01
今夜は満月だ。
「葉月さん、こんばんは」
窓から差す月光を浴びてこれでもかとキラキラ輝く中世ヨーロッパ貴族もどきの男。あるいは騎士。
満面の笑みで、心の底から嬉しそうに私の前でひざまづく。それから手の甲にキスをする。貴族の挨拶だって言うのは映画や本で見たことあるから分かるけど、実際にこういうことをされる機会って普通無いよね。普通じゃないからこういうことが起こっているんだけども。
「こんばんは。1ヶ月ぶり」
夢の中にいるようで、夢じゃない。
満月の夜、私のお気に入りの西洋人形は常識の範囲を越えた変貌を遂げる。
碧は、満月の一夜だけ人形から本物の人間になる。
というか、元々は人間だったみたいだから『戻る』って言った方が正しいけれど。碧は何百年も昔、悪い魔女に人形にされてしまい、それ以来ずっと売買されて各国を転々と渡って来たのだそうだ。そして今は日本のただのOLが持ち主になったという訳。それが私。
「葉月さん、眠くはありませんか?今日はお仕事が長引いてらしたようです」
「ああ大丈夫だよ。帰ってくるのはちょっと遅かったけど、仕事の方は実はいつも通りに終わってたの」
今夜は一ヶ月ぶりに碧に会えるから早く家に帰りたかったのに、仕事を終えて帰る支度をしていると同僚に足止めを食らっていたのだった。
「そうでしたか。なら良かった。でも貴女に無理をさせてしまうのは僕の本意ではありませんから、葉月さんが眠くなったらお休みになって下さいね」
「全然眠くないよ、大丈夫。私これでも楽しみにしてたんだから」
最近買った電気ケトルでお湯を沸かし、ポットに二人分にしては多めの紅茶を作る。貧乏なせいで相変わらずティーパックだけど、私にしては結構良いものを買ったつもり。しばらく蒸らせてからカップに注いで一つを碧に渡す。
碧は照れた様に笑った。
「ふふ、嬉しいです。葉月さんは優しいですね」
そんなことないよ、と私も笑って、他愛のない話をお互いに絶え間なく話す。笑って、不思議がって。碧は見た目クールな容姿なのに意外と喋り上手の聞き上手で、彼と話すのは本当に楽しかった。満月の一晩だけ彼とこうして話をすることは、私にとってここ最近で何よりの癒しとなっていた。
しかも、今回の満月はなんと都合の良いことに明日が休日なのだ。碧が人形に戻ってしまうその時間ぎりぎりまで彼と話が出来ると言うこと。明日の仕事のことを気にしなくてもいい。わーい!
私は2杯目の紅茶を注ぎながら、そういえばまだ肝心なことを聞いてないと思ってそれを聞いた。
「ねえ、どうしたら魔女の呪いを解くことが出来るの?」
「それは、その。…すごく難しくて」
「難しいのは付き物でしょ。やっぱりその魔女を倒すとかそういうのなの?」
「その手段は一つとしてあります。本来呪いをかけた術者を絶つ事はパソコンで言うとCPUを破壊する事でパソコンが呪い自体だとすると再起不能になりますよね、それから…」
「ちょっと待って例えがすごく現代!正直よく分からない」
「ああ、すみません。つい…」
『つい』って!軽く衝撃だった、見た目は大昔の西洋貴族or騎士の装いで口から出た言葉がCPU。なんという異空間。
「魔女を倒す事で呪いは消えます。しかしそれはある意味一時的なものなのです。魔女は馬鹿ではありませんから、命の予備を作っているものなのです。或いは後継者にその才知と魔力を過去の呪いごと丸々移すといった対策もしている筈です。CPUは交換すれば直ってしまいますよね、それが言いたかったんですが、つまりは費用対効果が少ないという点であまり有力ではないんです」
「そっかぁ。そうなんだ」やっぱり分かりにくい。
「魔女自体も何処にいるのか、そもそも時代が時代です。まだ僕の呪いが解けていないということは魔女の力がまだ残っていると言うことではありますが…」
「だけど、探すのが大変よね。他の解き方は?」
「それがその、また厄介で」
紅茶の湯気はすっかり消えている。
「呪いをかける時に魔女はある一つの“鍵穴”を作るんです。これにあう鍵、つまりある一つの条件を満たせば呪いは解ける様になっています」
「へえ…で、その条件っていうのは?」
「それが、分からないんです」
わあ、それは途方に暮れるよね。。