episode2―(2) 「迷宮」
あれだけ頑張ったのに輪からハブるとかなんだよ、と廃れる気持ちもないでもなかったが、よく考えたらいつも通りだし、上っ面だけの機嫌を窺う態度に我慢できるのかといえばたぶん無理だろうから、この状況にあまり不都合はない。
焚き火を囲う連中を遠巻きにしつつ、溜め息を吐いた。
遠征も半分が終わろうとしていた。
最初のゴブリンの掃討は結局俺ひとりであらかた片付け、真や気骨のある何人かが数体を仕留めて難を脱した。
俺がほとんどぶっ殺したはずなのに戦闘を終えてみれば向けられた感情は恐怖や畏怖で、黄金の鎧をまとう勇者マコトは惜しみ無い称賛を全身に浴びていた。俺なんてゴブリンの血だったのになんだこの差は。
グロテスクかつバイオレンスな光景をわざと近距離で見せたのがマズかったのだろうか。これから戦いは苛烈さを増していくのだから、あの程度で根を上げるならいない方が助かる。見捨てるのも場合によっては仕方ない決断になるだろうけれど、死に行くのを無視できるほどの徹底ではないからだ。余裕がなくなればその限りではないが、残念ながらそこまで追い詰められていない。
何度か無茶して割り込んでいるのだが、評価はご覧のあり様だった。
一日目の夜に剣を返しに行くも、俺を見た途端に痙攣を起こしていらないと拒絶され、今も腰にそれがぶら下がっている。
短剣も調達できたから要らないんだけどなぁ。
さらに『窓』の数値にも変化があった。スキル名の脇に一つと下方に五つ縦に並んでいる。それらの数値が爆発的に上昇していたのだ。
一応これをユグアースにおける『ステータス』を数値化したものだと予想していた。
どうやらその通りらしい。
この数値の変化に気づいたのは遠征初日の夜。やることもなく、せめて文字を読む取っ掛かりにならないかと『窓』を開いたのが切っ掛けだ。
正確に把握していたわけではなかったが、スキル名の脇にあった数値はゼロだったことだけは覚えていたので、なんとなく変化したのだとわかった。
が、これだけでは何もわからない。
とりあえず数値を覚えておき、二日目の夜に変化がないかを確かめた。
案の定、数値は増えていた。
そして今日にこの変化が肉体にどんな影響を及ぼしたか観察した結果、一日目のゴブリン戦に比べて戦いが楽になっていた。 おそらくステータスが上がったことで、動きがよくなったのだろう。
……ただ、どうして俺たちにだけステータスが存在するのかがわからない。これも召喚された恩恵なのだろうか?
思考の海へさらに深く潜ろうとすると、
「皆様とご一緒に夕食を摂られなくてよいのですか?」
その直後、声が掛けられた。
顔を上げて確認してみると、やはり俺に掛けられたものだった。
腹奥に響く低音ボイスの正体はトルカだった。
臆病なまでに重厚な鎧は脱いでおり、隆々とした筋肉がアンダーシャツ越しにもわかった。
そこまで情報を読み取ると、俺は顔を『窓』に戻した。
「そっちこそゴドウェルについてなくていいのかよ」
トルカはこの遠征中、片時もゴドウェルから離れていない。いざというとき戦って時間を稼ぎ、ゴドウェルに魔法を詠唱するためだろう。一度も戦った姿を見てないからわからないが、あのでっぷりと肥えた腹で近接戦は不向きだ。
しかし今回は戦術的なことを言っているわけではない。
ただの皮肉のつもりで言ってやった。のだが、
「ええ。今はマコト様のそばにいますので。彼が一緒であれば、並大抵の魔物では太刀打ちできないでしょうから」
トルカも皮肉で返してきやがった。
人のいい柔和な笑顔に騙されやすいが、あからさまに俺たちに嫌な感情を向けるゴドウェルより、にこにこして考えの読めないトルカの方が警戒度は高い。
『窓』を開いて見るフリをしつつ、右手の近くに置いた短剣をすぐに抜けるようにする。
「隣に座ってもよろしいですか?」
「…………」
本当ならお断りだけど、まあ仕方ない。
腰を浮かせて無言で横にずれると「ありがとうございます」と言って座る。
大男が隣に座っただけで妙な重圧と暑苦しさが込み上げてくるのはなんでだろうか。
「なにか用ですか。ないなら一人にしてほしいんですが」
「そう警戒なさらずともいいではないですか。親睦を深めようというだけですよ」
「いりません」
辛辣に突き放して会話をぶった切る。
ここ数日でトルカが信用ならない相手だと結論付けている。今さら親睦を深めたいと言われても裏があるとしか思えなかった。
「まあまあ、そう言わずに。これでも食べながら話しましょうよ」
しつこい上に慣れ慣れしくなってきたので、いっそのこと盛大に嫌われてやろうと首を回して口を開きかけた俺は、トルカの差し出した小さな箱の中身を見て言葉を呑んだ。なんとそれは、美味そうに飾りつけまでされたお弁当だったからだ。
久しぶりに目にするまともな食料に、口内に涎が溢れた。
遠征中の俺の食事といえば、地面に生えてるキノコや木々に実る木の実、あとは比較的あっちで食用だった動物に似た魔物の肉だった。
キノコや木の実なんて毒かどうかもわからないで口にしてるし、魔物の肉なんて焼いたところで食えたもんじゃない。臭みがあるとか筋が固いとかの問題ではなく、口に入れた瞬間に喉奥から上ってくる酸を破棄でしまうレベルだ。
なんでこんなことやってるんだろう、と放心しかけたこともあるだけに、目の前にあるお弁当に反応せざるを得なかった。
……てか、なんでお弁当なんてあるんだよ。
「……いいんですか?」
「あはは! 無理に敬語を使わなくても大丈夫ですよ。どうぞ、食べてください」
渡されたお弁当を受けとったものの、いつ作ったのかとトルカを訝しんでいた。
出発するときから背中には大剣のほかにリュックを背負っていた。そのなかに材料と容器があったなら不可能ではないが、少なくとも二食、さらに二人分を三日分ほど用意して余るとは思えない。いつも食事は別々だから確認もできなかったし。
雪人の疑い癖まで移ってるけど、こんな環境に身を置けば、まず疑わなければやってられない。
「毒なんて入ってませんから安心してください。ユーリア殿から渡すよう頼まれたものですから」
「は? ユーリアさんから?」
ユーリアさんお手製なら美味しそうなのも頷ける。
だけど、
「なんで今さらなんだよ。出発前に受け取ってたんじゃないのか?」
出発する日、ユーリアさんは久しぶりに訓練がないため城内の仕事をやらなくてはならず、忙しくて見送りにも出られないと言われた。だからわざわざ挨拶したりしなかった。
そういえばゴドウェルとトルカは遅れて集合していたけれど、おそらくそのときにユーリアさんから預かったのだろう。きっと俺がまともに食料調達できないと見越して、最初の昼食だけは用意してくれたのだ。
見た感じは腐ってないからいいけど、なんで今さらなんだよ。ふざけんじゃねぇよ。
「……実を言いますと、僕はユーリア殿が好きなんです」
え、なにこいつ? なんでいきなりカミングアウトしてんの?
「だからヒツジ様のためにお弁当を作ったと聞いて、みっともなく妬いてしまいまして。渡す覚悟ができるまで時間がかかってしまいました」
トルカがユーリアさんを好きだからってなんだと言うのだ。俺には関係ないだろう。勝手に嫉妬して人のお弁当隠し持つとかふざけてんのか。
俺は吸い込むようにお弁当をかき込む。すると口内に広がった味に涙腺が崩壊しかけた。俺の少ないボキャブラリーでは表現しきれない美味に、表情筋は緩みに緩みきっていることだろう。
隣で羨ましそうにするトルカなんて見えない。
この遠征中の一番の功労者にご褒美があってもいいではないか。
「訓練中のユーリア殿はどうですか?」
涎を手の甲で拭ったトルカは、羨ましすぎて直視できなくなったように反対側を向く。
今の俺は機嫌がいい。訊かれたらなんでも答えてしまいそうだ。
「すごいよ。俺だって強くなってるはずなのに全然まともに打ち込めないし、こっちは汗だくで立てなくなってるときも涼しい顔してるし、いろいろ世話焼いてくれるし」
昔は剣士で腕を鳴らして、メイドになればお姫様の側つきになるし。
よくよく考えたらユーリアさんに専属で教官やってもらえるなんてすごいんだな。なんか全然実感はないけれど。
「へぇ、そうですか。ヒツジ様と一緒のときのユーリア殿はとても優しそうですね」
「ほかでは違うのか?」
「ええ。彼女は自分にも他人にも厳しいお方ですから。常に冷徹な表情のユーリア殿が、あのように楽しそうな笑顔を浮かべるところなど見たことがありません」
意外だった。俺といるときも確かに厳しい面もあるけど、トルカがの言うような冷徹な表情なんて見たことがない。やはり召喚された人間に粗相はできないと気を遣ってくれてるのだろう。
遠征から帰ったら冷徹なユーリアさんに稽古してもらおう。
せめて自分の身は自分で守れるようにしなければ。
「それにヒツジ様の話もよくなされますね」
「俺の話?」
覚えが悪くて手のかかる男だとでも愚痴られたのだろうか。俺としては精一杯頑張ってるつもりなんだけど、やっぱり戦いのプロの目には素人に毛が生えた程度にしか映らないのかもしれない。
「筋もよく驚くべき早さで、布が水を吸収するかのように成長すると言っていました。すくすく育っていくヒツジ様を見るのが楽しみだとも」
「ほんとですか?」
「もちろんです。教官に抜擢されたときは自信がないと嘆いておられましたが、最近では訓練に向かう背中が楽しげに見えます。生徒たちに恵まれたのでしょうね」
トルカの視線の先を追えば、そこには真たちがいた。
「あとこれは口止めされていたのですが……いえ、やはりやめておきましょう」
「言いかけてやめないでほしいんだけど」
顎に手を添えて唸る動作のトルカに続きを催促すると、苦笑いを顔に張り付けていた。
ここまで良いことしか言われてないだけに、トルカに口を閉ざされると、どれだけ悪いことを言われたのかと心配になってしまう。
必死に目を逸らそうと反対側に顔を背けるトルカの後ろ頭を穴が開くほどじっと見つめてやる。
「うーん……聞かせるとつけ上がるから口が裂けても言わないように言われてるのですが……」
トルカはひとしきり唸ると、観念したように両手を挙げた。
「わかりました。言います」
だらしのない表情のトルカ。ついに観念したようだ。
「ヒツジ様は才能だけなら自分よりもある。そう遠くないうちに自分を越えるだろうと、ユーリア殿は言ってました」
……そ、それは面と言われたらつけ上がってしまうかもしれない。
ユーリアさんにそんなことを思われてるとは、訓練にも気合いが入る。
「羨ましい限りです、ヒツジ様。……本当に羨ましい限りです」
頭では浮かれまいとしていたけれど、ユーリアさんにそんな評価を貰えていたのだと聞かされれば無意識につけ上がるし、程度は低くても危険に変わりない夜の森で気を抜いて油断しまっていたのだ。
だから俺は失念していた。
敵は身内にもいるのだということを。
***
「迷宮だと? 何故このような場所にあるんだ」
翌日。
行軍も滞りなく進み、ようやく折り返し地点に到着した俺たちの前に問題が立ち塞がっていた。
ゴドウェルが口にした『迷宮』だ。
森のなかにひっそりと佇む石造りの建築物。石段の両側を等間隔に柱が伸び、その天辺には四足歩行の生物を模した石像が鎮座している。獅子のような鬣に鷹のような翼、尻尾は蛇そのもので、極めつけには目玉が三つもあった。
二枚扉はすでに開け放たれ、奥に続く回廊には青白い炎が灯り、薄暗く照らしている。
踏み込むことすら躊躇う重苦しい空気を吐き出す迷宮。
しかしゴドウェルは一切臆すことなく迷宮の一歩手前に立ち、誰に問うでもなく呟いていた。その一歩後ろにはトルカが控え、厳しい目つきで先を睨んでいる。
「調査したときはなかったはずです」
「ではその後に出現したということか」
……なんのことを言ってるか微塵も理解できないのだが。
ユーリアさんの訓練にスケジュールを全振りしている俺は座学も受けていない。歴史やメジャーな加護について教えてもらったものの、逆に言えばそれしか教わってないのだ。
真たちは迷宮について講義を受けたから知識としては知っているらしく、息を呑んで事を見守っている。
しばらく俺たちの耳に届かないよう言葉を交わす後ろ姿をじっと見ていると、実に面倒そうにゴドウェルとトルカが振り返った。
「遠征は一時中止だ。俺とこいつで迷宮内部を調査してくる。お前らは休息するなりなんなりして、俺たちが帰ってくるまでここで待機していろ」
そう言って踵を返すゴドウェル。その横顔は真剣そのものだ。ゴブリンの強襲に遭ったときも、大型の魔物に遭遇したときも不敵な笑みを絶やさなかったゴドウェルが、迷宮に入ると宣言した途端に侮りを削除したのだ。
杖を構え直し、ただボ一歩でさえ慎重に踏み出すゴドウェル。
その背中に、
「何言ってるんですか! 迷宮は危険な場所なんでしょう? 俺たちも行きますよ!」
立ち上がった真がそう言った。
……こいつ、初日に雪人とぶつかったときから全然成長しやがらねぇ。なんでお前の意見だけで俺たち全員が巻き込まれなきゃならねぇんだよ。
俺はゴドウェルが嫌いだが実力だけは信用している。でっぷりと肥えた腹と傲慢な態度で小物に見えがちだが、実力はずば抜けているだろう。俺を含めた全員でこの人に勝負を仕掛けても、一人ひとり欠点を指摘しながら片手間であしらう程度はやってのけるはずだ。
迷宮はそんな人が俺たちに待機命令を出すくらいには危険なのだ。それなのに同行してたところで足手まといにしかなるまい。
「――だめだ」
ゴドウェルは厳かに真に言う。
しかし勇者サマは引き下がらない。
「なんでですか! 調査するなら人数は多い方がいいはずです。数人でパーティーを組めば、今の俺たちなら大丈夫ですよ!」
「自惚れるなひよっ子が!」
ゴドウェルの怒声が空気を震わせて衝撃波となって体を叩いた。
あまりの衝撃につい短剣を抜き放ちそうになるも、柄に手を添えたところでギリギリ踏み止まる。
「ゴブリンごときに苦戦するお前らが迷宮に入るなんざ命を無駄にしてるのと同じだ! 足手まといが大口叩くな! ――行くぞトルカ」
今度こそ迷宮に入ったゴドウェルはトルカを引き連れて奥に歩を進めた。