その引き金は3
「うん、ここなら大丈夫そうですね。さぁ、本音を話しましょうか。あと三分か五分かは盗聴も盗撮も心配要りません。二階堂家の主幹システムが思ったよりも脆くて助かったわ」
主幹、システム?
とんでもなく不穏な単語とセンテンスが聞こえてきたが、恐らくはそう言う事だろう。
現実を見ろ俺。
「本音、ですか……?」
「えぇ、そうです。この世界の先輩から、アドバイスをあげます」
ローズ嬢は廊下を横切ると壁へもたれ掛かった。腕も組んで背を預ける姿は、同じ服装をしている筈なのに会場での彼女と別人のようだった。
何と言うか、その顔付きといい、格好いいと思えてしまった。
「早速だけど、さっきのは嘘です。……いえ、厳密にいえば最後の部分だけ。他は紛れもない事実ですよ」
は? 嘘? 割と本気で有り難く言葉を頂戴していたのに?
「嘘、というのは?」
「さっき、首を突っ込まない方がいいと言いましたよね? たしかに首を突っ込むのは当然良くありません。ただ、無知の知すら赦されないっていうのは建前なんです」
「つまり、何が言いたいんですか……?」
そこで、ローズ嬢は身を起こした。
「可能な限り全てを把握して下さい。でも、絶対にどの当事者になってもダメ。───これが出来なければ、あなたはこの先生きて行けません」
その言葉は、静寂な水面に落ちた小石のように、俺の心から神経という神経まで伝播した。
「よく、この五日間頑張りましたね。……でも、この先もこうして生きて行かなければなりません。もう、昔には戻れないの。でも、そこで自分を無くしてはダメ。あなたは自己を守るための術を知らなければならない」
「……それが、全てを把握しろ、ということですか?」
「ええ、そうです」
このヒトの、経験談だろうか。
ローズ嬢の口調と目の色は、とても何かを企んでいる様には見えない。本気で、気を遣ってくれているのだろう。
「なぜ、私なんかに……?」
「もう、何となく察しているんでしょう? 私も似たような経験をしたことがあるんです。……と言っても、私はあなたと違って生粋の貴族生まれだし、普通の学生生活をまともに送ったこともないけれど」
そこまで言って、ローズ嬢は一瞬瞳を端へと流した。
「……少し話を急ぎます。システムの復旧が思ったよりも早いわ。余り話している時間は無いみたい」
「そ、そうなんですか」
「えぇ、ですから単刀直入に言います。───ミラシェスタ学院に行っちゃダメ」
「え……」
今、この人は何て言った……?
ミラシェスタ学院。確かにそう言った筈だ。
いつかの雑談で登場した体言。ローズ嬢は、あれが都市伝説ではないって言うつもりなのか?
「ミラシェスタ学院です。耳にしたことくらいあるはずです。 ……あなたは何時か絶対、誰かにミラシェスタへの入学を勧められます。蒼井の内部は全く知らないから誰にとは言えないけど、とにかく絶対に弱小親戚辺りから言われるはずです」
「ミラシェスタ、ってあのミラシェスタですよね……? 実在するんですか?」
「え? 勿論あるわよ……。あ、そうか、あなたと私とじゃ認識が違うのね……」
すると、ずずいとローズ嬢が身を乗り出してくる。ふわりと漂ってた香りに、思わず体を引いてしまう。
「本当に手短に言います。詳しいことは……あなたのメイドさんに聞いてください」
「ティアフィールのことです……?」
「……まさか、もう他に侍らしてるの?」
「人聞きの悪い。何でティアフィールを知っているのか気になったんですよ。というより、時間が無いのでは?」
「仮面が剥がれかけていますよ、あなた。……言ったでしょう、可能な限り全てを知るようにって。同じことよ。それで、ミラシェスタのことだけど───」
俺はつるりと自分の頬を撫でて、表情を確かめた。しかし、特に顔が崩れている様子はない。どうやら、内面の話なようだ。
「あそこは一言でいうと教育軍事機関。表社会に顔を出せない子供達が集まる場所なの」
「……なぜ、わざわざ軍事機関に? それなら、目的が混合しているような気がします。裏社会の人間を集める理由は色々と思い浮かびます。しかし、彼らと違法、なのかは知りませんが軍事的意味と絡めるメリットが大きいとは思えません」
「理解は早いようですね。……MS転送技術について調べて見るといいですよ。それがあなたの疑問に対する答えです」
MS転送技術……?
聞いたことのない単語だ。しかし、ローズ嬢の口振りからして、ミラシェスタが存在する確固たる理由があるのだろう。
「……それで、なぜそのミラシェスタに誰かが入学を勧めるんですか?」
「簡単なことですよ。あなたに蒼井家を動かす権威と権限を持って欲しく無いから」
「どういう、ことですか……?」
「言葉通りの意味です。ミラシェスタはね、この社会が表のそれから隔絶されているように、周りの環境から切り離されているの。理由のほとんどは、機密保持だけれども」
なんだよそれ。
蒼井の名を貰ってから、今まで充分にぶっとんだ話は聞いてきた。どこかの陰謀論好きに聞かせたら、歓喜と嫉妬に狂うだろう位に。
しかし、いくらなんでもこれはないだろ。
裏社会オンリーの学生? 教育軍事機関? 謎の先端技術?
いい加減にしろ、って話だ。
だが、そんな想いのすぐ裏側に、嘘では無い、現実だと叫ぶ俺がいる。経験というものは侮れない。……それに、そろそろこの異常にも慣れてきた。
結局は、彼女が言うことも事実なのだろう。
「分かります? あなたをそこに入れてしまえば、彼らの勝利は確定する。───あなただって分かっているんでしょう? 誰かの意志で、自分がここにいることを」
「……えぇ、知っていますよ」
蒼井修馬。
初めて屋敷に着た時に、ティアフィールから教えられた事実だ。
そうだ。俺は、今は亡き天才の思惑でここにいる。
「もう一度言います。あなたはミラシェスタへ行ってはダメ。あそこへ行ったら最後。あなたはもう、二度と文民らしい生活はできない」
「……もしかして、ローズ嬢はそこの?」
聞いた先、彼女は薄く微笑んだ。
「………、弟が、ね」
短く発せられた音。
その言葉は、静寂に満たされた廊下の先へと吸い込まれていった。
「いいですか? これからあなたがするべきことは三つ。一つはミラシェスタに行かないように采配を握ること。もう一つは、あなたの安全を確保するために極力全てを把握すること。そして最後───」
無茶だ。そう思った。
ようやく慣れてきたこの世界。
この女性は、赤子にも等しい俺に明らかな負荷をかけている。
それは、誰から見ても無理だとわかる筈だ。
ここは仮想世界じゃない。
銃を掲げて敵を殲滅するのも、剣を振り回して旗を突き立てるのも、巨大な立体魔法陣を展開して龍を焼き払うのも、全ては空想。
現実は、違う。
「三つ目、これはアドバイスよ。───目的を持ってはいけない。こらからのあなたの目的は、生きることだけに専念しなさい。余計なことを考えてはダメ。今すぐにでも全てを捨てる覚悟でないと───」
すると、思い出したようにローズ嬢は顔を上げて一歩身を引いた。
「……時間切れです」
直後、僅かな音が背後から聞こえた。
それは扉が開く音。同時、何やら慌ただしげに複数の靴の重音が響いてくる。
「礼様」
「……なんですか?」
一人の黒服が焦りを殺した様子でこちらへ歩いてくると、ローズ嬢へ一礼した後に耳へぼそりと呟いてくる。他の連中は外で待機しているようだ。
「一騎様がお呼びです。直ちに戻ってくるようにと。……何やら、相当に焦られていた御様子で」
「……わかりました。すぐに向かいましょう」
「お車を今すぐ用意させます」
何か、嫌な予感がした。
ローズ嬢の方を振り向いても、ひらひらと手を振ってくるだけ。俺は頭を下げると、廊下を出てエントランスホールへと向かった。
爺さんが俺を呼ぶなんてことは、今まで一度も無かった。
あの人に会う時はいつも、パーティーなどに突然現れた時に顔を合わせるか、俺が用があって会いに行く時かのどちらかしか無い。
俺は挨拶もそこそこに会場を離れ、車へと乗り込んだ。