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ヤクザな黄金竜の伝説① 「竜に祝われた国」 前編

「アーリヤーシキー!」


 声高く鳴り響いた咆哮が、空いっぱいに分厚く重なった曇天の雲を吹き払った。


 ラカルダ大陸の北方。瘴気にまみれた不浄の地の南に位置する、小国イースラント。

 周囲を険しい山脈に囲まれ、年中が雪に覆われる厳しい気候に生きる人々は、常にない明るさで降り注ぐ日光の眩しさとそれをもたらした大音声に顔をしかめ、空を見上げた。


 そこに彼らが見つけたのは燦々と燃え上がる火の星と、もう一つ。

 太陽を背負ってそれ以上の輝きを発するその存在は、遠目に鳥のような大きさでしかなかったが、それを鳥だなどと間違える者はいなかった。


 それは地上最悪の生きる天災。

 顕現する神話。比喩と誇張にまみれた伝承歌の中から“そのまま”出てきてしまった規格外の伝説。

 誰もが憧れ、一目見たいと思いながら、同時にお願いだから自分の目の前に現れたりはしないで欲しいと願う世界の異物。


 懇願する理由は簡単だった。

 それが現れれば、そこには望むと望まないとに関わらず、必ず破壊と殺戮がもたらされる。



「――竜がでたぞおおおおおおおおおお!」



 空を見た誰かが叫んだ。


 それまで呆けるようにしていた他の者達も、その言葉が鼓膜を震わせたことではっと我に返り、そして理解した。

 認識された事実が恐怖を巻き起こし、伝播する。



 おびただしい数の絶叫が連鎖した。


 ◇


「馬鹿な。竜だと……」


 イースラント国王ズワルトは、届けられた急報に顔面を蒼白にした。

 齢五十半ばを越えて弱まってきていた足腰が揺れて、ふらりと後ろの玉座にへたりこむ。国王の頭に奉げられた王冠がずれて落ち、がらんと地面に転がった。


 竜とは絶対の超越種である。

 精霊すら凌駕するその生命の前では、人間など平民にも王にも差異はない。


 男の権力の象徴でもある王冠に視線を落としてしばらく呆然としていた国王は、両脇にひかえた近習からの視線に気づき、弱々しく顔を持ち上げた。


「それは、確かなのか。他の魔物を見間違えただけではないのか」

「……確かに竜でございます。自分も外に出て、確かめて参りました」 


 わずかな希望にすがった問いかけを即座に否定され、国王は絶望の吐息を漏らした。


「なんということだ……」


 顔を覆う。

 治世数十年を経て、そろそろ息子に後を託そうと考え始めていたこの時に、竜などというとんでもない災害に見舞われるとは。


 そもそもが、と恨みまじりに考える。

 瘴気に汚れた痩せた土地しか近くにない、こんな国を襲ってどうするというのだ。襲うならもっと水や土地に恵まれた、裕福な南の国々を狙えばよいものを――と、そこであまりに非建設的でないことに気づいて、頭を振った。


 ただの平民であれば、逃れられない死を前にしてどのような夢想にふけるのもいい。


 しかし男は王だった。

 王には果たすべき責務がある。


 男は決して賢王でも名君でもなかったが、今まで長年その玉座に座り、その責務を果たしてきたことは事実だった。


 はたとそれで思いつき、近習に顔を向ける。


「――民は。どうしている? パニックなど起きてはいないか」

「起きております。家財をまとめ、逃げ出そうとしている者も多数。暴行や、略奪が始まるのも時間の問題でしょう」

「いかん」


 竜の威光を目にすれば、平穏と常識などたちまちに砕け散る。

 混乱した衆民がどのような行いにでるか、国王には容易に想像がついた。


「兵を出せ。誘導を開始せよ。都の外へ逃げたいという者はかまわん、城内に避難したいという者がいれば必ず受け入れよ。食料庫や金庫にも兵を送れ、暴徒が押し寄せるやもしれぬ」

「はッ!」


 常識的な範疇には留まるが、的確で素早い指示に、それまで国王と同じく顔色を失っていたばかりの家来達が動き出す。

 その精励さは、身体を動かしていた方が恐怖がまぎれるからという理由にあることも国王は理解していたが、あえて口にはしなかった。


「陛下!」


 慌ただしくなった玉座の間に、よく通る声が響いた。

 肩で風を切り歩いてきた若者は、国王の息子だった。既に次代の王として認知されている第一王位継承者は、その若く引き締まった身体に輝く甲冑を身に着けている。


「なにをしておる。王子よ、お前も避難の誘導を手伝わないか」

「避難ではありません!」


 昨年二十を迎えたばかりの若者は、毅然とした態度で王に向かって口を開いた。


「なにをなさっているのですか、陛下。竜がやってきているのですよ!」

「わかっておる。だから、避難をさせるのだ」

「そうではありません!」


 大仰に頭を振って、


「民の避難は大事でしょう。無辜を護ることは王たる者の義務です。しかし、ならばこそ、我々はあれを相手にする用意を整えるべきではありませんか!」

「竜を相手にする……?」


 国王はぽかんと口をあけた。

 ややあってから、かすれた笑い声をあげる。この非常事態にとっておきの冗談を聞いて、国王は涙を浮かべて笑い転げた。


「王子、我が王子よ! そなたが英雄思想にかぶれていることは知っていたが、まさかそこまでとは思わなかったぞ。竜を倒す? 伝承歌か! ふざけたことを言うでないわ」

「ふざけてなどおりません!」


 王子は憤然と拳を振り上げた。


「竜は現実に存在しているではありませんか! 今、大空を飛んでいるあれは御伽話ですか!?」

「……竜ではない。竜を倒そうなどという戯言を言っておるのだ」


 国王が肘掛に立てた腕に頬をのせて、


「人間が万を数えて集まろうと、竜は倒せぬ。そんなことはわかっておるだろう」

「そんなことはありません!」


 若者らしい素直さで、王子は即座に否定した。


「人々の力を結集すれば、成せぬことなどなに一つとしてこの世にはありません! 竜を倒すこともです!」

「馬鹿なことを。第一、竜がこの国に降りてくるかどうかはまだわからぬ。このまま、違うどこかへ飛んでいってくれるかもしれん。我々はそれを祈って逃げ隠れ、じっと息を潜めておけばよい」

「準備もなくただ震えていて、いざ竜がやってきたらどうします!」

「その時は、それがこの国の運命だったということだ」


 醒めた諦観で国王は言い切った。

 頬をひきつらせた王子が悲鳴に近い唸り声をあげた。


「それでは敗北主義ではありませんか!」

「その通り。竜には敵わぬ。勝負にすらならん。我が国程度の兵力でなにができるというのだ」


 イースラントは小国である。貧しい土地と少ない人口では、召抱える武力もたかが知れている。

 しかし、王子はにやりとした笑みをみせた。


「――いいえ、陛下。我が国には、我が国ならではの戦力がございます」

「冒険者か?」 


 相手の意図を読み取って、国王は唇を曲げた。


 イースラントの国内には多数の冒険者が存在する。

 それは大陸の北に眠る数々の亡国、そこに残る財宝や秘密を狙ってのことで、彼らはイースラントを経由して瘴気の土地に向かおうとするのだった。


 元々、イースラントという国は、北大陸に漂う瘴気の“南下”を押しとどめる為、山脈の隙間と言うべき盆地に人が集まり、集落を成したのが始まりだった。

 打ち捨てられた大陸の北方への玄関口。特に産業のないこの国にとっては、そうして訪れる冒険者が経済に及ぼす影響は大きく、ほとんど唯一の収入源とさえなっていたが、


「あのような連中になにが出来る。所詮は無頼だぞ」


 吐き捨てるように国王は言った。


「野盗と変わらん輩を率いて、統率などできようはずもない。そんなものが戦力になるものか。王子よ、そなたは自分が伝承歌の登場人物にでもなったつもりでいるのではないか?」

「私が何者であるかは、後から誰かによって語られるでしょう」


 揶揄する言葉に、王子は頬を染めることなく応えた。


「それで愚者と罵られることになろうと、私はかまいません。――陛下、お願いします。やらせてください」


 一歩も引かない態度で自分を見上げる息子に、国王は深々とため息をついた。


「それがそなたの考える王の在り方か。勝算のない戦いに身を投じ、兵を殺し、国を滅ぼすことが?」

「勝算はあります。ちょうど今、城下には音に聞こえた勇者一行も滞在しているのです。陛下も噂でご存知でしょう、“極光の黄昏”と異名を持つ、あの大陸一の勇者達がです! 他にも腕に覚えのある者は大勢おります。彼らの力を結集し、必ずや竜を仕留めてごらんにいれます!」


 自称勇者なら、自分も今まで何人にも出会ってきたことがある国王は、しかしそれを口にするかわりに、もう一度のため息で応えた。


「……わかった。もうよい」

「それでは!」

「軍権を任せる。好きにするがいい」

「ありがとうございます! 民からも兵を募ります!」

「無理強いはさせるな。逃げようとする民に強制させる真似は許さぬ」

「はッ。誓ってそのようなことはいたしません。それでは陛下、行って参ります!」


 意気揚々と引き下がる息子を見送った国王は、問いたげな視線の近習に気づいて顔を向けた。


「なんだ?」

「……よろしいのですか。若様は、あれでは」

「かまわん。ああも大言を吐いたのだ。国を滅ぼして、おめおめと生き残れるほど太い肝でもあるまい」

「陛下――」


 近習が口をつぐむ。王が、すでに自らの国を亡国と見ていることを悟ったからだった。

 青ざめた視線を受けて、国王は乾いた笑みを漏らした。


「国などいつか滅ぶものだ。だが、巻き込まれる民はさぞ迷惑であろうな。せめて、少しでもできることはしておかねばなるまい。――民を避難させよ。近くの町や村に分散して、できるだけ都から距離をとるのだ。食料や資材もありったけを運び出せ。せめて民の避難の間だけでも、我が王子が竜の目を引きつけてくれることを期待しようではないか」


 肉親を囮として扱うことをはっきりと言明して、老いた国王は周囲に指示を飛ばした。



 竜の襲撃を受けたイースラントの都は、たちまち混乱と騒乱の渦に落ちた。


 自身のつくりあげた青空を旋回しつつ、蜘蛛の子を散らすような眼下をつまらなそうに眺めていた黄金竜が、やがてその都からそれまでとは異なる気配が立ち昇り始めたことに気づいた。


 大勢の意志や気運が、大気に満ちるマナに働きかけて騒ぎ出す。


 竜が咆哮した。

 まぎれもない闘争の予感に応えた、歓喜の雄叫びだった。



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