六日目(土) ~離別~
「……は?」
「何度も言わせんなよ…。」
何が起こったのか分からなかった。
ただ、いつも通りに今日も過ぎるものだと思っていた。あの、巻き込まれながらも、騒がしくも、充実した日常が、ちょっと逸脱したけれど、それでも日常が、続くと。決戦と言っても、自分の知らないところで起こって終わっていくものだと。
それは、間違いだった。
思い知った。俺が甘かった。
「ダンナが…、シンが、殺された。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「うそ、だろおい…。」
「……。」
「だって、おい、昨日まで…。」
「ダンナは、昨日何か言ってたか?」
「い、いや、特には…おい!うそだって言えよ!ドッキリだろ!」
「ならいい。信じられないなら、地下のダンナの仕事部屋にいってこい。柊もそこにいる。」
「なんで…。」
「俺は、柊になんて言っていいか分かんなかった。だからここにいる。」
榎田が壁に凭れかかったまま呟く。その顔にあるのは、隠しきれない焦燥。苛立ち気味に頭を掻き毟る。苛立つ、ということ自体がそもそも彼にとっては久しぶりの事である。その事にさらに焦りを覚える。
(今、全体の指示は、俺が出さなきゃいけない…。柊は、あんなだし…。)
年長者の責任、というわけではないが、彼はそう考えていた。彼は口ではどうでもいい、職を失う程度だと言いながら、内心では分かっていたのだ。この事務所無しでの生活などもう出来ない事を。
(どうすればいい?どうすれば、この事務所を続けていける?)
必死に考える。彼の『異能』は、差し迫った危機しか助けてくれない。『最善』の能力のようにこんな状況を打破する方法を教えてはくれない。
(若大将は何も聞いていない…。柊は動かない…。くそっ!)
頭をガシガシと掻き毟る。彼の苛立った時の仕草。この事務所でシンに出会い、『異能』の付き合い方を知って、柊やパルカ達と出会ってからは、全くする事がなかった仕草。
路地裏でチンピラ達相手に殴り合いばかりしていた時期の仕草。
あの頃には、戻りたくなかった。
(あのダンナが、何も残さず死んだはずがねえ…。何処かに後から俺達の助けになる様なものを残してるはず…敵の素性や、場所の見取り図、やるべき事とか。例えば、事務所のディスクや、ロビーの予備ノートPC。携帯…。)
そうだ。あのシンなのだ。何か手を打ったはず。ならば、それを探すのは、自分の役目。
いや。
役目ではない。そんな責任感や義務感でやっているわけではない。
(俺がやりたいから、そうするんだ。)
榎田は、覚悟を決めた。それは事務所の人間の中で最も早く、ただ一人己のみの力でたどり着いた覚悟でもあった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ、あう…っ。」
入った瞬間、吐き気がした。地下室に張り付いているのは、血、血、血。
文字通り血溜まりができているところもあれば、飛び散ったもの、引き摺ったような跡もある。この前見たものとは、比べ物にならない量。確かにこの量が一人から出たなら確実に死んでいるだろう。二人でも重傷は間違いない。
(う、うプっ!)
戻しそうになるのを、必死にこらえる。俺が今吐くわけにはいかない。それは、目の前にいる柊への、ひどい裏切りな気がした。
「く、はあ、はぁ…。」
そう、柊は目の前にいた。ひときわ大きな血だまりの中に、ぺたりと座り込んでいた。普段の凛として毅然とした姿が嘘のように、女の子座りで。体のいたるところに、血の染みが付いているのに構いもせずに。
「つっ!」
その理由は、すぐに分かった。顔を見ようと横に並んだら、すぐに分かった。俯いて顔は見えないが、その両手が大事そうに抱えているものは見えた。
それは、左脚。
見覚えのある服は、間違いなくメガネの来ていたモノ。
それが、膝の部分で無残に千切れていた。
ハッキリ言ってしまおう。切断面のぐちゃぐちゃになった様子を見るに、俺はとても触れない。近づく事も出来ないだろう。
だが、これを抱きしめる柊を、蔑むことはできない。出来るわけがない。
だが、尊敬するわけにもいかない。それは何か、ひどく歪んだもののように思えた。
「柊…。」
「全部、聞こえている…。」
「そうか…。」
「恨めしいものだな…この『読心』は…。」
「そっか。」
「分かっている…。だから…一人に…してくれないか…。」
それは、出来ない。そうするわけにはいかない。それは、俺までひどく歪んだものの一つになってしまうようだった。だから、俺はふざけた。
「だが断るっ!」
ふざけるべきだ。ここで自分も悲しみに暮れていても、どうにもならない。俺はここは嫌な奴になって、殴り飛ばされればいい。それで柊が立ち上がるならば。だから、ふざける。
「ああ、聞こえなければいいのにな…。この声が。」
「あ…。」
「…気持ちだけ、貰っておく。…ありがとう……。」
俺、大馬鹿野郎じゃねーか。こいつ『読心』持ってるじゃんか。俺の考えている事お見通しじゃねーか。
やっぱ、慣れねーことなんかするもんじゃねえな…。俺、ヘタレだし…。普段は励ますどころか憐れまれてるしな。俺なんかには、手に余る事なんだよな…。
「外、出てるから。」
「……。」
「じゃあ、な。」
「……。」
「な、なんにもないよな…?」
「…師父は。」
「はいっ!?」
「師父は、最後に何と言っていた?」
「…えと、…あの、…強くなった、って。あとは、覚悟をするだけだ、って。」
「……。そうか。私の事は、なにか言っていたか?」
「え、あ……。」
「そうか。分かった。」
「……。…んじゃ。」
心を読まれ、何一つ励ましの言葉をかけられないまま、俺は地下室を後にした。ヘタレだ、ヘタレストでも当然だ、なんだよ俺、こんなに駄目な奴かよ、そんな事も知らなかったのかよ、身の程知らずが。そんな自分への口汚い罵声も聞こえただろうに、柊は何も責めなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おお、若大将。」
出たところで、チビガキに話しかけられた。というかおい、チビガキ、なんかすげえぞ。ものすごい勢いでロビーの机やら棚やらを漁りまくってる。なんかキャラ違くね?ご、御乱心!?
「なんか、どうにもならなかった…。すまん。」
「いや、気にすんなって。若大将のせいじゃねえよ。俺も何も出来なかったしな。」
「で、えっと、何やってんだ?」
「あ、ああ。ちょっと、調べ物をな。多分ダンナが資料を残してるだろうと思って。敵の素性とか、森羅電気の内部情報とか。」
「ああ、なるほど……お?」
嫌なワードが耳をよぎる。以前は雲の上の巨大企業で、ここ数日でずいぶん身近に感じていたワード。
「森羅、電気?」
「ああ、今度の事件は、森羅電気にテロリストが夜襲する、という流れで起こるらしい。だから敵のテロリストの素性とか、森羅電気の詳しい工場の間取りとか…ってオイ、どうした、若大将?頭なんか抱えて。猫のクソほどもかわいくねーぞ。」
「いや、すまん。ちょっと混乱しててな。」
「森羅電気は、裏で武器の生産、輸出とかしてるらしいからな。その辺も踏まえて、っておいどうした?オーアールゼットみたいになってんぞ?」
「いや、すまん。ちょっと絶望しててな。」
ああ、そうかよ。どこまでも俺の日常を壊すかよ。くそったれ。この一週間全部真っ黒じゃねえかよ。そう言えばルリ女史とデートの時、間取り覚えとけって言われてたのはこれかよ。全部計算ずくだったってわけだ。
「あー。うー。」
「おい、しっかりしろ、本題に入るぞー。」
「おう。」
そういって立ち上がる。ヘタレを自覚した俺にとって、切り替えはたやすい。いつまでも引き摺っても仕方ない。…だから、この胸の痛みも嘘だ。切り替えられる。
「で、なんだって?」
「おう。あの、な。」
この段階でやっぱり俺は気付けなかった。チビガキの目が、異常なほど鋭い事に。
「パルカの嬢ちゃんが、攫われてる。胸糞悪いが、予定どおりっちゃあ予定通りだ。俺は、これから助けに向かう。…だが、シンが、俺達の中で最強の実力者が、殺された。これからは、命の安全を誰も保証できないんだ。だから、ここで、引き下がってくれないか?」
「……え……。」
「俺やレンは、もう引き返せない。ここでしか…ここを守ってしか、生きられない。だから、最後まで戦う。でも、若大将はそうじゃねーだろ?他に帰る場所も、待っている人も、戻るべき日常だってある。俺達と、命を懸けて関わる必要はねーんだ。」
「あ……。」
「だから、少し早いが、バイトは、今日で終わりだよ。ほら、封筒。さっき見つけた。」
「……。」
「わりーな。…最後に、こんな事になってよ。」
俺は、おれは。どうするんだろう。昨日、ほんの昨日までのイケメンの笑み。圧倒的な力で、揺ぎ無い自信と余裕で、俺と戦ったシン。よぎる、「覚悟」の言葉。
俺は。
おれは。
「あ、ありがとう…。じゃあ…。」
「おう。達者でな。」
ヘタレだった。どこまでもヘタレで、どうしてもヘタレで。
ドアを音も無くくぐった俺は、みっともなく泣いた。自分への嘲笑を隠しきれず、醜く歪んだ顔で。涙を、ぬぐうことも出来なかった。
ドアが閉まった時、全てが遠くなった。チビガキとの馬鹿な会話。柊の怪力と天然。イケメンメガネの脅迫。パルカの上目づかい。
(もう、何も考えたくない……。)
俺は、歩いた。なるべく人気のない道を、死んだように。
初作品です。
稚拙なところも多いですが、ご意見やご感想をお待ちしています。