第59章 動き出す夜― 王都封鎖 ―
深夜。
統合軍参謀次長カール・ブレンナーの執務室には、最小限の灯りだけが残されていた。窓の外は闇に沈み、王都は眠っている。
机上には配置図が広げられ、王宮門、武器庫、通信拠点、軍司令部、兵の詰所、旧重臣の私邸――各所に細かな印が打たれていた。
今夜、そのすべてが動く。
「王宮門、配置完了」
報告は簡潔だった。
「武器庫、封鎖済み」
「通信拠点、遮断」
「軍司令部、掌握。反発なし」
カールは短く頷く。予定より早い。ここまでで作戦の骨格は整った。
「開始する」
それだけを告げる。命令はすでに出されている。今は時間の同期と実行の確認のみ。
王宮門の夜間当番は差し替えられ、武器庫の鍵は管理権限ごと移された。伝令路は封鎖され、外部との連絡は遮断されている。
兵は命令に従っているだけだ。騒ぎはない。混乱もない。
王都は、音もなく切り替わっていく。
国境方面から報告が入る。
「通行規制開始。封鎖完了。検問強化、異常なし」
退路は閉じた。援軍も来ない。王都は、外界から切り離された。
それでも、まだ血は流れていない。
――――――――――
同刻。アレクシオスの私邸。
廊下に控える護衛の中に、クロトの姿があった。表向きは新規雇用の護衛。だが今夜、その役目は異なる。
特別師団各班はすでに配置についている。王宮外周、逃走経路、通信経路、重要人物の監視。いずれも待機。
主導はしない。命じられれば動く。出力は抑制。正体秘匿を最優先。
クロトは目を閉じ、周囲の魔力の流れを測る。乱れはない。カールの掌握は揺らいでいない。
問題は、まだ起きていない。
「状況は」
アレクシオスが現れる。
「予定通りです」
声は低く、一定だった。
アレクシオスは短く頷く。王宮へは向かわない。最後の確認が終わるまで、動かない。
夜は、静かすぎるほど静かだった。
――――――――――
前宰相私邸。
すでに宰相の地位を剥奪された男は、名目上は隠居の身。だが実際は監視下に置かれている。監視兵は十数名。いずれも魔力保持者であり、強硬派に属する精鋭だ。
アレクシオス側精鋭部隊の隊長は外周で配置を確認する。自軍十二名。そして、ゼフィーリア特別師団の別班。
隣に立つ兵たちは静かだった。無駄な魔力の揺らぎがない。呼吸も乱れていない。戦場慣れとは違う、失敗を前提にしていない動き。
隊長はわずかに息を呑む。聞いてはいた。だが並んで初めて理解する。この国の抑止力の理由を。
合図は短い。
外灯の魔石が揺らぐ。牽制の魔力が低く走る。
監視兵が反応するより早く、間合いが詰められた。
速い。だが出力は抑えられている。魔力は補助。主は剣。
自軍が正面を押さえ、ゼフィーリア兵が側面を崩す。挟撃は一瞬で完成した。
応戦は鋭い。だが制圧の精度が違う。
柄打ち。足払い。組み伏せ。
殺さない。だが立てない。
数分で包囲は終わった。
監視部隊将校は状況を悟る。援軍は来ない。伝令も戻らない。将校は静かに剣を落とした。
「……降伏する」
軽傷数名。死者なし。予定通り。
前宰相の拘束が解かれる。
「動けますか」
「問題ない」
前宰相はすでに察していた。
「始まったのですね」
「はい」
それだけで十分だった。
通信石に次々と報告が届く。旧財務卿、保護完了。元内務官邸、確保。旧軍務補佐官、移送済み。
王に逆らい、地位を剥奪された重臣たち。今夜、彼らは粛清される側にはならない。
主要拠点は掌握済み。重要人物の保護も完了している。
残るは、王宮内部のみ。
――――――――――
王宮内。
統合軍参謀総長が違和感を覚える。伝令が戻らない。命令の確認が滞る。夜間当直兵の配置が、どこか微妙に違う。
「参謀次長はどこだ」
答えは曖昧だった。
総司令官も廊下の静けさに眉を寄せる。だが確証はない。王へ報告するには、まだ早い。
ただ、空気が変わっている。
――――――――――
未明。
すべての報告が揃う。
カールは配置図を閉じた。
王都は、すでに制御下にある。
想定外は、まだ起きていない。
――――――――――
未明、アレクシオスの私邸。
庭師も使用人も、もはや仮の姿ではない。第2班の特別師団員たちは本来の装備に戻っている。
報告は揃っている。それで十分だった。
廊下に整列するのはアレクシオス側精鋭十名。その周囲を囲むように第2班が位置を取る。全員が同行する。他拠点は他班が担当している。制御は崩れていない。
クロトは一歩後ろ。護衛として最適の距離。主導はしない。だが即応位置。
「行く」
短い命令。誰も迷わない。
隊列が静かに動き出す。
――――――――――
王都は眠っている。
通りに人影は少ない。夜間巡回の兵は差し替えられ、持ち場を離れない。門番は規制を理由に人の流れを止めている。
騒ぎはない。叫び声もない。
外から見れば、何も変わっていない。
だが内部で、制御は移っている。
王宮外周が視界に入る。その瞬間、クロトの意識がわずかに研ぎ澄まされた。
近い。
王宮内部に、質の違う気配がある。
魔力量ではない。揺らぎの少ない統制。均一な呼吸。無駄のない立ち位置。
近衛級。
待ち構えているのか、偶然の配置かは分からない。だが、そこにいる。
アレクシオスは歩みを緩めない。
やがて、正門が目前に迫る。
――――――――――
王宮正門前。
門は掌握済み。兵が静かに道を開ける。精鋭十名が左右に展開し、第2班が間合いを調整する。
未明の空気が張り詰める。
王宮の扉が目の前にある。
ここから先は、引き返せない。
まだ剣は抜かれていない。
だが互いに理解している。
次に動けば、衝突は避けられない。
夜は終わりへ向かっている。
だが、朝はまだ来ていない。




