episode1―(3) 「能力」
ミルフィスさんに案内され、俺たちは別室に歩を進めていた。
勇者として召喚された俺たちにどれだけの恩恵が、どんな能力が与えられたかを確認するには、鑑定士と呼ばれる術師と特殊な水晶体が必要らしい。それによって体の一部に刻印を宿すことで、いつでも加護や能力を確認できるようになるとのことだ。
ミルフィスさんの手の甲にも刻印があった。
何でも同じの刻印を持つ者同士なら、ある程度の距離であれば居場所を特定したり、頭のなかで会話できるようになるらしい。
さて、さっきのやり取りで完全に敵対視されてしまった俺たちは、最後尾を歩いている。
愛理とすれ違うとき今にも殺されそうな目で睨まれたのだが、あいつにだけはやたらめったら強い加護がないことを祈るばかりだ。ふとした拍子に殺されるかもしれない。
こんなとばっちりを喰らうのは雪人のせいだ、と後ろ姿を睨んでやる。
すると肩をとんとん、と叩かれた。振り向けば夏那さんが俺をじっと見つめていた。
この目は「迷惑かけてごめんなさい」だ。
別に夏那さんが謝ることでもないし雪人が悪いと本気で思ってるわけではないので、大丈夫だという旨を伝えておく。
そんなことをしていると、黒塗りのいかにも怪しげな扉に到着した。
ミルフィスさんが扉の近くに控える兵士たちに何かを言うと、歯車が軋むような音を立ててゆっくりと扉が開いた。
目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
石造りの冷たい部屋を照らすのは壁に沿って配置されるランプだけだ。床には奇妙な文字、おそらくはユグアース言語が螺旋状に並び、それを囲うように円が三重にも描かれている。円に沿ってローブを羽織っている人たちが数人ほど並んでいる。あの人たちが鑑定士だろう。円の中心には人間の頭部ほどのサイズの水晶体があった。
ミルフィスさんは周囲を見渡すと、どうしてか嘆息していた。
「ステラ! 勇者様たちをおつれしました!」
お姫様らしからない大声で、ミルフィスさんはステラさんとやらに呼び掛ける。
すると、頭上から一つの影が落下してきた。
「そんな大声じゃなくても聞こえるよー。こっちは二日酔いで気分悪いんだから、少しは気ぃ遣ってくれないかなー? ぶっ殺しちゃうぞー?」
背筋を嫌な感覚が駆け抜けていった。
これがゾッとするというものだろうか。
蛇ににらまれた蛙はこんな気分だったのなと思うと、なるほど。確かにこれは動けない。
が、動けない理由はほかにもある。
彼女――ステラさんの格好のせいだ。肉感的なスタイルだというのに上半身はティーシャツを胸の下で結ぶだけ、下半身は脚の付け根まだしかないショートパンツだったのだ。その上は真っ白なローブを羽織っているだけである。
……なんというか、すごいエロいです。
そう思ったのは俺だけでないらしく、前方で真が愛理に殴られていた。
「わたくし、これでもレクスキアの王女なんですよ?」
「で?」
ステラさんは気怠そうに返す。
「敬ってもらいたいなら玉座に座れ、愛でてもらいたいなら男で囲え、私にそういうのを求める方がおかしいよー。ぶっ殺して逃げちゃうよー?」
「やめてください。……この方たちが勇者様です」
どうやらステラさんはいつでもこんな調子らしく、ミルフィスさんも馴れているようだった。
一国の王女様にぞんざいな態度をとれる辺り、相当に腕のいい鑑定士か、個人的に繋がりのある人物なのかもしれない。
「なかなか面白そうなのがいるねー」
ステラさんは舐めるように俺たちを見やる。
「どなたからになさいますか?」
ミルフィスさんにそう言われるも、進んで申し出るやつはいなかった。
聞いたところによると、刻印を宿す作業には多少の痛みが伴うらしい。
しかしそれはユグアースの基準である。戦う技術が発展した世界のちょっと痛いは、俺たちにすれば相当の痛みがあるとも考えられる。
そうでなくとも、未知の体験にはどうしても気後れしてしまうものだ。
誰かが毒味役をやり、安全だとわかるまでは硬直状態が続くだろう。
ミルフィスさんも誰も申し出ないことに困惑ぎみだ。
こういうとき積極的な雪人と真も、さすがに躊躇いを覚えているようだ。
そう思っていると、夏那さんが肩を叩いた。
この目は「私がやるよ」だった。
「んー、アンタが最初かー。名前はー?」
「……古郡、夏那」
「変な名前だねー」
ステラさんはそう言って水晶体に手を添える。
すると水晶体が青白い光を放ち、部屋を満たしていく。周りのローブたちも何かを唱え始め、床に並んだ文字の羅列が生き返ったように蠢き、ステラさんの右手に収束していく。その光景は神秘的でもあり、恐怖を煽るものでもあった。
やがてステラさんの指に赤色のオーラが点る。
ステラさんの横顔にはさっきまでの気怠そうな表情はどこにもない。額からは大粒の汗を流し、どこからか吹き荒れた風がローブをはためかせる。
刻印を宿す作業ってこんなに大変なものなのか? 一人目なのにすごい苦しそうなんだけど。
それを三十人弱って……。一日で終わらない気がする。
ステラさんは何かを唱えたまま夏那さんの手を取ると、甲に刻印を描いていく。
一瞬だけ痛みに顔を顰めた夏那さんだったが、言われた通り多少の痛みしかないらしかった。
そして光が消えていく。
「これで完了だぞー」
瞬時にだらけた表情になったステラさんは「暑い暑いー」と、ほとんど着てないような服をはだけさせて扇いでいる。
「…………」
「んー? なに見てんのー? ぶっ殺しちゃうよー?」
「やめてくださいってば! カナ様は加護の確認の仕方がわからなかっただけですから!」
ステラさん怖すぎだろ。二言目にはぶっ殺すってさ。
「カナ様、心のなかでどんな加護を授かったのか念じてみてください」
ミルフィスさんの言葉に頷いた夏那さんは言われた通り念じる。
右手の甲に宿った刻印が赤光を放つ。
すると夏那さんは驚愕に目を見開いて後退った。まるで目の前に何かがあるように、何もない空間をおそるおそるといった感じに触っている。
俺たちは突然の奇行に戸惑いを隠せないが、ミルフィスさんもステラさんも平然としているのを見ると、正常に刻印が宿ったようだ。
「い、いかがですか?」
「……気配遮断、危機回避」
「だけ、でしょうか? ほかには何かありませんか?」
ふるふると首を横に振る。
「そう、ですか。わかりました」
あからさまに落胆した様子のミルフィスさん。
確かに気配遮断も危機回避も勇者っぽくない加護な気がする。
「次はどなたになさいますか?」
「よし、俺がやります」
夏那さんに毒味をさせて安心だとわかったからか、意気揚々と真が前に出る。
それを面白く思わずにいると、気配遮断を早速実戦した夏那さんが突然背後に現れ、情けない声を出して驚いてしまった。
実里なんかびっくりしすぎて腰抜かしてるし。
「気配遮断と危機回避か。俺としちゃあ、加護っていうよりスキルって方がしっくりするな。魔法とも別物みてぇだし」
「あ、それは俺も思った」
まだ魔力の使い方がわからない夏那さんが気配遮断をなんなく発動したを見るに、加護――スキルは魔力を必要としないのだろう。
「スキ、ル?」
「実里はゲームとかあんまりやらねぇからわかりにくいか。まあ、あれだ。あー……」
「頑張って説明してくれようとしてるのはわかるけど、特に意味はないんだろ?」
加護だろうとスキルだろうと言い方が違うだけで同じ認識なんだからさ。
「それより、ミルフィスさんは何か俺たちに隠してる気がする」
ミルフィスさんは俺たちを勇者として召喚したと言っていた。
それはつまり魔族と獣人族に狙われている今、この両種族から人族を守りつつ協定を結ぶための大使になってほしいということだ。
だが、召喚した相手が必ずしも勇者であるとは限らない。
夏那さんスキルは気配遮断と危機回避だ。使い方のよっては太刀打ちできないわけではないだろうけど、勇者ほどの力を必要としているのだから、このスキルでは不安でしかない。必要なのは魔族と獣人族と正面からぶつかり、押し返せるほどの力だ。
召喚の術式で呼ばれた人間は何かしらの加護を得られるようだが、夏那さんの例を見る限りでは必ずしも勇者の力を得られるわけではない。
だというのに、ミルフィスさんは召喚を行った。
最初、ミルフィスさんの顔色が悪かったのは召喚に相当なリスクを伴うからだろう。俺たちに説明してくれた間、何度も倒れそうになっていた。今だって立ってるのがやっとかもしれない。
それなのに博打にも似た召喚を行うだろうか?
解は――否である。
そもそもミルフィスさんは召喚された俺たちを見て、真っ先にこう言った。
――よくいらしてくれました勇者様方!
そう、勇者様だ。
ミルフィスさんは俺たちのなかに勇者となるべき人間がいるのをわかっていたのである。
おそらく『勇者の加護』を得た者が勇者に選ばれた人間なのだろう。
しかしミルフィスさんは誰が勇者だと告げることなく、まずは加護の確認を優先した。
それは何故か? 簡単だ。
彼女は誰が『勇者の加護』を授かったのかわからなかったのだ。
……つまりだ。つまりである。
ミルフィスさんはこの中の勇者がいるとわかってはいるものの、誰が勇者なのかわからないまま俺たちをユグアースに召喚したのだ。
「あのお姫様が隠し事してるなんて端からわかってる。問題は、それを話さねぇことだ」
「ほ、ほう」
雪人の目に剣呑な光が宿っている。
「話さないこ、と?」
実里と夏那さんが一緒に首を傾げている。
「ああ。まずこの話、お姫様にしかメリットがねぇ。仮に俺たちが人族のピンチを救ったとして何が見返りとしてもらえるのか。金か? 名声か? 地位か? ――ンなもん、いらねぇだろ」
「なんでだ? それだったらあっても困らないと思うけど」
まあ、なんでか俺たちが戦うことと、世界を平和にすることを前提になってるけど。
「なんでってお前、いつまでもこっちの世界にいるつもりなのか?」
雪人は呆れたように眉を下げる。
言われて、俺は無意識に『それ』を考えないようにしていたことに気づいた。
心臓に杭を打たれたようだった。
それほどまでの衝撃だったのだ。
「さすがです、マコト様!」
ミルフィスさんの歓喜に震える声を鼓膜が拾った。
真の周りにいる連中や愛理も、さすがだと持て囃している。
あいつが『勇者の加護』を得たのは明白だった。
それを見た――ミルフィスさんを見た雪人は舌打ちし、喜びを露にする彼女に言った。
「勇者が誰かわかったところでお姫様、隠し事はやめてもらおうか?」
雪人の一言に、ミルフィスさんの表情が固まった。
真が勇者になったことで騒いでいた連中も一気に静まり返っている。
「な、なんのことですか?」
「はっきり言わなきゃわかんねぇのか? だったら言ってやるよ。俺たちを元の世界に帰す方法を教えてくれねぇか?」
「――っ!?」
雪人の言葉に一斉に視線がミルフィスさんの元に集まった。
そう、俺たちが――というより、真が勇者になって世界を救うことは別に構わない。仮に協力することになっても、危険が及ばない範囲でなら協力する気にもなっている。
今さらグダグダ言っても後の祭りだし、立場を悪くするだけの愚行だ。
真が勇者になった以上、雪人や俺や実里がどれだけ強力なスキルを手に入れたとしても、あいつに及ぶのはかなり難しい。それに比例して黒神一派の発言力や立場も高くなるだろう。地球ではいるだけでろくに噛みつこうとしなかった奴らが、ここぞとばかりに偉ぶってくるのも予想できる。
だったら黙って現状を維持するのが、今のところ一番賢い選択だ。
――しかし。
それは俺たちが地球に帰れることを前提にしたものだ。
雪人はミルフィスさんをさらに揺さぶる。
「勇者が見つかったんだ。そいつに巻き込まれて召喚された俺たちはもう用なしだろ? さっさと元の世界に帰してくれよ」
「なによそれ! まるで真はせいで巻き込まれたみたいに言ってんじゃないわよ!」
愛理が叫ぶが、勢いに乗った雪人は止まらない。
「まるでじゃなくてその通りだろ? そいつが勇者なんだったら、なんで俺たちまで召喚されなきゃならねぇんだ? 全員が勇者だってならまだわかる。だけど、姉ちゃんは勇者じゃなかった。加護を受けただけの人間だっただろうが」
「そ、それは……」
「それは?」
「…………」
腕を組む雪人の指がとんとんと動く。
無言で下唇を噛んで睨む愛理は、鬼のような形相だ。
ちらりとミルフィスさんを見てみる。顔面は蒼白で唇は真っ青だ。ガタガタ震えてるし、追い込みすぎたんじゃないのか?
てか、なんでそこまで怯えてるんだ? 魔法も加護もある。さらに勇者マコトがそばにいるのに、どんなスキルを得たかもわからない雪人に過剰に怯える理由がないと思うんだけど。
真が動けば雪人を無力化するのは容易いことだ。
ミルフィスさんだって召喚術式を使えるのだから、魔法もそれなりに使えるのだろう。
なのにこの怯えた様子。
……まだ、何かあるのか?
「お姫様は、どいつが勇者なのかわからないから、全員召喚しちまえばいいって思ったんだろ。つまりそいつのせいで俺たちがここにいるって言っても過言じゃねぇんだ。違うか、お姫様?」
「……その、通りです。ですが、こうするしか方法が……!」
「まあ、それについて責めるように言ったのは悪いと思ってる」
「え……?」
そう言った雪人を信じられないと言うように、ミルフィスさんを含めた全員が見ている。
あっちでも言い争いになることはしょっちゅうあったけど、自分に非があると認めたことはなかっがからだ。
「俺だって同じ状況になったら、同じ方法をとるだろうからな。お姫様も何か言われることは覚悟してたんだろ? だとしても言い過ぎた。悪かった」
「い、いえ、わたくしも皆様の意思を無視して召喚してしまいました。今さらと思うかもしれませんが、申し訳ございませんでした」
「ミルフィスさん!? だ、大丈夫ですから頭をあげてください!」
慌ててミルフィスさんの頭をあげさせる真。
背後でメイドさんが動く気配があったのは、この際だから気づかなかったことにしよう。
「だけど、それとこれとは話が別だ。勇者が見つかったなら俺たちを元の世界に返せ。方法がないわけじゃないんだろ?」
「……申しわけ、ございません」
「あ?」
か細い、ともすれば消え入りそうな声を、しかし雪人は確実に耳にした。
「帰還術式は、この国には存在しません」
その言葉をいったい何人が理解しただろうか。
この国に帰還術式は存在しないということを。
もう二度と、地球に帰れない事実を。
少なくとも俺は、理解したくなかった。
「――だろうと思ったぜ、クソが」
雪人が吠えた瞬間、地震にも似た震動が俺たちを襲う。それに呼応するように、雪人の全身から黒のオーラが放出される。黒のオーラは床に流れていき――そして突如として、何本もの剣が出現した。
それに反応したのは背後にいたメイドさんと夏那さん、鑑定士のステラさんに勇者マコトだ。
ミルフィスさんを串刺しにせんと次々に床から飛び出す漆黒の剣を叩き折っていく。
もっとも剣の対処ができたのはメイドさんだけで、残りの三人は自分たちの安全を確保するだけで精一杯のようだった。
クラスメートもいきなりの出来事に呆然とし、俺も俺で、あんな刹那的なやり取りを見逃すことなく追えたことに唖然としていた。
「ゆ、雪人……?」
感情が抜け落ちたように無表情な雪人。真っ直ぐにミルフィスさんを捉えており、今にも飛びかかりそうだった。
こんな雪人、初めて見たぞ。
メイドさんは腰の剣を抜刀し、雪人がいつ動いてもいいように腰を落として構えている。
真もミルフィスさんを庇うように前に立っているものの、完全に雪人に呑まれている。
ただ、雪人も動けずにいるはずだ。
あの剣は雪人のスキルなのだろう。刻印を宿す前にどうして使えたかはわからないが、かなり強力なのは確かだ。
だが使い方もわからない上にメイドさんの実力も並外れているはず。戦いの素人で、強力なスキルでも使い方がわからないのなら、この世界での戦闘のプロに敵うわけがない。
しかし雪人は前に出た。
真っ直ぐ、ミルフィスの元に向かう。
「ユキト様、お気持ちはわかりますが、ミルフィス様は……」
「気持ちはわかる? 冗談じゃねぇ」
雪人の歩みは止まらない。
メイドさんも異世界から無理やり召喚してしまった相手を斬るわけにいかないという気持ちと、主は守らなければならないという義務感で葛藤しているようだ。
「わかるわけねぇだろ。いきなり違う世界に召喚されて、人族が未曾有の危機に陥ってるから救えって言われて、果てには元の世界に帰れない。そっち側のてめぇが知ったような口利いてんじゃねぇよ!」
叫んだ雪人はメイドさんを退かして、ミルフィスさんを見下す。まるで今すぐにでも殺してしまいそうな眼差しで、見下す。
それはさすがにマズイだろ……!!
いくらなんでもミルフィスさんを殺したら取り返しがつかないどころじゃない。王族殺しとして国から追われかねない。そうなったら絶対に帰れなくなるじゃねぇか。
俺は止めようと足に力を篭めたのだが、なんと雪人はミルフィスさんをスルーしていた。
「別にお姫様を殺そうとしたわけじゃねぇよ。ここに来た目的、忘れてんじゃねぇの?」
雪人は何食わぬ顔でそう言った。