episode1―(4) 「スキル」
俺たちがユグアースに召喚されてから十日ほど経過した。
初日の騒動は思い返すと寿命が縮むどころか、マイナスにメーターが振り切りそうで二度と思い出したくはないのだが、それ以降は至って平和と呼べる日常だった。
ただ、ミルフィスさんにあれだけの暴挙を働いただけはあり、彼女の城を拠点とする俺たちには大層居心地の悪い場所となっていた。用意された部屋や食事はみんなと同じではあるものの、兵士やメイドたちには畏怖の眼差しを向けられ、ときには嫌がらせを受けるようになったのだ。
おそらく――否、確実にミルフィスさんの差し金だろう。
なにせあれだけボロクソに言われたあげく、失禁までさせられたのだ。よほどの成人君子でもなければ嫌がらせの一つもやりたくなる。
ちなみに失禁したのはステラさんに刻印を宿してもらい、雪人が退室してからだ。
あのときは俺や実里もいたたまれなくなり、さっさと刻印を宿してもらって逃げるように退室するはめになった。
あの一件のおかげで夏那さんも混ぜた四人は黒神一派だけでなくクラス全体、果てには城のほとんどから敵対視されることになった。
ほとんどに含まれてないのはステラさんだ。
どうも雪人のことが気に入ったらしく、いつも一緒にいる俺たちにもよくしてくれる人だ。
だいたいが仕事をサボるための口実になっているが、二言目にはぶっ殺しちゃうぞが口癖なステラさんも、付き合ってみればすごく気さくな人だった。
俺たちが召喚される前は街に姿を眩ませて仕事をサボっていたらしい。
いや、仕事しろよ。
当時もそうツッコんだが、どうもステラさんは鑑定士として雇われただけらしい。
なのに気紛れで政務に口出ししたばかりに、いつの間にか仕事を回されるようになったとのこと。
おかげでミルフィスさんとちょくちょく口喧嘩するようになり、敬語がなくなって、ついにぶっ殺しちゃうぞの素が出るようになった。
ステラさんほどの鑑定士もいないため、手放すにも手放せないそうな。
街に逃げるようになったおかげで詳しくなったとのことで、案内してもらうことになった。
……のだが。
たった数日で行動を把握されてしまったらしく、案内という名目で逃げてるだけだった。
街の名所をいくつか教えてもらったし、嫌がらせが食事にまで回ったら、出掛けるのも悪くないかもしれない。
***
異世界生活も三日を迎えると変化が起こった。
召喚された目的は魔族と獣人族と平和協定を結ぶことだ。
このまま渋っていても停滞が続くばかり。元の世界に帰る方法は見つからないので、結局、雪人も協力することにした。
それをミルフィスさんに伝えたものの、初っぱなからあんな態度を見せられては信じられないのだろう。表面では嬉しそうに笑む仮面を被っていたが、疑わしげなのはバレバレだった。
ただ雪人は『勇者の加護』を得た真に次ぐ強力なスキルを持っている。
平和協定を結ぶには必要不可欠な存在だろう。
そのためにもまず、俺たちは戦うすべを身につける必要がある。
スキル――加護とは宿しただけで使えるものではないらしい。しかも強力になればなるほど暴走する確率が高くなり、加護持ちの死亡理由の四割は暴走による自爆なのだそうだ。
雪人のあれも暴走した結果であり、ステラさん曰く、
「あれだけすごい加護を暴走させてピンピンしてるとか信じられないなー。ぶっ殺しちゃうぞー?」
せっかく無事だったんですから殺さないでくださいよ。
というわけで、スキルを得た人たちは、複数のグループに分けて訓練することになった。レベルに差がありすぎるスキルを一緒にしても効率が悪いからだ。
それでもずば抜けて強力なスキルを持つ雪人と真は個別訓練となった。
雪人の教官はステラさんらしい。そして真はミルフィスさん。どっちもちゃんと訓練するか心配なんだけど。
俺は大して強くなかったので、数人グループに組み込まれた。
ちなみに全員がスキルを得たわけではなかったので、得られなかった人たちは先に魔法の講義を受けている。スキルを問題なく扱えるようになったら俺たちも受講するそうな。
……今でもいっぱいいっぱいいなんだけど。
そして俺たちの教官は、意外な人だった。
「皆様の教官を承りました、ユーリアと申します。加護は『直感』と『危機回避』です。よろしくお願い致します」
なんとずっと後ろをついてきたメイドさんだったのだ。
強いんだろうとは思ってたけど、まさか教官までやれるなんてなぁ。
雪人の暴走をいち早く察知し、ミルフィスさんを守れたのは『直感』のおかげのようだ。
「加護は魔法とは違い、魔力を必要としません。使うための肉体があれば、際限なく使うことができるでしょう。その分扱いには注意しなければなりません。……数日前、ユキト様の加護が暴走されましたが、あれで生き残れたのは幸運と言うべきでしょう」
ユーリアさんは淡々と言うが、教官二人に言わせるほどなのだから、暴走が危険であると同時に、雪人のスキルは相当なものなのだと認識させられた。
そうだよな。『勇者の加護』と同じように個別で訓練してるんだもんな。
「慣れれば手足のように使えるようになりますが、焦っても暴走する危険性が増すだけです。皆様の加護なら暴走して命を落とすことはほとんどありませんが、だからと言って気楽に考えないようにお願いします。ゆっくりでも着実に加護を自分のものにしていきましょう」
ユーリアさんはそう締め括ると、この場にいるメンバーを見る。
今日は雪人だけでなく、実里や夏那さんとも別行動だった。
実里のスキルは雪人のものとは別の意味で個別に訓練が必要なものだった。実里が得たのはなんと回復スキルだったのだ。
加護を得ることが珍しいなか、回復の加護は数十年単位に一人いるかいないかだそうだ。そのためどこの国でも回復スキル保持者は優遇されるとのことだ。
そして驚くべきは夏那さんだ。
召喚されて初日からスキルを使っていたことからテストしてみたところ、宿った『気配遮断』と『危機回避』を十全に発揮し、戦えていた。なので一足早く実戦に移ったのだ。
……俺だけ平凡だなぁ。グレるぞ。
何てことを思っていると、ユーリアさんと目が合った。
にっこりと微笑むユーリアさん。……なんぞ?
「加護は精神を集中することで発動します。聞くよりやってみた方が早いでしょうから、二人一組になって片方が集中してる間、もう片方は暴走しないよう見張っていてください。……ヒツジ様はわたしめと一緒にしましょう」
「……へ?」
間抜けな声が口から洩れた。
「な、なんで俺だけユーリアさんとなんですか? そこまで危険なスキル……じゃなくて、加護じゃないと思うんですが……」
俺は一緒にいる雪人や実里、夏那さんが才能の塊ではない。
おざなりにやって扱えるようになるとは思わないが、かといってユーリアさん直々に指導してもらえるほどとも思えなかった。
「ヒツジ様とペアになってくれる方がいないかと思いまして」
「……言ってくれますね」
確かにその通りだけども。ユーリアさんを含めてぴったりだけども。
「ふふっ、冗談です」
ユーリアさんは口元を覆って上品に笑う。
「お気づきになっていないのかもしれませんが、ヒツジ様はもう加護を扱えています。ヒツジ様たちはスキルと呼んでいられるようですが」
「え、俺、扱えてるんですか?」
「やっぱりお気づきになってなかったのですね。ヒツジ様もカナ様と同じように、ユキト様が暴走されたときに使っていましたから。『先読』の加護ですよね?」
俺が得たスキルはユーリアさんのいう通り『先読』だ。
効果は動体視力が上昇するだけのあってもなくてもいいものだ。
……いやいや、使えててもわかんねぇって、これ。
これから役に立つとも思えないし、正直なところ訓練なんて乗り気じゃないのだ。
「ヒツジ様の『先読』も大変素晴らしい加護だとわたしめは思います。あのとき、わたしめの動きを追えていたではないですか」
「あれは無意識だっただけですよ。下手したら暴走してたかもしれないですし」
「いいえ。ヒツジ様はすでに加護を使いこなしておられます」
「買い被りですよ。雪人と一緒にいるからそう見えるだけです」
誉められるのは嬉しいけど、自覚もないのにお世辞を言われても困る。
「……致し方ありません。ヒツジ様」
「はい?」
「――失礼します」
「え?」
ユーリアさんが腰に下げた剣を抜刀した。銀色の鈍い輝きを放つ刀身が、下段から上段に勢いよく跳ね上がってくる。俺と彼女の距離は目算で数メートルだ。リーチ長さを考慮しても、今すぐ飛び退かなければ刃の餌食になるだろう。
だが、見えるだけ体がついてこない。
避けようと必死に後ろに跳ぶが、圧倒的に間に合わない。
剣は着実に迫ってきている。なまじ見えるだけに、どこがどのように斬られるかわかってしまい、それが恐怖を激しく煽る。
……これ、死んだわ。
「こんな感じです」
と思ったら、ぶつかる直前で剣が停止していた。
お、俺、生きてるのか……?
「いきなり何するんですか!? 殺す気ですかユーリアさん!!」
俺はユーリアさんに詰め寄りながら言う。
「ヒツジ様が信じてくださらないものですので、実際に目にしていただきました。ちゃんと見えていたでしょう?」
「見えてましたけど、どうせ手加減したんじゃないじゃないですか?」
「そんなことはありません。これでも昔は剣士として腕をならしてきました。ヒツジ様たちは戦闘の経験はないと仰ってましたし、少なくともマコト様とユキト様のほかには見えない剣速で振るわせていただきました」
それでも雪人と真は見えるって、お前らいつの間にそんな化物に進化したんだ。
この口ぶりだと、もうあの二人はユーリアさんより強いのだろう。
……だから今日から訓練なのに歴戦の剣士らしいユーリアさんより強いってなんだよ。ぶっ殺しちゃうぞ。……やっべ、ステラさんの口癖移っちゃったよ。
「つまり、ヒツジ様は彼らと同等の目を持っているということです」
「でも使い方なんて全然わかりませんよ?」
「わかってます。だからわたしめなのです」
剣をひと振りすると、鞘にしまう。
「ヒツジ様は稀にいる、加護を発動したままのタイプです」
「じゃあここ最近、妙に見えるようになったのって……」
「加護が発動したままだからでしょうね。もちろん利点はあります。常に加護を発動したまま、つまり常に加護を鍛えているということです。たった三日でわたしめの剣を完璧に捉えられるのですから、将来は有望です」
ユーリアさんに微笑まれ、直視してしまった俺は顔に熱が集中していくのがわかった。
さっと目を逸らすと、おかしそうに笑われた。
「ですが今のままでは加護が発動しているだけで、使えてるとは言いません。今日からわたしめの訓練のときは、わたしめと一緒に行動してもらいます」
「ぐ、具体的には何を……?」
そしてまた、ユーリアさんは微笑む。
「わたしめの剣が見えなくなるまで、見続けてもらいます」
……矛盾してませんかと思いながら、ある種の死刑宣告を下され、頬が引き攣っていた。
***
そして一週間が経過した。
事実上、ユーリアさんに専属で教官になってもらっただけはあり、ほどなくしてスキルのオンオフの切り替えができるようになった。
といっても、常時スキルを発動させていて疲れるわけでもないので、オンのままで生活している。
『先読』発動中は動体視力を向上させ、感覚を加速させている状態になる。だから目で動きを追うことはできるのだが、加速していない体では反応しきれないデメリットがあった。
ユーリアさんの剣速についていけても、躱せなかったのが何よりの証拠だ。
いつかは俺も戦場に立たなければならないし、見えるだけでは意味がない。
俺としては穏便に暮らしていたい。
でもスキルを得られなかったクラスメートが魔法を習得して戦おうと言うのだから、俺だけが尻込みするわけにはいかない。
それに俺はスキルの扱いに苦はないものの、魔法を使えない欠陥があったのだ。
昼前までが魔法の講義と世界の歴史や成り立ちを学ぶ座学、昼から日が沈み始めるまでがスキルの訓練でカリキュラムが組まれていた。
そこで俺も魔法の講義を受けたのだが、扱いには大なり小なりあっても全員が魔法の第二行程まで実行できるなか、俺は魔素を取り込むことすらできなかったのである。
どうしたものかと魔法の講師にまで首をかしげられ、急遽ステラさんとユーリアさんのタッグによる解析が行われた。ユーリアさんは訓練の時間になっても現れなかった俺に怒って探しに来ただけだったけれども。
初めて見たときはクールなメイドさんだと思ってたのに、打ち解けてみたらただの鬼教官だったよ。
それはそうと。
ステラさんが調べた結果、俺は魔素を取り込めていないのだそうだ。
そもそもスキルは召喚の際に付与されるが、魔法については何の効果もない。なのに俺を除いた全員が魔素を取り込んで魔力に変換し、魔法として打ち出せることがおかしいのだ。
元々それだけの素質があったのだとしたら、俺にはなかったということだ。
スキルを得られなかった奴もいるので、イーブンといったところだろう。
ちなみに雪人と真は予想に反して、魔法の才覚はからっきしだった。
魔法の講義に回す時間が無駄になり、俺だけ訓練を一日中やるはめになった。
ユーリアさんみたいな美人とずっと一緒にいられるとかとんでもない。
身体能力を底上げするためにひたすらに剣を避け続け、避けられなきゃ殴り飛ばされる。受け止めても殴り飛ばされる。反撃しても殴り飛ばされる。
しかもその日は全身が痛くても、一日休めばすっかり元気になってるものだから、サボる口実にも使えない。
なまじ見えるだけにどこから、どれだけの威力の一撃が叩き込まれるのか見逃せない。おかげで一時はユーリアさんを目にしただけで全身に幻痛が走ったものだ。今ではそれが一周してやけくそぎみになっている。
でもユーリアさんのおかげで『先読』を有効活用できる程度には動けるようになった。
となれば次は攻撃の訓練だった。
せっかく小回りが利いて素早く動けるのだからと、剣ではなくナイフを渡された。
化物クラスの二人ならともかく、今から剣を握って使い物になるには数年を必要とするらしい。
ナイフなら握り方さえ覚えてしまえば、あとは感覚でどうにでもなるそうだ。
で、実際にナイフを手にしてユーリアさんと対峙してみた。
勝てないまでも、いくらかメイド服に切れ目を入れるだけだったが、たった数日でそれだけの成果を挙げたことに素直に驚かれた。
どうやら思いのほかナイフと相性がよかったらしい。
二回目からは見切られてボコボコにされたけども。
そんなこんなが、異世界に召喚されてからの日常である。