも趣味程度ですがバンドでベースをやってます」
「へぇ~、楽器できるってかっこええなぁ」
カズヤが感心したように相槌を打つ。男なら一度は『バンド組んでる』って言ってみたいものだ。
それに、リョウガは趣味程度、と謙遜したが、コピーバンドとはいえ結構本格的な活動をしていて、高校時代は他の女子高から文化祭でライブを依頼されたりしていたのだ。リョウガのバンドのステージを見る機会が多かったナオトは、彼が個人的にファンクラブなぞ作られていたのを知っている。
たしかにリョウガは、男の目からみてもなかなか整った顔立ちだ。切れ長の二重に少し厚めの唇、その右端の小さなホクロがファンの女子に言わせると『どきっとするほどセクシー』なんだそうだ。それにリョウガのファッションセンスは雑誌から抜け出てきたのではないかと思うほどいつもキマっていて、ライブのたびに原宿で衣装の仕入れだと言ってよく買い物をしていた。
ベースはギターと比べて目立たないパートではあるが、リョウガのルックスとお堅い性格が女子に受けて、ボーカルの次にきゃあきゃあと騒がれていた。当の本人は目立つのが好きではないらしく、追いかけてくるファンたちから逃げ回ってばかりいたのだが。
「次、俺や! 羽室カズヤ、リョウガと同じ理工学部のシステム科学科ですー。出身は大阪の岸和田、高校の頃は弓道やってました! よろしくお願いしますぅ」
元気いっぱいの関西弁が炸裂する。赤茶に染めた髪を無造作にセットしている。長い前髪から覗く釣り目がちの大きな瞳が愛嬌たっぷりだが、いつもニコニコと笑っているせいもあり、まだ幼さの残る顔立ちだ。
「おー、元・弓道部か。ま、でも弓道とアーチェリーは全然違うからなー。シンイチも高校で弓道やってたけど、癖が抜けるまで大変だったからな」
「え、そうやったんですか! でも弓やし、似てるんとちゃいますかー?」
「そう思うよね? 俺も最初、そう思ってたんだけど、全然違うよ。ルールから道具から、何から何まで違う。単に洋弓と和弓っていう違いじゃ収まらないよ」
苦労したよ、といってハの字眉をますます下げてシンイチが笑った。
皆のざわめきが一段落するのを待って、じゃ、次。ナオトの番だ。すぅっと息を吸って皆を見渡す。
「大月ナオトです。理工学部建築学科、東京出身です。高校まではテニス部でした。アーチェリーに一目ぼれしました。よろしくお願いします!」
「ほうほう、一目ぼれね。一条主将に惚れた子ってキミだったんだね」
「……あ、はい、そうです」
シンイチが納得したように顎に手をやってふむふむ、と頷いた。ちょっと語弊がある言われ方だが、おおかたそんなようなものだ。アーチェリーをやる一条ケイに惚れたのは事実なのだから。
「ま、一条主将は別格だぜ。何せ我が鳳城大学が誇る『アーチェリー界の絶対的エース』だからな」
「そうだねー。なんたって昨年までU‐20ナショナルチームのメンバーだし」
さらっとシンイチの口からとんでもない言葉が飛び出した。
ナショナルチームのメンバーだって?要するに、“20歳以下の日本代表”ってことだ。アーチェリーに疎くったって、それがどれだけすごいことかよくわかる。
そんな強い人が主将だなんて。練習についていけるのだろうか。
思わず固まるナオトたちをよそに、2回生の二人は誇らしげに笑っている。
「さ、次々いかないと日が暮れちゃうよ。はい、どうぞ」
シンイチに促されてナオトの隣の奴がおどおどと話し出す。
「す、諏訪ジュンペイです。経済学部です。金沢出身で、高校の頃は……帰宅部でした」
色白で背も新入生の中で一番低く、ほとんど筋肉のついていない体つきは、どう見ても発育不良だ。全体的に小づくりの細面で、薄茶色の瞳は優しげだが、男らしさからは程遠いタイプに見える。
先程の話題ですっかり萎縮したのか、語尾はもにょもにょと口の中で消えていった。
「だいじょーぶ、うちは初心者歓迎だから。指導には定評があります。な、シンイチ」
アオバが右手の親指をまっすぐ立てて得意げに突き出した。
「そうだね、テルだって全くスポーツやってない初心者だったけど、今はそれなりだしね。あ、テルっていうのは今日来てないけど、2回生の筒井テルヨシって奴ね」
「あ、ありがとうございます……頑張りますのでよろしくお願いします!」
彼にしては精一杯だったのだろう、耳まで真っ赤に染まっていた。
その後も自己紹介はつつがなくすすみ、11人全員が終わる頃にはほとんど陽が沈んでいた。備え付けの照明が何度か明滅して足元を照らしだす。
11人。今日からこのメンバーでしのぎを削っていくわけだ。
さて、と前置きしてアオバが改まった顔で注目を促した。
「うちは初心者歓迎とは言ったけど、“体育会洋弓部”だ。さっきも言ったように、先輩たちは全国区の選手が多いし、練習内容のレベルを下げるわけにはいかない。体育会、と言う以上は上下関係も厳しいと思っておいてほしい。これから配る紙に部則が書いてあるから、しっかり読んでおくこと。明日からはこの内容に従って、2回生の俺らが教育する」
シンイチのほうを見て頷くと、全員にプリントが配られた。A4で2枚、裏表にびっしりと書いてある。
『鳳城大学 体育会洋弓部 部則』
1.アーチェリーは、紳士・淑女のスポーツである。礼節を重んずるべし。
2.いかなるときでも練習に励み、スポーツマンシップに則って行動するべし。
3.勝負にこだわり、いかなるときでも全力を尽くすべし。
4.主将、副将をはじめとする幹部が部内を統率し、規律正しく行動すべし。
5.互いが部の発展と個人の技術向上に励み、前向きに取り組むべし。
以下、以下、以下……その他、練習時の規則や挨拶の仕方、合宿・試合時の決まり事、新入生の仕事など、事細かに書かれている。読むだけで精一杯で、規律を乱した者は連帯責任、と書いてあるが、正直すぐには覚える自信がない。
「……これは、なかなかだな」
「ひぇ~……高校んときの部活も厳しいと思ってたけど、それ以上やなぁ」
ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえてきそうな一回生たちを見まわして、アオバはなぜか満足そうにニヤニヤ笑いながら頷いている。中学・高校とテニス部の強豪校でみっちり鍛えられてきたはずのナオトでさえも、この規律の厳しさ、多さには閉口した。
「ま、すぐに全部できるようになれとは言わねぇよ。俺たちだって慣れるまでは時間が掛かったからな。しばらくは俺たちの真似をしながら覚えていけばいい」
「慣れればそんなに大したことじゃないからね。大丈夫だよ」
「……はぁ、そんなもんっスか」
心なしか遠い目をしたナオトに、シンイチが安心させるように言う。
「そうだマコト、お前はもうわかってんだろ。お前が1回生の代表としてみんなを指導しろよ」
「えぇっ?! 俺っスかぁ? ちょ、無理っす、荷が重いっスよ!」
「何言ってんだ、散々先月から俺が直々に指導してやったろ。別にこれでお前が学年リーダーに決まるってわけじゃねぇんだから、知ってる奴が周りに教えればいいだけの話だ」
うだうだと泣き言を言い募るマコトをばっさり切り捨て、アオバは話を畳んだ。
「じゃあ今日はこのへんで解散だ。あ、このノートに名前と電話番号とメアドを書いたやつから帰っていいぞ。レンジの先輩たちに挨拶するのを忘れんなよ」
「まだまだまだ! 練習日の話、してないでしょ」
「あ、そうだった、肝心なこと忘れてたぜ。平日5日間のうち、3日間を規定練習日として曜日を固定して各自決めること。土曜日は午前か午後のどちらか。合計で週4日間練習日になる。1回生全員でうまく分散するように話し合って決めろ。明日の昼休みに俺が部室のほうで待ってるから、誰かがまとめて報告に来ること」
「部室の場所はわかるよね? 正門から入ってタワー棟の右のクラブハウス棟。そこの209号室ね。2限目が終わったら俺とアオバが待ってるから」
こくり、と頷くだけの新入生に、返事はっ?と初めてアオバの一喝が入る。慌てて姿勢を正して、はいっ!と全員が答えた。もうすでにご指導は始まっているらしい。
はい、よろしい。そういってアオバは後ろのプレハブ小屋の引き戸をがたがたと音を立てて開けると、中に入ってしばらくもぞもぞしていたが、やがて右手に大判の分厚いノートを持って出てきた。年季の入った表紙には太い文字で『鳳城大学体育会洋弓部 部誌』と書いてある。最後のページを繰ると、アオバは自分の腰に下げたクィーバーのポケットからボールペンを出して目の前にいたナオトに差し出した。名前と連絡先はここに書け、ということらしい。
「じゃあ、あとはお前らで話し合っていろいろ決めておけよ。連絡先もみんなで交換して、部の連絡網が機能するように。明日からはうちの規則に沿って行動すること。以上解散!」
「ありがとうございましたっ!」
「「「ありがとうございました!」」」
マコトが頭を九十度に下げて勢いよく挨拶をすると、周りの1回生もつられて同じように挨拶をした。こうやって真似しながら覚えていけばいい。
こうして洋弓部の初日のオリエンテーションは終了した。思っていたより“本格的な体育会系”であることに、ナオトたちは少し焦りを感じていた。
11人の新入部員。まだ全員の名前も覚えていないが、そのうちアーチェリーの経験者はマコトひとりだ。2回生、3回生ではスポーツ推薦があったこともあり、経験者のほうが多いらしい。
U‐20ナショナルチームメンバーが在籍するような部で、初心者がどこまで追い付けるのだろうか。傍目から見ても、実力の差が大きすぎて、とても参考になるとは思えない。
大きすぎる第一歩を踏み出してしまったことに一抹の不安を感じながら、反面、どこまで自分がいけるのかという期待を胸に、ナオトはノートにペンを走らせた。
……4月××日
『新入部員11人入部 オリエンテーション実施。新人戦まで、いや、合宿までに何人残るか。By入江』