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洋弓男子~INNER10!~  作者: 星いさご
15/18

第15章 めざすべきもの


 それはたしかに王者の風格だった。


 彼らは堂々とした足取りでシューティングラインをまたぎ、ざっと砂を踏みつけて一斉に的をにらみつける。狙った獲物は逃がさない、とでもいいたげな不敵な笑みを、一様に唇の端に張り付けて。


 東都体育大の主将、三宅スバルは、その中でも圧倒的なオーラを放って君臨していた。


 背筋を伸ばし真っ直ぐに立つ姿は、がっちりと鍛え上げられた筋肉で覆われていて、それだけで他を寄せ付けない空気を纏っている。緑に囲まれた試合会場の中で浮かび上がる、深緑色のユニフォーム。それに色を揃えたのだろう、ハンドルが緑の弓は少し古いモデルだがよく使いこなされていて、あちこちに手を入れた形跡がうかがえる。腰から下がる黒い矢筒クィーバーにはゴールド、レッドのスターバッジが煌めいていて、スバルの実力を示していた。彫りの深い顔立ちの中で鋭く光る黒い両瞳からは、静かな闘志が垣間見える。スバルがよく響く声でコールを掛けると、7人のアーチャーたちが野太い合唱で応じた。


 たった、30メートル先に並ぶ8枚の的。


 その中心の鮮やかな黄色に彩られたエリアにだけ、ほとんどあやまたずに黒く細い矢が集中して垂直に突き刺さっていく。正確無比な8人の選手アーチャーの射は恐ろしいほどだ。たとえそこに頭にリンゴを乗せた誰かが立っていたとしても、全員が迷わずリンゴだけを射抜くことができるだろう。


 鳳城大学1回生の大月ナオトは、目の前の光景に生唾を飲み込んで固まっていた。


 いや、ナオトだけではない。アーチェリー経験のない、今年入部した1回生の10人全員が、敵である彼らの神技に目を丸くして見つめていた。


 もちろん、普段練習で見慣れてきた鳳城大学の先輩たちの技術も、相当にすごいことはわかっているつもりだった。それにリーグ戦も今日で5戦目。応援には2戦目から参加しているのでそれまで対戦してきた相手も1部リーグ、それなりに強豪だったはずだ。だが、関東一、いや日本一とも呼ばれる東都体育大かれらの実力はけた違いだった。鳳城大とあたるまでの4戦も、圧倒的な差をつけて全勝してきたと聞く。それを思えば今日は善戦だろうと、素人目にも察せられた。


 「……すっげー、マジすっげぇー」


 スコープを覗きながら思わずぼそりと呟いたナオトに、両隣に立っていたリョウガとカズヤが黙って頷く。一応相手は敵だ、賞賛するようなセリフはなるべく先輩たちに聞こえないように配慮する。そんなことでヘソを曲げるような先輩たちではないだろうが。


 早朝から荷物持ちや雑用でしっかりとこき使われていたナオトたちだが、目の前の激戦に挑む8人の選手たちに比べれば、そんなものは大したことではない。同じ1回生ながらただ一人、選手として出場しているマコトの張り詰めたような表情を見ては、残りの10人はなるべく刺激しないように息をひそめていた。


 1回生は、ようやく練習で木製の弓を使わせてもらえるようになったところだった。スタビライザー照準器サイトも付いていない、和弓を思わせるようなシンプルな練習用のベアボウだ。これに、練習用の太く柔らかいアルミ製の矢をつがえ、30メートルどころか1メートルほどの近距離に設置した畳に向かって射つ。一射ごとに厳しくフォームをチェックされ、延々と射たされるのがせいぜいなのだが、ナオトは楽しくてしかたなかった。まだまだ背筋をうまく使えず、弓を引くほうも押すほうの腕も肩も力が入ってフォームはガタガタだが、弓に矢をつがえて射つ、その動作だけで憧れのケイに少しだけ近づけた気がして嬉しかった。もっともっと練習すれば、30メートルでも50メートルでも射てるようになるに違いない。


 それに、早く自分の弓を買うのも待ち遠しかった。テニスや他のスポーツと比べて道具を揃えるのにやや出費が高い、というのがネックではあるが、話に聞く限りバイトでもすればなんとかなるだろう。高校を卒業してすぐ、ナオトは大学の近くのファミレスでアルバイトを始めた。高校の頃は部活漬けの毎日だったため、バイトをするのは初めてだ。練習日ではない平日と日曜日、日数は少ないが自分で働いてお金を得るのはなんとも言えない満足感があった。これがほとんどアーチェリーで消えると思うのが少し残念ではあるが。


 ピピー、と甲高い笛の音が鳴り響き、後攻の鳳城大学の番だ。


 深緑色のユニフォームが下がり、入れ替わりに白地にワインレッドのラインをまとった8人がシューティングラインに入る。いかにも体育会系というスバルに比べ、やや細身でクールな文化系の雰囲気のケイ。細いフレームのメガネがいっそう知的な印象を与える。彼が率いる7人の選手アーチャーたちは、ストリングを弾いたり深呼吸したり、スタンスを何度も確認したりして”いつもの”状態を念入りに作り上げる。アーチェリーは正確さを競う競技だ。どんなに強い相手でであっても、どれだけの大舞台であろうとも、いつもと同じ射ができなければ思うスコアには当たらない。一秒、一ミリの動きの差が的の上で大きな誤差を生むのだ。


 シュッと空気を切り裂いて飛んでいく矢。こちらも東都体育大に負けず劣らずほとんどが的の中心へ吸い込まれていく。銀色に光る弓。キリリと限界まで引き絞られ、次の瞬間目にも止まらぬ速さで矢は飛び出していく。選手の体はストリングを握る片手以外は微動だにしないまま、どっしりと弓の反動を受け止めていた。


 「……はぁ~ホンマにすごいなぁ。マコトくんやって、めちゃめちゃかっこええわぁ。見てホラ、さっきから10点か9点、外してへんやん」


 カズヤが心底感心したようにうっとりとした顔で呟く。30メートルの距離ならば、マコトだけでなく鳳城大の選手全員がそれくらいの技術はあるが、まだ狙ったとおりの場所に射つことができない者からすると神技といっても大げさではないだろう。


 「でも、あっち(東都体育大)の選手だってそれくらいは射ってただろ。勝負なんかつくのかよ」

 「さぁな。最終的にはインナー10(X)の数で競うんだろう。そこまでくればさすがに差も出てくるんじゃないのか」


 スコープをカズヤに奪われたナオトが、隣に立つリョウガに向かって心配そうな顔を向ける。対するリョウガも、冷静に的のほうを向いたまま、腕組みをしてぼそりと答えた。その端正な横顔がいつになく緊張をはらんでいて、勝敗の行方にかなり気を揉んでいることがわかる。


 「おいお前ら」


 唐突に低い声で呼ばれて、1回生全員の体がどきりと跳ねる。いつの間にか近くに来ていた那須ソウイチロウが、その長身から1回生たちを見下ろしていた。ジャージのポケットに両手を突っ込んだまま、就活生にあるまじき明るいレッドブラウンの髪と、左耳に光る2つのピアスが浅黒い肌に凄みを与えていた。このガタイのよさと態度では、どうみてもその辺のヤンキーにしか見えないが、スーツを着ると途端にデキるサラリーマンのような雰囲気を醸し出すのは不思議だった。


 4回生に声を掛けられるなんて、ほとんどないことだ。普段はもう規定練習もフリーだし、ユウキは就活が忙しくまともに部活に顔を出していない。マヤはちょくちょく射場レンジに射ちに来ているが、1回生はまだ射場に入れず基礎練習のため、挨拶こそしても話すことはなかった。


 ソウイチロウは早くも就活が終わったということで、リーグ戦も3戦、4戦と出場しているが、選手として来ているときは集中を削いではいけないし、とても話しかけられる状態ではない。その実力の程はアオバから聞いており、昨年・一昨年とインカレフィールドの優勝者だそうだ。フィールドという種目は、自然の山の中に設置された24の的を射ちながらゴルフのようにコースを巡っていくもので、距離も5メートルから60メートルとさまざまだ。あらかじめ距離が記されている”マークド”と、自分で目測をする”アンマークド”があり、コースそのものが自然の地形を活かして作られているので足場も悪いし、通常の種目ではありえない、崖の上や谷底などに設置された的への”射ち上げ”や”射ち下ろし”などもあり変化に富んでいる。まさに、野生の勘や天性の才能を試されるような種目で、ソウイチロウのようなタイプにはぴったりだろう。


 「ただぼぅっと観てるだけじゃ駄目だぜ。射型の違いとか、射つタイミングとか、選手全員のをよく見比べてみろ。見て、盗め。今お前らは、実質日本で一番上手い奴らの射型をタダで勉強させてもらってんだからな」

 「……はい」

 「……そう、ですね」


 尊敬する先輩からありがたいお言葉を、それぞれがかみしめる。


 言われてみればたしかにそうだ。上達したければ、上手い人の技術を真似するのが一番早い。ナオトはテニスをやっていたときのことを思い出す。高校時代、規格外の腕前を持つ同級生たちに追いつこうと、必死で彼らの練習内容や試合を観察しては、家で練習していた。試合に行けば、ビデオ係を自分から買って出て、撮ったものを何度も部室で見ていた。


 「那須先輩、勝てますかね」


 勇気を振り絞って、ナオトがソウイチロウに尋ねる。意外そうに一瞬きょとんとした表情をしたあとで、ふっと片頬を緩めた。


 「んーそうやな、正直五分五分ってとこかな。どっちが勝ってもおかしくねぇよ」

 「え! じゃ、俺ら、日本一になれるかもしれへんってことですか?!」


 思わずカズヤが前のめりになる。響いた大声に、タクローがじろりとこちらを睨み、慌てて両手で口をふさぐ。アーチェリーの試合中は集中力を削いでしまうため、行射中の応援はもちろん、私語は厳禁だ。


 「はは、日本一は気ィ早いわ。でも、近いところまでは行けるかもしれへんな」


 ソウイチロウの言葉に、1回生らは息を詰めて視線を交わし合う。日本一だって?自分たちはまだまだ初心者の域を出られないどころか、まともに弓さえ持っていないのに。素直にすごいとは思うが、そんな先輩たちの後を追うのは容易ではない。


 今は純粋に、期待と尊敬に目を輝かせて試合の動向を見守る。そんな1回生たちを、シンイチとタクローはいつになく真剣な表情で伺っていた。彼らも入部したときはまったくの初心者だった。まだまだ及ばないとはいえ、リーグ戦ではそれなりの成績が出せるようになっている。そこまでのレベルになるためにしてきた努力は、まだ1回生彼らにはわからないだろう。シンイチもタクローも、もともと運動部で基礎体力や筋力には恵まれていたものの、周りの部員たちのレベルに追いつこうと必死で練習を重ねてきた。いまどき流行らないかもしれないが、ときには”センス”以上に”根性”も必要なのだ。この二人にはそれがあった。全国を飛び回ってレベルの高い試合に遠征する仲間たちと、一緒に自分も試合がしたい。その一心だけで自分の腕を磨いてきたのだ。


 「……あいつら、来年は自分たちが選手だってこと、わかってんのかな」


 スコープのレンズをいじりながら、タクローがつぶやいた。眉間にしわが寄っている。ふわふわとパーマのかかった茶髪が強風にあおられてあちこちへ揺れている。今日のコーディネートでの赤はスニーカーだった。


 「うーん、どうでしょうね。まだそこまで考えてないんじゃないですか」


 タクローの隣でスコアを計算していたシンイチが、あごをさすりながら答えた。へにゃりと下がった眉が、鳳城大一の身長を誇る体格と裏腹に、気の弱そうな印象を与える。


 「仮に今年勝てたとしても、来年はかなり厳しいだろうからな。今からあいつらを育てて、どこまでいけるか」

 「あー、俺らが言うのもなんですけどね……」


 タクローもシンイチも、大学に入ってから初めてアーチェリーをやっている。スタートは今の1回生と変わらない。


 「ま、少なくとも俺もお前も、今は東日本大会くらいは出れてるからな。シンイチ、お前にはセンスがあったと思うし、俺は筋肉バカだからな」

 「そんなこと……」

 「ま、考えててもしかたねぇか。ケイもヒカルも、そのへんはちゃんと考えてるからな。あとはあいつらの努力次第ってとこだな」

 「今の11人全員が部に残るとも限りませんしね」 


 もうすぐ入部して1か月が経とうとするこの時期、練習についていけない1回生は早々に退部してしまう。とくに、高校時代まで何も部活をやっていなかった者たちだ。体力的に練習についていけない、というよりも、体育会系の礼儀作法や先輩後輩の上下関係などについていけないことのほうが多い。敬語も満足に使えない、挨拶もできない、というようなタイプは珍しくない。いちいち叱るのも面倒だが、サークルやお遊びでない以上、きちんと躾けていかないと困るのは彼らだ。もっとも、練習に直接関係ない(と思っている)ことで叱られるのに嫌気がさして、ある日突然部活に来なくなる、というパターンもあるのだが。


 「大月と羽室、どう思う?」

 「……どう、とはなんです?」

 「俺は、あの二人は見込みありそうなんじゃねーかと思ってるんだ。大月が元テニス部で、羽室が元弓道部だろ。運動部でやりこんできてるから、メンタル的な部分は問題ねぇんじゃないかなって」


 さっきからソウイチロウに恐る恐る話しかけているナオトとカズヤは、スポーツをしてきただけあって筋肉の動かし方などの基本はできている。筋トレにもついてこられるし、ランニングをさせても他の連中と違ってほとんど息を乱すことがない。体の軸がしっかりしていることは、アーチャーにとって重要だ。


 「そうですね。みっちり鍛えられてきたって感じはしますね。壬生なんかもいいんじゃないですか、いつも大月と羽室と3人でつるんでるやつ。彼はバンドマンらしいですけど、小さい頃からサッカーもずっとやってたらしいですよ」

 「なら、新藤もいいんじゃねぇか。あいつはたしか、元バレー部だろ。タッパあるからな、鍛えたら長距離には強いぜ」


 少し離れたところで、体格の良い二人が顔を寄せ合い、ひそひそと囁き交わす。見込みのあるやつには辞めてもらいたくない。せっかくこんなマイナーなスポーツに興味を持ってくれたのだ。仮入部を経て、本格的に入部してきた奴らの前に立ちはだかる、自分の弓を買うという難関をクリアしてもらはなくてはならない。体育会系の厳しさの次に辞める理由に挙がるのは、大学入学したての学生には安くない出費になる道具の購入費用だった。それまでにアーチェリーの楽しさを教え込み、思い切って決断してくれるまでに導くのが、2回生・3回生の役目ともいえる。


 「まぁとにかく、リーグ戦終わったら桐原さんも射場レンジに来てくれるし、そこであいつらがどうするかだな。自分の弓を買わないことには始まらねぇし」

 「……みんな、買ってくれますかね。ちょっとでもこだわり始めると加算式で高くなっちゃいますから。最初は中古のをネットでそろえて買ってもいいと思うんですけど」

 「本気でやる気があんなら買うだろ。というか、買う前提で安いの探すなり、俺らに聞くなりすればいいと思うぜ」


 選択肢は出しておいて、あとは自分で考えろ、というのが基本的なタクローの教育方針だ。だが、シンイチは心配だった。1回生はいまだ3回生と打ち解けているとは言いがたい。どちらかというと、射型フォームを見たり、日頃の礼儀作法などを教えるために接点の多いアオバやシンイチのほうが、心の距離は縮まっている。幹部である3回生は、マコトを除く1回生にとっては気軽に相談などできる相手ではなく、ましてや4回生のマヤやソウイチロウ、ユウキに至っては尊敬を通り越して畏怖の対象ですらある。2回生であるシンイチたちに相談してくれてもいいが、アオバはともかくシンイチやテルヨシはまだ誰かにアドバイスできるほどではないし、レンは面倒見に関しては期待できないと思っていいだろう。わからなければ弓を買うこと自体を諦める、つまり退部するという選択肢を簡単に取られてしまいそうだ。


 「楽しみですね、みんなどんな弓を買うのか」

 「そうだな。ヒカルがまた弓に名前つけろとか言うんだろ。そういえばシンイチ、お前の弓はなんて名前だったっけ」

 「……言いません」

 「は?! ありません、じゃなくて言いません? なんだそれ、別に減るもんじゃねーだろ」


 普段は先輩に従順なシンイチの思わぬ拒絶にあい、声がひっくり返った。照れくさそうな笑顔を浮かべて、それでも口を割ろうとはしない。 


 「秘密です。星野先輩は”シュータ”でしたっけ、”Shoot”をもじったんですって?」

 「……なに笑ってんだよ、悪いか」

 「いえ、いい名前だと思いますよ、よく当たりそうですし」

 「笑いながら言うな」


 自分より20センチは高いシンイチの、よく鍛えられた腹に拳を軽くお見舞いしてやる。難なく片手でいなされて、タクローは子ども扱いされているように感じて口を尖らせた。


 「もういい、真面目に応援するぞ。あと5エンドで終わりだしな」


 はい、とすぐに笑顔をひっこめたシンイチは、正面に向きなおりスコアブックの作業に戻る。


 淡々と進んでいく試合。アーチェリーは、1対1のオリンピックラウンドでもない限り、動きがなく単調で、見ていてハラハラドキドキするような展開にはなり辛い。1射1射を集中して積み重ね、その先の勝利へ向かって己の精神を研ぎ澄ませる。


 シューティングライン上に立つ8人の仲間たちにエールを送りつつ、タクローはスコープを覗こうと身をかがめた。


最終エンド、後攻の東都体育大の行射終了のホイッスルが鳴り響いた。


***************


 激戦だった。最後まで勝敗のゆくえがわからないほどには。


 両校16名の選手たちは、もう9点と10点のエリアがボロボロになってしまった的の前へと走り、点取りをする。そのうちのいくつかの的は、あまりに穴が空きすぎて点数が読めなくなってしまったので、途中で張り替えられている。見事なもので、中心の黄色の部分以外はほとんど穴はあいていない。それだけ、彼らの射が正確だったということだろう。


 スコアの集計が行われる。50メートルと30メートルのスコアの合計を、高い順に6名分まで足したスコアで勝敗を決める。鳳城大の選手のスコアは、二ノ宮マヤ668点、一条ケイ655点、的場レン648点、入江アオバ646点、橘ヒカル640点、結城ツバサ635点の、総合計3892点だった。アキラは50メートルでの失速に引きずられ604点、マコトは健闘したものの625点に終わった。


 両校の主将が、自分のところのスコアシートを記入して審判へ手渡す。ケイは緊張の面持ちで、スバルは自信ありげに胸を張って審判席へとやってきた。


 「ケイ、お前んとこもなかなか良かったぜ。だけど今回の勝ちは俺たちがもらうよ」

 「……まだわからないぞ」


 凛とした空気をまとい、細い眼鏡のフレームからケイが視線を寄越す。まだ戦いは終わっていない、そういいたげな、ケイにしては珍しく挑戦的なまなざしだった。スバルは少し目をみひらき、次の瞬間くすりと笑って両肩をすくめた。


 スコアシートを受け取った審判たちが、計算ミスのないよう選手別のスコアシートと照らし合わせ、入念にチェックを行う。その時間はケイには永遠のように感じられた。


 もしかしたら、こんなことは考えたくはないが、ここまで上り詰められるのは今年が最後かもしれない。

 来年からは初心者の多い1回生の人数に、全体のレベルが下がってしまうことは避けられないことだ。できる限り彼らが伸びてくれるよう指導をするつもりだが、東都体育大相手に互角に戦えるまでになれるとはさすがに思えない。ケイは自分が歯がゆく思っていることに気付いた。いや、今までも気付いていたが、直接東都体育大彼らと対戦したことで、ありありと想像してしまったのだ。別にリーグ戦にこだわる必要はない、アーチャーの中にはそう言う者も多い。もともと個人競技であり、リーグ戦のような団体形式の試合は学生アーチェリーでしかないのだ。本当に目指すべきは、インカレであり、全日本選手権であり、果てはナショナルチーム、オリンピックだと。だけどケイは、学生でしかできないからこそ、リーグ戦と王座決定戦を大事に思っていた。個人競技なはずのアーチェリーで唯一、チームを組んで仲間と戦う。それが部活動としてアーチェリーをやる、一番の魅力なのではないか。


 いつしか物思いに耽っていたケイを、審判の一声が現実に引き戻す。


 「両校選手はこちらに整列してください」


 ざっ、と音を立てて16人の選手が集まる。向かい合って一列に並び、その先頭にケイとスバルがそれぞれ立った。場外では応援の選手たちもこちらを向いて、固唾を飲んで審判の声に耳を傾けている。


 「それでは、結果発表を行います。鳳城大学、スコア3892点。東都体育大学、スコア———」


 審判の声が遠くなる。いや、自分の耳が聞こえなくなってしまったのだろうか。ケイは一瞬、足元がぐらついてぐるりと世界が回ったような気がした。隣に立っていたヒカルが異変に気付き、ギュッと右肩を掴む。あくまで列は乱さないまま、それでも心配そうにちら、とケイを見ているのがわかる。


 「――――東都体育大学、スコア3951点。よって東都体育大学の勝ちとします」


 わっ、と深緑色のユニフォームが湧いた。ケイは大きく息を吐き出すと、空を見上げた。どうしてそうしたのかは自分でもわからない。吹き止むことのなかった風が、ケイのさらさらの髪を乱す。他の選手たちは一様にうつむいたり、ため息をついていた。アキラは今にも泣き出さんばかりで、しきりに袖で額の汗をぬぐうふりをしていた。


 「両校、礼!」

 「「ありがとうございました!」」


 深々と頭を下げ、目の前の選手と握手を交わす。すぐに背を向けてそれぞれの待合場所に向かい、円陣を組んでコールをするのだ。落ち着きを取り戻したケイが、号令をかけて小走りに皆を促す。8人で輪になって片膝に掌をつき、下を向いて主将のコールを待つ。息を大きく吸い込んで、腹から叫んだ。


 「東都体育大学の、勝利を祝してっ!!」

 「「東都体育大学の、勝利を祝して!!」」


 ケイの鋭いコールに7人が続く。


 「フレーフレー、東都体育大!」

 「「フレーフレー東都体育大!」」


 続いてスバルの声が響く。


 「鳳城大学の、健闘を祝して!」

 「「鳳城大学の、健闘を祝して!」」

 「フレーフレー、鳳城大!」

 「「フレーフレー、鳳城大!」」


 円陣を離れると、まずは撤収の準備にかかる。ケイはアキラの姿を探したが、早々にその場を離れたのか、トイレに行ったのか、姿は見えなかった。かわりにソウイチロウとマヤに囲まれる。


 「ケイ、残念だったね。だけど納得のいくスコアを出せたから、僕個人的には思い残すことはないよ」


 マヤが穏やかな笑顔で右手を差し出してきた。反射的に握ってしまったが、ふと不安になって離そうとする。それを見越していたのか刹那、痛いほど強く握られて動揺する。マヤはそんなケイを見て笑みを深めた。


 「……はい」

 「しけたツラしてんちゃうぞ。ま、負けたのは悔しいが、お前も肘治ったみたいやし、ええ勝負やったんちゃう?どっちにしろ王座決定戦には出られるんやし、そっちで挽回すればええんや。ぐずぐず考えてる暇はないで?」


 ソウイチロウがバシンとケイの背中を叩く。自分の肘の具合は、途中からまったく頭になかった。なるべく集中するようにしていたが、やはり前半から大きく調子を崩していたアキラが気になって仕方なかった。ああいう普段冷静なタイプは、一度崩れるとそれがトラウマになって、長く引きずることが多い。アキラは大丈夫なのだろうか。


 もう一度きょろきょろとあたりを見回すが、まだ戻ってきている気配はなかった。アオバとシンイチが1回生に指示を飛ばしながら、片付けに精を出している。頼もしい後輩だ。


 「あぁ、アキラね。あいつなら大丈夫だよ。30メートルではかなり立て直してきてたしね。ただ、……」

 「ただ、なんですか」


 一瞬真顔になり、言い淀んで言葉を切ったマヤを正面から覗きこみ続きを促す。いつもにはないケイの気迫に押され、ふ、とマヤが表情を緩めた。


 「そんな怖い顔しないでよ。僕はただ、アキラ自身が原因がなんなのかわかってないと、克服するにはちょっと時間が掛かるかなって思ってさ。ああいうのって、精神的な問題であって、技術的な問題じゃないからね」


 マヤの言いたいことはよくわかる。アキラくらいのレベルにあって、突然技術的なスランプに陥ることはあまり考えられない。道具を新しく替えた、などのタイミングであったなら可能性はあるかもしれないが、素人ではあるまいし、試合直前でそんなリスクを冒すことはまずしないだろう。だとすればやはりメンタルか。ケイも何度も経験のあることだが、弓を引きながら一瞬でも”当たらない”イメージが浮かべば、もうその射は絶対に中心へは飛んでくれない。ダメだ、と思ったら本当にダメなのだ。マヤは、アキラの動揺を誘った原因はスバルにあるのではと言っていたが、スバルの何がアキラにとって萎縮する要因になったのだろう。普通に考えれば東都体育大の主将であるスバル相手に緊張しない相手などいないだろうが、今日は個人戦ではなくリーグ戦なのだ。緊張するなとは言わないが、淡々と自分の射に集中していれば、アキラのことだ、大きく崩れるようなことはなかったはずだ。


 いつの間にか、アキラが戻ってきていた。右手にタオルを握りしめ、唇をかみしめたまま自分の弓の前にどかりと腰を下ろす。他の部員もアキラの不機嫌を察して、双子のツバサでさえも傍へ寄ろうとはしない。遠巻きに気遣わしげな視線をちらりちらりと寄越しては、大人しく片づけを続けている。負けたから、というだけではないその重苦しい雰囲気に、ケイは軽く眉をひそめてため息をつく。


 そそくさと片づけを済ませると、もう一度東都体育大の部員たちに挨拶を交わし、帰路に着いた。


 「いい試合だったぜ、ケイ。来年も楽しみだな!」

 「あぁ、こちらこそ。来年は鳳城大学うちが勝たせてもらう」

 「ははっ、そりゃ怖いな! 俺らも負けないように精進するぜ!」


 じゃあ、と清々しい握手をスバルと交わす。それぞれの部員たちも主将にならい、にこやかな別れとなった。

 そんななか、アキラだけがぎこちない笑みを浮かべ、スバルの視界に入らない死角に立って小さくなっていた。


 ――――俺もまだまだだな。


 今日は完全に自滅だ。アーチェリーで勝つには、メンタルの強さがカギだといってもいい。スバルの影を追い払うには、どうすればいいのだろう。


 スバルと楽しげに肩を叩きあうツバサを見て、ほんの少し自分の片割れをうらやましく思った。


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