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洋弓男子~INNER10!~  作者: 星いさご
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第2章 天才アーチャー



……ぽん、とすっ

……ぽん、とすっ

……ぽん、とすっ


 駅から少し離れた住宅街の中にある射場レンジで、リズミカルな音が響く。

 30メートルの距離から放たれた矢は、3本とも的の中心、黄色く塗られた10点のエリアに刺さっていた。

的に向かってまっすぐ垂直に刺さる矢。そのうちの2本はさらに中心に近いXと呼ばれる位置、インナー10だ。


 ふぅっ、と一旦深呼吸をして肩を回し、目を瞑る。

 へその下、丹田に力を入れ直して足の置き場を確認するかのように少し身じろぐと次の瞬間、開かれた薄茶色の瞳は鋭く的を見据えた。

 クィーバーから一本矢を取り出し、左手に持った弓のレストに軽く乗せる。

 左の人差し指でクリッカーを浮かせて矢先ポイントをそこへ挟むとそのままシャフト全体を前へ滑らせて、矢じり(ノック)をストリングのノッキングポイントへぱちんとはめる。

 ここまでの作業をわずか2秒で終えるともう一度的を見つめ、視線を動かさずにそのまま弓を持ち上げながらなめらかにドローイングする。右顎の下に触れるフィンガータブのわずかな冷たさでいつもの位置を確認し、クリッカーの鳴る振動を感じると流れるような動作でリリース。風を切って飛んでいく矢は寸分の狂いもなく金的10点に吸い込まれていった。

 リリースの余韻とスタビライザー(安定器)の重みで、弓は左の掌を中心に振り子のようにくるりと下がった。


 入江アオバ、二回生。昨年、この私立鳳城大学にスポーツ推薦で入学した洋弓部のエース。

 アーチェリーの名門長野上條東高校でアーチェリーを始めた、藤宮マコトの先輩だ。

 U-17ナショナルチームのメンバーを務めていたこともあり、その実力は全国クラス、さらに180センチ近い長身に切れ長の目、すっと通った鼻筋と薄い唇という風貌で、「アーチェリー界のホスト」というあだ名まで囁かれている。大学入学と同時に金メッシュを入れた茶髪の襟足が首筋で揺れていた。

 残り2射も同じように射ち終わると、左手に絡みつけたボウスリングを外して弓をスタンドに立てかけ的の前へ向かった。

 最後の1射は的に当たるとカシャーンと小気味よい破壊音をたて、アオバはがっくりとため息をついた。ここからでも見える、先に的に刺さっていた矢に当たったのだ。矢が集中したところにさらに継ぎ矢するというのは、上級者からすればよくあることだ。だが、1本5,000円もする矢を使っている身としては、かなり痛い損害だ。

 まるでタンポポの茎を裂いたかのように無残に花開いてしまった矢を見つめながら、アオバは点数をスコアブックに記入した。


 X-X-10-10-10-9。6射合計59点。悪くはない。

 壊れた矢を慎重に的から抜きながら、頭の中でスコア合計を計算する。

 57-60-58-59-57-59。総スコア350。

 ふむふむ、と満足してアオバはクィーバーに抜いた矢をしまいこむと、両腕をぐるぐると回してストレッチをした。

 そろそろ潮時だろう。次の授業が30分後に控えている。

 やや足早にシューティングラインまで戻ると、ボウスタンドの傍に置いてあるボウケースを開いて片づけを始めた。


……誰か練習来ねぇかな、射場レンジの鍵返しに行くのめんどくせぇんだよなー。


 整い過ぎた顔の裏でそんなことを考えながら弓のパーツを分解していく。きゅるきゅる、とネジを回してスタビライザーを外し、ストリンガーをリムの両端に引っ掛けて足で踏むと、ハンドルを握りぎゅっと引き上げてストリングをたわませて緩める。アオバはこの瞬間がけっこう好きだ。弓の形を失ったリムが、さっきまでとは真逆に反って、まるで体を鳥が翼を休めるような形になる、この瞬間が。


「おーいアオバ、もう帰るのか」


 ふいに後ろのほうから声をかけられ振り向くと、同じ二回生の矢上シンイチが愛用の赤いチャリにまたがって射場レンジの金網の外からこっちに手を振っていた。アオバより10センチは高い身長に、がっちりとした筋肉のついた体。日焼けした顔はトレードマークのタレ目に人懐っこい笑みを浮かべていた。


「あー、これから授業だからな。シンイチ、練習していくか?」

「あぁ、こっちは今日はもう授業は終わりなんだ」

「そうか、じゃあ鍵は頼んだぜ」

「OK」


 元気よくサムズアップして答えるとシンイチは金網の外側をぐるりと回って入口のほうから射場レンジに入ってきた。


 アーチェリーは程度の差こそあれ、時速200~230kmで矢を放つスポーツだ。万が一にもレンジから飛び出して道路に出てしまったら、そして人に当たりでもしたら一大事だ。そのため、レンジの周りはぐるりと金網が張り巡らされ、さらに丈夫な化繊の緑のネットで覆われている。紙製の的の後ろには使い古した畳が5枚重ねで縦にきっちりと並べてあり、矢が刺さったところは表面のイグサが乱れてさくさくと少し膨らんでいる。定期的に畳は上下裏表をひっくり返して使い、ボロボロになる前に畳店へ古い畳をもらいにいく。試合用には新しい、畳表のない大きな畳を使うのだが、普段の練習は消耗品なので古いもので十分なのだ。

 チャリをその辺に無造作に停めたシンイチは、ガタガタと音を立てて古いプレハブ造りの部室の扉を開いて中に入った。シンイチの身長では部室に入るとき、頭を少し下げなければいけない。

 間もなくTシャツとジャージというラフな練習着に着替え、大きなボウケースを軽々と持ち上げて出てくると、地べたに座り込んでケースを広げ始めた。

 シンイチの動きに合わせてがっちりと盛り上がった腕の筋肉が動くのを、アオバは羨ましそうに見ていた。


「相変わらず良い体してんのな、お前」

「えっ、なんだよ急に。そんなに見るなよー」

「こんだけ筋肉ついてりゃ、45ポンドの弓だっても引けるよなぁ。長距離の点数、いつも安定してて羨ましいぜ」

「お、おい、くすぐったいよ、触るなって、あははは!」


 遠慮なく隣にしゃがみ込んだアオバに腕の筋肉を上下に揉まれ、シンイチは大きな体をよじって笑いだす。


「アオバは、こんなに筋肉なくったって上手いじゃん」

「腕の筋肉は男の憧れなの。俺はどんだけ筋トレしてもここまでは筋肉つかないからな」


腹筋だってすごいだろお前、といって今度はTシャツをまくり上げて腹をさすろうとする。


「やめろって! お腹は禁止! 俺がくすぐったいのに弱いの知ってるだろ!」


 ひゃははは、と本格的に逃げに入ったシンイチをそれ以上追いかけることなく、アオバはゆっくり立ち上がった。

 コンクリートの地面に転がって、もともと下がり気味の眉毛をさらに下げて笑い転げるシンイチを見てふっと笑う。片方だけ上がった薄い唇が男のくせに異常にセクシーだ。


「で、アオバこれから授業なんだろ、早く行かなくていいのかい」


 笑いから立ち直ったシンイチが起き上がって服を払いながら言う。


「あー、そろそろ行かねぇとまずいな。じゃ、練習がんばれよ」

「おー、アオバ今日練習日だろ。また放課後にな!」


 弓を組み立てるシンイチにひらひらと手を振り、練習着のままレンジを後にする。

 今日はアオバもシンイチも練習日だ。部員数の多い洋弓部では、スペースの関係上、全員が一緒に毎日射場で練習することができない。

 平日は5日間のうち3日間、土曜日の午前か午後を各々が選んで練習日としている。練習日以外は市営や区営のスポーツセンターにある射場で自主練をしたり、グラウンドでの走り込みやジムで筋トレに励んでいる部員が多い。

 鳳城大学がいくら私立と言えど、昔のように王座決定戦に出場できるだけの実力が徐々に低下している今の状況で、レンジを拡張してもらえるとは思えない。


……あーあ、入る大学間違えたかなぁ。


 高校時代はU-17ナショナルチームのメンバーでもあったアオバは、それなりにプライドもあった。

 スポーツ推薦があると聞き、さらに憧れであった先輩の一条ケイが入学しているとの噂に飛びついて、現状をよく調べないまま鳳城大学へ入学を決めてしまったのだ。アーチェリーは個人戦だけではない。オリンピックでも団体戦があり、全国の大学の選ばれし者たちが火花を散らす「王座決定戦」は団体戦だ。負けることに慣れていないアオバにとっては、昨年の王座予選でのあっけない敗退はかなりの衝撃を残している。おまけに、高校のそれより狭い射場レンジ。シューティングラインに屋根もなく、雨の日は練習ができない。

 自分の実力が高校時代より衰えたとは思わないが、じりじりと不満は燻り続けていた。


――キーンコーン カーンコーン

 次の授業の始まりを告げる鐘の音が聞こえ、アオバは弾かれたように駆け出した。


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