ヤクザな黄金竜の伝説① 「竜に祝われた国」 中編
イースラント王都に滞在していた冒険者達は、竜の来臨を知ってにわかに色めきたった。
大陸を行き来することの多い冒険者や商人は、情報の運び屋でもある。彼らのなかには、最近、中原の小国で“それ”が成されたという噂を耳にしている者もいた。
竜とは最強の証であり、だからこそそれを討つことは無上の誉れとなる。
富と名声を夢見る冒険者にとって、“それ”がただの夢幻ではないという話を聞いたばかりのこの時、自分にもそれが叶うかもしれない事態に出くわすことはまたとない機会に思えたのだった。
イースラント王位継承者もおおいに彼らの欲望を煽った。
若き次代の王は、竜討伐を掲げて広場に集めた自国の兵と冒険者に向かって、竜を倒した者には貴族としての身分を与え、将軍に取り立てることを宣言したのである。
富と名声、そして立場。特権階級という人参をぶら下げられ、これには冒険者ばかりか下級兵士達も奮い立った。
「いかに相手が伝説の竜とはいえ、所詮は魔物。ただの獣である! そしてそれらを狩ることにもっとも長けているのが君達であることを私は知っている! 故にやり方は君達に任せる。すでに民衆は都から退去を始めており、父王陛下からは自由にしてもよいとの許しを得た! 君達を掣肘するものは何もない! この王都を戦場として存分に槍働きを見せ、そして見事その手に栄誉を勝ち取って欲しい!」
若者の猛々しい演説に、地鳴りのような大歓声が応えた。
彼に付き従うよう王から命じられた近衛の一人が、異様な盛り上がりを見せる広場の雰囲気を危惧した。
「王子。まだ全ての民が逃げおおせたわけではありません。先ほどのお言葉で、無法を行う輩が出るかもしれませんが」
「かまわん」
「しかし、それでは」
「退避誘導は王がなさっている。それを邪魔する者がいれば処罰せよ。そうでないなら放っておけ。どうせここは戦場になるのだ、略奪で士気があがるのならそれでよい」
それに、と王子は続けた。
「そういう被害がでたとあらば、後からの良い口実になろう。叩かれて埃のでない冒険者などいないのだからな」
意外に先を見た発言を返された近衛の男がわずかに目を見開いた。
慎重な表情をつくって、さらに質問を続ける。
「……連中を好きになさるというのは。どのようなお考えでしょうか」
「王がおっしゃられた。冒険者など所詮は無頼、統率など不可能だと。まったくその通りだ」
「では?」
「型にはめた運用ができないのならば、始めから統率などしなければよい。無頼には無頼。連中には好きにさせ、時間を稼いでもらう。その間に我々は準備を整え、機を待つのだ」
竜がやってきたのはまったくの突然だった。
魔物の襲撃など日常茶飯事のことではあるとはいえ、不意をつかれてすぐに万全の用意が整うわけではない。
兵の参集と、装備。集合と移動。
現時点で最も不足している時間的猶予を、王子が冒険者達を活用することで得るつもりであることを理解して、近衛は感嘆の息を漏らした。
目の前にいる若者は、王の後継者としては決して評判のよい存在ではなかった。
若者にありがちな理想主義、英雄主義。
暗君にまではならずとも、無用な兵事にかまけて国を傾けるのではないかという心配の声があがるほどだったが、しかし今、近衛の男の目にはただの夢想を語るだけではない若者の姿があった。
若々しく覇気に満ちたその眼差しには、確かに英雄の片鱗が見て取れるように男には思えた。忠誠心を新たに姿勢を正し、近衛は口を開いた。
「城下に集った冒険者の中には、確かな腕前を持った者もいるはずです。ただの捨て駒として使い潰すには惜しいかと思いますが」
「無論、そのつもりだ」
王子は頷いた。
「冒険者で名のある者だけを呼び集めて、突撃戦力として確保せよ。無頼も目に届く範囲であれば制御することはあたうる。“極光の黄昏”に声をかけ、腕の立つ同業者を集めさせるのだ。連中の目利きに叶う者がいればそれもだ。無頼を知るのもまた、同じく無頼だけであろうからな」
「はッ!」
形ばかりではない敬礼を表して、近衛が去っていく。
それを見送りながら、王子はともすれば震えだしそうになる自身の身体を抑えつけ、無理やりに平静を取り繕った。
若者に恐れがないわけではない。
竜と対峙しようというのに、恐れがないはずがなかった。
だが、恐怖と同時に彼の心胆で湧き上がるものがあり、それが彼の身体をその場に押し留めていた。
それは誇りではない。彼や彼の父親が口にする王としての責務などでもなかった。
彼らが一国の王であれば、竜とはすなわち世界の王である。
絶対者。神にも等しい彼らに対してどのように相対するかで、自らがいったい何者であるかを知ることができると若者は確信していた。
虫けらのようであれば、虫けらに。
勇者のようであれば、勇者に。
死はたとえ等しく訪れるものであろうと、そこに到る生き様にこそ意味があるはずだった。
例え、国中に屍山血河を築くことになろうとも――脳裏の想像が、若者の頬をさすがにひきつらせた。
しかし、その恐怖による表情の強張りは、それを見かけた者達には笑みをつくっているように錯覚させ、城兵の士気をさらに高める結果となった。
◇
突然の事態に人々が怯え、戸惑い、逃走あるいは闘争を決意する様を楽しむように都の上空を優雅に舞っていた黄金の竜は、やがて大きな翼を打つと一直線に降下した。
王都城下の大広場に、ふわりと重量を感じさせずに着地する。
その直後、地震のような揺れが大地を襲い、一見して緩やかに見えた翼のはばたきから起こった暴風が荒れ狂った。
広場の周囲に立ち並ぶ建物が倒壊して崩れ、そこに潜んでいた冒険者達が悲鳴を上げる。
「クソ! やっちまえ!」
不意打ちを狙っていた冒険者が攻撃を開始する。
弓矢に魔法。それぞれ得意とする遠隔攻撃が繰り出され、竜の眼前を圧迫する。
目を細めた竜は、広場のほとんどを占めるその巨体ゆえに全ての攻撃をかわすことはかなわず、それどころかかわそうともしなかった。
竜が軽く頭を振るだけで矢も魔法も全て弾かれる。
自分達の攻撃など小石にも満たないことに冒険者達は顔を青ざめ、その中の一人が吠えた。
「脚だ! 脚を狙え!」
大型の魔物を狩った経験を持つ者にとって、そこを狙うことは常識でもあった。
全体の攻撃が集中する。それでもなお効果が薄いと見てとった勇気ある冒険者が、愛用の斧を携えて駆け出した。
竜の死角から接近し、魔法銀で鍛え上げられた大斧を振り上げる。滑らかな光沢を持つ竜の左肢に、裂帛の気合と共に振り下ろして、
「嘘だろ……?」
渾身の一撃はあっさりと弾き返された。
竜の外皮に傷一つつけるどころか、逆に男の斧に刃こぼれが生じてしまっている。
今までどんな獲物も切り裂いてきた愛用の武器の刃が立たないことに、男は思わず呆然として、その一瞬の自失が男の命を決定づけた。
男の顔に影がかかる。
ゆっくりとした動作で、竜が脚を持ち上げていた。
男を見おろす眼差しは静かで、はっきりと理性を感じさせるそれを見上げた男は、涙を流して呟いた。
「――神サマ」
祈りの言葉の途中で、圧倒的な質量が男の全身を押し潰した。
「士気が崩壊しています。このままでは、総崩れも近いかと」
「ふむ。所詮は烏合の衆ということだな」
王城から広場を見おろして戦闘の状況を見守っていた王子は、自分が煽って死地を送った者どもの醜態を一言で言い表した。
「だが、おかげで我々は貴重な時間を得た。彼らには後で無数の栄誉で報いよう――死者に与える栄誉であれば、感状でも涙でも、どれだけ振舞っても金はかからないからな」
「王子……」
直裁的に過ぎる発言に、顔をしかめた近衛が声をかける。
王子が唇を持ち上げた。
「失言だった。どうも気がはやっているらしい。――例の準備はどうか」
「はッ。既に用意は整っております」
「“黄昏”は?」
「王宮魔術師達と共に、城内の魔法儀式陣に詰めてマナを練りあげております。作戦内容とその運用については、口頭で充分に言い含めておきました」
「よろしい。我が兵達の様子はどうか」
近衛はにやりと唇の端を持ち上げて、
「そちらについてはどうぞ、ご自分の目でお確かめください」
王子は眉を持ち上げた。
「わかった。そうしよう」
身を翻して颯爽と歩き出す。
石造りの階段を降り、王子は城郭内の中庭へ向かった。
そこにはイースラント国に仕え、王子の命で集まった兵が列を成している。
小国イースラントに正規の兵力は少ない。
王命に従って民の誘導と護衛に従事する者も少なくないのに関わらず、中庭に集まったその総数は、王子の予想より遥かに多かった。
中には、明らかに正規の訓練を受けていないと思われる民衆の姿もあって、
「知らなかったな」
感慨深げに王子が呟いた。
「我が国の人間が、これほど命知らずばかりだったとは」
「貴方が煽った結果ですよ、王子」
「自分にそういう才能があるとも知らなかった。世の中は知らないことばかりだ。なんとも愉快な気分だな、これは!」
近衛の軽口に快活に応えて、王子は彼を待つ兵列の前に進みでた。
「諸君!」
高らかに呼びかける。
「我が愛する兵士諸君! 我が国を愛する兵士諸君! トゥーデンナミヤの山々に囲まれ、日々を厳しい寒さに耐え忍んで生きる剛健なる兵士諸君よ! そう、我々はこの地上を覆い汚さんとする瘴気を防ぎ、大陸を護ろうと勇志を見せた人々の末裔である! 先祖が拓き、護り、しがみついてきたこの痩せた土地こそが我々の故郷であり、愛すべき祖国である!」
若者の声は凛としてよく通り、瑞々しさのある言葉は兵達の耳に心地よく響いた。
それまでほとんど戦場の経験などないにも関わらず、王子の一言一句は実に巧みに兵達の琴線を刺激していた。少なくとも、若者は優れた演技者ではあった。
「今、我らの土地にある偉大なる生物が姿を現している。絶対種。世界の王。その善悪に留まらず活躍する御伽話は、君達も子どものころに聞いた覚えがあるだろう。かくいう私もその一人だ。百年前、この世界を滅ぼしかけた魔王の話は誰もが知る。そして、その魔王竜と同じく黄金色の竜が今、我らが城下にやって来ている!」
兵達に動揺が生まれた。
ざわめきが小波となり、それが末端まで行き渡るのを辛抱強く待ってから王子は続けた。
「その竜が、新たな魔王であるかどうかは知らぬ! 百年前、世界を滅ぼしかけたのが竜であれば、世界の危機を救ったのも竜だった。では諸君、私は君達に問う。その時、その世界を賭けた闘争の際、我らが祖先はどこでなにをしていたかと。洞穴に逃げ込み、小鹿のように震えていただけか。世界の命運など我知らずと、ただ一時の生命を永らえようとしていただけだろうか。そうではないと、私は思う。そして今、私はそれを確信している。その証しとなるものが今、この私の目の前に存在しているからである!」
遠くない距離で、竜の咆哮が轟いた。
しかし先ほどと違って、今度は兵達に動揺は生まれなかった。
代わって、彼らの集まる中庭を中心として、わずかな振動が生じ始めていた。
統制のとれていない、自然発生したそれは、兵士達の足元から生まれている。
槍を、盾を、足を踏み鳴らし、男達は眼差しを一点に集中させる。
城そのものが打ち鳴らす鼓動のような地鳴りを一身に浴びながら、王子もその求めに応じてさらに声をはりあげた。
「ある者は言った。あの竜がここにやってきた意図は不明であると。私は答えた。確かにその通りだと。ある者は言った。竜に勝てるはずがないと。私は答えた。それはわからないと。それと同じ思いを今、この場にいる兵士諸君も共有してくれていると私は信じている。それは我々が百年前の故事と、それ以降にも伝わる多くの英雄譚を知るからであり――なにより、百年前にも同じ覚悟をもって世界の危機に闘った先祖達がいたと、この血肉に流れる魂の記憶が私達にそう囁くからである!」
今や、彼らの沸き起こす咆哮と振動は、遠くから響くそれとまったく遜色ないほどになっている。
雄叫びをあげる男がいる。
槍を突き上げる老人がいる。
明らかにサイズの合っていない兵装を身につけた若者がガタガタと歯を鳴らし、それに気づいた隣の男が肩を揺さぶった。
見上げた若い兵士ににやりと笑いかけ、肩を組む。
男が歌を唄いだした。
それに連なるようにあちこちで思い思いの歌や雄叫びが始まる。下町で好かれる求愛の歌から、戦場での勇壮な調べをつげる戦楽歌まで。
勝手自由に始まった歌が、やがて一つの合唱に収斂する。
誰もが知るその御伽話は、とある強大な生き物と戦ったという伝説の英雄を褒め称える吟遊詩人の詩曲だった。
刃が折れ、味方の全てが討ち伏して、なお倒れずに戦い続けた男。
その歌の最後で、英雄の結末は語られない。
しかし、そんなことは今の彼らにはまったく関係がないことだった。
彼らは今、自分自身がその御伽話のなかに没入していた。
結末は、遠からず自分達で体感することになる。
それに醒めた感想を抱く者や、恐怖に怯える者もいたが、そうした者もやがて、この場の異常な空気にやがてとりこまれ、その渦中に身を投じていった。
今や彼らは、一人一人が伝説の英雄譚に出てくる登場人物と化している感があった。
そして。
その勘違いをまったくの高みから存分に見下ろして、王子は拳を振り上げた。
「――英雄諸君! 竜殺しである!」
怒号と化した戦気が、竜となって立ち昇った。