第57章 静かな確定――まだ始まらない夜
■ アレクシオス視点
静かすぎる、と思った。
警戒が強まれば、王都はもっと騒がしくなるはずだ。
巡回の足音が増え、人の出入りが増え、空気が張りつめる。
だが今夜は、そうではない。
人は増えていない。
必要な場所にだけ、必要な人間が置かれている。
それ以外の人間は、最初からいないかのように整理されていた。
机の上の書面に、改めて目を落とす。
部隊配置の変更。
待機位置の再指定。
補給優先度の調整。
どれも、違反ではない。
反逆でもない。
軍の規定に照らせば、正当な判断の範囲だ。
――だからこそ、止められない。
配置は、すでに動かせない段階に入っている。
この布陣を組んだのが誰であれ、今さら「なかったこと」にはできない。
重要人物の名は、すでに渡してある。
誰を生かすべきか。
誰を失えば、国が壊れるか。
それ以上のことは、指定していない。
守り方も、近づき方も、現地の判断に委ねている。
だが、盤面を見れば分かる。
こちらの意図を、正確に汲み取った配置だ。
――信頼は、成立している。
部屋の端に控える護衛へ、視線を向けた。
ゼフィーリアの騎士。
名も階級も聞いている。
だが、顔だけが思い出せない。
視線を外した途端、輪郭が曖昧になる。
思い返そうとすると、細部が抜け落ちる。
それでも、整っていたという印象だけは残る。
理由は分からない。
ただ、そう感じた。
男は、多くを語らなかった。
指示は短く、余計な言葉がない。
こちらが説明を終える前に、意図を理解している。
連絡は滞りなく通っていた。
重要人物の動き。
周辺国との調整。
想定していた範囲を、すべて外していない。
――優秀だな。
そう思ったが、それ以上は考えなかった。
能力は、結果で測ればいい。
重要なのは、時期だ。
アレクシオスは、最後の書面に目を落とした。
そこにあるのは、日時だけ。
早すぎれば、血が出る。
遅れれば、粛清が進む。
沈黙している者たちは、まだ動いていない。
前宰相が生きているという事実が、かろうじて効いている。
――今しかない。
彼は、日付に指を置いた。
「この時刻でいく」
声は低く、静かだった。
命令というより、確認に近い。
護衛の男が、短く頷く。
それで十分だった。
もう、引き返せない。
だが、まだ始まらない。
始めるのは、次だ。
――――――――――
■ クロト視点
配置は、ほぼ終わっていた。
クロトは、城内の動線を一度だけ頭の中でなぞる。
巡回の間隔。
連絡の経路。
合流地点と、万一の退路。
どれも、想定の範囲内だ。
第2班は、すでに役割を切り替えられる位置にいる。
平時は連絡係。
アレクシオスと外部をつなぎ、情報を滞らせない。
重要人物の動きや、周辺国との調整も、ここを経由する。
だが、動きが出た瞬間からは、直近護衛に移る。
それだけではない。
護衛しながら、制圧する。
逃がさず、殺さず、混乱を広げない。
クロト1人でも、守ること自体はできる。
人間相手であれば、なおさらだ。
だが、それは「守る」だけの話だ。
複数の抵抗を同時に抑え、周囲を制御し、生かしたまま拘束する――それを1人で行うのは、現実的ではない。
だから、班がある。
特別師団の各班は、それぞれの担当に散っている。
要人拘束。
拠点の制圧。
協力者の確保。
いずれも、同時に動く前提だ。
軍の大勢は、すでに傾いている。
配置という、合法な操作の積み重ねだ。
抵抗が起きにくい形に、流れは整えられている。
それでも――すべてが静かに終わるとは、考えていない。
一番抵抗されるのは、ここだ。
王と、支配者層に最も近い場所。
覚悟を決めた者と、引けない者が、正面から向き合う。
だからこそ、前に出る必要はない。
押さえるべきところを、押さえる。
判断を誤らせない。
選択肢を、減らす。
だが、最後に事態を動かせるのは、クロトたちではない。
決断し、踏み出すのは、計画した本人だ。
クロトは、短く息を吐いた。
連絡は、常に動いている。
第4師団――密偵任務を担う部隊とも、密に繋がっている。
前宰相の監視状況。
沈黙している者たちの動き。
表に出ない情報ほど、早く、正確に回ってきていた。
時刻は、すでに共有されている。
動き出すのは、まだ先だ。
――問題は、そこまで持つかどうか。
ふと、別のことが頭をよぎる。
桜のことだ。
大国の事情に、ゼフィーリアが巻き込まれていること。
その程度までは、伝えられているはずだ。
結界の修正は、いつも通り1時間。
ただ、修正中は、いつも以上に結界の変化に注意してほしいと告げられている頃だ。
詳細は、知らされていない。
本当は、そのこと自体、彼女には知らせてほしくはなかった。
過保護なのは自覚している。
それでも、なるべく平穏で、安全な場所にいてほしいと願ってしまう。
クロトは、胸元に指をやりかけて、やめた。
首から下げていた守り石は、もうない。
代わりに、内側のポケットに、確かな重みがある。
桜から渡された、日本の小さな御守りだ。
あの時の言葉は咄嗟だった。
桜が差し出した御守りを受け取る代わりに、クロトは、自分が身につけていた守り石を外した。
幼い頃、兄から渡されたものだ。
力があるわけでも、特別な品でもない。
それでも――また、前触れもなく交代が起きて、何も告げられないまま、桜がいなくなっていたら。
その可能性を、考えずにいられなかった。
だから、預けた。
戻るまで、持っていてほしいと。
クロトは、視線を前に戻す。
今は、まだ始まっていない。
始めるのは、決まった時刻だ。
それまでは――誰一人、欠けさせない。
静かに、整えておくだけでいい。




