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第36章 すれ違う温度――知らないまま、取り残される

■食堂にて

  食堂は広い。

 王族以外の王宮職員が使う場所で、時間帯によって顔ぶれもまちまちだ。

 外で食事を済ませる者もいれば、持参した食事を取る者もいる。様々だ。

 クロトは、基本的にここで食事を済ませている。

 ただし忙しさの都合で、時間はたいてい遅めになる。

 その日も、皿を前に一人で座っていた。

 周囲は静かだが、無音ではない。

 食器の触れ合う音と、低い話し声が混じっている。

 向かいの席に、リーゼが腰を下ろした。

「遅いですね」

「あぁ。仕事が立て込んだ」

 短く答えると、リーゼは気にした様子もなく食事を始めた。

 クロト自身が自分から近づくことは少ないが、部下や顔見知りが相席してくることは珍しくない。

 たいていは相談事がある場合だが、今日はそういう気配でもなかった。

 しばらく、何でもない沈黙が続く。

 互いに黙々と食べていたが――

「あ、そういえば」

 箸を動かしながら、リーゼが言った。

「サクラ様の料理、なかなか美味しかったです。

 一回目のとき、護衛に入っていたので、一緒にどうぞって言われて」

 クロトの動きが、ほんの一瞬止まる。

「……そうなのか」

「はい。この世界にはない味ですけど、また食べたくなる味なんですよね。

 二回目の護衛だったノインも、美味しいって言ってましたし」

 リーゼは気軽に続ける。

「二回目は、診療所に少し味見しに行っちゃいました。

 三回目はタイミングを逃して行けませんでしたけど」

「……診療所?」

 クロトが小さくつぶやく。

「あぁ。一回目は診療所から味見を頼まれて、

 二回目はそれが食堂の料理人たちにも広がって、

 三回目はメイドたちからも頼まれたみたいです。

 だから二回目からは、料理人が手伝って作ったそうですよ」

 リーゼは、ただの話題として話している。

 特別な意味を込めている様子はない。

「評判、いいですよ。

 『優しい味だ』って」

「……そうか」

 クロトは視線を皿に落とした。

 彼女がそうするのは、性格を考えれば自然だ。

 ――そう、結論づけたはずだった。

 それでも、

 自分だけが、知らないままだった。

 なぜか、その場に引っかかるものが残る。

 理由は分からない。

 ただ、

 すっきりしない。

 理由の分からない違和感ほど、

 厄介なものはない。

 クロトは食事を終え、箸を置いた。

「……じゃあ、お疲れ」

「お疲れさまです」

 リーゼは軽く応じた。



________________________________________

■異変・出動


 異変は、数値ではなかった。

 リエットが感じ取ったのは、結界の感触だった。

 揺らぎは小さい。

 だが、消え方が鈍い。

 波紋のように広がり、収まるまでに、いつもより時間がかかっている。

「……来るわね」

 独り言のように呟き、リエットはすぐに記録を閉じた。

 規模は、まだ確定できない。

 だが、森の位置が悪い。

 大国と接する森。

 開けた場所が少なく、

 魔力の流れが複雑になりやすい。

 リエットは神殿長へ報告を入れた。

 簡潔に、感触と予測だけを伝える。

「中規模まで拡大する可能性があります」

 神殿長は即答しなかった。

 短い沈黙のあと、静かに頷く。

「特別師団長へ共有を。判断はそちらに委ねます」

 それが、通常の流れだった。

 ほどなくして、特別師団長から命が下る。

 過剰展開を避けるため、

 対応は特別師団のみで行う。

「クロト、副師団長。現地指揮を任せる」

「了解しました」

 クロトは簡潔に応じた。

 どの班を展開するかは、一任された。

 迷いはない。

 第2班(ヴァルド、ノイン、リーゼを含む)。

 加えて、第20班、第52班、第77班、第90班。

 総勢、五十名。

 森の縁に布陣するには、十分な数だ。

 魔法陣での移動を終え、部隊は森の外縁で待機に入る。

 空気が、重い。

 音がないわけではない。

 だが、鳥の気配が薄い。

 魔力の流れが、足元で微かに歪んでいる。

「……来るな」

 クロトは短く呟いた。

 まだ、姿は見えない。

 だが、数は少なくない。

 部隊は散開し、剣と魔力を整える。

 誰も、無駄口は叩かない。

 森の奥で、何かが動いた

________________________________________

■戦闘


 魔物は散っていた。

 数は多いが、統制はない。

 クロトは前に出ない。

 剣も抜かず、視線と声だけで戦場を動かす。

「第20班、左の森縁を抑えろ。突破させるな」

「第52班、右へ回り込め。逃げ道を潰す」

「第77班、後列。負傷者を出すな、間合いを管理しろ」

「第90班、中央の圧を落とせ。散らして削れ」

「第2班、前で受け止める。押し返しすぎるな、形を崩すな」

 号令が落ちるたび、各班が迷いなく動く。

 森の縁で魔物を止める第20班。

 右へ滑るように回って退路を塞ぐ第52班。

 後列で隊形を整え、崩れた場所に即座に穴を埋める第77班。

 中央に圧をかけ、散った個体を確実に仕留める第90班。

 そして第2班が、前の線を守る。

 ヴァルドが短く指示を飛ばし、ノインが一歩遅れずついていく。

 リーゼは前線のわずかな綻びを見つけるたび、位置をずらして補う。

 誰も無駄に叫ばない。

 ただ、手が止まらない。

 戦況は安定していた。

 クロトはそれを見ている。

 この規模なら、部下だけで十分。

 判断は変わらない。

 ——だが、後半。

 森の奥から、まとまった塊が滑り出た。

 前線の一角に圧が集中する。

 第2班の線が、ほんの少しだけ押される。

「第20班、半歩下がって角度を変えろ。第77班、そこに一枚足せ」

「第90班、中央は維持。第52班、回り込みを急ぐな、囲いを優先」

 指示は正確だった。

 対応は可能だ。

 このままでも、十分に立て直せる。

 それでも。

  クロトが、踏み出した。

 空気が張りつめる。

 抜き放たれた剣に、魔力が集束した。

 一振り。

 刃に沿って走った魔力が、前にいた魔物をまとめて薙ぎ払う。

 一体が、黒く崩れ落ちる。

 返す刃。

 間合いを詰めることすら許さず、二体目が断ち切られた。

 三体目、四体目。

 剣の軌道に重なるように魔力が走り、肉体が耐える前に焼き切られる。

 最後の一体は、振り下ろされた一撃で消し炭になった。

 五体。

 ほんの数呼吸の間だった。

 一瞬、戦場の圧が抜ける。

 クロトは何も言わず、すぐに後方へ下がる。

 前に出たのは、ほんの数秒。

 だが、それで流れが決まった。

「各班、今のまま。焦るな。削って終わらせろ」

 隊形が戻る。

 第52班の回り込みが効き、逃げ道が消える。

 第20班が森縁を押さえ、突破を許さない。

 第77班が乱れを整え、負傷者を出さない。

 第90班が中央を削り続ける。

 第2班が前を守り、最後まで形を崩さない。

 魔物は、散り、追い込まれ、確実に仕留められていく。

 やがて森が静まり、戦闘は終わった。

________________________________________

■戦闘後

 第2班が装備を整える位置は、クロトから少し離れていた。

 ノインが、声を潜めてヴァルドに話しかける。

「……副師団長、今日、荒れてません?」

 ヴァルドは小さく息を吐き、短く返した。

「そうだな」

 周囲の第2班の面々も、それぞれに頷く。

 誰も否定しない。

 ただ、口には出さないだけだ。

 少し離れたところで、リーゼはそれを聞いていた。

 装備を外しながら、ふと、食堂での会話がよみがえる。

 料理の話。

 ただの雑談。

 余計な意味を込めたつもりはない。

 だが——

 リーゼは、ほんのわずかに口元を緩めた。

 苦笑いに近い。

(なるほどね)

 理由を言葉にする必要はない。

 クロトは表情ひとつ変えず、最終確認に入っている。

 いつも通りだ。

 それでも。

 今日が、いつも通りではなかったことだけは、

 リーゼには分かっていた。


________________________________________

■おすそ分けの勇気


 結界修正は、問題なく終わった。

 魔力の流れも、戻りの感触も、いつも通りだ。

 王宮へ戻る廊下を並んで歩く。

 しばらくは足音だけが続いていたが、クロトがふと思い出したように口を開いた。

「……料理、うまくできたようですね。リーゼから聞きました」

 思いがけない言葉に、桜は一瞬だけ足を止めそうになる。

「え……あ、はい。いえ、まぁまぁですけど」

 自分でも分かるほど、声が少しだけ上ずった。

 まさか、クロト自身から料理の話を振られるとは思っていなかった。

「一人分作るのが難しいので、本当は私と、部屋の護衛の方とで食べようかと思っていたんです」

 言いながら、言葉を探す。

「でも……皆さん、普段あまり食べない味だから、ぜひ食べたいって言われて」

 そう口にした瞬間、胸の奥がざわついた。

 もしかしたら、今なら言えるかもしれない。

 そんな考えが、ふと浮かぶ。

「この世界の方の口に合うのか、正直、分からなかったですし……」

 一拍置いて、付け足す。

「私、普段、実家でもそんなに料理しないですから」

 最後は、ほとんど言い訳のようになった。

 クロトは短く頷く。

「評判は、聞いています」

 評価でも、励ましでもない。

 ただ事実を置くような声だった。

 それでも、桜の胸の奥で張りつめていたものが、少し緩む。

「あの……」

 歩調を乱さないようにしながら、桜は続けた。

「今日、皆さんの分も作る予定で……」

 一拍、言葉を探す。

「もし、よければなんですけど」

 視線を落としたまま、言った。

「味見、してもらえませんか」

 すぐに付け足す。

「お世話になってますし、私の国の……故郷の味なので。つたない味付けで、申し訳ないんですけど」

 最後は、ほとんど逃げるように。

「でも、無理でしたら大丈夫です。本当に、全然……」

 クロトは少しだけ黙り、考えるように視線を落とした。

「……皆さんの分を作る中で、サクラ様のご負担にならないようでしたら」

 そう前置きして、短く言う。

「ありがたく」

「はい」

 桜は、気づかれない程度に、安堵の息を吐いた。


________________________________________


■4回目の料理


 その日は、リーゼが水曜日の部屋の護衛担当だった。

「じゃあ、私、刻みますね」

 当たり前のように言って、リーゼは包丁を取り、手伝いに入ってくれる。

 それが桜にはありがたかった。

 今回は、診療所の人たちと、まだ食べていないと頼まれたメイドたちの分だけを作る。

 料理人たちの分は、すでに全員へ行き渡ったようで、今回は頼まれなかった。

 桜が量を見ながら手を動かしていると、ふと思い出したように口を開く。

「……あ、そういえば」

 鍋から目を離さないまま、続けた。

「クロトさんにも、おすそ分けすることになって」

 リーゼは一瞬だけ包丁を止めたが、すぐにまた刻み始める。

「分かりました」

 それだけで十分だった。

 桜は少しだけ肩の力を抜き、盛り付け用の器と容器を確認する。

 分けておかないと、後からではどうにもならない。


________________________________________


■昼食


 二人で向かい合い、昼の食事をとる。

 作ったものをそのまま器に盛っただけの、簡単な昼食だ。

 しばらくは、食器の触れ合う音だけが続いた。

 桜が、箸を動かしたままぽつりと言う。

「……他の人たちは、食べたいって言われたから、おすそ分けしただけなんですけど」

 一度、言葉を切る。

「やっぱり、クロトさん、迷惑じゃなかったかなって。今さらなんですけど……」

 リーゼは一口食べ、飲み込んでから答えた。

「好みは、色々ありますけど」

 落ち着いた声だった。

「私が聞いたところだと、口に合った人のほうが多かったですよ」

 少し間を置いて、続ける。

「少なくとも、今回、護衛でついた私たちはみんな、美味しいって思ってます」

「……口に合うといいなぁ」

 桜は、希望をそのまま零すようにつぶやいた。

 それから、話題を区切るように続ける。

「三回目に、料理を手伝ってくれた料理人さんにも、少し話を聞いたんです」

 リーゼが視線を上げる。

「この味、他の料理にも応用できそうだって」

 桜は言葉を選びながら続けた。

「それで……調味料があれば、もっと試せるかもしれないって言われて」

 少し間を置く。

「醤油と、味噌と、みりんを……日本から、三つずつ持ってきたんです」

「……三つずつですか。重くなかったですか?」

「はい、少し」

 桜は、わずかに笑った。

「でも、料理人さんが、診療所まで取りに来てくれて」

 箸先を見つめたまま、付け足す。

「もしかしたら……私のこの料理の味も、食堂で出せるかもしれないって言ってくれて。持ってきたかいがあったかなって」

 リーゼは、その言葉に柔らかく微笑んだ。

「本当に、持ってきていただいてよかったです。優しい味ですし、食堂で食べられるなら、私も嬉しいです」

「私のわがままが、こんなことになるなんて……思ってなかったです」

 桜は、やや苦笑いを浮かべる。

「いいえ」

 リーゼは、首を小さく振った。

「サクラ様は、むしろ、わがままを言わなすぎだと思いますよ。もっと、やりたいことや、したいことがあれば」

 一拍置いて、穏やかに続ける。

「私でよければ、相談にのりますので。何でも、おっしゃってください」

「……ありがとうございます」

 桜は、心からの感謝を込めて、そう答えた。


________________________________________


■受け渡し


 食事を終え、片付けに入った頃だった。

 夜勤交代の時間に合わせて、昼間の護衛が食器を食堂へ運ぶ。

 リーゼが台車を寄せ、皿を淡々と載せていく。

 控えめなノックの音がした。

「……失礼します」

 許可を得て、クロトが中に入ってくる。

 忙しさの気配が、言葉より先に伝わってきた。

 桜は、あらかじめ用意していた容器を手に取る。

「こちらです。あの……口に合うか、分からないですけど」

 言いながら、自分でも余計だったと思う。

「ありがとうございます」

 クロトはそれを受け取り、短く言った。

「すぐ、いただきます」

 それだけ言って、踵を返す。

 リーゼはその間も何でもない顔で、食器を台車の上に載せ続けていた。

 扉が閉まり、部屋にはいつもの空気が戻る。

 桜は、少しだけ肩の力を抜いた。

________________________________________


■木曜日のカンファレンス


 木曜日の朝のカンファレンスは、いつも通り淡々と進んでいた。

 新規入院はなし。夜間の大きな変化もない。

 ひと通り報告が終わったところで、マルタが一枚の紙に目を落とし、桜の方を見る。

「そういえば、フリードリヒさんですが」

「今日付で、無事に退院されました」

 桜は小さく頷いた。

 それは、火曜日の時点ですでに聞いていたことだ。

 検査結果も、経過も、問題はなかった。

「退院の際にですね」

 マルタは少しだけ声音を和らげる。

「サクラにも、とても感謝しておられました」

「……そうですか」

 それだけ答えたつもりだったが、胸の奥が、すっと温かくなるのを自覚する。

 知っていたはずの退院。

 けれど、あらためて言葉として届くと、やはり違った。

 カンファレンスが終わり、桜はいつものように受け持ちの患者のもとへ向かう。

 歩きながら、無意識のうちに口元が緩んでいることに、本人はまだ気づいていなかった。

 いつも通り、患者のケアしつつ、状態を確認する。

 その横で、ヘンリエッタが一瞬、桜の表情に目を留めた。

「……サクラ?」

「何か、いいことあったの?」

「え?」

 桜は一瞬きょとんとしてから、少し照れたように首を振る。

「いえいえ」

「フリードリヒさん、無事に良くなって退院できて。よかったなって思っただけです」

 それは、嘘ではなかった。

 ただ、それが全部でもなかった。

 視線を落としたまま、桜の意識は、自然と少し前へと引き戻される。


________________________________________


 結界修正を終え、部屋へ戻る途中のことだった。

 いつものように、短い会話だけが交わされるはずの帰路。

「……おすそ分け、ありがとうございました」

 クロトはそう言って、一度だけ足を止めた。

「優しい味でした」

 それだけでも十分だったのに、

 少し間を置いて、もう一言。

「……落ち着きました」

 それ以上は、何も言わなかった。

 けれど、その一文は、今も桜の中に残っている。

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