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第27章 動作訓練(庭師編②)

タンバ・グレンの件は、

翌朝の引き継ぎとは別に、短いカンファレンスを設けた。

詰所の端。

小机を囲むのは、日勤の看護師数名と介護人、そしてエルンスト。

桜も、その席に立った。

机の上には紙が一枚。

エルンストの筆跡で、短く要点だけが並んでいる。

桜はそれを見て、うなずいた。

内容は、昨日話したことと大きく変わらない。

ただ――

誰が、どこで止めるかが、はっきりしていた。

「方針は“動作訓練”として扱う」

エルンストが淡々と言う。

「強くするのは、今ではない」

「だが、止めるな」

「やると決めた以上、継続する」

看護師と介護人が、自然に姿勢を正す。

「観察点は三つ」

桜が、言葉を引き取った。

「痛みが、あとに残るかどうか」

「しびれや麻痺の範囲が、広がっていないか」

「新しい症状が、出ていないか」

「この三つが出たら?」

介護人が確認する。

「その日の負荷は落とします」

「必要なら、そこで止めます」

「迷ったら、まず止めてください」

「判断は、その日の日勤同士で」

「必要なら、後で報告に上げてください」

エルンストが一度だけ頷いた。

「判断は現場だ」

「だが、報告は必須」

「続けるために、止める」

「その順序を忘れるな」

桜は短く息を吸ってから、続けた。

「最初は私がやります」

「今日、日勤の皆さんに見てもらいます」

「以後は、その日の日勤担当が行う」

「私がいる日は、私が担当します」

特別扱いではない。

ただ、この世界にはまだ、

“動作訓練”を日常的に行う文化が根付いていない。

最初の形を揃える必要があった。


________________________________________

病室に入ると、

タンバはベッドの上で、もう待っていた。

顔色は悪くない。

だが、毛布の下にある左脚の位置だけを、

何度も確かめるように見ている癖は続いている。

「おはようございます」

桜が声をかけると、

タンバは少しだけ背筋を伸ばした。

「……お願いします」

今日は、日勤の看護師数名と介護人が、

少し距離を取って部屋の中を見ている。

桜が最初に行う動作訓練を、

そのまま共有するためだった。

桜はまず、タンバの表情を見てから話しかけた。

「痛みはどうですか」

「……今は、大丈夫です」

「あとで変わることもあります」

「変わったら、言ってください」

桜はそう言って、次に進む。

「起き上がります」

「急がなくていいです」

「両腕は使ってください」

「脚は、右を中心に使います」

「左は、今は無理に動かさなくていい」

タンバは、ゆっくり体を横に向け、

両腕で体を支えながら上半身を起こした。

途中で、腰に力が入ったのか、

一瞬だけ顔が歪む。

桜はすぐに止めない。

代わりに、静かな声で言った。

「一回、止まりましょう」

痛みが引くまで、何も言わずに待つ。

「今の痛みは、昨日より強いですか」

「同じくらいですか」

「それとも、弱いですか」

選択肢を並べる。

「……同じくらいです」

「分かりました」

「じゃあ、続けられます」

桜は、左脚に視線を落とした。

「左脚、今どこにありますか」

「……伸びてます」

「そうですね」

「ちゃんと分かっていれば、それでいいです」

起き上がり動作が終わると、

次は端座位に移る。

桜はベッドの高さを微調整し、

介護人に、背中側の位置につくよう合図した。

「足を、床に下ろします」

「左も下ろします」

「自分で持って、ゆっくり」

タンバは、両手で左脚を抱え、

慎重に床へ下ろした。

足裏が床に触れた瞬間、

左脚が一瞬だけ、ぴくりと反応する。

桜は、それを大げさに扱わない。

ただ、目に留めた。

「座っていられますか」

「……はい」

「でも、脚が変な感じです」

「今は、それが普通です」

桜は姿勢を整えさせる。

「背中は、無理に伸ばさない」

「上から引っ張られている感じで」

「肩は落とす」

タンバの体が安定すると、

腰の緊張が少し抜けた。

「今日は、立ちます」

入口に立つ看護師が、

思わず息を詰める。

桜は続けた。

「立ちますが、すぐ座ります」

「立つことが目的ではありません」

「立つ練習です」

介護人が後ろにつき、

看護師が前で膝を守る位置につく。

「右に体重を乗せて」

「左は、置くだけでいいです」

タンバは、ゆっくり立ち上がった。

腰がわずかに揺れ、

左脚は遅れてついてくる。

立てた。

だが、

タンバの顔に浮かんだのは、喜びではなかった。

自分の脚が、

自分のものではない。

そんな不安の色だった。

桜は、すぐに言う。

「座りましょう」

「今日は、ここまでです」

タンバが、驚いたように聞く。

「……もう?」

「はい」

「今日は、立てました」

「それだけで、十分です」

「それと」


桜は、少しだけ言葉を足した。


「動かなくてもいいです」

「でも、動かそうとするのは、やめなくていい」


「力が入らなくても」

「動かなくても」

「『動かそう』と意識するだけで、十分です」


「無理はしないでください」

「痛みが出たら、そこで終わりです」


タンバは、少し戸惑ったように桜を見たあと、

ゆっくり頷いた。


桜は、それ以上の説明はしなかった。


「また明日、体の様子を見てから決めます」


それ以上、言葉を重ねることはなかった。


その判断の意味を、

部屋にいた看護師と介護人は、

それぞれの経験で理解していた。


________________________________________

翌日。

引き継ぎで、マルタが淡々と読み上げた。

「タンバ・グレン」

「動作訓練後、腰部痛は出現」

「夜間、鎮痛薬一回」

「朝、痛みは軽減」

「しびれ、麻痺の範囲に変化なし」

水曜日のため桜は公休日。

桜がいない日も、同じ順序で、同じ確認が繰り返される。


三日目。

端座位は安定した。


五日目。

立位ができた。

だが、

立てたことは、安心にはならなかった。

タンバの表情に浮かんだのは、

喜びではなく、

「自分の脚が、自分のものではない」

という戸惑いだった。


桜は、そこで動作を止めた。


「今日は、ここまでです」


「進んでいます」

「焦らなくて大丈夫です」


タンバは、その言葉を反芻するように、

しばらく黙っていた。


________________________________________

■帰り際


診療所の護衛騎士と交代し、

クロトが部屋までの送りをしていた。

騎士同士で交代すること自体は、珍しくない


クロトが休みの日に、

文字を教えてくれることが、

今も時々ある。

だが、基本は、

部屋の護衛騎士たちに習っている。

最近は、この国の言葉での会話も、

少しずつ練習していた。


読むことは、

ある程度できるようになった。

だが、それを言葉として発音するのは難しい。

聞き取るのも、まだ苦手だ。


この国の言葉で聞こうとすると、

なぜか翻訳の感覚が外れてしまう。

意味を追う前に、

音だけが流れていく。


それでも。

やっと、言えるようになった言葉がある。


部屋の前に着き、

扉を開けてくれたところで、

桜は振り返った。


ゼフィーリアの言葉で、

ゆっくりと、

確かめるように。


『……おやすみなさい。

 また、明日』


明日、

クロトが結界までの案内に就くことを、

桜は偶然、知っていた。


クロトは、

一瞬だけ目を瞬かせてから、

ほんの少し、口元を緩めた。


「おやすみなさい」


扉が閉まる直前、

それは、確かに笑みだった。


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