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洋弓男子~INNER10!~  作者: 星いさご
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第18章 クロス・ロード

第18章 クロス・ロード


季節外れの豪雨が都内を襲ったというニュースは、当日の様子を含めてその日一日中全国ネットのテレビ中継がされていた。

 関東地方の梅雨入りにはまだ少し早い6月上旬。前日の夜から立ち込めた重たい雨雲は、翌早朝から本格的に降らせはじめ、昼過ぎにはバケツをひっくり返したような大雨になった。雨に加えて激しい風がめちゃくちゃに吹き荒れて、街行く人たちの傘を引きはがそうとする。


 はぁ、とため息をついてテレビを消す。途端に窓の外の雨音が強くなった。ナオトはベッドに仰向けに寝転がると、もう一度ため息をついた。

 今日は土曜日。いつもなら朝から部活があるのだが、この雨のため練習は中止になり、今朝6時にはマコトからLINEで連絡が回ってきた。入学してから始めたファミレスでのバイトも夕方からのため、完全に暇を持て余していた。 こんなことならば昨日のうちにシフトを朝からに変えるべきだった。なにせ、弓具一式を買ったばかりで稼がねばならない。今月に入ってからはバイトの時間を伸ばし、時給の良い深夜にも入れているくらいだ。睡眠時間を犠牲にしているおかげで、1限目の授業にはギリギリ駆け込み、という日々が続いていた。

 見るともなしにスマホをいじり、そのまま寝落ちしかけたとき、着信を知らせるバイブの振動にはっと目をあける。画面に表示された発信者の名前を見る間もなく、指が勝手に画面をすべり、もしもし、とかすれた声を出した。


 「もしもーし、大月くん? ボクだけど」


 おおかた、カズヤかリョウガだろうと思っていたが、耳から入ってきたやわらかな高めの声に一瞬困惑する。もそり、とベッドから起き上がり、あぐらをかいてスマホを持ちなおした。

 

 「ん? あー、ジュンペイか?」

 「そうそう。大月くん、今家にいる? ちょっと話しても大丈夫?」

 「あ、あぁ、いいよ。何かあったか?」


 おどおどしているようで、そのくせ肝の据わったところのあるジュンペイの丁寧な口調につられて、ナオトも声が優しくなる。普段滅多に電話などしてこないジュンペイがかけてきたことが気になった。寝ぼけかけた意識が一気にクリアになる。


 「ありがとう。あのさ、来週の新歓コンパのことなんだけど、先輩たちから1回生だけで事前に練習しておくように言われてるよね」

 「あぁ、そうだな。あいさつとか自己紹介とか、作法があるんだっけ」


 来週末の土曜日に、洋弓部の新歓コンパがあるのだ。体育会系部活である洋弓部の新歓コンパは、サークルのそれとは内容も雰囲気もずいぶん違っていて、アオバいわく「ものすごく堅苦しくて緊張する」イベントらしい。先週の練習時に副将のヒカルから配られたマニュアルによると、出席する歴代のOBの前で、新幹部就任のあいさつと新入部員の紹介をするというのが主な流れなのだが、全員が黒スーツ着用というドレスコードに加え、あいさつの仕方や立ち居振る舞い、ブッフェスタイルの軽食が供される中でのOBへの気配り等々、実に細かい決まりが書かれていて面食らった。もちろん1回生だけではなく、部員全員で2,3回練習をするとのことだったが、事前に2回生の指導のもと1回生はみっちりと仕込まれるというわけだ。


 「入江先輩とか矢上先輩が教えてくれるんじゃなかったか? それまでは俺らじゃわかんないし」

 「うん、それなんだけど。藤宮くんが入江先輩から直々に言われてるらしいんだ。まずは自己紹介の練習だけでも1回生でしておくようにってさ。あと、スーツはクリーニング必須だって」

 「マコトが?」


 相変わらず先輩と1回生との橋渡し役をさせられているようだ。気の毒だが一番慣れているのがマコトだから、上級生たちも言いやすいのだろう。ナオトは先日の倉田たちの騒動を思い出した。無断で練習を欠席した彼らの尻拭いをさせられていたマコト。先輩たちにその気はなかったのだろうが、マコトの立場で考えればずいぶんと嫌な役回りだったに違いない。アーチェリーの技術的なことならともかく、それ以外で同じ1回生を指導するのは、まだお互いをよく知らない間柄では難しいだろう。


 「でね、急なんだけど月曜日の昼に部室に集まってほしいんだって。大月くんは予定大丈夫?」

 「あぁ、大丈夫だけど…マコトあいつ、相変わらず中間管理職なんだなー」

 「うん、そうだね。ちょっと気の毒だよ。その分、ぼくらが協力しよう」

 「OK」


 その後、いくつか事務的なやりとりをしてから電話を切った。思った以上に新歓コンパは大変な行事らしい。入学式で着たスーツは、一度クリーニングに出して以来タンスにしまい込まれたままだ。ネクタイはユニフォームと同じワインレッドに校章の入ったものが貸し出されるそうだ。いかにも体育会系、というそのしきたりに、驚きを通り越してもはや笑いがこみ上げてくる。

 ふぅ、と息を吐き出すと、のそのそとベッドからおりてバッグを探り、黒い小さなスケジュール帳を取り出して月曜日の欄に予定を書きこんだ。意外と几帳面なナオトは、高校生の頃からスケジュール帳を持ち歩き、こまめに予定を書いていた。高校時代はもっぱら部活の練習や試合、定期試験のスケジュールばかりだったのだが、大学生になってからはバイトのシフトや部活の打ち合わせ、授業の変更などが増えて、スケジュール帳は欠かせないものになっていた。

 ぱらぱらとページをめくり、書きこんだ文字を何ともなしに追っていく。8月の欄にはすでに1週間の夏合宿が、そして10月の欄には「新人戦」の文字がある。ついこの間自分の弓を買ったばかりで、4か月後にはデビュー戦というわけだ。新人戦では50メートルと30メートルの短距離で競うらしいが、まだまだ近射どころか自分の弓を満足に引くことすらままならない。本当に間に合うのか、焦りがあった。とはいえ、夏合宿で本格的に鍛えられるらしいので、まずは頑張って練習メニューについていくしかない。


 ふと、マコトの整った横顔がよぎる。小柄だがすらりと無駄なく筋肉のついた体。先輩たちといるときにははしゃいだり、甘えたりしているのに、自分たち1回生のなかでは指導役で難しい顔をしているマコト。本当は部活の同期どうし、気の置けない関係になりたいと思う。彼だけがアーチェリー経験者というだけで、1回生にも溶け込めず、かといって完全には上級生の中に入ることもできず、孤独な思いをしているのではないだろうか。そんなことを考えるようになって、つい倉田たちに突っかかってしまったところを、こともあろうにマコト本人に見られてしまった。あのときマコトは何も言わずにその場を立ち去ったが、どこまで聞いていたのだろう。そして、どう思ったのだろうか。


 もう一度仰向けに沈み込んだベッドの上で、とりとめもなくそんなことを考えていた。7人になってしまった新入部員。一番目立たない存在だったジュンペイでさえ、こうして気軽に電話をかけてくるくらいには親しくなったというのに、マコトとの溝はどうやって埋めればいいのかわからなかった。


窓を叩く激しい雨音は勢いを弱めることなく続き、その音を聞きながらナオトはいつしかまどろみの底へゆるゆると落ちていった。




********************************




 翌日は嘘のようにカラリと晴れあがり、昨日の強風で吹き飛ばされたのか雲一つない快晴になった。


 元気よく昇ってきた太陽に照らされて、濡れた地面から蒸発する水分が湿度と気温をぐっと上げる。まだ朝早い時間の射場レンジの中は清らかな静寂に支配され、たっぷりと水を吸った雑草たちがつやつやと緑色の葉を輝かせて、本格的な夏に向かってぐんぐんと体を伸ばしていくようだった。


 キィ、とドアがきしむ音がして、射場の中へジャージにスニーカー姿の男子学生が一人、入ってきた。


 ———ナオトだ。


 肩から小さめの茶色いショルダーバッグをかけただけの、身軽な格好だった。おはようございまーす、と控えめに声をかけたものの、中に誰もいないことを確認し少しほっとした顔をする。一度顔を引っ込めると、今度は倉庫から真新しい弓具ケースを持ってきて地面に置き、まだわずかに湿っているのも構わずその場に座り込んでケースを開けた。

 昨日の雨で中止になった練習を、自主練でこなそうと考えたのだ。射場レンジのカギは日曜日でも、クラブハウスの管理人に言えば貸してくれる。日曜日に練習がある部活もあるからだ。きちんとカギの管理さえしておけば、練習が休みのときでも、授業の合間でも自由に射場レンジに来て練習してよいことになっている。弓具を買ってからというもの、正直嬉しくてしかたなく、毎日でも弓に触りたい気分だった。もともと凝り性な性格も手伝って、練習にはいよいよ熱が入っていた。


 組み立て方がまだおぼつかないが、リムの上下を間違えないように確認し、ハンドルにかちりとはめこんでスタンドに立てかける。ストリングを張るときはいっそう慎重になりながら両端の輪の大きさを見比べて片方をリムの溝に、もう片方をリムの半分ほどまでしっかりと通す。弦を張るための補助紐ストリンガーを使ってハンドルを持ち上げ、リムが反対に反った状態を保ちながら弦を張る。どうみても硬くて曲がりそうもない金属製のリムが弓の形に反る瞬間はまだ慣れず、弦を張るこの瞬間はバキリと折れるのではないかと毎度ひやひやした。

 ハンドルの真ん中から一本、長いスタビライザーをネジできゅるきゅるとはめこむ。これはまっすぐ前に矢が飛び出すのを補助するためのおもりだ。さらに、本当ならばその両脇から斜めに伸びる短い2本のスタビライザーを取り付けるのだが、まだまだ近射だけのレベルでは必要がない、と言われている。こちらは飛んでいく矢の左右のブレをなくすためのものだ。これをつけないと見ためにあまり格好が良くないが、上達するまでは仕方がない。

 最後に、ケースからアルミ矢を10本取り出し、弓とお揃いにした青い矢筒クィーバーの中に無造作に入れる。ベルトを腰に巻いて下げ、ジャージの上着を脱いでTシャツ1枚になると、左胸にチェストガードを、左腕にアームガードをぴったりと取り付ける。これがないと、弦を放った時に服や腕に当たってしまい、軌道がブレたりケガをすることもあるのだ。ナオトは力み過ぎるとハンドルを持っている左肩が上がってしまい、肘の内側に弦が当たって痛い思いをしたことが何度もある。真っ赤に腫れあがって内出血してしまい、腫れているのでさらにそこへ当たりやすくなるという悪循環だった。同じようなケガをしている者がナオト以外にも何人かいて、ここをケガしているあいだはまだまだ初心者だな、とアオバにからかわれていた。

弓の準備が整った頃にはだいぶ日も高くなり、むっとするような暑さにじんわりと汗ばむのを感じた。軽く全身のストレッチをして、それからスタンドごと弓を持って近射用に作られた狭い射場レンジへ入っていった。




*************************




 バシン、バシン、という畳に矢が刺さる音が一定のリズムを刻んでいる。


 日曜だというのに、誰かが練習しているのだ。

 さすが先輩、誰だか知らないけど、とひとりごちて、射場レンジの入口に乗ってきた自転車を止める。すぐそばに弓具ケースがひとつ、無造作に地面に置かれていた。よくよく見るとそれはまだ新しいようだ。


 ———まさか1回生?


 首をひねりつつ音のするほうへと歩いていく。開け放たれたドアをコンコンと控えめに叩きながらのぞき込み、その音に振り返った姿を見て息を飲んだ。


 「———お疲れ様です…って、マコト?」

 「あ、あぁ、お疲れっす。大月か、珍しいな」


 練習のない日曜日にナオトと射場レンジで鉢合わせするなんて、考えもしなかった。驚きのあまり、“マコト”と呼ばれたことにもリアクションできなかったくらいだ。

 お気に入りの黄色いパーカーを練習着用のTシャツの上にはおり、下は黒のありふれたジャージにスニーカーという格好で、マコトは一人暮らしをしているアパートから自転車で射場にやってきた。暑さのためか、色素の薄い肌が少し上気して紅くなっている。

 相変わらず何を着ててもアイドルみたいなやつだな、とナオトは思う。いつもは少しタレ目気味の瞳を大きく見開いて、きょとんとした表情がいっそう可愛らしさを増していた。

 あまりにじろじろ見過ぎただろうか、気まずげにマコトに目を逸らされて我に返る。じゃ、とつぶやいてマコトは弓具を準備しに出ていき、ナオトは固まっていた自分に気付いて深くため息をついた。


 ———大月と二人かよ。


 相手も自分と同じことを思っただろう。ナオトはびっくりしたように自分を見つめてきた。その黒々としたまっすぐな眼差しに耐え切れず、思わず目を背けたのはマコトのほうだ。これが先輩のうちの誰かだったら、いつもの調子で軽口など叩きながら、気楽に練習できたに違いない。1回生の、それも自分で苦手意識を持っているナオトが相手だと話が違う。第一、何を話していいかわからない。練習に来ているのだから、べらべらとおしゃべりに興じるというつもりもないが、お互い相手の存在を意識したまま無言で練習に集中できるかといったら、ナオト相手に限っては自信がなかった。別に悪いことしたわけじゃなし、と自分に言い聞かせ、マコトは黙々と弓具を組み立てていった。


 今週末から地元の長野では国体に出場するメンバーを決めるための県大会が始まるのだ。毎週のように長野に帰省しては大会に出場し、その成績でレギュラーメンバー3名と補欠1名が決まることになっている。高校生までは少年の部で常連選手だったマコトも、強豪選手の多い長野で成年の部として選手に選ばれる可能性は高くはない。なにせ、一条ケイや入江アオバもレギュラーメンバーの枠を争うライバルになるわけだ。勝てる見込みが低かったとしても、後悔はしたくない。そう思ってマコトは先月から練習時間を増やしていた。

 コンクリートの壁一枚を隔てた向こう側の近射場では、バシンバシンと一定のリズムで畳に矢が刺さる音が響いている。時折、腕のどこかに弦が当たっているのか、うっという痛そうなうめき声も聞こえてくるが。イグサを貫く太いアルミ矢の耳慣れた音が、マコトの心を穏やかになでていく。

 クィーバーを腰に下げ、スタンドごと弓を手にすると、よっと反動を付けて立ち上がる。そのまま近射場のほうには目もくれず、長さ90メートルまである広い射場へとすたすたと歩いていった。ナオトのほうもべつだん気にしたふうもなく練習を続けているようだ。


 ————変に意識しすぎたかな。


 妙にばくばくとうるさい心臓をなだめながら、マコトは今度こそ集中して、ずらりと並ぶ白い的紙を見つめた。



*******************************




 同じ頃、区営のアーチェリー場の射場では、アキラが一人ビデオカメラの画面を見つめながら座り込んでいた。目の前には中途半端にグリップだけポロリと外された弓がスタンドで寂しげに揺れている。


 先月のリーグ戦最終戦で、突然陥ったスランプ。

 的の真ん中、金色に光る10点のエリアを照準器サイトごしに直視することができなくなった。いや、正確には、10点のエリアにサイトピンをうまく合わせることができなくなったのだ。


 まず、シューティングラインに立った時からおかしくなった。

 今まではなんの気負いもなく目の前の的を見つめ、そのまま目を逸らすことなく心を落ち着けてセットアップからフォロースルーまでの流れを無意識にこなしていた。あごの下に引き手をつけたところから、クリッカーが切れるまでストリングをキリキリとミリ単位で引き絞る間、細く息を吐き出しながらサイトピンの先で狙いを定める。獲物を前にした狩人のごとく、ゾクゾクとするこの瞬間がアキラは好きだった。絶対に真ん中に入れてやる、という興奮を静かに押し隠し、弓と矢、体と心が一体になるような、そんな感覚を何百射と繰り返してきたはずだった。


 それがどうだ。今はひとつひとつの動作に対し、明らかにぎくしゃくと迷いがある。まるで弓が自分の体と切り離されてしまったようで、グリップからしっくりこないのだ。もともと人より大きめのアキラの掌にあわせて、木製のグリップをやすりで削り、パテを盛ってカスタマイズしていたものだ。これ以上にぴったりフィットするものなど、既製品を探しても見つかるはずがない。それに、ハンドル自体を新しくしても、グリップだけは変える気になれず、取り外して同じものを付け替え3年以上も使ってきたのだった。道具を使うスポーツ全般に言えることだろうが、アーチェリーも弓具と自分の一体感がとても大事だ。あたかも自分の体の一部かのように弓を操れるようになって初めて、勝負の土俵に立てると言っても過言ではない。技術を磨くことは体を鍛えることだけではなく、いかに自分の道具に慣れ、使いこなせるかということだった。


 アキラはいらいらと頭を掻きむしりながら、自分の射型をおさめたビデオを何度も見返していた。以前と今では、何が違ってしまったのだろう。

 リーグ戦最終戦のあの日、東都体育大との一戦。

 東都体育大の主将であり、アキラとツバサの高校の同級生だった三宅スバルと言葉を交わしたときから、魔法にかけられたかのように体が動かなくなった。スバルが悪いわけではない。あのときの会話はごく普通の同級生どうしのもので、アキラにプレッシャーをかけるような内容ではなかったはずだ。深緑色のユニフォームに身を包み、色黒の肌から真っ白な歯を見せて爽やかに笑うスバルは明らかに王者の風格をまとっていて、その覇気に勝手に飲まれたのはアキラのほうだった。実際、双子の片割れのツバサのほうは、アキラと屈託なくじゃれあい、いつも通りに射てていたのだから。

 あれから一週間が過ぎても、アキラの体に巻き付いた見えない鎖はほどけることがなかった。一度自覚した違和感は、「狙っても当たらない」という無意識の呪縛に直結し、たちまち筋肉が思うように動かなくなってしまう。そろそろこのスランプから脱しなくては。神奈川県の国体選手選考会を兼ねた県大会が始まる時期だった。ぐずぐずしているとツバサやスバルの前で目も当てられない結果を出す羽目になってしまう。アキラは焦っていた。


 「———アキラぁ、やっぱりここにいたんだ」

 「……ツバサ、」


 聞き慣れた声に振り返ると、自分と同じ顔をした青年がジャージ姿で弓具ケースを転がしながら射場に入ってくるところだった。八重歯を見せて笑っているところが、仏頂面の自分とは違うところだ。すらりとした長身に無駄なくついた筋肉、少しくせのある髪を長めに伸ばし、その間からのぞく大きめの二重の瞳。こんなイケメンが二人も射場にいるのだから、遠巻きに二人を眺めてはこそこそとつつきあう女子大生の浮足立った空気と、ちらりちらりと何気ないふうを装って投げられる男子の視線がその場に満ちていた。

 

 「なんでお前も来るんだよ」

 

 誰にも見られたくないからわざわざ大学の射場レンジではないところで練習していたというのに。

 アキラに剣呑な眼差しを向けられてもツバサはまったく怯む様子もなく、まぁまぁ、と片割れの背中をぽんぽんと叩いて、隣にどっかりと腰を下ろした。


 「兄貴が心配だから来たんだよー」

 「別にお前に心配されるようなことはないっ」

 「あるでしょ。っていうか、心配かけさせてるのは誰だってのさ」


 思わず突き放すような言い方になったが、急に真顔になって見つめられ、アキラは怯んだ。普段お調子者で甘えん坊のツバサが、アキラの逃げを許さない空気を出している。アキラの膝の上に置かれたビデオカメラの画面をちらりと見、無残に分解されたままの弓のグリップを見てため息をついた。


 「問題なのは射型じゃないよ、わかってるでしょ。いま射型をいじるのはリスクが高いよ」

 「……」

 

 薄々自覚していたことをズバリと指摘されて押し黙る。うつむいたまま、まともに顔があげられない。

 ツバサが転がっているグリップを手に取り、もてあそびながら淡々と続けた。


 「何を気にしてるわけ? スバルに何か言われたの? っていってもあいつがアキラに嫌みを言ったりするとこなんか、想像もつかないけど」

 「…別に何も言われてねぇよ」

 「じゃあなんで? スバルが俺らよりもうまいなんて、高校の頃からわかってたことじゃない。何をいまさらそんなに萎縮してるのさ」


 柄じゃないでしょ、と言い切られてはっとする。アキラのスランプにスバルが関係しているらしいことも見抜かれていた。このぶんだと、他のメンバーにも同じように思われていたに違いない。急に恥ずかしくなって肩がこわばる。あいつのアーチェリーのセンスは高校の頃からずば抜けていた。ただ、あの頃はセンスに技術が追い付いていなくて、試合の成績は3人が抜きつ抜かれつ、といった状態だったのだ。ライバル、というのはお互いが相手に対して実力が拮抗していると暗黙の了解で思っているときに使う言葉であって、今のスバルにとってアキラをライバルとみなしているかどうか、考えるのも恥ずかしいことだった。頭ではわかっているのに、気持ちはついていかない。そのアンバランスがアキラのプライドを刺激し、必要以上に緊張してしまっているのだろう。それが引き金となり、自分の実力を信じられなくなったアキラは、イップスに陥ってしまったのだ。その関係性を、一番近くで見ているツバサはよくわかっていた。


 「スバルが強くなったのは、自分を貫けるからだよ。あいつはブレない。たとえどんなに強い相手と当たっても、自分のスタイルを信じて貫けるから、だから強いんだよ」

 

 もちろん、そこに至るまでに血の滲むような努力を重ねているのは間違いない。アキラやツバサだってそうだ。だが、他人を目標にすることと、他人に影響されて自分を見失うことは違う。二ノ宮マヤや、一条ケイもスバルと同じようなタイプだろう。本当に強い者は、周りに翻弄されることなくまっすぐ前を向いて飄々としているものだ。


 「でもさ、アキラだってじゅうぶん強いじゃんか。俺は苦手な長距離だって、ヘタしたら一条先輩よりもうまいんじゃね? って思うときもあるし。俺みたいに感情がコントロールできなくなることだってあんまりないしさ」


 一応俺たち双子だけど、性格は全然アキラのほうがオトナだと思ってるけどね――――。


 暗に、お前はメンタルが強いはずだとツバサに言われて、根拠もなしにパニックに陥ってたことに恥ずかしくなる。目の前に立てかけてあった矢筒クィーバーのポケットからスコアブックを取り出し、手持無沙汰にぱらぱらとめくる。そこには今まで練習や試合でつけてきた点数が、びっしりと細かな字で書きこまれていた。もちろんリーグ戦最終戦のスコアも、そのときの反省点と一緒に記されている。あの最悪の結果を出した日は、なんと書いたのだったろうか。


 「あーあ、いつまでもしけてないでさ、ちょっと練習しない? 射場代がムダになっちゃう」

 

 ついにツバサは黙り込んだままの片割れを放り出し、ぱっと立ち上がると自分の弓具ケースをあけてさっさと組み立て始める。鼻歌まで歌いながら、のんきなものだ。


 ———自分のスタイル、か。


 よし、とつぶやいて小さく気合いを入れると、もう一度グリップをはめ直し、クィーバーをつかんで立ち上がった。


 「じゃ、ウォーミングアップに70ダブルで点取り。負けたほうがジュース奢りな」

 「え、待って待って、ウォーミングアップなら50・30Mでいいでしょ、アキラ自分が長距離得意だからってずるくない?」

 「ばーか、最近の試合は70Wがメインだろ。そっち練習しとかなくてどーすんだよ」

 「えー横暴!」


 不服そうに叫ぶツバサを置いて、すたすたと70Mの的へと歩いていく。

 その背中がしゃんとしているのを見て、ツバサはくすりと笑みをもらした。



*****************************


 

 てんやわんやの新歓コンパがつつがなく終了し、1回生も自分の弓にようやく慣れてきた頃。

 鳳城大学洋弓部の一大イベント、夏合宿を控え、3回生は準備に追われていた。


 1週間という期間、長野県にあるアーチェリー村で行われる夏合宿は、鬼のような練習量と謎の部則に縛られた、それはそれは濃い合宿だそうだ。

 というのは2回生のアオバの見解で、それを聞かされた1回生たちは早くもびびってしまい、必要以上に脅したということでタクローからアオバが怒られるという事態になった。

 練習量が多いのも、厳しい部則があるのも、体育会系の部活だから当たり前であって、血反吐を吐くまでやみくもに練習させたり、理不尽な部則に無理やり従わせたりすることが本位なわけではない。最低限の礼儀は守りつつ、不思議な部則は先輩たちもよくわかっているのだから、ただ淡々となぞればいい、と萎縮する1回生たちにタクローは言い含めた。

 

 夏休みに入ってすぐの、底抜けに晴れ渡った早朝、鳳城大学の射場レンジから1台の大型バスが長野へ向けて出発した。ワイワイと明るい笑い声が響く車内では、ナオトの隣には当たり前のようにマコトが座っていた。




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