第22章 言うべきでなかった一言
■戦闘
最初の接触は、
想定通りだった。
「前に出るな」
「横に流せ。囲うな」
クロトの短い指示に、
第5班が即座に応じる。
小型の魔物が跳ね、
中型の個体がその後ろから迫る。
合図が落ちるより早く、
各自が、いつもの間合いへと動いた。
誰一人、位置を確認する必要はなかった。
――その瞬間。
森の空気が、
目に見えない形で、
強く引き延ばされた。
クロトは、
即座に顔を上げる。
「……下がれ」
声が落ちるのと同時に、
結界が大きく綻んだ。
裂け目は深く、
不自然なほど滑らかに開き、
そこへ、濃縮された魔力が押し込まれていく。
まるで――
吐き出すためだけの穴。
重く、低い咆哮。
地面が揺れ、
木々が軋む。
大型魔物が、
歪みの中から姿を現した。
異様な巨体。
刃を拒む外皮。
魔力の密度が、
周囲の空間そのものを歪めている。
大型――いや、違う。
高魔力個体。
通常戦力では、成立しない。
綻びは、
役目を終えたかのように、
その直後、
何事もなかったかのように閉じた。
沈黙。
その場にいた全員が、
同時に理解する。
――クロトしか、相手にできない
「大型は俺が引き受ける」
クロトは、
一歩前へ出ながら告げた。
「以後の指揮、
第5班班長に引き継ぐ」
「了解」
短い返答。
だが、空気が切り替わる。
「三名、後方へ」
「距離を取って、結界を張れ」
「戦闘範囲を固定する」
班長の指示が飛ぶ。
三名が、
即座に位置をずらし、
森の縁に近い地点で魔力を展開する。
低く、広い結界。
衝撃を逃がし、
外へ漏らさないための配置。
「残り七名」
「小型・中型を処理」
「大型の進路に寄せるな」
全員が、
クロトとの距離を自然に取った。
クロトは、
その配置を一瞬で確認し、
満足したように視線を戻す。
大型魔物が、
魔力を膨張させる。
圧が来る。
クロトは、
剣を構え、
戦闘位置を意図的に前へずらした。
部下から、
結界から、
十分な距離を取る。
剣閃。
――弾かれる。
刃は当たっている。
だが、通らない。
魔物の反撃。
巨腕が振り下ろされる。
衝撃。
地面が抉れ、
衝撃波が走る。
クロトは、
その角度を調整しながら後退する。
常に、
背後に誰もいない位置を保つ。
魔力弾を放つ。
直撃。
外皮が多少削れる。
だが、無傷に近い。
「……皮膚が頑丈だな」
魔力も強い。
そして、それ以上に、硬い。
大型魔物が、
再び魔力を集束させる。
正面衝突。
魔力と魔力がぶつかり合い、
空気が悲鳴を上げる。
結界が、軋んだ。
「維持しろ!」
班長の声。
三名の騎士が、
限界ぎりぎりで、
魔力を流し込み続ける。
クロトは、
一瞬だけ視線を向け、
結界が耐えていることを確認する。
――まだ、持つ。
だが……。
外から削るのは限界だ。
周囲への影響が大きすぎる。
魔物が咆哮した、その瞬間。
クロトは、
距離を詰めた。
皮膚を突き抜ける魔力を込めた剣を、
深く突き立てる。
刃が、
分厚い外皮を貫き、
内部へ到達する。
同時に、
クロトは自分の周囲に防御結界を張った。
薄く、
だが極端に強度を高めた、
自己防御用の結界。
剣を握ったまま、
魔力を最大限まで高め、
そのすべてを内部へと叩き込む。
制御は、しない。
魔力が、
魔物の体内で暴れ回る。
――暴発。
鈍い破裂音が、
内側から響いた。
衝撃が、
防御結界を叩く。
結界が、
一瞬、強く光る。
だが、
破れない。
暴発の余波は、
完全に遮断され、
外へは漏れなかった。
大型魔物の動きが止まる。
巨体が、
ゆっくりと、
地面へ崩れ落ちた。
魔力が、
霧散する。
その場にいた全員が、
副師団長の戦いを、
自分たちと同じものだとは思っていなかった。
クロトは、
防御結界を解き、
剣を引き抜く。
班長が、
即座に状況を確認する。
「小型・中型、処理完了」
「負傷者あり。軽傷のみ」
森への被害も、
最小限だ。
クロトは、
短く息を吐いた。
――どうにかなったな。
「……撤収する」
それだけで、
戦闘は終わった。
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■診療所にて
水曜日の診療所は、
桜が固定休のため、不在だった。
彼女が、
楽しみにしていた外出に出ていることを、
何人かは知っている。
扉が開き、
数名の騎士が入ってくる。
特別師団の者たちだ。
歩き方に乱れはない。
顔色も悪くない。
だが、
近づけば分かる程度の、
細かな傷があった。
「何がありましたか?」
看護師が、
慣れた様子で声をかける。
そのうちの一人が、
魔物との戦闘があったことを告げる。
全員、軽傷。
切り傷。
擦過傷。
打撲。
どれも、
戦場では見慣れた類いのものだ。
それでも、
念のため、
負傷した状況を一通り確認してから、
治療を始める。
怪我の仕方によっては、
あとから状態が変わることもある。
中等症以上の者がいないことに、
その場にいた者たちは、
内心で安堵した。
「これくらいなら、
放っておいても――」
そう言いかけた騎士に、
看護師は手を止めずに言う。
「感染します」
「動く仕事でしょう」
それ以上の説明は、
必要なかった。
騎士たちは、
小さく肩をすくめ、
素直に椅子に腰を下ろす。
消毒液の匂いが、
診療所に広がる。
包帯が巻かれ、
傷が覆われていく。
作業は淡々としていて、
無駄がない。
そこに、
遅れて、クロトの姿も現れた。
腕。
脚。
そして、
頬に走る浅い切り傷。
「今日は、
無理をしないように」
全員に向けた、
形式的な注意。
騎士たちは、
それぞれ短く応じる。
処置を終えた者から礼を言い、
順に立ち上がり、
診療所を後にしていった。
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翌日。
結界制御室へ向かう前に、
桜は、リエットから簡単な共有を受けていた。
「昨日、
特別師団が、
カスティア王国との国境付近で、
大型の魔物と交戦しました」
淡々とした報告。
「結界の揺らぎが、
局所的に大きかった場所です」
「今日の修正は、
その周辺を重点的にお願いします」
業務上、
必要な情報だった。
桜は、
静かに頷く。
「……被害は?」
「最小限です」
リエットは、
少し間を置いてから続けた。
「ただし、
あの魔物は――」
言葉を選ぶように、
一拍。
「副師団長しか、
対応できない高魔力個体でした」
そして、
小さく息を吐く。
「あの方は、
本当に無茶ばかりです」
本音を、
あえてこぼしたような声音だった。
桜は、
それ以上、聞かなかった。
必要なことは、
もう十分に伝わっている。
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結界修正は、
指示通り、
重点的に行った。
揺らぎの残り方。
魔力の流れ。
微細な歪み。
どれも、
「何が起きたか」を、
雄弁に語っている。
(……やっぱり)
作業を終え、
制御室を出る。
廊下で、
クロトの姿が見えた。
護衛として、
いつもと変わらない立ち位置。
歩き方も、
姿勢も、
普段通りだ。
――けれど。
迎えに来たその段階で、
袖口から覗く白い包帯に気づいていた。
胸の奥が、
きゅっと痛む。
戦闘の場で、
彼が矢面に立つ姿が、
自然と浮かんだ。
護衛任務中だ。
それに、
なにより――
聞く立場ではない。
桜は、
視線を前に戻し、
歩き続けた。
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部屋の前まで来る。
扉を開けてもらい、
中へ入ったところで、
一度、足が止まった。
――言うべきじゃない。
――分かっている。
それでも。
桜は、
振り返る。
「……クロトさん」
彼が、
足を止めた。
桜は、
一瞬だけ、言葉を探す。
(これは、
他の人になら、
簡単に言える言葉)
膨大な魔力を持つ彼には、
言ってはいけないと、
ずっと思ってきた言葉。
それでも。
「……こんなこと、
言うべきじゃないのかもしれませんけど」
一拍。
「どうか、
自分の体も大切にしてください」
クロトは、
一瞬だけ目を見張り、
「……善処します」
それだけを残して、
静かにその場を後にした。




