五日目(金) ~シン~
時は少し、遡る。そう、サブタイトルの通り、五日目の終わりへと。
ガタリ。
ドアの開く音がする。シンの鋭敏な聴覚がそれを捕える。ゆっくりと枕元から立ち上がる。時刻は深夜だが、元々丸二日徹夜するつもりだったシンにとって、体力と精神力、集中力は十分に維持されている。
部屋を出る直前、ちらりと部屋を…ベットで蹲るように眠るパルカを、最愛の妹を見やる。
(かならず、守ってみせます。)
そう決意し、気配を消して相手の動向を察知するのに専念する。
トッ、トッ、トッ…。
限界まで消された足音は、相手が相当の強さを持つ事を物語っている。だが、この音は、階段を降りる音。
(という事は、地下室に行くようですね…。好都合です。)
気配を消したまま、ゆっくりと地下室へと向かう。住み慣れた自分の家だ。目を瞑っていても余裕でたどり着ける。閉めるときに鳴る音を警戒したのか、僅かな隙間を残したドアをゆっくりと開け放ち、
「こんばんは。こんな夜中にウチの事務所に何のご用でしょうか?」
電気を灯して侵入者たちに陽気に声をかけた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おお、あんさん、ずいぶん気さくなやっちゃな。ワイらの事、知らへんわけでもなかろーになー。」
「楸シン、だな。」
「どんな時も挨拶は欠かさない様に気をつけてるんですよ。」
(相手は二人、か…。)
素早く目線を走らせ、相手の情報を少しでも得ようとする。シンの能力『最善』にとって、敵の情報は生命線である。少しでも集めておくに越したことはない。
一人は、長身細身の黒ずくめ。深く被った黒のニット帽と、黒のタートルネックの高い襟元のせいでほとんど顔が見えていない。というか、長袖長ズボン、極めつけは黒の革手袋と、肌の露出がほぼ無い。顔が見えない、即ち表情が読めないというのは、情報戦においてやや厳しい。
もう一人は、方言の混じった言葉遣いの大男。無駄のない筋肉を見せつける様なランニングのTシャツに、頭には柄物のバンダナ。顔には榎田やシンとは違うタイプの笑い顔が張り付いている。嗤い顔、とでもいうべき顔が。
二人とも完全に季節感無視だが、そんなことにいちいち突っ込むほどシンは酔狂ではない。
「ええ、仰る通り私が楸シンですが。なにかご用ですか?」
「君に用は無い。未来予知能力のある、君の妹の居所を教えてもr」
「まーまーまー。ゼツやん。そんなにカッカすんなやー。ワイは、あんさんにも用事があんねん。えーかな?」
「なるほど。そう誤解したせいでパルカちゃんを狙おうと。情報源は、いままで助けた人たちですかね…。納得です。で、私に用事ですか?何でしょう?聞くだけ聞きますが。」
「ウチの…『姓無』の一人、ジュウってえやつがここの人と戦って、結構つよかったゆーとったんや。それはあんさんか?」
(やはり、『姓無』。しかも、ここにいない人間が最低一人、恐らく柊さんが相手取った者…。)
『姓無』については、確認にすぎない。この自分がすくむほどの、これだけの殺気、単なるテロリストのはずがない。だが、人数は、有力な情報だ。
この後の、この二人を片付けたあとの作戦に関して。
「私ではありませんねえ。」
「そーんなや。残念やなー。んじゃ、質問変えたったるわ。」
そう言って、ニヤリと、嗤う。さっきまでの殺気が、さらに倍増する。歪んだ嗤いのまま、最強の殺人鬼『姓無』は告げる。
「あんさんは、そいつよりつよいんか?」
「ええ。私の教え子ですから。」
「…カカカッ!即答かいな!ええで、あんさん、気にいったで。…そやから。」
そう言って、より一層嗤いを深める。目が、喚起と狂気に妖しく輝く。
「ワイと、殺し合おう。この『姓無』最年長の、コウと。」
言うや否や、真正面から打ち出されたような速度で、殺人鬼が飛びかかる。人間の常識の壁を越えた、向こう側の世界の戦闘…、いや、殺し合いが、始まりだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ッ!!!」
横に跳び退って回避するシン。
ゴゴバッ!
派手な音をして、砕け散る。
コンクリート作りの、床が。まるで隕石でも落ちた後のようにクレーター状に抉れた破壊痕を見れば、避け切れなかったらどうなっていたかは一目瞭然だ。凄まじい破壊力、人間離れしたスピード。
だが。
(勝てない相手では、無さそうですね。)
見栄でも虚勢でもなく、シンはそう思った。確かに人間離れしたスピードだが、辛く採点しても自分と同程度でしかない。破壊力は自分よりはるかに上だろうが、これは回避できるのなら問題ないのだから。
そして、見たところ、武器の類は、この男は持っていない。ならば、自分の指弾を使って距離を取りつつ戦えば、負けは無い。
(あとは、もう一人の動きに気を配って、)
「よそ見はナシやでえ!これはタイマンや!ゼツにも手出しはさせへん!」
ザリッ、という嫌な音と共に、シンの凭れていた壁に爪痕が入る。前屈みにかわしたシンにそのまま打ち下ろしを狙う。
「だから、ワイだけに集中せえ!」
が、間一髪で横っ跳びに回転し、距離を取る。と同時に、
(この一撃で、決める!)
両手に握った鉛玉を、手加減なしの全力で打ち出す。狙いは、こちらを向いた顔のうち、さらに急所である、眼球。
左右一発ずつの指弾が銃火器をはるかに上回る速度で打ち出され、正確に殺人鬼『姓無』の目玉に吸い込まれていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カランッ。
「なっ!!!」
狼狽した悲鳴は、シン。彼には、その前の音が、何の音かを考える余裕さえ無かった。
(指弾が、効かない!?弾かれた!?なぜ?)
確かに急所に打ち込んだ。スナイパーの常識にもれず、しっかりと着弾を見届けた。見届けなくても、避けられなかっただろうタイミングで撃ったし、見たところ避ける素振りも無かった。
避ける、素振りも無かった。
避けようと、しなかった。
(なぜ!?威力だけならライフル弾と比べても遜色無い指弾が、なぜ効かない!?瞼など、鍛えようのない部位のはず…!?)
「あんさん、やっぱえー腕しとるでー。あの一瞬でワイの振り向きを計算、しかも的確に目ん玉狙うなんてのー。やけど、おしいな。」
「……。」
「今、必死に考えとるんちゃうん?なして効かへんのか。何が起きたんか。なんならおしえたったろか?」
「……ッ!」
話し込む殺人鬼を遮って数発の指弾を放ち、それを目くらましに懐に飛び込む。狙いは、鳩尾。的確に計算された蹴りが的確に胴体に吸い込まれる。体重の乗った、威力だけなら先の指弾を大きく上回る一撃。
ガキンッ
発されたのは、肉と肉がぶつかり合う音では無かった。まるで…。
そう。
まるで、金属音のような。
金属を蹴りつけたような。
「なっ…。」
必殺の一撃を守る動作さえ無く防がれたシンに、動揺が走る。そしてその動揺は、一瞬の隙を生む。ほんの一瞬、しかし取り返しのつかない一瞬。
「ほか、聞きとーはあらへんか。なら、よっと、いくでえ!」
「っ!」
蹴りこんだ左脚の足首を捕えられ、接近戦からの離脱を封じられる。と、同時に、見上げるような姿勢から見えるのは、
不気味に笑う殺人鬼と、
大きく振り上げた右の拳だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はあっ!はあっ!はっ!」
「あんさん、ずいぶんと頑張るのー。そろそろ失血きついんやないんかい?」
「そっちこそ、全部防ぐのは出来ないみたいですね…。」
シンの言うとおり、殺人鬼、コウも無傷では無かった。着ていたTシャツは指弾で穴だらけになり、その内いくつかからはしっかりと出血している。だが、いずれも急所を外したものばかりで、致命傷には至っていない。
それに対して、シンは間違いなく致命傷だった。ダメージを受けているのは、左脚。一撃、ほんの一瞬の隙を突かれた一撃以外は、すべての攻撃をかわしている。
だが、その一撃は、シンの左脚を文字通り吹き飛ばしていた。
振り下ろされた右の拳を、体幹の筋肉だけでかわしたが、捕えられている左脚はどうにもならなかった。膝を砕かれ…文字通り砕かれた為に左脚が千切れ跳んでいるのだ。
それから、シンは片足だけで全ての攻撃を避け切っていた。時に転がるように、時に左腕を足の代わりにしながら、全力で避け、その合間に指弾で反撃を続けた。もう一撃くらえば死が免れないのは分かっていたが、逃げていては勝てない。シンはまだ、勝ちを諦めてはいない。その過程で、情報を得、『最善』の能力につぎ込む。
(恐らく、コウと名乗ったあの『姓無』の異能は、人体硬化、とでも言うべきものでしょうね……。ダメージをたまには与えられていますし、交錯の瞬間のみ『異能』を使っているのでしょうね…。)
今ならば、恐らく互角以上に戦う事が出来る。『最善』で見えるのは、避け続けながら、「相手が知覚出来ないような攻撃を仕掛ける」、あるいは「相手が硬化させるであろう部位とは別の個所を狙う」。この二つなら、簡単ではないが、不可能ではない。
もし自分の体が万全の状態であったなら、の話だが。
(…駄目だ。相手のミスに乗じるこの方法では、時間がどれだけかかるか分からない。それに…。)
必死にかわしながら、足から噴き出る血を撒き散らしながら、目線を素早く走らせる。
もう一人の『姓無』、黒ずくめの男に向けて。
(もう一人がいる。今のこの男を倒したところで、こいつに殺されては意味はないんだ。)
心の中で舌打ちする。数少ない前情報が彼を追い詰める。『姓無』が二人一組で行動するのは、殺人衝動の暴走した仲間を止めるため、という情報。
(要するに、黒ずくめは暴走したこいつを止められる程の実力者。……くそっ!)
(どうする?)
(どうする?)
(どうするのが最善だ?)
(何を目指すのが最善だ?)
掠めた打ち下ろしがシンの頬を裂き、また血が流れ出る。転がるように距離を取り、時間稼ぎにかならない指弾を放つ。痛覚と焦燥に、頬から汗が滴り落ちる。
(最善…私の、最善は。守るべきものは。)
脳裏に浮かんだのは、一人の少女の笑顔。
必ず守ると誓った、少女の笑顔。
(そうだ。私の目指すべき最善は!)
その瞬間、シンは「覚悟を決めた」。『最善』の基準が変わり、人間の限界を超えた思考が走り始める。彼の選んだ『最善』は、パルカを、これから連れ去られるであろう最愛の妹を助け出すためにできる『最善』。
たとえそれが。
自分の命を棒に振るものとしてでも。
加速した思考に導き出された結論に従い、懐のポケットから携帯電話を取り出す。幸いまだ機能しているようだ。それを開き、常人にはあり得ない速度で、尚且つ殺人鬼の攻撃を回避しながらボタンを打ち込む。
メール三つ。件名は、全て統一して、遺書。パルカを助けるために必要なそれぞれに、一通ずつ送る最後の言葉。
「おお!?失望したで!?この期に及んで救援かいワレェ!」
「私がそんな非生産的な事をするとでも?」
「うおっっ!ククッ、やっぱあんさんおもろいでぇ!」
突っ込んできた殺人鬼に数発の指弾を左手で打ち込む。片足代わりの手を攻撃に用いたことで回避能力が落ち、右足一本で転がるようにすれすれで横薙ぎの一撃をかわす。
それでも、携帯を打つ手は止めない。
思考も減速しない。
(榎田君にはヒントを、残り二人には…。届けばすぐに皆動くでしょうから予約送信で…。)
回避、攻撃。体が傷つき、そのキレは徐々に落ちていく。
だが、瞳に宿る光は、ますます鋭さを増していく。
「うおおっ!」
「あああ!!!」
壁が抉れ、機械が砕ける。だが、そんなことはもう、どうでもいい。
(完成!、送信、本サーバへ接続、受け取り完了!よし!これで端末が破壊されても送信はされる!)
成し遂げた…。
そう感じた瞬間、一気に体の力が抜けた。疲労と痛覚、失血が一気に押し寄せたようだった。そのままがっくりと片膝…もはや片方しかない膝をつく。それは、二度目の致命的な隙を作った瞬間。
(だが、もういいんだ。)
為すべき事は、為した。後は、自分が死ぬこと。この死が、他のメンバーの闘志につながり、勝率を…パルカを助ける可能性を高めてくれる。それが己の『最善』の導き出した答。
(私は、満足です…。)
シンは、誇りに思っていた。
未来を託せる仲間に恵まれた事を。
託す道しるべを示せる己の『異能』を。
守ると誓った妹を、最後の瞬間まで、いや最期を超えて守れる事を。
その誇りを、胸にしまって。
顔には、血塗られ、困憊しきっているにも関わらず、普段と同じ微笑を浮かべ。
振りかぶった殺人鬼の拳を見届けて、目を閉じた。
初作品です。
稚拙なところも多いですが、ご意見やご感想をお待ちしています。