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カーラの家出 「狼少女と老婆のお茶会」 前編

 昼下がり。


「マスターの、ばかー!」


 大陸辺境の土地、小さな田舎町メジハのほど近くにある洞窟から大声が響き渡った。


 近くの森から鳥が羽ばたいていく。

 木々がざわめき、洞窟前の湖面に穏やかな波紋が浮かんだ。


 すぐに平穏を取り戻し、静まり返ったその場に姿を現したのは一人の少女。

 魔物見習いのカーラが、短めの頭髪のなかでそこだけは長めに伸ばされた両側のもみあげを揺らしながら駆けていた。


 くっきりと描かれた眉の下で意志の強さを感じさせる大きな瞳がうるんでいる。

 噛みしめられた唇。薄く怒りに染まった頬。

 しなやかに鍛えられた両腕と両足を交互に投げだす彼女の頬を、涙が伝って後方に流れていった。



 少女が出て行った洞窟の奥では、さえない表情を苦々しくしかめさせた男が自室の椅子に腰を浅く、半ば滑り落ちるような格好で鎮座している。


 マギと名乗る男を呆れるように見おろしているのは、一人は半透明の精霊に似た風貌の美女で、もう一人は全体的なフォルムこそ人間の娘だが全身が病的に白い。


 人型スライムのスラ子と、元スケルトンのスケル。

 どちらもマギにつくられた人工生体である彼女達は、それぞれ家事やらスライムの飼育やらをしていたところだった。


 そこに反響した急な大声に主の部屋を訪れ、そこから飛び出してくるカーラとすれ違いざま、その同居人の目に涙が溜まっていたのを目撃して何事かと部屋の中に押し入り。去りゆく相手へ中途半端に腕を伸ばしたまま固まっている自分達の主を発見し、とりあえず主人を椅子に戻して事情を聞いて――


『カーラさんに、夜のことを話した?』


 話を渋る主をなだめすかし、ようやく白状させることに成功したスラ子とスケルの二人は互いに目配せした。


 まずスラ子が問う。


「それはつまり、マスターとカーラさんがどんなふうに床を共にされているか、ということです?」

「……カーラはそのときのことを全然おぼえてないからな。ずっと気にはなってたらしいが、そのことをさっき聞かれた」

「ご主人はなんとお答えになったんで?」


 スケルが続けた。


「……答えたさ。嘘をつくわけにもいかないだろう」

「ですから、なんと」


 彼女達の主人はぶすりとした表情で答える。


「――とても、……積極的だって」


 なんとも微妙な言い回しに、二人は再び互いの顔を見合わせた。


 人狼の血をひき、度々の狂暴化を起こすカーラが寝室でもそれを起こすことは彼女達も知っていた。

 もちろんそんな状態でまともな行為になど及ぶべくもない。

 結果、半ば主人が襲われる形が常態になっていて、しかもそのことをカーラ自身は覚えていないという。


 カーラは自分が事あるごとに狂暴化してしまうのをひどく嫌がっているから、彼女達の主人であるマギは今までそのことをあえて口にはしていなかった。お呼ばれがそれきりになってしまえばカーラが不安を抱くからと、きちんと数日ごとに彼女と夜を過ごしてもいる。


 しかし、カーラと閨をした翌日の主人はいつも頬ばかりか全身に傷をこさえていたから、そんな姿を見て、あるいは初めての夜ばかりかいつまでも記憶がないことにいつまでも不審を感じられないはずがなかった。


 カーラに事が露見すること自体は、いずれ必ず起き得ることだった。

 問題はその後。


 今まで自分が知らない間にとってきた行為に、カーラがどれだけショックを受けてしまうか。

 少しでもその衝撃を和らげ、今後に繋げられるかどうかがこの際は重要であり、その結果が先ほどのカーラの姿というわけだった。


 とても積極的。もちろん、それだけを聞かされて相手が泣き出す羽目になるはずがない。

 前後にもっと別の台詞があったのだ。それとも、言葉に拠らないものがカーラに何かを察知させたのか。


 ともあれ、スラ子とスケルは二人して頷き、


「マスターが悪いです」

「ご主人が悪いっすね」


 同じ内容を違う言葉使いで言い放った。


「俺かっ!?」

「こういうときは男が悪いと相場が決まってますぜ」


 決めつけるスケルにマギは口を尖らせて、


「いや、そうだが。いやいや、カーラは全然悪くないんだが、俺だって――」

「伝え方がまずかったのでは? さっきのマスターの台詞だけで泣き出されたわけでもないでしょう」


 スラ子の問いにむうと渋面になった。


「……その後も聞かれたから。答えた。どんな風なのかとか。そのうち、カーラの顔がどんどん真っ青になっていって」


 ふう、とスラ子がため息を吐く。


「狂暴化のこと、気づいちゃったんですね」

「……だろうな」


 渋い顔でマギが頷いた。


「まあ、さすがにおかしいなとは思ってらしたみたいですしねぇ。しょうがありませんよ。それで、ご主人はなんと? カーラさんがお怒りになられた、直接のきっかけがあったんでは?」

「そんなものはないぞ。……ないはずだ」


 答えながら、言っている本人も自信がなさそうな態度だった。


「カーラさんが出て行かれる直前、マスターはなんておっしゃったんです?」

「……俺は気にしてないから。大丈夫だって」


 ああ、とスラ子とスケルは同時に嘆息した。

 間違いない。それだ。


 自分の痴態を知らされた相手に、そんな上辺だけ(に捉えられてしまう)言葉がいったい何の意味があるだろう。

 主人なりに気を遣ってみせたのだろうが、そんな風に気を遣われることが相手を傷つけてしまうこともあるのだ。


「なんだよ。俺が悪かったのか? 何がいけなかった?」


 情けない顔になる主を見て、二人は再度目配せをして、


「マスターにはずばり、包容力が足りませんっ!」


 びしりとスラ子が指を突きつけた。

 ががーんと雷を受けたようにマギが硬直する。


「ほ、ほうようりょく!」

「いい年してなんですか、薄っぺらい言葉を何万篇かけるくらいなら、男は黙って抱き寄せてちゅーってしちゃえばいいんです!」 

「な、なるほど。黙ってちゅー。ハイレベル過ぎる……」

「それでまたカーラさんがパニクっちゃって狂暴化して襲われるというオチですっ」

「駄目じゃねーか!」


 一通りのボケとツッコミを経てから、ため息。

 マギは頭を抱えて呻いた。


「どうすればいい。とりあえず、カーラに謝ってくればいいか?」

「とりあえずだなんて理由でそんなことされたら、もっと怒られちまいますよ?」


 やれやれとスケルが首を振った。


「ご主人は女心ってもんがわかってませんねぇ」


 言われて、男は何かものすごく釈然としない表情で沈黙した。


「なんです?」

「……いや、お前らにオンナゴコロとか言われるのはなんかこう、納得しづらいものがあるというか」


 人型をとったスライムと、骨から今はなんだかよくわからない生体になった二人を胡乱な目で見る。

 姉妹のような二人が両手をあげて抗議の意を表した。


「魔物差別かコラー!」

「訴えるぞウラー!」

「わかった。わかった、俺が悪かった。……で、どうすればいい」

「それはもちろん。教えてあげません」


 にっこりと冷ややかにスラ子が言った。


「ご自分の女を慰める手管を他の女に訊ねてどうします。ご自分でお考えになってください」

「おお、スラ姐が、まるでルクレティアさんみたいな!」

「ふふー。顔も似せてさしあげますか?」

「いらんわっ。わかった、自分で考えるからちょっと一人にしてくれ」

「考えるようなことでもないでしょうに」


 二人はやれやれと呆れ顔で退室していく。

 別に意地悪をしているわけではなく、彼女達にしてみれば「どうすれば」などとあまりに間の抜けた質問なのだった。


 そんなものとっくに話にあがっていたではないか。


 残された男は、しばらくの間一人でしかめっ面しく考え込んでいたが、ふと気配を覚えて顔をあげると扉から室内の様子を窺っている二人と目があった。


「ほーよーりょく。ほーよーりょくです、マスターっ」

「包み容れる力! 包み容れる力と書くんですぜ!」

「わかったから出てけやあ!」


 投げつけられた冊子が、閉まった扉にぶつかった。


 ◇


 その頃、洞窟を飛び出したカーラはメジハにやってきていた。


 昼間とはいえさすがに一人で森の中に入るわけにもいかず、自然と足が向かったのは、やはり以前に住んでいた町だからだろう。

 町に入るとすぐに、カーラに気づいた町の住人から視線が向けられる。それは決して好意的なものではなかった。


 疑念と嫌悪の気配の中を、カーラは顔を俯かせて歩いた。


 冷ややかな視線は彼女が前にこの町に住んでいた頃からのものだった。

 彼女が町を出て、洞窟に住み、最近は冒険者としてまた町のギルドで仕事をするようになってからもそれは変わらない。今ではその視線に、町から出て行ったくせにまだ顔を出すのか、という意味も含まれているようだった。


 針のむしろのような視線を受け続け、この町にも心休まる場所は多くない。彼女が前に住んでいた部屋はすでに元の持ち主に返してしまっていた。


 カーラは町外れに向かった。

 そこには彼女がよく通っていた馴染みの店がある。


 古い年季を感じさせる小さな建物は、そのことに加えて周囲の民家から離れているせいでひどく寂れて見えた。

 からん、と鈴を鳴らして中に入ると、


「おや、カーラ。どうしたんだい」


 皺がれた声が彼女を迎えた。


 薄暗い店内はいつもどおり乾いていて埃っぽい。

 前々から、カーラは一度くらい全ての店のものを外に出して大掃除をしたらどうかと店主に言っていたが、


「そんなことしたら二度と中に収まんなくなっちまうよ。いったいどんなものがどれだけ店にあるか、自分でももう覚えてないんだからね」


 と相手は豪快に笑うだけだった。


 その店の主はリリアーヌといって、カーラの何倍もの年を生きている老婆だった。

 腰は曲がっておらず、眼光は鋭い。本当の年齢は誰も知らず、町の顔役の一人として畏敬の念を集めている。


 昔は冒険者としてかなり名を馳せていたという噂もあったが、その頃の話を老婆がすることはなかった。

 家族はいない。少なくともカーラが初めて会った時から、この町で彼女は一人だった。


「こんにちは、リリアーヌ。……少し、ここにいてもいい?」


 道具屋の店主リリアーヌは偏屈そうな表情に片眉をあげ、


「お客じゃないのに店の中をうろつかれても困るんだけどね」


 そっか、とカーラは顔を俯かせる。財布は腰にあるが、その中身は軽い。たいしたものは買えないだろう。


「ごめん。また今度、お金がある時に、」


 外に出ようとしたカーラに最後まで言わせず、店内の時計がごーんと鐘を鳴らした。

 ちらりとそれを見たリリアーヌが、


「お茶の時間だが、一人で飲むのも味気ないね。カーラ、暇してるならちょっと付き合いな」

「え? でも」


 一銭の間違いも許さないような鋭い眼差しがカーラを睨みつけた。


「なんだい。老い先短い哀れな老人のお願いを聞けないってのかい」

「そうじゃなくて。お店」


 他に店番もいないのに、奥にいってしまえば客が来たときに困ってしまうだろう。


「こんな時間にやってくる客なんているもんかね。いたらどうせろくでもない連中さ、待たせとけばいい」

「危ないよ。なにか盗まれちゃうかも」

「やってみればいいさ。そんな不届き者は三日三晩呪い続けて、それであたしが死ぬ時には一緒に道連れにしてやろうかい」


 人の悪い表情で笑う相手に、カーラは苦笑するしかない。


「わかった。お邪魔します」

「素直なのはいいことさ」


 こうしたお茶にお呼ばれすることは今までにも時々あることだった。

 それは大抵カーラがひどく落ち込んだりしている時で、ようするにこの老婆には何もかもばれてしまっているのだ。


 変な顔になってるかな、とカーラが目尻を拭いて確かめてみると、涙はとっくに乾いていた。


「座りな」

「ボクも手伝うよ」

「いらないよ。客は黙って待っとくもんだ」


 有無を言わさぬ迫力に反論を封じられ、カーラは案内された部屋の椅子に腰掛けた。


 店の奥にある老婆の居住スペースは決して広くないが、店のように雑然として何があるかわからないような状態ではなく、全てがきちんと整頓されている。

 物がないわけではなく、狭苦しい雰囲気でもない。テーブルには花が飾られていた。それは老婆が裏庭で育てているものだった。


 テーブルの位置から窓に見えるその裏庭を見ると、老婆が手がけている小さなエリアに色とりどりの花々が咲き誇っている。

 ガーデニングはリリアーヌの趣味の一つで、カーラも町に住んでいた頃は種を分けてもらったりしたこともある。


 もっとも、彼女が住んでいたのは小さな借り部屋で庭なんて持てるはずもなかったので、鉢植えだったが。その鉢も、外にあればせっかく芽が出たところを誰かにむしりとられてしまったことがあり、部屋の窓際にこじんまりと置いておくしかなかった。


 そうした環境だったから育てられる品種も限られてしまっていた。

 今カーラが住んでいる洞窟も、日当たりという点では決してよろしくない。昔に比べれば満ち足りた生活を送れている彼女が現状に抱く、数少ない不満点がそれかもしれなかった。


(ほんとにそうなのかな)


 ぽつりと思う。

 ――本当にそれだけなら、今ここにいたりしないはずじゃないか。


 人知れずため息が出た。


「幸運の精霊がでていっちまうよ、カーラ」


 お盆を持ったリリアーヌが戻ってくる。卓に茶道具一式が置かれ、老婆は手馴れた動作で二杯の紅茶を淹れた。

 その動作はいつもながらカーラが感心してしまうほど洗練されていて、昔リリアーヌはどこか偉いところで働いていたのではないかと思ってしまうほどだった。


 それを口にして訊ねてみると、老婆は顔を皺くちゃにして笑った。


「適当に、自分なりに格好つけてるだけさ。そうやって魔法をかけてるんだよ」

「リリアーヌって、魔法使いだったの?」


 魔道の素養がないカーラには、魔法が使われるときに周囲に放出される魔力を視ることができない。確かに魔法の一つや二つ使えそうな風貌ではあったが。


 少女の勘違いにリリアーヌは口を大きく開けて笑い、


「物の例えさ。紅茶を上手く淹れる魔法なんてあるのか知らないけどね、少なくともあたしにゃそんなもん使えないよ。でもね、ちょっとした所作が風味を変えることもあるだろう。心配りってやつはそうしたもんだ。ま、錯覚ってやつかもしれないけどね」


 雑に淹れられたお茶と、丁寧に淹れられたお茶では確かに飲んだ時の味だって違ってくる。なるほどとカーラは感心して、その素直さを老婆がまた笑った。


「ほんと、あんたはいつ悪いやつに騙されやしないかって心配になるね」

「そんなことないよ。ボクだって」


 続く言葉が思い浮かばず、カーラは薦められたティーカップを持ち上げて口元を誤魔化した。

 ふんわりとした香気が鼻腔をくすぐり、自然と笑みが出る。庭先のハーブが混ぜられたそれは、人を幸せにする香りだった。


「――美味しい」


 リリアーヌは満足げに鼻を鳴らし、お茶と一緒に持ってきた焼き菓子をあごでしゃくった。


「お食べ。駄目になりそうな粉があったんで、作り過ぎたんだよ」

「ありがとう」


 一つ摘んでみると、適度に乾いた口当たりがお茶受けによく合う。甘さも控えめで、いくらでも手が進みそうだった。


「美味し。いいな、リリアーヌの家にはおっきなオーブンがあって」

「あのろくでなしのとこにはないのかい」

「うん。あんまり大きいのは。火力もないから――」


 途中まで言いかけて、カーラは失言に気づいた。自分が今どこに住んでいるかリリアーヌに話したことはなかった。


「……いじわるだなぁ」

「なんだい。違うのかい」

「ろくでなしだなんて。マスターは、そんなことないし」

「おや、そのろくでなしが誰のことだなんて、あたしゃ一言もいってないけどね」


 墓穴を掘ったカーラが沈黙する。リリアーヌはやれやれと首を振って、


「まったく。なにがマスターだか。偉ぶれるような男かい」


 カーラは少しだけむっとした。


「だって。ボクは雇われてるんだから、当たり前だよ」

「はいはい。それで、そのマスターにいったいなんて泣かされたんだい」


 どうしてそこまで知られているのかとぎょっとしてから、気づく。これも鎌かけだ。


「別にひっかけようってんじゃないさ。今さら、町の連中になにを言われたところであんたが泣きはするもんかね。だったら、考えられるのは一つっくらいじゃないか」


 簡単な計算の結果を教えるような口調に、カーラは恨みがましく相手を見つめてから、


「ベツに、なんでもないよーだ」

「そうかい」


 リリアーヌはあっさりと言って、それきり興味を失ったように自分のお茶を飲み始めた。


 カーラも手もとのティーカップを両手で抱え、一口して。見上げると、老婆は我関せずとばかりに編み物などを始めている。

 うー、とカーラは唸ってから、


「リリアーヌ」

「なんだい」

「……ちょっと、相談に乗ってもらえないかな」


 老婆はちらりとカーラを見ると、人の悪い笑みを浮かべる。


「そうこなくちゃね。まあ任せときな。あんな程度の男、いくらでも躾けられるようにしてやろうじゃないか。あんたの器量があれば十分さ、あとは転がし方をおぼえちまえばいい」

「そういう相談ってわけじゃなくて……」


 カーラは困ったように顔をしかめることしかできなかった。



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