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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 伊藤
竜騒動 後日談
13/18

ルクレティアの結婚話 「誇りある令嬢、情けない主人」 晩編

 シィがドラ子を抱えて戻ると、入り口からやってきた人物とちょうど顔をあわせた。


「ただいま。シィちゃん、下いってたの?」


 短めの髪に両耳にかかる後れ毛だけを長く伸ばした少女、人狼の血をひくカーラがにこりと微笑む。

 シィはこくりと頭を頷かせて、それから相手の後ろに他の姿がないかどうかを確かめた。


「……マスター、は」

「マスター? 帰ってくる時には会わなかったけど。なにかあった?」


 訊ねられたシィは少し困ってしまう。


 洞窟に出入りする二人の人間の女性、カーラとルクレティアの仲が微妙であるということは、シィもよくわかっていた。

 その一方の女性が関わる話題について、もう一人に話してしまってよいものかどうか。

 かといって話さないでおくのもどうかと思ってしまうのは、シィが昔、妖精の集落で他の仲間達のあいだに打ち解けられず、寂しい思いをしたことがあるからだった。


 だから、さんざん迷ったあげく、シィはぽつりぽつりとスケルから受けた話を漏らしてしまい、


「ルクレティアが――?」


 それを聞いたカーラが深刻な表情になるのに、慌てて背中の羽を震わせた。


「でも――まだ。そういう話かどうかも。スケルさんの、早とちりってことも……」

「ボク、ちょっと行ってくるっ」


 なんとか取り繕おうとする言葉も半ばのうちに、カーラが駆け出していく。

 すぐに洞窟の暗がりの奥へと消える後ろ姿を見送って、シィは困りきった表情で羽をぱたぱたと振り、急いで自分も後を追いかけていくことにした。



「ルクレティア!」


 扉が大きく開け放たれる。

 自室で仕事を続けていたルクレティアは、勢いよく現れた人物の顔をちらりと確認すると、隣に申し訳なさそうに佇むシィ、両者を案内してきて露骨に顔をしかめている女中の表情を見てから、小さく息を吐いた。


「どうしても、お嬢様に会わせて欲しいと……。何度もお断りはしたのですが」

「いいえ。ありがとう、お茶をお願い」


 忌々しげな目線で横を見る女中を下がらせてから、ルクレティアは二人を室内に招き入れた。


 黙ったままカーラが椅子に腰を下ろす。

 口を開かないのは、言いたいことがないわけではなく、その逆だった。


 カーラの隣に座ったシィは、室内の冷ややかな気配にいたたまれず、今は他の相手からは見えないように隠している背中の羽をそわそわと擦らせている。


 やがて、女中がお茶を入れて戻り、嫌そうに二人の前に置いて部屋を去ってから、ルクレティアが口を開いた。


「カーラ。貴女がこの家にやってくるとは珍しいですけれど、いったい何用です?」

「話があるんだ」

「ですから、何のお話ですか」


 自分も用意されたお茶に手をつけながら問う。

 カーラは、しばらく視線をルクレティアと、テーブルの上のティーカップを行き来してためらう様子をみせてから、


「――結婚って。ホント?」


 意を決した表情で訊ねた。


「結婚? ……どなたかご結婚なさるのかしら」


 カーラが苛立たしげに頭を振り、


「だから。ルクレティアが、結婚するっていう話だよ」

「私が?」


 ルクレティアが怪訝に眉をひそめた。

 一体、何を言っているのかと相手の正気を疑ってから――ふと気づく。脳裏に全身が真っ白い、おっとり垂れ目の魔物の笑みを思いつき、そういうことかと渋面になった。


 口を開きかけ、目の前の相手がひどく真摯な眼差しでいることに、ルクレティアは舌に乗せようとした言葉を飲み込んで、唇の端を薄く持ち上げた。


「――だったら、どうだというのです?」


 冷ややかな言葉が流れる。


「私がいつ、どこの誰と結婚しようと、それが貴女にいったいなんの関係がありますか。それとも私が結婚をするのには、貴女に事前に話し、許可を受けておくべきとでも?」

「そうじゃなくて、マスターが」

「いつご主人様に許可を頂こうと、それも貴女とは関係ないことでしょう」

「言ったの? マスターに」


 びっくりしたように目を見開く。

 それでルクレティアは相手の訪問の意図を理解して、同時に相手が誤解している内容すら誤解していることにも気づいた。


 口元の笑みを一層冷ややかに吊り上げて、


「おかしなこと。言うもなにも、結婚する本人に、話がいっていないわけがないでしょう」

「マスターが? ルクレティア、と――」


 ぽかんとしたカーラは、そこで初めてその可能性に思いついたらしかった。

 言葉を失って絶句する。


 その発言がよほど衝撃的だったのか、血の気まで失った様子で硬直する相手を、ルクレティアがしばし意地悪い心地で見つめていると、ふとカーラの隣から控えめな抗議の眼差しを感じた。

 胸に人形じみた生き物を抱いた少女風の魔物が、精一杯の感情を込めて目線を送っている。その瞳にあるのが怒りではなく、悲しみに近かったから、ルクレティアはそっと嘆息を漏らした。


「嘘ですわよ。冗談です」

「……冗談?」


 まだ事態を把握できていない相手に、苛々とした目線を叩きつけて、


「私がご主人様と結婚するというのがです。そんなこと、わかりきっているでしょう」

「――あ、そっか。そっかぁ」


 ほっとしたように肩の力を抜いたカーラが、がくりと頭を落とす。

 安堵しきった様子の相手から、まるで騙されたことに対する怒りの気配が立ち昇らないことに、理不尽なことにルクレティアの方が逆に腹を立てていた。


「何故、貴女はそうなのでしょう」


 豪奢な金髪を振り、ルクレティアは抱いた感情をそのままに曝け出した。


「騙され、理不尽な扱いを受けて、どうして怒ろうとしないのです。自分が我慢すればそれで事がすむとでも思っているのですか? そんなだから、貴女はいつまでたっても町中から白い目で見られているのですわ」


 顔を上げたカーラに、ルクレティアは留まることなく続けた。


「以前にも言ったでしょう。黙って善いことをしていればいつか報われるなどということはありえません。報われたいなら、認められたいならそのことを周囲に発信していくべきなのです。カーラ、貴女はもっと怒るべきではありませんか」

「……負けたく、ないから」


 そっと囁かれた言葉の意味を、ルクレティアはすぐに理解した。

 ウェアウルフの血をひく少女は、感情を昂らせると自分を見失ってしまう。誰彼構わず殺してしまいかねない、生まれついての呪縛を持っているから、それを抑制するためには感情を制御しておかなければならない。


「狂暴化したくない。その為に、常に自分の感情を押さえ込み、満足に怒りを表すことすらできないというのなら――哀れですわ。私は貴女を哀れみます、カーラ」


 ルクレティアははっきりと吐き捨てた。

 激しい台詞の連続に、それを叩きつけられたカーラはやはり怒る様子もないまま、穏やかな表情で首を振った。


「そうじゃなくて。ボク、自分に負けたくないんだ」


 ――どこまでも甘い。


 ルクレティアは苦々しく顔を歪めて、息を吐いた。


「自分とは、いったい誰のことですか」

「え?」

「自分などというものは存在しません。それは結局、他者との関係性においてのみ形を結ぶだけの虚像です。確かな自己などこの世の中に存在しないのですよ。自分に負けない、などというのは結局、明確な目標にすらなりえません――自己満足にも変わらない、ただの戯言でしょう」

「ルクレティアは厳しいね」


 苦笑したカーラが、でも、と笑みをおさめてから真剣な表情で続ける。


「自分に負けたくない。その為に、負けたくない誰かなら、いるよ。いっぱいいる。ルクレティア。それに、スラ子さん。スケルさん。……シィちゃんも」


 自分の名前を呼ばれたことに驚いた表情になる妖精に、カーラは穏やかに微笑んでから、


「ドラ子ちゃんも。地下のエリアルさん、リーザさん。ノーミデスさんだって。……怖いけど、ストロフライさん。いつかのエルフの人。それに、町の人達やリリアーヌにもそうだよ」


 はっきりとした意志を込め、魔物の少女は言い切った。


「――マスターにだって。自分に負けたくないから、ボクは誰にも負けない。負けたくない」


 ルクレティアが言葉を失った。

 ただのおためごかしかと思っていた相手の台詞が、実は自分よりはるかに深い覚悟でそれを語っていたことを思い知らされていた。


「町の人とのことだって。昔のボクは、ルクレティアが言ってたように逃げてたから――もう、負けたくないんだ」


 聞きながら、ルクレティアはカーラが部屋にやってきた時のことを思い出している。


 いかにも嫌そうな表情で案内してきた女中。

 ルクレティアの両親は過去、町を襲ったウェアウルフに殺されている。そして、カーラが同じウェアウルフの血をひいていることは家の者も知っているから、カーラが訪問してきても恐らく門前払いにしようとしたはずだった。


 それをカーラが気にしている素振りがなかったのは、結婚がどうという話に気を取られていたからか、それともいつものことだと我慢しているからだろうとルクレティアは思っていたのだが、そうではなかった。

 傷ついたのを隠していたのでも、怒りたいのを我慢しているのでもない。既にそんなものは、カーラにとって取るに足らないものにしかなっていないのだ。


 ――他愛もない、怒るまでもない小さなこと。


 自分を卑下し、恐縮しているのではない。なるほど、とルクレティアはため息をついて、


「少し、貴女のことを侮っていたようです」


 素直に自分の非を認めた。


「話がそれましたわね。すみません。結婚云々というのは、もうよろしかったかしら」

「あ、――うん。あ、やっぱり待って」

「なんでしょう」

「じゃあ、ルクレティアは、結婚しない。んだよね?」


 恐る恐る確認してくる相手に、


「そうは言っていません」


 ルクレティアはあっさりと首を振った。


「私はメジハの長の身内です。両親がなく、祖父の跡を継ぐのは私の役目になります。次代に家を残す為に、いずれ結婚するのはむしろ私の義務でしょう」

「……それって、やっぱりマスターと?」

「……どうして私が、あんな町外れに住む甲斐性なしの根暗男を夫にしなければならないのですか」


 本気で嫌そうな顔をつくり、ルクレティアは言った。


 カーラが困惑したように眉を八の字にして、


「でも。このあいだ、マスターのことを……あ、愛するって。言ってたでしょ」


 頬を染めながら言葉を紡ぐ。


「私が結婚することと、ご主人様を愛すること。それに、誰か一人に情を捧げるということは、それぞれ全く別の話ですわ」


 さらりと言ってのけてから、相手がまるで理解不能だという顔つきでいることに薄い笑みを浮かべて、


「貴女にとってはそれらが同じなのかもしれませんね。私にとっては違います」


 それに、と付け足した。


「そちらの方が貴女にとってもよろしいでしょう。結婚という人間社会のシステムに添う以上、相手は一人になるのですから。貴女にとってはライバルが一人、減るわけです」

「ボクは別に……!」


 一瞬で首まで真っ赤にさせたカーラが、勢いよく首を振った。


「マスターと、結婚だなんて、そんなこと考えてないよ……」

「あら、そうなのですか。あんな湿っぽい洞窟に好んで生活する相手に、嫁入りしてくれるのは貴女くらいしかいないと思いますけれど。いえ、そもそも町に住むのでなければ別に結婚などという枠組み自体が不要ですか」

「そ、そうだよっ。それに――ボクはこれからも、今みたいにみんなで一緒にいられれば、それで」


 ひっかかる発言に、ルクレティアが眉を持ち上げた。


「仲良しごっこができればそれでいいと? ……理解できません。好いた相手がいれば、独占したいというのが当然でしょう。それを他の誰かと共有できればいいというのは、それこそ惨めな負け犬根性ではないのですか」


 決め付けて言うと、カーラは情けなさそうに顔をしかめた。


「……そう、なのかな」

「そうでしょう。私にとっては、そうです。貴女にとってどうかは知りません」


 ルクレティアの発言に、今度はカーラからの反論が返ってこない。

 先ほどの時とはまるで異なる態度は、恐らくは男女の情に関わることへの免疫がなさすぎるからだろうとルクレティアには思われた。初心すぎる。


 そう思ってから、自分とどこが違うとやや自虐的に考えた。

 色恋など彼女にも経験がない。違うのは、ルクレティアの前にいる相手が、そのことをなにかとても大切なものだと考えていて、ルクレティア自身はただ現実的なものにすぎないと捉えているだけの差だった。


「でも。ルクレティア、マスターにとっては――」


 言いかけたカーラが、ぎゅっと唇を噛みしめる。

 閉じた先にある言葉を正確に把握して、ルクレティアは後を引き継いだ。


「――スラ子さんですか?」


 カーラがこくりと頷く。


「そうですわね。結局のところ、ご主人様を手に入れようとする者に、最後に立ちはだかるのはあの不定形の生き物になるでしょうから」


 ただ一人の為に尽くし、ただ一人の為に存在するという生き物。


「うん。マスターが一番大事なのは、やっぱり。――スラ子さんだと思う」

「……そうなのかしら」


 ぽつりとルクレティアは呟いた。


「どういう意味?」


 ルクレティアは、眉をひそめるカーラと、その隣にいる妖精も神妙な面持ちでいることを確認してから、


「あの二人の関係は、大事とかそういうことよりもっと根深い場所にある気がします。もっと歪で、離れがたい――ほとんど自分自身と変わらないような」

「……それって。マスターが、スラ子さんを作ったから?」

「そうですね。そういうことになるのかもしれません」


 ルクレティアは、彼女にしては珍しくその場での断定を避けた。


 彼女自身、確信じみた思いはあっても、結論まで辿り着いていたわけではなかった。結論を急いでいなかったというのもある。

 結論がでてしまったなら、とるべき行動もまた限られてしまうからだった。


 あの恐るべき不定形の生き物の存在が、彼女の主にとって有害でしかないということになってしまったなら――頭の中の想像をひとまず脇に置き、ルクレティアは頭を振った。


「――カーラ。貴女、言いましたわよね。スラ子さんや、山頂の黄金竜にも負けたくないと」

「……うん、言った」


 正体すら不明の理解できない存在と、この世界でもっとも強大な生命種である竜。

 それを相手にして負けないと言い切った人狼の少女は、自身の大言壮語を恥じてはしても、それを撤回しようとはしなかった。


 その相手を真正面に見据えて、ルクレティアは微笑んだ。好戦的に。


「私もです。どんなおぞましい存在が相手でも、どれほど途方もなく強大な相手が敵でも。私は、私の為にご主人様を利用する為に、負けるつもりはありません。――カーラ。もちろん、貴女にも」


 改めて宣戦布告するような発言に、カーラは大きな瞳を瞬かせて、それから嬉しそうに笑った。


「うん。ボクだって、負けないよ」

「……わ、わたしも――」


 小さな声がそれに続く。

 そわそわと後ろの羽をこすらせて鱗粉を輝かせたシィが、恥ずかしそうに頬を染めながら、うつむきがちに囁いた。


「わたしも……負けたく、ない。です」


 ルクレティアとカーラは顔を見合わせて、それから苦笑にも似た笑みをかわした。


「うんっ。シィちゃんも、ドラ子ちゃんもライバルだねっ」

「あのご主人様は、ヘタレのくせに一丁前に保護欲だけはあるようですからね。あるいはお二人の組み合わせが一番、有利かもしれません。余所ではりあっている間に、あっさり本陣を落とされることのないように気をつけなければいけませんわ。そこの菓子のように」


 お茶と一緒にテーブルに置かれた菓子が、カーラが手をつける間もなく全てなくなってしまっている。

 会話の最中にそれを成し遂げた小さな暴食魔が、空の皿の上で満足げに身体を投げ出していた。


「ごめんなさい……。話を邪魔するの、ダメかと思って――」

「あはは。別に、シィちゃんが謝るようなことじゃないよ」


 自分のことのように頭を下げるシィに、カーラが快活に笑った。


「そうですわ。気づかない方が悪いのです。それに、菓子ならまた持ってこさせればいいだけのことでしょう。カーラ、貴女も一つくらい食べてからお帰りになりなさいな。そのほうがシィさんも気が楽です」

「あ、うん。でも――いいの? ルクレティア、忙しいんじゃあ」


 無理に押しいったことを申し訳なさそうにする相手に、


「かまいません。少しくらい無駄話をしたところで、取り返せないものではありません」


 それに、とそっけない表情でルクレティアは肩をすくめた。


「たまにはこういうものも気分転換になりますわ」


 席をたち、自らお茶と菓子のおかわりを取りに部屋を出る。


 それからしばらく、人間の令嬢と、魔物まじりの少女。妖精とマンドラゴラの小人は、しばらく四人で談笑する時間を過ごした。

 今まで一度もなかった、ひどく珍しい取り合わせだった。



 一方その頃。


 町を出て、そのまま自宅である洞窟に帰らず、近くの森の拓けた場所で最近の日課にしているトレーニングを終えてきたマギが、心地よい疲労を連れて岐路についていた。


 竜騒動で受けた傷のリハビリと、その際に感じた己の貧弱さ。

 それを少しでも改善しようと、せめて魔道のセンスがないなら逃げ足だけでも早めようと肉体鍛錬に出かけ、最近では少しは身体が動くようになっている。


 帰って水浴びでもしよう。その後はスライムたちと一緒にお昼寝だ――と意気揚々と洞窟に帰ったところで、ぎょっとする。

 暗がりの奥から、幽鬼じみた何者かが姿を現していた。


 あわててライトの魔法で光源をつくる。

 そこに浮かび上がったものに、男はさらにぎょっと身をすくませた。


「な、なんだ。スケルか。お前、なにやって――」

「なにやってるように見えますかねぇー」


 いつもは髪も肌も、全身が真っ白い少女は、今は灯りに照らされた髪も肌も、全身がなぜか真っ黒いありさまだった。


「……泥遊びでもしてたのか?」

「あっはっはー」


 マギの回答にスケルが笑う。しかし、目がまったく笑っていなかった。


「こっちのことはいいんですがねぇー。ご主人はいったいどこに行ってたんですかねぇー。その様子ですと、なんだか町帰りって雰囲気でもないと思うんですがねぇー」

「町? いや、町帰りだぞ。ちょっと、帰りがけに身体を動かしてきた。いやー、運動ってのは気持ちいいもんだな! 魔物に襲われる心配がないなら、もうちょっと遠くまで走ってきたいとこなんだが」


 湿気た洞窟に似合わない、晴れ晴れとした表情の男に、スケルは黒いヌメった何かに汚した顔色を変えないまま、


「んーじゃあ、シィさんからお話はうかがってるんですかねぇー。そちらをすました帰り、運動してきたってことっすよねぇー」

「……シィ?」


 男が眉をひそめる。


「なんの話だ?」


 沈黙。


 二人は黙って視線を見つめ合わせた。


 あっはっは、とスケルが笑う。

 洞窟に響き渡る乾いた笑いに、とりあえずマギもつられて笑っていると、


「のんきに笑ってんじゃないっすよー!」


 突如、激昂したスケルが男の顔面をつかみ、あらん限りの握力で締め上げた。


「ぎゃー! 痛い! なんだよ、なんなんだよ!」

「別にご主人が悪いってわけじゃないんですが、人が苦労してたってのに爽やか顔で戻ってこられたら腹も立ちまさー! それにルクレティアさんはどうなったんですか、運動なんかそっちをすませてからでしょうがよー!」

「痛い痛い、やめろやめてやめてくださいお願いします! だからなんのことだよ! ていうか、臭ッ! お前なんだこれ、臭いしネバネバするし気持ち悪い!」

「うるさいっす! ご主人なんて、あっしとおなじように汚れっちまえばいいんですよー!」

「意味わからんわああああああああ!」



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