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カーラの家出 「狼少女と老婆のお茶会」 中編

「――狂暴化を抑えたい?」


 相談を受けた老婆は、予想していたものとは全く違った内容に眉を持ち上げて、ふむと顎をさすってみせた。


 魔物の血をひく少女が、自身の中に流れるウェアウルフの衝動に悩んでいたことはもちろん知っていたから、そのことが急に問題になるのかという疑問を抱いたのだが、対面に座る少女の表情は嘘をついているふうでもない。


 器用な真似ができる相手でもないから、嘘ではないのだろう。問題の本質かどうかは別だが、少女が話したくないことを無理に聞き出しても仕方がない。


「最近はだいぶ抑えられるようになってたんじゃないのかい。ギルド加入の試験で、やっちまったって話なら聞いたけどね」

「そのつもりだったんだけど……最近、また多くなってるかもしれなくって」


 あいまいな言い方にリリアーヌは眉をひそめたが、それ以上に気になることがあった。


「カーラ。あんたまさか、そんなに狂暴化しちまうくらい危険な目にあってるのかい」

「えっと、どうだろう」


 否定のない返答に老婆の目が吊りあがった。


「あのバカ男。今度、店に来たらナマスにしてやる」


 カーラが両手を振ってとりなす。


「どうしてそうなるのさ! 冒険者なんだから、危ない目くらいあうってば! リリアーヌだって冒険者だったんでしょっ」


 む、とリリアーヌが顔をしかめた。


「まあ、そりゃそうだ。でもね、おかしな目にあってたりはしないんだろうね」

「えーっと、うーん」


 トロルと戦ったり、妖精達に惑わされたり。つい先日は地下でリザードマンとマーメイドの争いに巻き込まれたばかりで、けっこういろんな体験をしてきているカーラだった。


「やっぱり、一回きちんと話をつけといたほうがよさそうだね」


 ドスの利いた声に慌てて、


「大丈夫。ボク、今の生活がすっごく楽しいんだから! ほんとだよっ」


 リリアーヌは抗弁するカーラをしばらくきつい眼差しで見てから、深々とため息をついた。


「ったく。もっとマシな男にひっかかればいいだろうに」

「ひっかかるとか。別にボクとマスターは、そういうんじゃ」


 なに言ってんだい、とリリアーヌが大仰に頭を振る。


「住み込みなんだろ。そんなの、そういうモノに決まってるじゃないか」

「だって。ボク以外にも、いるし」


 リリアーヌがぽかんと口を開けた。


「ちょっと待ちな、カーラ。あの甲斐性なしのとこに、あんた以外の女もいるってのかい」

「えっと、……うん」


 必ずしも人間のというわけではないが、女性体には違いない。スラ子、スケル、シィ。それに。

 脳裏に一人の女性の姿を思い浮かべて、カーラはわずかな感情のしこりと共に口にする。


「ルクレティアとか」

「ルクレティアだって?」


 リリアーヌが、滅多にないすっとんきょうな声をあげた。


「カーラ。あんた、あたしを騙そうってんじゃないだろうね」

「あ、ルクレティアは別に、一緒に住んでるわけじゃなくて。たまにお仕事のこととかで」


 ルクレティアとの関係を町の人間にばらしてしまうのはまずかったかもしれない。

 あわてて誤魔化そうとするカーラに、リリアーヌはそんなことには気づきもしないほどの衝撃を受けたらしかった。


「あのルクレティアがね。ああ、少し前に妖精の鱗粉がどうのって話があったから、そのことかねぇ」


 下手に反応すれば誘導尋問にひっかかってしまいかねない。

 妖精の鱗粉については特に口外できることではなかったので、カーラは沈黙を貫いたが、リリアーヌはそこから勝手に答えを拾い上げたようで、ふんと鼻を鳴らした。


「まあ、それはどうでもいいけどね。だけど、仕事のことって話ならルクレティアは関係ないじゃないか」


 自分自身で微妙に話題をずらしてしまったことにカーラは気づかず、わずかに眉をひそめた。


「そうだけど。でも、なんとなく――」

「それだけじゃないってのかい?」


 物思う表情のカーラがこくりと頷く。


 今まで人生の様々な波乱万丈に触れてきた老婆は内心でふむと考えた。

 天から二物も三物も与えられているような才女であるルクレティアが、あのさえない男に惚れるなどという珍事が果たしてありうるだろうか。


 それは、この世の中では何が起こっても不思議ではないが、しかしあの二人の相性はどう見ても良くなさそうだし、そもそもあのルクレティアが色恋沙汰にうつつを抜かすというのがまず考えにくい。


 老婆はルクレティアとカーラ、そして洞窟に住むマギとの間にあったトラブルや、その結果、ルクレティアがどういった誓約を課されたかを知らない。それをカーラから伝えるわけにもいかなかったから、そうした事情を知らず現状を正確に把握することはさすがに無理があった。


 それでも長年の経験と、類推である程度の状況は理解していた。

 あのさえない男とカーラ、そしてルクレティアが微妙な関係にあることは確かなのだろう。少なくとも、目の前の少女はそう考えている。


 それをただの気のしすぎだと一笑にふすのは簡単だが、女性、特にある種の状況下にある女性は時に人智を超越した嗅覚を示すことがあると老婆は知っていた。当事者のうちにしか計りようのない何かがあることは否定できない。


 しかし、あの男がねえ――と、リリアーヌには今二つほど信じられなかった。


 町の外に住む職業不定の男とはそれなりにつきあいがある。決して悪い人間ではないが、それと異性としての魅力は別だろうと考えていた。


 容姿云々はともかく。金も力もなければ、愛想があるわけでもない。

 わざわざ町の外に住むのには何かしら事情なり理由があるなりしたとしても、町の人々とのつきあいを避けている節があるのはどうみても本人の責任だろう。


 自分から距離を近めようとしないで他者から理解されるはずがないのだから。

 男のそうした部分を老婆は好ましく思っていなかった。


 とはいえ、たまに店にやってくる来客以上の関係でもなかったから、深くつきあってみれば長所の一つや二つはあるのかもしれないし、惚れた腫れたの関係を当人以外が理解できるものでもないはずだった。


 いったいあの男のどこを気に入ったのかなどという埒もない話は胸に秘め、リリアーヌは物事の本質を突いてみせた。


「それで、カーラ。つまりあんたは、あの男のために狂暴化を抑えたいってわけだ」

「……うん」


 神妙な顔つきの少女の視線があまりに真っ直ぐで、リリアーヌは苦い表情でため息を押し殺す。


 一途な女は男の為になんだってしようとする。

 そして、そういった女は大抵が男にいいように利用されてしまうものだ。


「どうしたんだい。間違って怪我でもさせちまったのかい」

「……そういうふうにも、なりかけて。そのときはルクレティアが助けてくれたんだけど」 


 おや、とリリアーヌはカーラが町の顔役の一人を呼び捨てで呼んでいることにそこで気づいた。

 以前はさんづけをしていたはずだから、なるほど確かに二人の間には何かしらの関わりがあるらしい。


「それに、」


 言いかけたカーラの顔中が染まる。


 顔をいぶかしめ、リリアーヌはそれについて問いを重ねなかった。

 あまり突っ込んで訊いてもよさそうな話ではないことは、表情を見るだけで察することができていた。


「それに。それ以外でも、迷惑かけてて。なんとかしなくちゃって……」


 動機がどうあれ、それで向上心に結びつくのであれば悪いことではない。

 リリアーヌも、あの男が少女に与えている良い影響が確かにあることを認めないわけにはいかなかった。


 少し前までのカーラは明るく素直で、しかしひどく怯えている少女だった。


 ウェアウルフに襲われたことのある町で、ウェアウルフの血をひく存在が疎まれてしまうのは仕方ない。

 そして、誰も彼もから嫌われて平気でいられるほど人は強くない。


 老婆はカーラのことを気に入っていたが、彼女に対して鬱屈な思いを抱くメジハの住人達の気持ちも理解していたから、どちらかに肩入れするわけにもいかなかった。

 彼女にできることは、生活をするのにも苦しそうなカーラにちょっとした食料や、おすそ分けをして、売りに来る薬草の値段に色をつける。その程度のことで、そうしたことがなんの問題の解決にもならないことを知っていた。


 それが、あの男、マギと出会ってからカーラは変わった。

 元々が町の外の人間である男は、ウェアウルフの血をひく少女を嫌わなかった。


 嫌われないというただ一点。

 それだけで、どれほどカーラは救われたことだろう。


 そのことについてはリリアーヌもあの男に(不承不承とはいえ)感謝していた。

 例え、そうした反応が、初心なカーラにどういった心情の変化をもたらして、あるいはそれを恋心と錯覚させたかと考えはしても。


 ――自分のことを嫌わないでいてくれる人間を、好きにならないはずがないだろう。

 カーラのように何事にも慣れてない少女なら尚のことだ。


 老婆が苦々しく思っているのはそのあたりだったが、それを言うのはさすがにお節介も度が過ぎるというものだった。


 もちろん一人の男の存在だけで、カーラと町の人達との間にある溝が埋まったわけではない。問題はなにも解決していなかった。


 だが、最近のカーラは以前より笑うようになった。

 嫌なことがあっても無理して笑うのではなく、本当に嬉しそうに。楽しそうに。


 そんな表情を見せられれば大抵の文句は出所を失ってしまうから、リリアーヌはカーラが彼女の貸していた物置部屋から引っ越すと聞いた時も反対できなかった。


 何かを思い出して顔を赤くしたり青くしたり、表情の変化が著しいカーラが一人で忙しくしているのをしばらく見てから、リリアーヌは半眼で言った。


「なんだい。ようするに、ただの痴話喧嘩じゃないか」

「ち、違うってば!」

「そんな顔でなに言ったところでねえ。ほれ、鏡を見てごらんよ」


 カーラがばっと頬に手をあてて、その熱さに気づいたらしく、あううと顔を伏せる。


「まあ詳しくは聞かないけど。あんたの狂暴化は病気とかそういうモンじゃあないんだ。抑えるには、カーラ、あんた自身が強くなるっきゃないだろうし、それを引け目に感じる必要もないさね。あのダメ男だって、そのことは知ってるうえであんたを受け入れてるんだろう?」


 テーブルに突っ伏したカーラは答えない。

 リリアーヌは片方の眉を持ち上げた。


「なんだい。あの男がなんか言ったのかい。だとしたらやっぱりろくでもないね」

「……言ってないよ」


 ぽつりと返答。


「マスター、なにも言ってくれないから。ボクが知らないうちに狂暴化して、迷惑かけてたのに。そのことを怒りもしてくれなくて。――悔しい」


 くぐもった声に強い感情がこもっていた。


「気を遣わせてるだけなのかなって。哀れんで、優しくしてくれてるのかなって思ったら。なんか、泣けてきて。なんで泣いてるんだって、もうマスターの目の前にいるのも恥ずかしくて……出てきちゃった」


 なるほど、とリリアーヌは内心で納得した。

 つまりはよくあるあれというわけだ。優しさを勘違いしている男。


 老婆は断罪した。

 ――やっぱり、あの男が悪いね。


 突っ伏したカーラは顔をあげず、肩がわずかに震えていた。

 少女の内心にあるのは男への怒りなどではないだろう。


 情けなさ、恥ずかしさ。不甲斐なさ。

 それら諸々が一緒くたになってブレンドされた自分への怒り。


 なんと声をかけるべきか少しの時間を使って考えた後、メジハの町で道具屋を営むリリアーヌ婆の導き出した台詞は、遠まわしな問題の解決方法だった。


「カーラ。今晩はうちに泊まっていきな」


 眉をひそめたカーラが彼女を見る。


「泣いて飛び出した手前、あんたもすぐには顔をだしづらいだろう。一日くらい頭を冷やしたら気分も落ち着いて、どうすればいいか、いい考えも浮かぶってもんさ」

「でも、帰らないとマスター達が心配しちゃうし」

「だから。いいんじゃないか」


 リリアーヌは物語に出てくる魔女そのものといった表情でにんまりと笑った。


「男なんてのはね、女を心配させてやるくらいでちょうどいいのさ。釣った魚に餌をやらない連中ばっかりだからね、少しは危機感を煽ってやる方がいい躾になるよ」


 ペットか何かに向けるような言葉に、カーラが顔をしかめる。


「躾って。そんなの、ボク」

「いいから。悪いようにはしないから、ここは言うことを聞いときな」


 老婆の台詞には、人生の玄人らしい不思議な説得力があった。

 それでも長いことカーラは渋ってから、結局は言いくるめられてリリアーヌの家で一晩を過ごすことになった。


 ◇


 一方その頃。


「マスター! どうするんですか、カーラさんが帰ってきませんよ!」

「きっと家出っす! ついにご主人のヘタレっぷりに愛想つかされちゃったんですよ!」

「う、うるさいうるさい!」


「早く抱きしめてちゅーでも土下座でもしてきてください! このままカーラさんが戻ってこなかったら、ずっとマスターのご飯抜きですからねっ!」

「そうですよ、あっしがその分までいただいちゃいます!」

「黙れーい! 今すごく綿密なシミュレーションを立ててるんだから邪魔するな! こういう場合はアクションとリアクションのパターンを構築して、一切の漏れがないようにだなぁ!」


「シミュレーションで女が口説けたら苦労しません!」

「そんなんだから恋人の一人もできなかったんすよ、ご主人は! どうでもいいから当たって砕けてこいやって話でしょうが! どうせ大した作戦も立てられやしませんって!」

「お前らあ! く、く、クケエエエエエエエ!」

「あー! 逆切れかー? 困ったらそれですかー!?」

「やるってんですかい、この駄目ご主人がーッ!」


 洞窟ではちょっとしたパニックが起きていて、それをどう収拾すればよいか妖精のシィが一人で困っていた。




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