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洋弓男子~INNER10!~  作者: 星いさご
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第4章 待ってたぜ



 時は少し遡り、ナオトたちが入学する約1か月前のこと。

 アーチェリーの名門、長野上條東高校の卒業式が終わった翌日。

 藤宮マコトは、4月から自分が通う鳳城大学の射場レンジに向かって歩いていた。

 大きな黒いリュックサックを背負い、スーツケースをもっと細長くしたような青いボウケースのキャリーを転がして、駅からレンジまでの道をだらだらと向かう。


 アーチェリーの弓は組み立て式で、すべてをバラバラに分解した状態で丁寧にケースに入れて持ち運ぶ。少しの振動でチューニングがずれたり、部品にキズが入ることは厳禁なので、飛行機に乗るときなどは”精密機器扱い”のシロモノなのだ。弓本体のほかに矢やスコープ、小さな折り畳み式のイス、その他こまごました予備の部品などをたくさん詰め込んであるので、全部で15kgくらいにはなる大荷物だ。

 ただ、ちょっと見ただけでは楽器のケースとよく似ているため、マコトも電車の中でブラスバンド部と思しき女子学生たちから、『何の楽器の担当なんですかぁ?』と黄色い声で聞かれたことは何度もある。ボウケースが、というより自他ともに認めるジャニーズ顔負けの甘いルックスのほうが、彼女たちの興味を引いたのだろうが。

 ずっしりと重いボウケースに腕を持っていかれながらゴロゴロと引きずって歩くのは、普段鍛えているがもともと168センチと小柄なマコトにとってはちょっとした筋トレだ。

 次第に汗ばみ始めた背中を感じ、羽織っていたお気に入りの黄色いパーカーを脱いで腰に巻く。ずるずると摺り足になりながら、いっこうに見えてこない緑のネットを探していた。


———こんなに遠かったっけ。

 今日は午後から、大学の部活の練習に呼ばれていたのだ。

 スポーツ推薦で入学を決めたマコトは、去年の秋には鳳城大学に入学することが決まっており、年明けから時々こうして大学のレンジを訪れては先輩部員たちと練習をしていた。

 いつもは一つ上の先輩である入江アオバが駅まで車で迎えに来てくれていたのだが、今日はアオバが練習に遅れていくとのことで、自分で歩いてレンジに向かうことになった。普段が贅沢過ぎるのは重々承知だが、よりによってこんなに荷物が重い日に徒歩で行く羽目になるなんて。

 まだ3月だというのに、晴れ渡った青空の東京はすでに長野での初夏のように暖かい。厳しい冬に慣れた体には少し暑すぎるくらいだ。今でこれなら真夏はどれだけ暑いのだろう。想像するだけでげんなりする。

 長い春休み中で、ほとんど人の声がしないキャンパスの脇をぐるりと辿るように歩き、道々にある小さな喫茶店やラーメン屋、お好み焼き屋の暖簾が寂しげに揺れているのをなんともなしに見ていった。来月からはマコトもこれらの店にお世話になることは間違いない。

 やっとのことで見えてきた大きなグラウンドからは、練習中の部活かサークルかの掛け声が聞こえている。

 トラックを何人かでぐるぐると走っているところを見ると、がっつり体育会系の駅伝部だろう。さすがに全国クラスの部だけあって春休み中も鬼のような練習メニューが組まれているのだろう、華の大学生がちょっぴり気の毒になる。

 ちょっと休憩、と呟いて立ち止まり、ボウケースに寄りかかってグラウンドをしげしげと観察する。相変わらずきゃらきゃらと騒ぐテニスサークル、のんびりしたパス裁きのフットサルサークル。男女入り混じった華やかなサークル活動は大学生というアイコンそのもののようで、マコトは眩し気に目を細めた。

 

大学生になってまで部活としてアーチェリーを続けることに迷いはなかった。アーチェリーは”プロ”というものがない世界だ。どれだけ長く続けようと、どれほど上達しようと、それで食べていけるようになるわけではない。

 また、競技そのものの認知度も低いため、競技人口の変動も少なく、トップ選手の入れ替わりもそんなに激しくはない。まれに中学校でアーチェリー部のある学校もあるが、高校または大学の部活でアーチェリーを始める人がほとんどで、高校からみっちり練習してきた一部のトップ選手と、大学または社会人になってから始めるその他の平均的な選手の実力差は益々開くばかりだ。

 それでさえも、社会人になると練習の時間が取れずにアーチェリーそのものを諦めざるを得ない選手が多い。地方へ行くと自由に使える(もちろん利用料は払うが)射場レンジがあまりないことも、アーチェリーを続けるのが難しい理由のひとつになっている。

 マコトは漠然とそんな話を聞きながらも、どこか自分事ではない気がして、ただ今はひたすらに上手くなりたくて、アーチェリーを辞めるという考えがこれっぽっちもなかっただけだ。


「ねぇねぇ、君、興味があるならちょっと見ていかない?」

「新入生なの? 私たちが案内してあげるよー」

「テニス、好きなの? 一緒にやろうよ!」


 気が付くときゃあきゃあと女子学生がマコトの周りに集まってきていた。

 そろいもそろって短いスコートと派手なウェアに身を包み、キラキラとした甘い視線を寄越してくる。テニスコートにとどまったままの男子学生たちからは、やや剣呑な視線———。


 ——めんどくせぇな。


 と思ったことは顔に出さず、自他ともに認める“女子受け抜群”の、ちょっと困ったようなはにかんだ笑顔を見せてやる。ここはさっさと逃げるに限るか。


「あ、いえ、これから行くところがあるので大丈夫っす。じろじろ見ててすんません」


 整った眉をへにゃりと下げ、右手でキャメルカラーに染めた長い前髪を一束何気なくつまんでねじり、首をかしげてにこりとする。一撃必殺。———キマッタ。

 その瞬間、集まった女子たちが一斉に息をのんだり、顔を赤らめたり、声にならない悲鳴を上げた。

 いつも通りのその反応にマコトは却って落ち着きを取り戻し、じゃ、と軽く頭を下げてボウケースをごろごろと引きずりながらその場を離れた。

 小さい頃から容姿を褒められてちやほやされるのに慣れてはいるが、同性からはいらぬやっかみを買うことも少なくなかった。大学入学前から面倒に巻き込まれるのは御免こうむりたい。それに目指す場所はもうすぐそこだ。やっと顔見知りになってきた洋弓部の先輩たちから、変な場面を見られたくはなかった。


 レンジにたどり着いたマコトは、普段と様子が違うことに気付いた。

 人の気配がしない。

 まさか、時間を間違えたのか。

 慌ててスマホを取り出し、昨日の夜アオバとやりとりしたLINEを探す。

『明日は14時にレンジ集合でヨロ! 俺、別件あって迎えに行けないから歩いてきてちょ。わかるよね?』

 なんとも軽い文章だ。アオバらしいといえばそれまでだが。

 スマホの時計を確かめると、13時半すぎ。バリバリの体育会系部活でみっちり躾けられたマコトは、20分前行動が体に染みついていた。それでも、ここの部活も規則は厳しく、集合の30分前には1回生は全員集合して弓を組み立てたり、的の手入れをしたりしていたはずだ。


 例えば試合当日は、1回生は30分前にレンジに集合し、部室に置いてある全員分のボウケースや共用で使うスコープ、チューニング用品などを出して出発の準備をしなければならないらしい。一人でも遅刻すると、学年全体で連帯責任。具体的には30分の正座の後にレンジの草むしり、腹筋・背筋・ランニング30分のフルコースだと、アオバが言っていた。

 今日は通常の練習日のはずなので、そこまで気合いを入れて早く来る必要はないとはいえ、この時間で誰もいないというのも妙だ。

 仕方なく、マコトは重たいリュックサックを下ろし、ボウケースを開くと100円ショップで買った折り畳み式の小さな椅子を出して座り、弓をケースから出して組み立て始めた。


 マコトの弓は、ホイット製の青色のハンドルにウィン製のシルバーのリムを付けて、彼の身長にはやや重めのポンドにチューニングをしてある。ともすれば可愛らしいと評される見かけによらず、鍛え上げた厚い胸筋がマコトのひそかな自慢だった。弓のしなる固さ、すなわちポンドを重くすることで、長距離での命中率が格段に安定する。90メートル、70メートルの長距離が得意なのは、彼の努力によるものだ。

 ぐいっとストリンガーを踏んでハンドルを持ち上げてストリングを張ると、バン、バンと軽くストリングを弾いてリムとなじませる。今日は長野から長時間電車に揺られて移動してきたのだ。もう一度、チューニングの具合を確かめようと、全部組み立ててからボウスタンドに弓を立てかけ弓の正面に腕組みをして立つ。片目をつぶってじっくりとストリングとリムのバランスをうかがう。リムの上下、ハンドルのネジに対してまっすぐ真ん中にストリングが張れていれば合格だ。

 よしよし、とひとりごちて、今度はクィーバーから1本矢を取り出してレストに乗せ、クリッカーで挟む。プランジャーの真ん中に矢が通っているかを確認し、さらに照準器サイトの真ん中のサイトピンと矢がまっすぐ一直線上にあればだいたいのチューニングは合っている。

 そこまでを確認し、マコトは満足そうに息を吐き出し、矢をクィーバーに戻して弓を掴んだ。


 今日の天気は快晴。風もほとんどなく、絶好のアーチェリー日和だ。

 北国育ちの体には暖かすぎる空気は、ほころび始めた花の匂いやぐんぐんと芽吹く柔らかな草の香りを含みながら、マコトの周りを取り巻いていた。軽く肩と腰を回してほぐし、深呼吸をしながら念入りにストレッチをする。準備ができたからと言っても、ここはまだ他所のレンジだ。勝手に射ち始めるわけにはいかない。

 次第にストレッチに夢中になっているうちに、後ろから誰かがやってくる足音が聴こえてきた。

 1回生の誰かだろうか。複数の話し声も聞こえる。

 あと一息、ひざ裏のストレッチを続ける。1、2、3、4、5……。


「――藤宮か。待っていたぞ」


 凛と響くテノール。聞き覚えのある、その柔らかな声。

 まさか、と、カッと顔に血が上り、期待に胸がドクンと跳ね上がる。


「……一条、先輩、」


 振り向いたマコトの視線の先には、記憶にあるよりさらに貫禄の増した一人の男子学生が立っていた。

 何の変哲もない、ただのTシャツとジャージ姿でさえ様になる180センチの長身にすらりとした長い手足。さらりと無造作になびく黒い短髪。切れ長の鋭い瞳は黒々と光り、マコトを正面からとらえていた。

 鳳城大学の、いや、大学アーチェリー界の絶対的エース。

 マコトが高校の頃から尊敬してやまない鳳城大学洋弓部の主将、一条ケイの姿がそこにあった。

 思わずお辞儀をするのを忘れてポカンと見つめていたことに気付き、慌てて挨拶をする。


「お、お疲れ様です! 藤宮マコトです、お邪魔します!」

「お~、お前がケイのとこの後輩か! 俺は橘ヒカル。副将や。よろしくな」

「アキラ、こいつやたら可愛い顔してんじゃん」

「見ろよツバサ、緊張しちゃってカワイイねぇ~」


 次々と現れた3回生たちに、マコトは文字通りガチガチに緊張してしまっていた。

 橘ヒカル、それに結城アキラとツバサの双子。

 全員が大学アーチェリー界では有名な選手だった。


「ま、堅苦しい自己紹介はあとにして。まずは練習しよか」


 ヒカルの一言でそれぞれに場所を陣取り、ボウケースを開けて弓を組み立て始める。

 いずれも使い込まれた弓だ。自分でハンドルにパテを盛ったり、ストリングに色を付けたりと、カスタマイズしている。

 マコトにとって、眩しすぎる選手たちが勢ぞろい。

 気合いが入るが、その前に腰が抜けそうだ。


「俺、的の準備してきます!」


 気後れを吹き飛ばすように大声を出すと、90メートル先にある的までダッシュした。


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