第26章 動作訓練(庭師編①)
王宮診療所の朝は、
必ず引き継ぎから始まる。
詰所の中央に置かれた長机を囲み、
夜勤を終えた看護師あるいは医師と介護人、
これから入る日勤の者たちが集まる。
この時間帯の引き継ぎは、
基本的に看護師と介護人が担う。
夜勤が医師だった場合のみ、医師も同席する。
「じゃあ、夜間の分、いきますね」
夜勤の看護師マルタが紙束を手に取り、淡々と読み上げる。
感情は挟まない。
評価もしない。
事実だけを、同じ順序で並べる。
「発熱者なし」
「痛み止めの追加対応、二名」
紙を一枚めくる音がした。
「新規入院、一名」
「昨日の昼、王宮庭師」
「名前、タンバ・グレン、四十歳」
その場の空気が、わずかに変わる。
「梯子から落下」
「腰部を強打」
「骨折なし」
「ただし――」
マルタは一拍置いた。
「左下肢に、麻痺としびれあり」
誰かが、小さく息を吸う。
「昨日は応急対応のみ」
「安静指示」
「排泄は介助あり」
「感覚、鈍麻」
「左下肢の自発的な運動は、ほぼなし」
「痛みは?」
桜が、初めて口を開いた。
「腰部は動作時にあり」
「左脚自体の痛みは、ほぼなし」
「ただ、本人の訴えとして――」
マルタは視線を上げる。
「『動かない』という認識が、かなり強い」
桜は頷いた。
「私、今日、この方の担当をしてもいいですか?」
「お願いします」
引き継ぎは終了。
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病室に入ると、
タンバは既に目を覚ましていた。
上半身を少し起こし、
毛布の下にある左脚を、
何度も確かめるように見ている。
「タンバ・グレンさん」
声をかけると、男は顔を上げた。
「……はい」
低い声。
だが、落ち着いている。
「今日、担当の看護師です」
名乗りはそれだけだった。
桜は、いきなり触れない。
椅子を引き寄せ、
目線を合わせる位置に座る。
「昨日のこと、覚えていますか」
「覚えてます」
即答だった。
「落ちた瞬間のことも?」
「ええ」
「梯子が、少し滑って」
「腰を打ちました」
「そのあと、左脚は?」
タンバは、少し間を置いた。
「……最初から、変でした」
「立とうとしたら、力が入らなかった」
「今も、同じ感じですか」
「同じです」
桜は、うなずくだけで次に進む。
「しびれは、ありますか」
「あります」
「ずっと、鈍い感じが」
「触られた感じは?」
「分かります」
「でも、はっきりじゃない」
桜は、ここで初めてベッドに近づいた。
「少し、触りますね」
同意を待ち、
足先、足首、ふくらはぎと、
反応を一つずつ確かめる。
「自分で、動かそうとすると?」
タンバは、視線を左脚に落としたまま、
小さく首を振った。
「……ほぼ動きません」
その言葉は、
もう何度も頭の中で繰り返したものだった。
「医師からは、何と言われましたか」
「骨は大丈夫だって」
「でも……」
タンバは、言葉を探すように一度息を吸う。
「神経でしょう、って」
それだけで、
この世界では十分だった。
「もう、治らないですよね・・・・」
そして、続ける。
「庭仕事は、
立ったり、しゃがんだりが多い」
「この足じゃ……」
諦めの言葉だった。
嘆きではない。
怒りでもない。
ただ、
現実を先に受け取ってしまった声。
桜は、口に出す言葉を選ぶ。
「前のようには難しいかもしれません」
「ただ、一つだけはっきりしていることがあります。」
「最初から、あきらめないでください」
タンバが、初めてきちんと桜の顔を見る。
「元通りになるとは、言えません」
桜は、静かに続ける。
「でも」
「動かなくても、
どうか、動かそうとすることは、やめないでください」
「……動かなくても?」
「はい」
「今は、動かなくて当然です」
「それでも、
意識を向けることはできます」
男は、しばらく黙っていた。
「……やって、意味はあるんですか」
「意味があるかどうかは、
積み重ねないと分かりません」
桜は、視線を逸らさなかった。
「ただ」
「何もしないよりは、
なくさずに済みます」
長い沈黙のあと、
タンバは、小さく頷いた。
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■エルンストとの会話
その日の午後、
桜はエルンストを訪ねた。
「庭師のタンバさんの件で、
ご相談があります」
エルンストは書類から視線を上げ、
短く頷いた。
「概要は聞いている」
「腰部打撲、骨折なし」
「左下肢に麻痺と感覚鈍麻」
桜は一つ、息を整える。
「はい」
「可動域の確保は、当然行います」
「その先だな」
「……はい」
桜は、慎重に言葉を選んだ。
「神経が戻る、と言い切るつもりはありません」
「この世界では、
神経損傷は不可逆と考えられていることも、承知しています」
エルンストは腕を組み、黙って聞く。
「ただ」
「使わなければ、
使えなくなる可能性が高い状態です」
「逆に、使い続ければ」
「完全でなくても、
戻る余地は残ります」
エルンストは、視線を逸らさない。
「痛みは出るだろう」
「はい」
桜は即答した。
「動作に伴う痛みは、前提です」
「ただし」
「その日の反応と、翌日の変化は必ず確認します」
「具体的には」
「痛みの残り方」
「しびれや麻痺の範囲が、広がっていないか」
「新しい症状が出ていないかです」
「悪化があれば?」
「その時点で、負荷は落とします」
「中止も含め、現場で判断します」
しばらくの沈黙。
「判断は、誰が担う」
「判断基準については、
医師の指示を明確にしていただければ」
「それを、現場で共有します」
「その上で、現場での中止判断は、
看護師と介護人で共有し、
その日の担当が行います」
「方針の見直しが必要な場合は、
必ず報告します」
エルンストは、短く息を吐いた。
「……分かった」
一拍置いて、続ける。
「この世界では」
「神経を理由に、
あきらめる選択をする者が多い」
「承知しています」
「ですが、“何もしない”ことで」
「最初から可能性を閉じる判断は、したくありません」
沈黙ののち、
エルンストは口を開いた。
「術後などの“動作訓練”として扱え」
一拍。
「行うと決めた以上」
「患者に、途中でやめさせるな」




