episode1―(5) 「遠征前夜」
「明日のこと聞いてるか?」
「遠征のことだろ? 二手に分けて行くらしいな」
訓練漬けの俺たちの唯一の自由時間といえば就寝前くらいだ。
睡眠時間を削って、俺たち四人は毎晩雪人の部屋に集まっていた。
雪人はベッドの上で寝返りながら答える。
「俺と黒神を別々にするんだとよ。何人か兵士もつけるらしいけど、俺とあいつがいた方が安全度は増すとかなんとか。俺だって実戦は初めてだっつうの」
そう、明日は俺たちの初めてになる実地訓練だった。
夏那さんはすでに実地訓練に移っているため、護衛につく兵士と同じ扱いになるらしい。
「つか、なんでお姫様がグループ分けしてんだ? 悪意しか感じねぇぞ」
グループは雪人と真を中心に人員分けがされている。訓練の成績を統合して前衛と後衛の数、そして戦力が平均になるようにしたらしい。
その結果、俺だけが真のグループに属することになったのだ。
「仕方ないだろ。今回はステラさんとか教官陣が話し合って決めたんだから」
「俺はあいつも信用ならねぇ」
間髪いれず言う雪人に苦笑するしかない。
雪人は寝転がったまま緩く握った右拳を天井に向け、ぶらぶらと振る。
「この刻印、スキルを確認したり、同じ刻印同士で念話できるって言ってたよな? この世界じゃスキルはさして珍しくもねぇのに、あんな苦労してまで全員に刻む意味があんのか?」
右手に視線を落とす。青白いラインで宿る刻印に意識を集中させると、目の前にスキル名とその説明が書かれた石板が出現した。その下にはいくつかの数値が並んでおり、最初に見たときに比べると何倍にも膨らんでいた。
これが何の数値なのかはわからない。ステラさんやユーリアさんの物には数値など存在せず、スキルに関しての項目があるだけらしいのだ。
俺たち全員に共通して存在することから、俺たちだけに関する数値であることは疑いようがない。妥当なのはゲームでいうステータス値だろう。
スキル名と説明以外の文字は読めないので、断定するのは危険かもしれないが。それ以前に、なんで日本語なのやら。
名称がないのも不便なので、この石板を『窓』と呼んでいる。
「お姫様もこれを刻む前はアホみてぇに怯えてたってのに、今じゃあ足元見やがる。たぶんこの刻印についても、お姫様は隠してることがある」
「だから刻印の作業を行ったステラさんも信じられないと?」
右手をベッドに落として、雪人は無言で肯定する。
「お前もユーリアとかいうメイドを信じない方がいい。あいつもお姫様側だ」
「……考えすぎじゃないのか?」
きっと眦を吊り上げ、寝転がる悪友の横顔を睨む。
閉じていた瞼を片方だけ開いた。俺の視線を察したのだろう。舌打ちを一つ零した。
寝転がった体勢で足を振り上げて膝を曲げると、全身のバネを総動員し、ぐるりと体を回転させて立ち上がる。数メートルは離れていたのにそれを一つの動作で埋めた雪人は、俺の額にデコピンを喰らわせた。
石でも投げつけられたような威力に、体が海老ぞりになる。額が割れたのではないかと錯覚する衝撃をくれた雪人を涙目で批難する。
「ひつじ、ここなら安全だと思ってないか?」
「……違うのかよ」
せめてもの反撃としてぶっきらぼうに言い放ってやるが、雪人に気分を害した様子は微塵もなく、むしろ俺を心配するようにソファに座る俺の横に腰を落とす。脱力して座ったせいで素材が勢いを吸収しきれず、二回三回と体が跳ねた。
反対側に実里も座る。雪人の言葉の真意を聞きたかったのだろう。
一言一句も聞き逃すまいと肩をすり寄せ、あろうことか俺の太股に手をついて身を乗り出した。柔らかい女の子の手が体に触れてることに動悸が激しく跳ねた。
前髪で顔を隠してはいるが、実里は美少女に分類される女の子だ。長い付き合いがあっても思わずドキッとしてしまう。おまけになやましい匂いまで漂ってくる。気を抜けば華奢な身体を抱き締めたくなる衝動に支配されるだろう。
雪人の言葉に集中して邪念を振り切る。
「今この世界で味方なのは同じ世界から来た俺たちだけだ。どんなによくしてくれても、ユグアースを救えるかもしれない貴重な戦力だからだ。使えないってわかれば――切り捨てられてもおかしくない」
「き、切り捨てられるって……」
「あり得ないことじゃない。ひつじたちは知らないだろうけど、連中、陰じゃ俺らを疎ましく思っていやがる。ろくに戦えない異世界人のくせに加護も派手で、待遇もよくて、発言力まである。俺たちの方がずっと強いのに威張りやがって――ってな」
「ずっと仕えてきたのにぽっと出の俺たちにだけよくされたら当然の不満だろ。……立場をいいことに好き放題やるやつまでいたら疎ましくもなるさ」
召喚されて自分たちに力があるのだと勘違いした一部の連中が、訓練や講義で上手くいかないことがあると近くを通りかかった兵士や専属でついてくれるメイドに不満をぶつけるようになった。
彼らも主であるミルフィスさんが召喚した勇者たちに逆らえず、なすがままになっている。なかにはいちゃもんをつけて兵士をいたぶって晒し者にしたり、嫌がるメイドに強引に関係を迫ったやつまでいる始末だ。
後者は偶然通りかかった真が助けたり、振りほどいて逃げるなど未遂で済んでいるが、兵士たちの何人かは休まざるを得ない重症を負わされている。
真や愛理が睨みを効かせて牽制しているものの、防ごうにも限度がある。
俺たちが知らないだけで未遂で済まなかったものもあるかもしれない。
「明日は護衛についてくれる兵士が鬱憤を晴らすために牙を向くかもしれねぇ」
確かに考えられないことではない。明日の遠征にはステラさんもユーリアさんも、ましてやミルフィスさんもついてこない。騎士でも偉い人が二人ずつ配置されるそうだが、王室に参じた彼らの目は憎悪に濁っていた。歴戦の猛者にあんな眼光鋭くされ、気を失いかけたのは記憶に新しい。
付け焼き刃でも技術を磨くことはできるが、戦場に足を運び、剣を振るい、敵を屠ってきた長年の経験だけは遠く及ばない。どれだけ強力なスキルを有うそうと、実際に敵を前にして怖気ついてしまえば宝の持ち腐れだ。
おそらく明日はまともな遠征にはなるまい。初めての実戦に初めての殺し。何人かがその恐怖に耐えきれず脱落していくだろう。
そうなったとき、脱落した人たちの扱いはどうなるのだろうか。最大限のもてなしを施しても戦えなかった人たちは、雪人の言うように切り捨てられるとも考えられる。
さらにこの遠征は鬱憤を晴らすにはちょうどいい機会だ。
これは一種のテストなのだろう。使えるか使えないかを見極めるためのテスト。
護衛に兵士がつくのも、おそらくは建前でしかない。
真と愛理、あとは雪人と実里以外なら、ここで誰かが死んだとしてもいいのだろう。
そして――誰を殺してもいうということだ。
こんなの全部が仮説で予測ではあるが、最近の様子を鑑みるとまるっきり外れではあるまい。
「兵士連中はなんとかできるが、この刻印だけはもうどうしようもねぇ。調べようにも文字が読めねぇしな」
「教えてもらえな、い」
講義を受ける実里も文字は教わってないらしい。
「つまり俺らがユグアースの情報を得るには誰かに聞くしかない。知ってて当たり前の常識も知らない俺らに嘘偽りの、都合のいい情報を吹き込むのは簡単なことだ」
「……まさか人族と魔族、獣人族戦争のことも疑ってるのか?」
「俺はそもそもお姫様は信じてねぇ。スキルの扱いもぶっちゃけ独学だしな」
「徹底しすぎだろ、お前……」
「人間不、信?」
いずれ戦わせるつもりなんだから戦闘の基本とスキルの扱いで嘘を教えるわけがない。
雪人が嫌いなミルフィスさんならあり得なくもないけど、ぶっ殺しちゃうぞ宣言できるステラさんが気に入ってる以上、嘘を教えるよう言われても逆らうはずだ。
「うるせぇ。……とりあえず文字を読めねぇことには始まらん」
「まぁ、そうだな。街に行って教えてもらうのはどうだ? さすがにゼロのままじゃどうやってもわかんないだろうし」
「そう考えて時間に余裕なくしてんだろ」
「お前ちょっとウザいよ!? 疑り深すぎてドン引きだよ!!」
言われるとそう考えられなくもないけど、さっきから意見が否定的すぎる。
「もういい。俺が行ってくる。どうせ一日中訓練だしな」
雪人はユーリアさんも信用ならないって言ってるから街に出掛けるときは適当に、なおかつ長期的に休める理由を考えなくてはなるまい。
そこらは協力してもらうとして、明日の遠征は気を引き締めなければ。
言われた途端、疑いの芽がむくむくと育ってしまった。もう信用できない。背後に回られでもしたら斬られるのではないかと不安でしょうがない。
しかも雪人疑い癖が移ってしまったのか、どうも明日の遠征に不安が残った。
――そして翌日、その不安が的中することになった。