ヤクザな黄金竜の伝説① 「竜に祝われた国」 晩編
意図的な放電は、ほとんど直線に降り注いだ。
しゃんと場違いに澄んだ音が鳴り、地上に到るまでの過程と、それが直撃した地面の水気が吹き飛び、粉々に打ち砕かれる。
微小の粒子が王冠状に霧散した直後、多重に生じた雷鳴が轟音を撒き散らした。
大電流圧がつんざき、荒れ狂う。
極限まで溜め込まれた力はほんの一瞬に全て解放され、広場は白く濁った霧に包まれた。
蒸気と霧とが混在して渦を巻く場に、うっすらと暗い影がそびえ立つ。
その巨大な影に動きがないことに、城壁で恐ろしげに身をすくめていた兵士達から、ぽつりぽつりとためらいがちに、やがて耐え切れずに歓声が湧き起こった。
「――やった。仕留めたぞ!」
「竜を倒した……! 俺達が、竜を倒したんだ!」
喜色にまみれた声を左右に聞きながら、王子は城壁の縁に両手をおしつけて、じっと動かなかった。
上空の黒雲から落ちる雨粒に打たれつつ、目をすがめる。
雨足は、むしろその場から靄が流れることを押し留めるよう、広場には濁った白色が溜まりつづけて――ゆらりと影が動いた。
ばさり。と翼が打たれる。そして白靄の中から現れた黄金竜には、雷の直撃を受けて焦げついた跡すらなかった。
ゆっくりと頭を左右に振り、空を見上げる。
咆哮が轟いた。
それまで喝采が響いていた城壁から、声が失せた。
重苦しい雰囲気に王子が背後を振り返ると、そこには絶望した兵士の面々と、儀式部屋から出てきた魔道士達の視線が彼に集まっていた。
彼らの青ざめた表情に、恐らくは自分も似たようなものになっているのだろうという自覚はあったから、王子は意識して快活に笑った。
「――なにをしている、諸君」
周囲へ発破をかけるように手をうって、
「攻撃だ。たった一度、仕掛けが通じなかったからと諦めては到底、竜殺しなど叶うまいよ。さあ、攻撃を続けよう! 渾身を振り絞って攻撃を続けるのだ、諸君! 魔道士達もただちに第二撃の準備に取り掛かりたまえ」
「恐れながら……」
ほとんど土気色の顔に全身をぐったりと疲れさせた、エルフの老魔道士が口を開いた。
「先ほど以上の一撃ということになりますと、時間がかかります。皆、疲労の色も濃い。それまでの時間、竜がこちらを見逃してくれるとは思えません」
「わかっている」
王子は頷き、
「その時間をつくるのは、私の仕事だ」
決然とした態度でそう言った。
城門前に集められた顔ぶれは一様に暗く、緊張に包まれていた。
なまじ竜撃破の期待に沸いた分、そこからの揺り戻しは大きかった。英雄歌を高らかに歌い上げた気勢も消えうせて、全員が沈鬱な表情で指示を待っている。
それでも誰一人その場から逃げようとしない人々を前に、王子は空を見上げた。
見慣れた曇天の空から雨粒が降り注いでいる。いつもと異なる頬を打つ雨粒の温かさに、まぶたを閉じる。
「――実は、子どものころから一度、竜の背に跨りたいと思っていた」
世間話の気軽さで王子は口を開いた。
顔を兵達に向け、にやりと笑って続ける。
「せっかくの機会だ、今から試して来ようと思う。諸君らにも付き合ってもらうぞ」
ぽかんとした表情が彼を迎えた。
取り得る最大の攻撃手段をぶつけて、なお平然とした竜。
今からそれに向かって行こうとしているというのに、まるで子どもじみた願望を口にする。あまりにも場にそぐわない物言いに、兵達は誰もが怒ることすら忘れて呆れ果てていた。
く、と失笑が生まれる。整列したどこかで弾けた笑いが他の誰かへうつり、たちまちに伝播して、全員が肩を揺らして笑い出す。
ついには腹を抱え、涙を流して笑い転げる兵士一同に、王子は満足げな表情で声をはりあげた。
「開門せよ!」
巨大な城門が音を立てて開き始める。
降りしきる雨にけぶる光景の奥に、ゆっくりと城へと歩を進める竜の姿が確認できる。
地響きを鳴らす巨躯の、その眼差しが自分を捉えたような気がして王子は背筋をぞくりと震わせ、それを振り払うように口を開いた。
「行くぞ、諸君」
兵士達が前進を開始した。その先頭には王子が立った。
「弩と投石、そして練りあげた攻撃魔法こそが我々の切り札だ。ならば後はそれを繰り返す。その為の時間を稼ぐ」
追従する兵達を振り返らず、
「竜を相手に隠れ潜む真似はむしろ愚策だ。ならば諸君、堂々といこう。――私が、まず竜の脚にしがみつく。諸君らの誰かは私の背を踏み、そこを登れ。そして次の者はさらにその者の肩を使い、さらに上へと上がりたまえ。何人、何十人。百人が振り落とされようと、そうして竜の背を這い登った最後の誰かが、その額に剣を突き立てるのだ」
犠牲の必至を覚悟の上として、王子は作戦の内容を告げた。
「額でなくともかまわん。鱗同士の合間、柔らかそうな脇。どこでもいい、寸分でも傷をつくる。時間と、そして攻撃の隙間を我々の手で作るのだ。さあ、竜に跨るぞ!」
先頭を歩く王子の両脇を、鎧で固めた兵士が追い抜いていく。
死地の先駆けへ、続いて選抜された冒険者達が駆けた。
甲冑の衣擦れが音を鳴らす。
無骨な行進曲を奏でて前進する一団を見下ろして、黄金竜が満足げな唸りをあげる。
集団の先頭に、竜の尾が叩き落とされた。
王子が暗闇から意識を戻すと、そこには伝承歌の世界が繰り広げられていた。
雄叫びをあげる竜。
それに立ち向かう大勢の人間が、群がる虫のように竜にとりつき、振り落とされ、薙ぎ払われ、踏み潰されていく。
一撃で肉塊と成り果てる死骸を踏み越えて、人はさらに前進する。
地面に叩きつけられた竜尾に、一人が抱きついた。
男をしがみつかせたまま、軽々と尾が持ち上げられる。戦友の腰に手を伸ばして二人の男が、その二人の腕や足にさらに複数の男達が手を伸ばし、あれよあれよとその数を増やしていく。
たちまち形成された人間の綱を、竜が容易く引きちぎる。
ばらばらと宙に舞う人の欠片。
しかし、その中の数人だけは竜の尾や背中にしがみついたままだった。
彼らは、それぞれ手持ちの武器を振り上げて目の前に叩きつけた。傷ひとつつけることが許されない、竜の絶対的な外皮に己の名を刻むように。
竜が吠える。
翼をはばたかせ、暴風が巻き起こる。
局地的に生じた竜巻にしがみついていた男達が残らず吹き飛ばされ、大空に巻き上げられた。
多くの瓦礫と落下して、次々に赤色の華を咲かす彼らの惨状を見て、それでも残された人々の前進は止まらなかった。
彼らはただ前進する。
死を量産させる。
自らの生み出す躯の山で、竜の巨躯を覆い包もうかというように。
それが、王子の夢見た伝承歌の情景だった。
そこに詩人の奏でる曲はない。
彼らの勇猛さを賞賛する精霊の姿もない。
ひたすらに生々しく、血と臓物と悲鳴、彼らをそうさせたモノへの怨嗟の声が立ちのぼる。
一撃の余波を受けて吹き飛ばされ、石壁に叩きつけられた王子は、額から血を流して朦朧としながら、自身の作り出したその光景を眺めていた。
「……撤退しますか」
横合いから声がかかる。
王子に進言したのは、“極光の黄昏”と異名をとる冒険者一行の一人だった。年の程は王子と代わらない、その若者も左腕を真っ赤に染め上げ、額から少なくない血を流していた。
「引き際を。知るのも勇気の証、か」
「その通りです」
人々から勇者と呼ばれる若者が生真面目に頷いた。王子は笑った。
「だが私は勇者ではない。……国と、兵と共に最後まで在ることが、」
途中で血の塊が喉元をせりあがり、吐き捨てる。
「――行くがいい。逃げ出せば恐らく、竜はそちらを狙う。その間に、こちらはもうひと足掻きさせてもらおう」
冷静な指摘に、勇者は頬をひきつらせた。
「ひでえ王子様だなあ」
「王侯とはそういうものだ」
やれやれと勇者が首を振り、
「ま、こうなったら付き合いますよ。今さら逃げられるなんて思わないし」
にやりとそこで笑った。
「どうせ死ぬなら、竜の背に跨ってから死にたい。そうすりゃ死んでも、名前が千年は残りそうだしね」
王子は眉を持ち上げた。
「俗な輩だ」
「そうでもなけりゃ勇者なんてやってませんよ」
「なるほどな」
笑いあい、勇者の肩を借りて王子は立ち上がった。
「――ああ。でも、ちょっと遅かったかも」
空を仰いだ勇者が言う。
いつしか雨は止み、雲には切れ間ができていた。
ところどころから光が差し、地上の凄惨たる光景とは似つかわしくない幻想的な光景が生まれている。
天空に、再び巨大な精霊が姿を現していた。
そこから放たれる一撃は、たとえ竜の命に届かなくとも、その周辺に群がる人々を全滅させることは確実だった。
精霊が指をさす。
凝縮されたマナが放たれかけて、
「がおーん!」
竜が吠えた。
開かれた顎から線が伸び、空を駆け上る。
見た目はひどくか細いその一閃が白雲の精霊を直撃して――精霊ごと、あたりの“白”を消滅させる。
次の瞬間、大陸中の雲が吹き飛んだ。
一瞬で蒼く塗り替えられた空を見上げて、王子は絶句した。
雪国に住む彼には初めて見る満天の青空に、その色をめいっぱいにとりこんだように顔を青ざめさせて、王子は今さらのように思いついている。
――竜は、その伝説に彩られた圧倒的な力を、今まで彼らにむけて一度も使ってこなかった。
「もうおしまい?」
声が降る。
人々は、それが目の前の、巨大な黄金の竜から発せられたものだと気づくことにすら、しばらく時間がかかった。
「まだ精霊が一匹いなくなっちゃっただけでしょ。次はどうするの? せっかく付き合ってあげてるんだから、もっとなにかしてくれるんでしょ?」
わくわくと、期待に満ちた声。
圧倒的で恐ろしげな、竜の巨躯にはまるで似合わないその声に、王子も含めた誰もが反応できない。
ふむん、と息を吐いた竜の全身が光り輝いたかと思うと、次の瞬間、その巨体が掻き消えて、その足元だった場所に小柄な少女が姿を現していた。
「こっちのほうが向かって来やすいっていうなら、こっちでつきあってあげてもいいよ」
まだ十代の年頃と見まごうような見かけの、黄金色に流れる髪を見て、それが先ほどまでの竜だと理解する。
血肉にまみれた戦場で、その汚れすら身体にかかっていない少女の姿を見て、呆然と王子は呟いた。
「手加減を。して、いたのか……」
「手加減?」
むしろその発言に驚いたように、少女が大きな瞳をまばたかせた。
あははと笑う。
「なに言ってんの? あたしが手加減しなかったら、世界なんてすぐに壊れちゃうじゃない」
精霊を消し飛ばしたあの一撃。
あんなものを撃たれていたら、その時点で王国は終わっていた。
ならば――今までのことは全て竜の娯楽に過ぎなかったのかと、王子の胸中に苦い認識が浮かび上がり、
「ざっけんな……」
王子の隣に立つ勇者がわなわなと全身を震わせた。
「ざけんなよ、手前! 何様だこのクソ野郎!」
長剣を振り上げ、襲いかかる。
にこりと少女が笑って、
「何様?」
勇者の剣をかわそうともせず、そのまま若者の頭を掴み上げると、一気に引き裂いた。
「そんなの、“あたし”に決まってるじゃん。いったいなんだと思ってたの?」
吹き上がる血飛沫に、至近距離からその汚れをまったく寄せつけず、黄金竜の少女が言う。
「ほら、次。つまんないから早く来て。別に勝てなんて言わないし、立てとも言わないよ。なんでもいいから、あたしを楽しませて」
周囲に残った男達は、理不尽な竜の宣言に、ふらふらと誘われるように剣をかまえた。
それ以外になす術がないことを彼らは理解していた。
逃げられるはずがない。
勝てるはずもない。
ただ殺されるだけとわかって、それ以外にはなにも叶わない。
自分達は、竜が飽きるまで嬲られるだけなのだと。
そして、そうした諦観こそが、理不尽な竜を飽きさせる最たるものだった。
「つまんない」
死霊の集団と成り果てた周囲を見回して、黄金竜の少女の瞳に冷たい色が宿る。
これ以上は暇つぶしにすらならないとわかり、その場を全滅させて始末をつけようとした竜少女が、ふと後ろを振り返る。
瓦礫と化した街並みの向こうから、ゆっくりと近づく人影があった。
「――お待ちあれ」
民衆と共に避難したはずだったイースラント国王が、疲労にかすれた声で竜に呼びかけた。
老王には護衛兵が従い、その背後には民の姿があった。
竜の少女が口を開いた。
「なあに、お爺ちゃん。一緒に逃げた連中と、命乞いでもしに戻ってきたの?」
「まさか」
老いた王が笑った。
「竜に抗えば滅ぼされる。それはこの世の摂理にも等しい。この国が滅ぶのは、自然のことでありましょう」
「それで?」
「この身は老い、軍権も我が息子に譲りました。国の王は既に自分ではなく、そこにおる愚かな息子。その行いが国を滅ぼすというなら、それまでのこと。私はここに、ただ一事をお願いに参った次第」
「うん、なあに?」
「――どうか、そこな息子を助けていただけまいか」
老王の言葉に、周囲がざわめいた。
顔色を変えた王子が叫ぶ。
「なにをおっしゃいます、王よ! そのようなこと私は望みません! 私が招いた滅びなら、私も国と共に――」
「……あのように、愚かなことこの上ない。自分が死ねば、それで許されようなどと。愚息には、栄誉の死など生温い」
「な……」
王子が声を失う。
「物は言いようだね、お爺ちゃん」
くすくすと竜少女が笑った。
「別に、人間の命なんてどうでもいいけど。どうでもいいから、わざわざ助ける理由にもなんないよ。お爺ちゃんの息子が満足して死のうが、無様に生きようが、あたしには関係ないし」
「然様。しかし、それがあなたの望みへと繋がるというなら、話は別でありましょう」
「へえ。あたしの望みなんてわかるんだっ」
面白がるような竜の少女に、老いた元王は皺の刻んだ顔を震わせて、
「さて、あっているかどうか。しかし、昔からの疑問でもありました。竜は幾つもの世界を渡り、全ての過去と未来をも知るという。では、未来さえ知り、他に比べ得るものをもたない竜は、いったいなにを楽しみに生きているのか」
「うん。続けて?」
「……恐らくは、待っているのではありませぬか。自分達と比肩しうるものの誕生。あるいは、誕生したそれが成長して、自らの目の前に現れるのを」
老王の言葉に竜の少女は答えなかった。
「未来を知って、それでもなおそこに向かって生きるのは、期待しているからではないかと――老い先短いこの身ゆえ思い至りましたが、如何ですかな」
「うーん。間違ってはないけど、ちょっと遠いかなぁ」
少女がうなずいて、
「ま、いいか。それでお爺ちゃん。お爺ちゃんは、自分の息子が、いつかあたしの前に、“そういうの”になって立ちはだかってくれるって言いたいの?」
「残念ながら」
王は苦く笑った。
「そのような才があれにあるとは、到底。……然しながら、それでも期待せずにいられないのもまた確か。なぜなら――誠に恥ずかしながら、私はあれの親でありましてな」
むしろ誇るように堂々と言った王を、じっと竜少女がみつめて。
はあ、と息を吐いた。
「これだから……」
王が眉をもちあげる。
「これだから、とは」
「もういい。帰る。ヤなこと思い出しちゃった」
不機嫌そうに頭をかいて背中をむける竜に、王が慌てて声をかけた。
「竜よ。どうか、あなたの名前をお聞かせください」
「――あんまり調子にのっちゃダメだよ、お爺ちゃん」
振り返った竜が冷ややかな一瞥をむけて、
「あたしの名前を知りたいなら、せめてあと百年くらいは長生きしてからにしてくれないと。それじゃあね!」
あっさりと空を駆け、黄金の竜に姿を変えてどこかへと去っていく。
残された人々は、呆然とそれを見送るしかなかった。
◇
気まぐれに竜に襲われ、気まぐれに生かされたイースラント国が受けた打撃は壊滅的なものだった。
王都はほぼ半壊。
王城にまで被害はなかったが、都を逃げ出した民衆は多く、その全てがすぐに戻ったわけではなかった。
流民は周囲の村落に軋轢をうみ、中央の行政能力の低下は、国中の潜在的な問題を表出させるきっかけとなった。
不穏な情勢と、民衆からの不満の声を一身に受けて、王位を継いだばかりの元王子は慌ただしい日々を送ることになる。
なにもこんな時に王位継承などやらなくとも、と愚痴る息子に、元王は莞爾として笑って取り合わなかった。
「王! 王! 大変ですッ!」
ある日、血相を変えて飛び込んできた兵士の報告が、執務に溺れる元王子と、その相談役として気楽な立場を満喫する元王の二人を驚かせた。
「瘴気が、消えた……?」
「はッ! ここ王都を中心に、北によどんでいた瘴気がなくなっております! 消失した範囲は不明ですが、少なくとも目に届く地平の果てまでは間違いないかと!」
人間と魔物の双方に害を及ぼす瘴気。
精霊にすらどうにもできないマナの成れの果てが、いったいどのような理由で消えたのか、彼らの頭にはすぐに思い浮かぶものがあった。
「先日の黄金竜、ですか? しかし何故――」
悟りきった顔で元王が頭を振る。
「竜に理屈を求めても仕方あるまい。意図したこととも思えぬ。精霊を吹き飛ばした時、余剰でそうなったのではないか」
「余剰ですか」
元王子は頬をひきつらせた。
「竜の行いについて考えてはならん。感じることも。受け入れるしか。さても、問題は目の前にある現実をどうするかにあるが」
瘴気のある地では生き物は育たない。
それがなくなったとならば、状況を見逃すわけにはいかなかった。
いったいどこまでの瘴気がなくなったか。瘴気がなくなった土地では、人が、草木が生きることはできるのか。
もしそれが叶えば、痩せた土地しかもたないイースラントにとってはこれ以上ない僥倖となる。
すぐに調査隊の編成を指示してから、王子は執務室の窓から外を眺めやった。
「竜の祝福ですか」
「ただの気まぐれであろうがな」
茶々をいれる父親に笑って、若い王はふと何かを思い出す表情になる。
それを見た元王が声をかけた。
「どうかしたかね、王よ」
「いえ。……とても美しい竜だったと、思いまして」
白い眉を持ち上げて、老いた元王は渋面をつくった。
「……止めておくことだ。いくら美しかろうが、竜に恋焦がれるなど。子孫代々が呪われて、国が傾く」
「わかっておりますよ」
しかし、と王はそこで茶目っぽく瞳を輝かせた。
「美しい女人に国を傾けられるなど、それこそ珍しいことではありますまい」
「確かにな。人も竜も、女が怖いのは同じということか」
そう言って、王と元王の親子は顔をみあわせて笑いあった。
◇
後日。
北の小国イースラントは、若き王の開明的な政治と、それを支えた元王の献身的な補助で、国力を飛躍的に伸ばすこととなる。
そのきっかけとなったのは間違いなく、ある日訪れた黄金竜の襲撃と、それが意図せずにもたらした周辺地域からの瘴気の消失にあった。
イースラントでは、多くの人的・物的被害をだし、同時に自分達に新しい生活の場を与えた黄金竜を憎み、また愛した。
その襲撃のあった日時は国の記念日として、その顛末と共に長く語り継がれることになる。
さらに、後日。
先日のことなど記憶のどこかにやった黄金竜によって、その国は再び気まぐれに蹂躙される。
これには竜ふざけんなと国中が怒り狂うことになるが、それはまた別の話――
竜に二度襲われ、その上で生き残った稀有な例として、イースラントは大陸史に名を残す。
賞賛と皮肉。
そしておかしみを込めて、その国は『竜に祝われた国』と呼ばれた。
竜に祝われた国 おわり