表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スライムなダンジョンの閑話集  作者: 伊藤
竜騒動 後日談
6/18

シィのお使い 「無口な妖精と森狩人」 前編

 水滴の、床に跳ねる小さな音がシィを目覚めさせた。


 むくりと身を起こす。

 あたりは暗闇に包まれていたけれど、周囲の状況を把握することはできた。


 妖精族は特に夜行性ではない。ただし、彼らはこの世界に満ちるマナを感じることができたから、シィの目には暗闇のなかでも世界がはっきりと視えていた。


 陽気で悪戯好きの魔物として知られる妖精は、起きた次の瞬間からもう騒ぎ出す。


 その妖精の一人であるシィは、落ち着いた瞳をしばらく静かに開いたまま、じっとして動きをとらなかった。

 寝ぼけているのではなくて、今でも不思議に思うことがあるのだ。自分がいる、この場所を。


 ぱしゃんと近くから水音が響いて、目を移す。


 元は主人の研究用途に使われていた場所を転用した室内で、宛がわれたベッド脇のサイドテーブルには小さなガラス製の丸い水槽が置かれてある。

 七分目まで張った水面に、小さな生き物が浮かんでいた。


 それは、シィを見てにこりと微笑む。


「……おはよう、ドラ子」


 声帯を持たない相手が、口をぱくぱくと動かした。動きがシィを真似ている。


 シィは水槽のドラ子をすくいあげ、その横に丁寧に畳んであったタオルで彼女の全身を拭いた。

 くすぐったそうに身をよじるドラ子の水気を手早く拭き終えると胸に抱き、ベッドから出る。


 部屋の中には二人以外の姿はない。

 二人いる同室者の一人が、身体を休めるというよりは魔力の消費を抑える目的で使っているベッドは既に空で、もう片方は休むのにベッドそのものを使うことがない。


 じたばたとドラ子が暴れるので、シィは小さく息を吹いて、胸元の存在を手のひらから頭の上に移した。

 いつもの定位置を得たドラ子がむふーと満足げにする。


 駄々っ子を乗せたシィは、淡々とした表情のまま、頭の揺れに注意しながら部屋を出た。


 廊下にはぽつぽつと蝋立ちの炎が点いている。

 濡れた岩肌が鈍く光る廊下を歩き、洗面台で顔を洗い、台所で朝食の準備を手伝う前にその途中にある一室の前で立ち止まり、扉を叩いた。


 小さく二回ノック。

 反応はない。


 シィはほとんど自分の目線の高さにあるドアノブをひねって木扉を開き、部屋の中に滑り込む。

 窓のない室内は暗く、やや湿った空気が落ち込んでいた。


 壁際の灯り置きにライトの魔法をかけ、光源の上に薄布を掛けて明るさを和らげてから、改めて部屋の奥に顔を向ける。

 ベッドに横たわっていた人物が、小さくうめき声をあげながら目を覚ましかけていた。


「――おはよう、ございます」


 この部屋の主である人間の男は、夢の中で難問に取り組んでいたようなしかめ面で薄目を開けた。

 明るさから逃れるように手で覆い、くぐもった声。


「おはよう……。シィ、ドラ子」


 むにゃむにゃと呻いてから、力のない動作で半身を起こす。まだ眠気の膜がかかった眼差しがシィを見た。

 シィもそれを静かに見返す。


 男の目線がシィの頭の上に向けられ、またシィへと落ちた。

 縦に並んだ二人を等分に視界に収めるように少し身を引いてから、むいっと変な顔を作る。


 それを見たシィは無反応で、代わりに頭の上のドラ子がけらけらと笑った。


「連敗か……」


 無念そうに顔をしかめる男が両腕を伸ばして眠気を払っているところに、


「面白かった、です」


 ぽつりとシィは言った。

 冴えない顔の魔法使いが笑う。


「真顔で言われても辛いな」


 それから気づいたように付け足す。


「ああ、もちろん無理に笑わなくっていいんだ。こっちの修行不足だ」


 稚拙な台詞に気遣われて、そこで初めてシィの表情に微笑らしい欠片が浮かんだ。


「……はい」


 よく知った者でなければ表情の変化を捉えるのも難しい差分に、男が笑って手を伸ばす。

 シィの頭と、頭の上のドラ子が不器用な丁寧さで撫でられた。


 大きな手のひらの感触を感じながら、シィはこっそりと吐息を漏らす。

 満足と、それ以外の微妙な心地。


 背中に伸びた薄い妖精の羽が揺れて、七色に光る鱗粉が零れた。



「――お使い?」


 朝食を終えてから、シィは妖精族への使いを頼まれた。


「ああ、森に入ってくる連中についてな。女王に伝言を頼まれてくれないか」 


 メジハ近郊に落ちた竜。それが生きた屍として現れ、多くの人間と魔物の手によって討伐されてから、数日が経っている。

 竜殺しだ、英雄譚だとお祭り騒ぎのメジハの町も、逗留していた武勲者の一団が街へ帰ることになって少しは落ち着きを見せ始め、それと同時に違った問題が生まれていた。


 森に入り込む人間が増えた。


 森の奥、妖精たちの住処からさらに進んだ先で繰り広げられた竜殺し。

 その現場を見ようという者、売り物になる何かは残っていないかと――竜の遺物は、高値になる――探ろうとする者もいた。今になってもまだメジハに残っている冒険者達は、皆なにかしらそういった考えを持っているのだろう。それが彼らに対するシィの周囲の意見だった。


 あるいは人間には、竜という巨大な生き物を倒したことで、その森を自分達のものだという認識が生まれているのかもしれない。

 そしてもちろん、そんなことは森に先住する者達からすれば認められるものではなかった。


 妖精族、その他の多くの魔物達が森にはいる。森という環境は、もっともわかりやすい“人間外”の領域だった。

 人間が「ここは俺達の領域だ」と認識してしまえば、森を拓き、大量の人員が送られて、やがて本当の彼らのものになってしまうだろう。この世界にある生き物達のなかで、もっとも凶悪な種族のひとつが人間であるという認識は少なくない。


 そうした事態を好まない人間もいた。

 シィの住む洞窟の主であり、人間種族でありながら魔物を名乗るマギがそうだった。


「いつの間にか、このあたりの森が人間のものなんて既成事実にされちゃ困るからな。とかいって騒動にして、大勢がメジハにやってくるようなことになっても目があてられん。妖精族と連携して対処したいんだ」


 町の近くに居を構える魔物として、近くを大勢の冒険者がうろついている事態も、森へ人間勢力が進出することも望んではいない。

 男の希望は自分の為であり、同時に妖精族への配慮でもあったから、シィはこくりと頷いた。


「わかり、ました」

「町のことは、向こうにいるルクレティアから報告が入る。実際にどう行動するかはそれを聞いてからだから、ひとまずこっちの意志を伝えてほしい。わざわざ悪いが、行ってくれるか?」

「はい……」

「うん。一人じゃ危ないから、誰か一緒に――」


 そこで男は食卓を囲む人々を見回して、むうと顔をしかめた。


「スラ子は――昨日、落盤があったから地下に行かないとか。ノーミデスが勤務超過でスネてる。カーラとスケルには町のギルドの様子を見といて欲しいし、俺じゃ戦力どころか足手まといだし……」


 部屋のなかを彷徨った視線は、当然のように残る一人へ落ち着くことになる。


 蜥蜴人族の若者、リーザは周囲からの注目を受けて小さく首をかしげた。

 スラ子からの通訳を聞き、爬虫類の目を薄く細める。


「じゅ。じゅるらら」

「自分が行こう、といってくれてます」

「そうか」


 ほっと安堵の息を吐きながら、マギはまだ少し不安そうな表情だった。

 ちらりとシィに伺う眼差しを向けてくる。


 シィは表情を変えず、頷いた。


「……リーザさん、お願いします」


 ぺこりと頭を下げる。


「じゅ」


 まだ通訳がされないうちに、若いリザードレディは大きく頷いてそれに応えた。



 結局、妖精の森へ向かうのは三人になった。


 シィとリーザ、それからもう一人。竜の血がかかったマンドラゴラから生まれた不思議な生き物ドラ子も、シィに懐いていたから離れようとしない。


「変なやつらがもう森に入ってるかもしれないから、気をつけてな。リーザ、その重たい石剣ほんとに持ってく気か。椅子、持ってくか?」

「じゅらん」

「いらないそうです、マスター」


 ひどく心配そうな男とその隣に控える人型のスライムに見送られ、シィ達は洞窟の外に出た。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ