episode1―(2) 「勇者」
扉の近くには軽く頭を下げるメイドさんがいた。
メイドさん頭を下げられるほど俺たち学生は偉くないのだが、世界を救う勇者として召喚された相手に粗相はできないというところだろうか。
何だか申しわけなくなり、すれ違い様にお辞儀をすれば、ちょうど顔をあげたメイドさんと目があった。
ミルフィスさんもとんでもなく美人だが、メイドさんも物凄い美人だった。
切れ長の碧色の瞳。しゅっと整った顔立ちは研ぎ澄まされた刃を連想させた。
雰囲気は冷たいものの、どこか優しさを感じさせる冷たさだった。
メイドの中でも偉い立場にいるのか、甲冑の彼らと同じく――いや、彼らよりも上等そうな剣を腰に下げていた。
たぶんミルフィスさん直属のメイドなのだろう。身の回りのお世話をしつつ騎士の仕事もしなければならないとなれば、一日の業務時間はいかほどのものなのか。想像するだけで頭が上がらなくなる。
そんな俺の心象を悟ったのか、メイドさんが微笑みかけてきた。
俺は弾かれたように顔を背けると、背後でクスリと笑う気配があった。
「ひ、ひーちゃん? どうした、の?」
隣を歩く実里が心配そうに上目遣いで見上げてくる。
俺より身長が低い実里と話すと、どうしてもこの構図になってしまう。
「メイド、さん?」
「ああ、うん。すごい美人だなって思って」
耳打ちしながら横目でメイドさんを見れば、扉を閉めているところだった。
どうやら俺たちを待っていたらしい。
顔の火照りが冷めやらぬままもう一度メイドさんに会釈しておく。にっこりと微笑まれ、勢いよく首を前に戻す。
会議室のような部屋だった。あらかじめ用意されていたらしき大きな卓を囲むように皆が着席している。真っ直ぐ正面には具合の悪そうなミルフィスさんがいて、その右側をさも当然のように真が陣取り、反対側を我らが担任である古郡夏那さんがいた。
名字からわかるように夏那さんは雪人の姉だ。目つきの悪さは遺伝性のようで、雪人に負けず劣らずの眼力を誇っている。そして美人だ。
夏那さんも真のことは好かないと言っており、やけに馴れ馴れしく接してくる真にうんざりしていると愚痴られたことがある。 誰も彼もが黒神一派に靡くわけではないのだ。
……まあ、夏那さんの同僚の何人かはやられてるみたいだけど。
俺たちが言い合った数分でどんな進展があったのか、ミルフィスさんが真に熱っぽい眼差しを送っている。もちろん真は気づいていない。
そして雪人にはわずかな敵意を向けていた。
「おー、怖い怖い。あの姫さん、俺のこと睨んでんじゃん」
雪人はそう言って舌打ちする。
「どうした、の……?」
実里が心配そうに訊く。
言いにくそうに頭を掻く雪人。
「いや、実里も黒神の近くなんて嫌じゃねぇかって思ってな」
「…………」
無言。つまりは肯定の意。
「なんでだ?」
「姉貴がこっち来いって。ほら、スゲー見てる」
「え……うわ、ほんとだ」
夏那さんが無表情で俺たちをじーっと見ている。夏那さんは言葉足らずで誤解されやすいのだが、昔からの付き合いのため、目だけで何を言いたいのかわかってしまうのだ。
あの目は「寂しいから近くにいろ」だ。
夏那さんの隣から三つ分の席が空いている。最初から近くに座らせるつもりだったようだ。
実里を古郡姉弟の間に座らせ、俺は雪人の隣に腰を下ろす。
夏那さん、実里、雪人、俺の順番だ。
全員が席についたのを確認したミルフィスさんが席を立ち、一礼する。
「勇者様方、突然のご無礼をお許しください。レクスキアを代表して、お詫び申し上げます」
プラチナブロンドの髪が揺れる。
「そして召喚に応じていただき、とても感謝しております」
応じたんじゃなくて誘拐されてきただけだ、と言うのはやぶ蛇か。
「世界を救ってほしいとのことでしたが、具体的にはどういった?」
人の話を聞けるほどには皆が落ち着いてきた。
真が恭しく頭を下げたミルフィスさんに訊ねる。
そうだ。こんな場所に召喚されて世界を救ってくれと言われても、この世界のことが何も分からないのだ。
「それは今から説明させていただきます。少し、時間をいただきますね」
「…………」
時間をいただくも何も、俺たちにはミルフィスさん話を聞くしか選択肢はないだろう。
***
「……では、何か質問はございますでしょうか?」
一気に話し終えたミルフィスさんは一拍置いて、俺たち全員を見渡す。
ミルフィスさんの説明はとても丁寧で非の打ち所がなかった。
まずこの世界――ユグアースには魔法が存在するとのことだ。大気中には魔素と呼ばれる魔法を使うためのエネルギー源になる物質が存在し、体内に取り込むことで自身の魔力に変換できるらしい。個人でも体内で魔力を生成が可能だが、魔法として打ち出すには圧倒的に量が足りないそうだ。
例えばランプの代わりとして火を作り出すとする。
指先に蝋燭ほどの火を灯すだけなら、魔力素養が少しでもあればできる。掌に炎を滾らせるのも魔力さえあるなら不可能ではない。
しかし、これらは魔力を事象に変化させてるだけで、魔法とは呼べないものらしい。
炎を魔法するには、まず炎を掌に滾らせる第一行程。次に放出するなどの第二行程。この第二行程以上ができて、それらは魔法になるとのことだ。
第二行程を成すには第一行程の倍の魔力を要するため、魔法を使うにはいかに魔素効率よく取り込めるかが鍵になるらしい。
次にユグアースには人間――人族のほかに複数の種族が存在する。
猫人や鳥人などの獣人族。
悪魔や霊鬼などの魔族。
そして竜人族だ。
現在、人族と獣人族と魔族が三竦みの戦争を行い、かつてない緊張が生まれているらしい。
ことの発端は獣人族が、自分たちこそが世界を掌握し、統一すべき種族だと宣言したのだ。もともと良好な関係とは言えず、触れれば壊れてしまう関係だったため、獣人族のユグアース統一宣言によって一気に争いに発展した。
最初こそ魔族と協力して獣人族の猛攻を防いでいた。魔族の長である魔王は種族統一などどうでもいいと考えていたらしく、協定を申し出てくれたらしい。獣人族と組まれて攻められては困ると書面ではっきりと伝えられたが、それは人族も同じだ。断る理由などあるわけがなく、それを受け入れた。
だが、いつしかそこにも不信感が募るようになっていった。というのも人族が魔族に頼りきりだったからだ。
内側から戦力を削ぎ、最終的には獣人族に寝返って我々を滅ぼすつもりではないのか。
そう思ったらしい魔王に協定を破棄され、人族だけで戦わねばならなくなった。
当分は魔族と獣人族で争うと思っていたのだが、そこで悲劇は起こった。
なんと両種族が人族に矛先を向けたのだ。
魔族は手の内を知られてしまったため、攻めこまれる前に滅ぼしてしまえと。
獣人族は魔族から離れて弱体化した人族を滅ぼしてしまえと。
まだそれほど大規模な戦を仕掛けられたわけではないが、もう時間の問題だろうとミルフィスさんは言った。
人族を助けてほしいのもある。
だが、ミルフィスさんは俺たちに平和に導く架け橋になってもらいたいと召喚したのだそうだ。
「じゃあ、いいですか?」
真が挙手する。
「人族が魔族と獣人族標的になっているのはわかりましたが、竜人族はどうなんですか? 竜人族に協力してもらえばいいのでは……」
それは俺も疑問だった。
獣人族は魔族と人族を滅ぼそうとしている。
今や魔族も人族を狙っているわけだが、しかし竜人族についてだけ不明瞭なのだ。
どこかの種族が攻撃を仕掛けたわけでもないし、協定を持ちかけたわけでもない。
かといって竜人族が積極的に行動を起こしたわけでもない。
これはどういうことなのだろう?
「竜人族は中立の立場にいる種族なんです。彼らは種族としても少なく特定の住居を定めないので、文書を送ろうにも送れないんです」
「種族が少ねぇのに、種族として成り立ってんのか?」
雪人の口調にミルフィスさんは肩を震わせるも、ただの質問だったことに安堵していた。
「竜人族は確かに少ないです。ですが、もし彼らと争うことになれば、わたくしたちではどうにもならないでしょう。魔族も獣人族もそうです。おそらく、三種族が協力しなければ多大な犠牲を払うことになります」
「なるほど。だからどこの種族も手ェ出さないのか」
「はい。もちろん個人の力量もそうですが、竜人族の強みは絆の強さにあります。竜人族一人と兵士百人の力が同等として、もし竜人族二人を相手取ることになれば、あと数百人が必要となるでしょう」
うへぇ。それは恐ろしい。
竜人族の戦力は足し算じゃなくて掛け算なのか。
「幸いなのは、竜人族が好戦的ではないことです。もし好戦的だったら、今ごろ彼らによって獣人族の悲願は達成されていたはずですから」
竜人族に干渉しないのは、下手に機嫌を損ねたり喧嘩を売ったりして標的にされないためだろう。好戦的でないと言っても戦わないわけではないのだから。
一騎当千が揃う竜人族。
種族間で戦争が行われているのは竜人族もわかっているはずだし、それで手を出して来ないなら不干渉を貫くのだろう。
ほかの二種族を滅ぼして疲弊しきった生き残りを狩ろうというなら話は別だが。
「ですから、勇者様方に力を貸していただきたいのです!」
感極まったように叫ぶミルフィスさん。
反応は様々だ。はっきりと口に出すやつはいないけど、困惑を隠しきれていない。
俺としてはお断りだ。戦争があり、俺たちに種族を繋ぐ架け橋になってほしいと言ってる以上、殺し殺されるは避けては通れない道だ。
さて、こういうときに発言するのは――。
「わかりました」
「ふざけんじゃねぇ」
両極端の返答がミルフィスさんの両側から飛んだ。
言わずともわかるだろう。
前者が真で後者が雪人だ。
ほとんど正面に座っているので、にらみ合いにも妙な迫力があった。
「雪人くん、君は困っている人を見捨てるっていうのか?」
「は? だからなんだよ。逆に言うが、なんで俺たちがこいつらを助けにゃならん」
唾を吐き出しかねない態度に夏那さんが脇腹をどついて注意していた。
あの目は「お姫様の前なんだから大人しくしろ」だな。
うーん……今さら大人しくしてもミルフィスの雪人への印象は最悪のまま変わんないと思うけど。
悪印象を与えて信頼を落とすのは簡単だけど、信頼を取り戻すのはかなり難しい。雪人の信頼が戻るのは絶望的だ。
「俺たちは勇者としてユグアースに召喚されたんだ。俺たちに希望を託したんだ。だったら彼女たちのたちの助けになるのが当然だろ」
「てめぇの当然を俺に押しつけんじゃねぇ。だいたい、なんでてめぇの意見がここにいる全員の総意みたいになってんだ? 誰も彼もがてめぇと同じ考えじゃねぇんだよ」
見てみろよ、と雪人はクラスメートを顎で指す。
そこにあったのは戸惑いと困惑を混ぜたような表情をするクラスメートたちだ。
「困ってるから助ける? おめでたい考えだな。じゃあ俺のことも助けてみろよ。俺はこんな場所に拉致られて困ってんだぜ?」
「……きみは」
「なんだよ」
「きみは自分さえよければ、ほかのみんなはどうなってもいいのか!」
真は激昂し、拳を卓に叩きつけながら立ち上がる。
穏やかな真しか見ていなかったからだろう。ミルフィスさんは怒る真を見て驚いていた。
しかし自分たちのために怒ってくれる真に、さらなる好意を抱いたようだった。
というか、さっき気を付けろって言ったばっかりなのに……。
「だから、てめぇの意見を俺に押しつけんじゃねぇっつってんだよ」
雪人も立ち上がり、静かに言い返す。
「てめぇが言ってんのは結局、理想論にすぎねぇんだよ。わかってんのか? こいつがやれって言ってんのは、一方的に殺しに来る相手に交渉して、同盟を結んでこいってことだ。てめぇがどう思ってるのかは知らねぇけど、武力も経験も上の相手にそんなことができると思ってんのかよ」
雪人はそう言うが、それでも優しい方だろう。
交渉に挑んだとしても成功する可能性は未知数だし、どちらかと言えば失敗する可能性が大きい。
そうなれば人族が勇者を召喚したことが他種族に伝わり、間違いなく潰しにかかってくるはずだ。しかも今はバラバラに人族を狙ってる魔族と獣人族が協定を結び、一斉に襲いかかってくるかもしれないのだ。
交渉が失敗すれば戦わなくてはならない。
つまり――生き残るためには殺しあわねばならないのだ。
どこまで見通してるか定かではないが、少なくとも雪人はわかっているはず。
「やってみなきゃ、わからないだろ」
真は反論するが、声に力は篭っていない。
せめてもの反論といった感じだ。
「だから言ってんだよ。やってみなきゃわかんねぇことに、てめぇの正義感だけで俺らを巻き込むんじゃねぇ」
「さっきからなんなのよアンタは!」
ヒステリックに叫んで立ち上がったのは、真の取り巻きの生野愛理だ。
小柄で可愛らしい印象の彼女だが、その性格は好戦的にして凶暴。雪人と真が言い合いになると決まって割り込んでくるじゃじゃ馬女だ。
「聞いてれば否定的なことばっか言ってさ。ミルフィスさんは、わたしたちにしかできないから、世界を跨いでまで頼んでるんでしょ!」
「押し付けてるとも言うだろ。そもそも拉致されたあげく世界を救え? アホか」
怒鳴り散らす愛理などものともせず、雪人は変わらないトーンで淡々と返す。
「マジでなんなのアンタ? そんなことしか言えないわけ? 口だけは達者なのね」
「脳内お花畑のてめぇらに比べたら上等な評価だクソビッチ」
「なっ……!」
愛理の顔が羞恥と怒りであっという間に真っ赤になる。
「だ、誰がビッチよ! あ、あたしはまだ……」
「てめぇが新品か中古かなんてどうでもいいんだよ。黙って座ってろ」
語気強く言われ、愛理は怯えたように後退って椅子を倒していた。
愛理は助かったとばかりにいそいそと椅子を立たせ、雪人の視線を受け止めながら座る。
隣で雪人が「腰抜けが」とか呟いてたのは聞かなかったことにする。お前に睨まれたら正面から目なんか合わせられねぇよ。
「勇者なんて言ってるが、実際のところどんな力があるかわかんねぇだろ。それなのにあっさり決めようと――」
「わかりますよ」
ここぞとばかりにミルフィスさんが言葉を差し込んでくる。
雪人は思わずというふうに舌を打つ。
「ユキト様の言う通りです。どのような加護を受けたかわからないのに決断するのは難しいことと思います。ですので、今から皆様がどんな加護を授かったのか、確認してみましょう」