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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 伊藤
竜騒動 後日談
12/18

ルクレティアの結婚話 「誇りある令嬢、情けない主人」 後編

「ご主人!」


 町から離れた洞窟の奥、隠し扉の中に飛び込んで大声を張り上げる。

 少しして湿気の多い暗がりから顔を見せたのは彼女の主ではなく、人間の子どもほどの体長をした妖精だった。


「お、シィさん。ご主人はもうお戻りで?」


 背中に淡く輝く羽をもつ相手が、ゆっくりと頭を振る。

 彼女の頭には彼女よりさらに小さなマンドラゴラのドラ子がちょこんと腰を下ろしていて、シィの動きにあわせて自分も首を振っていた。


「むう。地下にでも顔出ししてるんすかねぇ。ちょっくら行ってきます。あ、これルクレティアさんからのお土産っす。ほっぺた落っこちるくらい美味しいんで、食べすぎにお気をつけで!」


 胸に抱えていた包みから幾つかを押し付け、スケルはすぐに“家”の手前にある広間へ向かう。

 そこから伸びる袋小路の小道の一つから、下に続く縦穴へ顔を覗かせて、


「ノミさーん。ちょっくらお願いできますかー」


 穴底に声をかけてしばらく待つが、返事がなかなか返ってこない。

 スケルがもう一度口を開きかけたところで、後ろから服の裾を引っ張られた。振り返ると、シィとドラ子の二人が彼女を見上げている。


「……私、運びます」

「お。ありがたいっす。んじゃ、ついでにお二人も一緒に、下でお茶でも飲んできませんか。お茶受けのお菓子もありますし」


 小さな二人がこくりと頷く。

 スケルはにっこりと笑い、シィの身体を抱えてそのまま肩車した。


「なにを――」

「まあまあ。たまにはいいじゃないっすか。それにしてもシィさん、軽いっすねえ。さ、レッツラ行っきましょー!」


 少し慌てた声のシィがふうとため息をつき、背中の羽の輝きを強くする。


「……レビテイト」


 魔法名の宣言にあわせてマナが反応し、体重が消失する奇妙な感覚がスケルの全身を包んだ。

 じんわりと胃が浮きあがる気分を飲み込み、洞窟の縁から足を投げ出す。踏み出された一歩はそこにない地面を踏まない代わり、彼女の身体は沼に沈むように降下を始めた。


 洞窟地下の掘削工事が始まったのは、まだつい最近のことだった。

 蜥蜴人族の居住区を増やし、地下湖以外の食料獲得先を得る。さらには現状では深い縦穴を昇降するしかない地上部分との連結を図り、人的・物的搬入の手段を整える。

 実際の工事には地下に住む蜥蜴人族と魚人族も関わっていて、この洞窟の天然管理者である土精霊とスラ子が地質を見通し、落盤の危険を回避しつつ拡張している。


 決して簡単ではない工事全体の青写真を構想しているのは、町に住む令嬢ルクレティアである。

 彼女の仕事はそれだけではない。


 工事に使用する鉄工具に、地下湖だけに頼っては不足する両種族への食料の用意と搬送。木材と生地という、労働報酬に代わる“嗜好品”の調達、その搬送。洞窟に関わることだけで、それら全ての業務がルクレティア個人の手で処理されていた。

 もちろん、それ以外にも町でやらなければならないことがあり、むしろ本業はそちらになる。その苦労はスケルなどにはとても想像がつかなかった。


 お遊び気分で洞窟にやってきている暇はない、というのは間違いなく彼女の本音でもあった。

 片手で足りる程の人数で洞窟にこもっていた頃と違い、地下の両種族を丸ごと抱え込んだ時点で、魔物達はルクレティアなしには生きていくこともできない状況になっている。


 そうした事態は、ルクレティアが望んだものだった。

 有用性の発露。能力の行使。それがあの女性の希望であり志向であることは誰もが気付く。

 問題は、彼女やルクレティアの主である男が、全くそうした志向の持ち主ではないことだった。


 能力主義でもなければ、結果に拘るわけでもない。人情主義、温情主義といえば響きはいいが、人の上に立つ者がそれだけでは組織は成り立たない。

 ルクレティアの考え方との食い合わせも悪く、両者が互いに自分の不足を補える関係であるならまだしも、そういうわけでもない。


 ルクレティアはさぞ歯がゆい思いをしているはずだ。スケルは考えた。

 まるで自分と折り合わない上司を持ち、そのことを意見しようにも、その主の傍らには常にある存在が侍っている。


 今のままの男を全肯定する相手。

 ――それは望むものはなんでも叶え、与えてくれる。


 代わりに奪われるのは男の未来だ。


 現実を否定しなければ変化はない。それでも、主人がそうした危機意識を自ら持ち続けているあいだはいいが、いつかそれが磨耗してしまった時にどうなるか。

 男は、傍らの相手に全てを委ねてしまい――とり殺されてしまうことになる。


 ルクレティアの発言に秘められた考察を全て察していたわけではなかったが、似たような危機感をスケルも抱いていて、ため息をついた。


「……?」


 頭の上からの不思議そうな視線に苦笑する。


「人間関係ってのもなかなか難しいなあと思いまして」


 スケルに肩車をされたシィが小首をかしげ、それからよしよしとスケルの頭を撫でた。

 考え事をしているうちに下層に辿り着き、スケルはシィとドラ子を肩に抱えたまま歩き出した。松明の用意をしていなかったので、シィが頭の上からライトの魔法を掲げる。


「迎えが遅かったか。すまない、今ノーミデスを呼びにいかせていたところだ」


 少し歩いた地下湖のほとりでスケル達を迎えたのは、薄い肩がけを巻いた美貌のマーメイドだった。


「こんちは、エリアルさん。なにかありました?」

「少しおかしな水が染み出しているところがあってな。寝ているところを悪いと思ったが、少し様子を見にいってもらってる」

「ああ、今日はスラ姐が外に出ちゃってますもんね。忙しい時にすみません」


 湖畔にはちょっとした平台のテーブルと、座椅子が用意されている。木製のやや不恰好なテーブルは蜥蜴人族が作ったものだった。


「お茶でいいかな」

「あざまっす。あ、これお土産です。皆さんで食べてくださいな」

「ありがとう。蜥蜴人族と分けさせてもらうよ」


 魚人族は水棲の種族だが、最近は陸での生活も手馴れてきている。すぐに用意されたお茶をひとすすりして、スケルはほうと息を吐いた。


「甘ぁいお菓子に、塩っけのあるお茶が合いますねぇ」

「それはよかった。……む、なんだこれは。とてつもなく美味いな」


 一欠片だけを口にして目を丸めると、エリアルは残りをテーブルの上に戻した。口にあわなかったのではなく、群れの他の者達にも分け与えるためだった。


「それで、今日は何だ。工事の進捗を見にきたのか? 話し相手になってくれるだけでも、私は嬉しいが」

「あ、そうでしたそうでした。うちのご主人、こっちにやってきてないっすかい?」

「いや、来てはいないな。私はずっとここにいたから、誰か降りてくればすぐにわかるはずだが」


 ふうむとスケルは腕を組み、シィを抱えたままであることを思い出して、自分の隣におろした。エリアルがシィの前にお茶を差し出す。

 シィはぺこりと頭をさげて一口し、熱かったらしく、すぐに唇を離した。


 シィの頭から滑り降りたドラ子が嬉しそうにテーブルの上の菓子に飛び掛って行くのを見守りながら、


「てことはまだ洞窟に帰ってなかったんすかねぇ。町を出てしばらく経つってのに、いったいどこで道草を食ってやがりますか」

「マギがどうかしたのか?」 

「ご主人がってわけじゃないんですがねー」


 スケルが先ほどのやりとりを話す。話を聞いたエリアルは興味深そうに目を瞬かせた。


「結婚。私達にはあまり馴染みのない問題だな」

「魚人族の皆さんは群れ社会ですもんね。や、群れっていうなら人間の集落だってそうですが」

「こちらでは、まず家屋というものがないからな。水の中全てが家みたいなものだ。だから、家族というなら群れ全体がそうなるのかもしれない」

「地上と水中じゃ違いますしねぇ。同じ地上でだって、家族の在り方なんざ人間と魔物でも違いますし。妖精族の皆さんも群れですしね」


 黙々と、渡された菓子の端をかじっていたシィが、上目遣いを向けて小さく頷く。

 くすりと微笑んだエリアルが、ふうと息を吐いた。


「慣習、生態の違いか。……似たようなことはどこにでもあるものだな」

「魚人族さんの方で、なにか問題が?」


 スケルが訊ねる。エリアルは困ったように眉をひそめた。


「今はまだ、群れ総出で新しい命の誕生を待っているところだ。その後のことを考えると、色々とな」


 ああ、とスケルは頷いて、


「群れの中に男の方がいないってのは、やっぱり色々と厳しくなっちゃいますか」

「そのことでマギに相談したいことがあったんだが。そちらも色々と大変なようだから、時間をとらせるのも少し気後れするな」

「そんなもん気にする必要ありませんって」


 スケルはぱたぱたと手を振った。


「一応、ご主人はストロフライの姉御から地下の監督を任されてるわけです。どんな難問だろうと、いくらでも突きつけちまえばいいんです」


 だいたいですね、と朗らかに続ける。


「うちのご主人は、自分から手を広げるような器じゃありません。多少、周りから強引に引っ張って、無理やりに器を広げっちまうくらいで丁度いいんすよ。どんな騒動、どんと来いっす!」

「相変わらず、ひどい言い方だ」


 苦笑するように肩を揺らし、エリアルは思慮深げに瞬きを落とした。


「……そうだな。それじゃ、近いうちにマギに相談に乗ってもらうことにしよう」

「やっちゃってください。なんでしたら自分からご主人に伝えといても――そのご主人は、まだ帰ってこないんすかねぇ」


 スケルの発言に応えるようにテーブルに置かれた反応石が震えた。地上の洞窟入り口を誰かが通ったことを示している。


「お、噂をすれば。じゃあちょっくら上まで」


 いってきます、とスケルが言いかけたところで、振動と、それから怒号のような音が地下空洞に鳴り響いた。

 それに交じって、遠くからの悲鳴。


「いーやあああああああああああ~」


 どこか間延びしたその声は、この洞窟の天然管理者であるノーミデスのものだった。


「どうした! 落盤かッ?」

「黒い水が! ドロドロがー!」


 ばたばたと魚人族が入り乱れ、奥から掘削作業をしていたと思われる蜥蜴人族が運ばれてくる。彼らの身体には泥のような粘着質の汚れがべったりとまとわりついていた。


「……何かの事故らしい。とにかく行ってくる。見送りができなくてすまないが、」

「あっしもご一緒しますよ。人手があったほうがいいかもしれません。――シィさん、上にいってご主人がお戻りなら、さっきのことを伝えといてもらっちゃくれませんかい?」


 小さな見かけで、その場にある菓子を全てたいらげてしまいそうな勢いのドラ子を胸に抱いて、シィが小さく首を傾げた。


「……こっちに、連れてこなくても?」

「ご主人が降りて来たところで、邪魔になるだけっす」


 自分の主人が役立たずであると、いっそにこやかにスケルは言い切った。


「そんなら、ご主人にはルクレティアさんの方をなんとかしてもらっておきましょう。そっちはどうやら、ご主人が適役だと思いますんでね。シィさん、頼みましたぜー!」


 口早に言い残し、スケルとエリアルの二人はまだ細かな振動の続く地下奥へと向かっていった。 


 ぽつんとその場に残されたシィは、困った顔で胸元のドラ子を見て。

 テーブルの菓子に向かって手を伸ばしてじたばたと暴れる相手をめっと叱ってから、言われたとおり、男を迎えに地上へ続く縦穴へと歩き始めた。



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