シィのお使い 「無口な妖精と森狩人」 後編
「ぶっ殺すぞ手前らあああああ……」
森に響く猛った叫び。
しかし、その語尾はすぐに違う勢いに飲み込まれ、かき消されてしまう。
湖畔は深い木々に包まれていた。
妖精族の住まうその住処で、一人のエルフが大勢の妖精に取り囲まれ、抱きつかれている。
「進めー!」
「潜れー!」
「揉めー!」
「揉むんじゃねえ!」
背中まで伸びた銀髪を振り回すエルフは、鬼気迫る表情で四肢に張り付く妖精を千切っては投げ、千切っては投げて応戦していたが――一人を投げるあいだに三人、四人に飛びつかれてしまってはどうしようもない。
すぐに限界を迎え、妖精の波に埋もれた。
何十人が積み重なってこんもりとした山ができあがり、
「殺す――!」
暴風をまとったエルフが、乗りかかった山ごと妖精達を吹き飛ばす。
魔力の強風を受けて飛ばされた妖精達はきゃっきゃと笑い、背中の羽を使ってすぐに体勢をたてなおすと、
「まだまだー!」
「行くぞー!」
「妖精前進だー!」
「いい加減にしろっつってんだろうがあ!」
そうして、再び絶望的な攻防が始まる。
もう何度も繰り返された光景を眺めながら、シィとリーザは草木のクッションにふんわりと腰を下ろし、手渡されたお茶をご馳走になっていた。
木の蜜を薄めた飲み物が、天然の冷蔵でひんやりと口の中を通る。
心地のよい後味はシィには馴染みが深ったけれど、地下暮らしの蜥蜴人族には恐らく覚えはないはずだった。
しかし、決して味があわないことはないらしく、目を細めたリザードレディも美味そうにちろりちろりと舌を伸ばしている。
二人の隣では、ほとんど自分の全長とおなじくらいの木の実のお碗を抱えたドラ子も同じものを飲んでいた。
客人に茶を振舞った妖精族の女王が遠くの騒動にやれやれと肩をすくめる。
「ああいう風に怒れば怒るほど、みんな喜ぶんだがな。わかっててやってるのか? あのエルフ」
「……多分、そんなことはないかと」
シィが自信がなさそうに答えた。
自分達を助けてくれたお礼がしたいと考えたシィは、エルフを妖精族の住処に連れて行くことにした。
エルフは森の賢者と呼ばれ、魔物ではあるが、精霊を信仰する理知的な一族だ。
同じく森を領域とする妖精族とも、種族的に仲が悪いわけではない。
エルフは自分達の集落から外に出てくることは少なかったが、どちらも長く生きる種族である。
シィのいた集落にも過去にエルフとの交流の機会はあったけれど、決して親しいわけでもない。
それは妖精達の問題というより、エルフ族の在り方をあらわしていた。
彼らは排他的とはいわないまでも閉鎖的で、長く穏やかな彼らの寿命そのままに保守的でもあった。
しかし、シィを助けたエルフはそうした一般的なエルフとは異なっている。
先日の竜騒動の折にシィ達が出会ったその銀髪のエルフは攻撃的で、粗野。烈しい気性が瞳に炎を宿していた。
苛烈な眼差しはエルフの射る弓矢のような鋭さで、シィなどはそれに見つめられるだけで全身が強張ってしまう。
けれど、同時に悪い相手ではないはずだとも思っていた。
――この人が酷いエルフなら、ドラ子は殺されていたはずだ。
地に落ちた竜にとって頚木としての存在だったドラ子。
目の前のエルフは、それに対して竜が蘇るより前にドラ子を殺すことでその禍根を絶とうとした。
結局、竜は生きた屍と化して蘇り、多くの人間と魔物の手によって滅ぼされたが――魔物という生き方は、殺す理由がなくなったとしても、それが殺さなくなる理由にはならない。
気に食わないという感情が殺害の正当な理由になるのが魔物の世界だった。
しかし、あの騒動の後、先ほど再会したエルフがドラ子を見る眼差しは、決して好意的な感情に彩られてはいなかったけれど。ドラ子の小さな身体を捕まえて、捻り上げようともしなかった。
だから、この人はきっと悪い人ではないとシィは思った。
「それで。シィ、お前がここに来たのは、森にはいってくる連中についてか?」
「……はい」
女王に視線を向けられて、こくりと頷く。
「これからも、森にやってくる人間は……しばらく増えるだろうって。それの対処について、相談したいと、マスターが――」
最後の台詞を聞いた女王が顔をしかめた。
「ふん。そんなこと、あいつに心配されるようなことか」
長い髪の毛を振って面白くなさそうに続ける。
「協力関係は竜をどうにかするまでだったはずだ。ちょっと手伝ってやったからって、その後まで仲良し面されたら迷惑だ。だいたい、頼みがあるならどうして自分が来ない?」
「マスターは、このあいだの怪我がまだ治ってなくて……」
「だからなんだ。これだから、弱々な人間は」
怒った口調で言われて、シィが肩を落とす。
それをちらりと横目で見た女王が、こほんと咳をつく。
「だが、まあ――私とシィは。友達、だからな」
シィが顔をあげると、赤らめた顔を無理やり仏頂面にした女王が不満そうに口を尖らせていた。
「……違うのか?」
「……いえ。友達――、です」
答えるシィの顔も赤い。
二人の妖精が互いに照れ合っているところを見て、リーザとドラ子がぱちくりと瞬きした。
「そうだろうっ。だから、シィがそうしたいというなら、……まあ、考えてやってもいい」
「ありがとう、ございます」
素直でない物言いに、シィはほっとして微笑んだ。
慌てて女王が付け足してくる。
「あくまで、シィが言うからだからな! あの馬鹿人間には、そのあたりのことをちゃんとわからせておけっ」
必死なまでの剣幕に、シィはくすりとしてから頷く。
「はい。ちゃんと、そう伝えます」
ひとまず使いとしての用件は済んだことに安堵したシィの耳に、低い声が届いた。
「……なに、馬鹿なこと言ってやがる」
疲れきったエルフが、這いずるようにしながらシィ達の近くへやってきていた。腰から何十人も連なった妖精達を引きずっている。
「人間を追い出すのに、人間の力を借りるだ……? 頭おかしいんじゃねえか」
「別にお前の意見なんて聞いてない」
シィに対していたのとは一点、冷ややかな表情で女王が答える。
その他の妖精とさほど変わらない子どもっぽい容姿に、それだけで女王としての風格が宿った。
「相手は人間だぞ。信用なんざできると思ってのかよ、妖精ってのはホントにお気楽ご気楽だな、オイ」
「誰が人間を信用するなんて言った?」
妖精の女王が冷笑した。
「私はシィを信用してるんだ。人間なんて信用なんかするもんか」
「……そこにいるそいつは、人間の手下だろうが。人間に飼われてる奴だろうがよ。なにが違う」
「シィは友達だ。はぐれエルフなんかが私の友達を侮辱する気か」
むっとした女王の返答に、今度はエルフのほうがまなじりを吊り上げた。
「……てめえ、なんつった」
「はぐれエルフ、と言ったんだ。言われて怒るなら黙ってろ。シィが助けられたって言うから、仕方なく泉に入れてやってるんだ。本当ならお前みたいな奴、叩き出してるところだ」
「上等だ――」
殺意をみなぎらせ、一歩を踏み出しかけたエルフからかくんと表情が抜け落ちた。
呆然と立ちすくむ相手に一瞥を送る、女王の羽が強く光り輝いていた。
シィが人間達にかけたのと同じ忘我の魔法。
ただし、強制力が桁違いだった。魔力、抗魔力ともに高いエルフを、抗う間もなく一瞬で術中に落としてしまっている。
「あーあ。ツェツィったら、カッコ悪いィ」
自主的な思考を奪われたエルフを、大勢のエルフ達がこれ幸いと遊びに戻らせるために手をひいて連れて行く。
それを見送る声がして、次いで風が集まった精霊の形になった。
「精霊がついているにしては、随分とらしくない相手だな。シルフィリア」
「あっはー。口が悪くてごめんねー。でも、あれでもそう悪いヤツじゃないんだ」
「わかってるさ。精霊契約したエルフが集落の外に出てるんだ。なにか理由くらいあるんだろう。聞いてないから知りようもないし、知りたくもないが。シィに無礼なことを言ったのを謝ったら、こっちの無礼だって謝ってやる」
子どもっぽさか、それとも支配者としての立場からか、あるいはその両方。ずいぶんと偉そうな女王の言い分に、風の精霊シルフィリアはけらけらと笑う。
「そうしたげて。といっても、あの頑固者が自分から謝るとは思えないけどネ」
「ならこっちも謝らない」
「あっは。それでいんじゃん?」
風に乗ってふわふわと、精霊は楽しげな様子だった。
その相手にシィはおずおずと訊ねてみた。
「あの、」
「ん? なァに?」
「あの人は。どうして、集落の外へ……?」
「ん、内緒ー。知りたいなら直接、ツェツィに聞きなよ。ま、素直に答えるとは思えないケド!」
あっさりと断ってから、シルフィリアはシィとその隣のドラ子を見て、
「事情があるのはそっちだってそうでしょ? 妖精が群れから離れるなんてサ。自分からか、捕まったのかは知らないけどサ」
忠告じみた台詞にシィは口をつぐんだ。
「あ、別にそっちの事情を探ろうなんてしてないから。あんまり興味ないし。竜は死んだし、そっちのヘンテコなのもどうだっていいしィ」
視線を受けたドラ子が、むっとして精霊を睨み返し、威勢のいい表情のままこそっとシィの影に隠れようとする。
「そのあたりのことをツェツィに確認しておきたかったってんなら、だいじょぶだと思うよ? ツェツィは乱暴で凶暴だけど、殺したがりじゃないから」
壊したがりだけどネ、と精霊は笑った。
「……ありがとう、ございます」
「それで、シルフィリア。お前とあのエルフはこの森でなにをしてた。エルフがどんな理由で外に出てようが知ったことじゃないが、この森は我々の場所だ」
女王に尋ねられた風精霊は、浮かんだ体勢のまま頭を左右に振って、
「んー? なんとなく?」
「適当な奴だな」
「あ、失礼だなァ。気まぐれだけど、ドートリーほど適当じゃないし」
「知るか。……まあいい。しかし、森で騒ぎをするようなら、追い出すぞ。ただでさえ人間達がうるさいんだ。勝手をされたら迷惑だ」
「へえ」
精霊の目が細まった。
「命令するんだ?」
「あれがお前の契約者で、お前がその精霊なら、ふさわしい行動をとれ。お前達がこのあいだ、森の一角を吹き飛ばしたことを知らないとでも思ってるのか」
「だって、あれは変なのがいたからだし。あの竜をドラゴンゾンビにしないようにってのも、森のためだったわけだしー」
そっぽを向く精霊。
睨みつけた女王が、ふんと息を吹いた。
「忠告はした。それでもいいなら、泊まるところくらいは用意してやる。お前はともかく、あのエルフだって一晩中、浮いているわけにもいかないんだろう」
「あ、それっていい取引かも。でもなあ。ツェツィ、そういうの嫌がるからなァ」
「知るもんか。私が言ってもケンカになりそうなら、そっちから上手く伝えろ」
「えっらそうな妖精だなー! ま、いっか。ツェツィが正気に戻ったら話してみるヨ」
手早く話をまとめた女王が、今度はシィを振り向いた。
「シィ。森に侵入してくる人間の対処は、基本的には穏便に、ということだろう?」
「はい」
シィは頷く。
「あの人間は嫌いだが、馬鹿じゃなさそうだ。基本はこのあいだみたいな形になるんだろう。私もそれでいいと思う。さっき言ったように、協力もしてやる。ただし、」
女王は真剣な表情で続けた。
「条件が一つある」
「……なんでしょう」
うむ、と女王は頷いて、
「シィ達が今日、一泊してから帰ることだ!」
大きな声で言った。