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第18章  終末思想をもつ者たち

■終末思想教団・議論


石造りの地下空間は、外界から完全に切り離されていた。

どこの国とも名乗らない。

どこの神殿にも属さない。

ここに集まる者たちは、

同じ問いを抱いているだけの人間だった。

円卓を囲む人数は多くない。

だが、それぞれが異なる土地、異なる国から来ている。

この思想が、ひとつの国に閉じたものではないことを、

それ自体が示していた。

最初に口を開いたのは、穏健派の一人だった。

「我々は、壊そうとしているわけではない」

静かな声だった。

だが、言葉は慎重に選ばれている。

「ただ、問い続けているだけだ。

 この世界の在り方が、本当に正しいのかどうかを」

別の者が頷く。

「結界によって、世界は保たれている。

 それは否定しない。

 だが、本来終わるはずのものを、

 無理に引き延ばし続けているのではないか、

 その疑問を、誰も口にしなくなっている」

「生きることが大切なのは分かっている」

「だが、“終わらせないこと”が、

 常に善であるとは限らない」

穏健派の言葉は、

どれも断定を避けていた。

結論を出さない。

出そうとしない。

だからこそ、

多くの国が、彼らを即座に排除できずにいる。

その沈黙を、

低く、鋭い声が切り裂いた。

「――まだ、そんなことを言っているのか」

過激派の一人だった。

「問い続ける?

 もう十分だろう」

視線が集まる。

「答えは出ている。

 世界は、終わるべきだ」

場の空気が、はっきりと変わった。

「異界の力に頼り、

 巫女を犠牲にし、

 世界を無理に延命している今の形は、

 すでに歪んでいる」

「巫女を否定しているわけじゃない」

「むしろ、あれは犠牲者だ」

「だが、その犠牲を前提にした世界を、

 このまま続ける理由は、どこにある?」

穏健派が、すぐに返す。

「だからといって、

 今すぐ終わらせることが正しいとは限らない」

「終わりを受け入れる準備も、

 世界には、人には、まだない」

だが、過激派は首を振った。

「準備が整うのを待っていたら、

 永遠に終わらない」

「問い続けるだけでは、

 何も変わらない」

沈黙が落ちる。

この一線。

この、わずかな差。

問い続ける者たちと、

答えを断定する者たち。

その差が、

思想を、行動へと変える。

終末思想教団は、

世界中に散らばっている。

数は把握しきれない。

国家を直接揺るがすほどではない。

だが、

過激派は、

どの国でも警戒対象だった。

彼らに、明確な指導者はいない。

統一された命令系統もない。

それでも、

同じ「答え」に辿り着いた者たちが、集団となり

同じような行動を取る。

それが、

この思想の、

最も危険な点だった。

そして――

この国でも、

その一線を越えようとする者が、

すでに動き始めている。

「もう、状況は動き出している」

過激派の一人が誰にも聞こえない声でつぶやいた。


________________________________________

■ 密偵の違和感


その会合が、

終末思想教団のものであることは、密偵も把握していた。

これまでも、同様の集まりはいくつも見てきた。

問いを投げ、結論を避け、

世界の在り方について語り合う。

それ自体は、珍しいものではない。

だが、今回は違った。

言葉は、これまでと大きく変わらない。

結界についても、巫女についても、

語られている内容自体は、過去と似ている。

それでも、

場に漂う空気だけが、明らかに異なっていた。

慎重さの中に、

どこか切迫した感触が混じっている。

問いではなく、

すでに過激派の間では、

「前提」が共有されているような雰囲気だった。

密偵は、

何が起きるのかまでは掴めなかった。

だが、

「いつも通りでは終わらない」

という違和感だけは、はっきりと感じ取っていた。



________________________________________

■ 第4師団長の判断と師団長会議


ゼフィーリア騎士団・第4師団長のもとへ上がった。

隠密・諜報を担う師団に集約される情報だ。

内容は断片的だった。

具体的な計画も、

明確な行動予告もない。

だが、

第4師団長は迷わなかった。

終末思想教団であること自体は、

これまでも把握されてきた事実だ。

結界や巫女に言及することも、

珍しい話ではない。

問題は、そこではなかった。

「いつもと違う」

その感覚こそが、

最も危険だった。

現時点で、

何が起きるかは分からない。

だが、

分からないまま放置してよい空気ではなかった。

問いが投げられているようで、

すでに結論が共有されているような気配。

慎重さの裏に、

切迫した意図が透けて見える。

第4師団長は、

全師団長を集めることを決断した。

これは、

一部の師団だけで判断すべき案件ではない。

集められたのは、

騎士団全10師団の師団長たちだった。

役割も、得意分野も異なる。

だが、

この場では全員が同じ立場に立っている。

報告は簡潔だった。

密偵が確認した事実。

そして、

「いつもと違う」という違和感。

「現時点で、

 何が起きるかは分からない」

「だが、

 分からないという一点だけで、

 警戒するには十分だ」

議論は長引かなかった。

結論は一つ。

王と重臣へ、情報を上げる。


________________________________________

■ 王と重臣の会議


王宮では、非公開の会議が開かれた。

王。

宰相。

軍務卿。

内務卿。

神殿長。

そして、外務大臣。

終末思想教団の存在は、

すでに共有されている情報だった。

世界各地に散在し、

明確な指導者も、

統一された命令系統も持たない。

国家を直接揺るがす規模ではない。

少なくとも、これまでは。

だが、

思想が行動に変わった瞬間、

対処は極めて困難になる。

外務大臣が、淡々と口を開いた。

「他国でも、

 同様の思想を背景にした不穏な動きは確認されています」

「数は多くありません。

 しかし、過激派は各国で警戒対象です」

「共通しているのは、

 計画性よりも、

 突発性が高いという点でしょう」

軍務卿が、低く続ける。

「軍としても、

 明確な敵意や動きがあれば対処は可能です」

「だが、

 思想が先にあり、

 行動が後から生じる場合、

 事前の抑止は難しい」

「特に、

 結界や巫女に関わる事案であれば、

 初動を誤れば被害は大きくなる」

神殿長も、慎重に言葉を選んだ。

「思想そのものを、

 神殿が裁くことはできません」

「ですが、

 巫女や結界が、

 “攻撃の対象になり得る”

 という認識は、

 共有しておく必要があります」

沈黙が落ちる。

誰も、

「何が起きる」とは言えなかった。

だが、

「何も起きない」とも言えなかった。

王は、ゆっくりと息を吐いた。

「警戒を強める」

「ただし、

 国民を不安にさせるな」

「事実だけを共有し、

 過剰な動きは避ける」

「騎士団には、

 静かに備えさせよ」

その言葉に、

誰も異を唱えなかった。



________________________________________

■ 騎士団への指示


王の判断は、

速やかに騎士団へと下りた。

各師団は、

目立たない形で警戒態勢を引き上げる。

巡回の見直し。

情報共有の徹底。

不審な動きへの即応体制。

いずれも、

これまでも行われてきた対応だ。

だが今回は、

その精度と密度を一段階引き上げる。

特別師団には、

より明確な指示が出された。

巫女への警護を、さらに強化すること。

想定する脅威は、

魔物だけではない。

終末思想教団のような組織の存在。

そして、

政治的な思惑から、

巫女そのものを狙う可能性。

それらは、

騎士団にとって未知の危険ではなかった。

だからこそ、

巫女の護衛は、

すでに二十四時間体制となっている。

桜自身は、

その事実を、

まだ深く意識してはいない。

だが、

騎士団は常に、

「人による危険」も含めて、

警護を組み立ててきた。

その前提の上で、

今回の指示は、

警戒をさらに引き締めるものだった。

騎士団全体に、

静かな緊張が走った。



________________________________________

神殿長の講義


講義は、桜の部屋で行われた。

扉の外には、

いつも通り護衛騎士が立っている。

中にいるのは、三人だけ。

神殿長。

リエット・セレス。

そして、桜。

神殿長は椅子に腰を下ろすと、

前置きなく口を開いた。

「今日は、

 あなたに伝えておくべき話があります」

声は穏やかだったが、

内容が軽くないことは、すぐに分かった。

「終末思想教団。

 そう呼ばれている思想についてです」

桜は、わずかに息を吸った。

名前を聞くのは、初めてだった。

神殿長は、

淡々と説明を続ける。

「世界は、本来いつか終わるものではないか。

 結界によって、それを無理に延ばしているのではないか」

「異界の力に頼り続ける今の形は、

 世界にとって健全なのか」

「彼らは、

 そうした問いを持つ人々です」

桜は、少し考えてから口を開いた。

「……問い、なんですね」

「ええ」

神殿長は頷いた。

「世界を壊そうとしているわけではありません。

 巫女を否定しているわけでもない」

「むしろ、

 この世界の構造に巻き込まれた存在として、

 巫女を犠牲者と捉えている者も多い」

リエットが、静かに補足する。

「だから、

 思想の段階では、

 国家として即座に排除できないのです」

「問いを持つこと自体は、

 罪ではありませんから」

桜は黙って聞いていた。

地球にも、

理解できない思想や極端な考えはある。

それ自体は、特別なことではない。

神殿長は、

少し間を置いて続けた。

「問題になるのは、

 その一部が、

 世界はもう終わらせるべきだと

 結論づけた時です」

「その場合、

 終わらせるという行動を選ぶ者たちが現れる」

「その段階に至った集団は、

 どの国でも警戒対象になります」

桜は理解し、静かにうなづいた。

「数は多くありません。

 ですが、

 行動の予測がつかない」

「だからこそ、

 最も厄介なのです」

理解はできる。

だが、どこか遠い話のようでもあった。

神殿長は、

そこで話題を切り替えた。

「ここからは、

 あなた自身に関わる話です」

桜は背筋を正した。

「人からの脅威というものは、

 今回、突然生まれたものではありません」

「思想的な理由。

 政治的な理由。

 あるいは個人的な思惑」

「そうしたものから、

 巫女が危険に晒される可能性は、

 これまでも存在していました」

桜は、驚いて思わず目を瞬いた。

「だからこそ、

 巫女には常に護衛がつきます」

「それは、

 魔物への備えだけではありません」

「人からの危害も含めて、

 国家として想定しているからです」

神殿長の声は、淡々としていた。

「二十四時間体制の護衛も、

 特別な対応ではありません」

「それが、

 巫女という立場に課せられている、

 標準の警護です」

桜は、少し迷ってから口を開いた。

「……私は」

「こちらに召喚されたばかりの頃、

 力をうまく使えず、

 一度だけ王宮内に魔物が出現する事態を

 起こしてしまいました」

「だから、

 その警戒のためだと、

 思っていました」

「それに……」

一瞬、言葉を選ぶ。

「異界の巫女という立場を、

 見張る意味もあるのかな、と」

それは、

責めるつもりで出した言葉ではなかった。

桜自身、

ずっと心のどこかで気になっていて、

それでも、なんとなく聞けなかったことだった。

リエットが、そっと微笑む。

「どれも、

 間違ってはいません」

その即答に、

桜はわずかに目を見開いた。

否定されると思っていた。

あるいは、

話題を逸らされるかもしれないと。

リエットが、

さらりと真実を口にしたことが、

桜には少しだけ意外だった。

――でも、たぶん。

今の自分を信頼している、

その結果なのだと思った。

神殿長が、最後に言葉を添える。

「怖がらせるつもりはありません。

 ただ、知っておいてください」

「あなたの役目は、

 万人にとって歓迎されるものではない」

「だからこそ、

 守る体制が必要なのです」

桜は、静かに頷いた。

思想の存在自体には、

強い衝撃はない。

どの世界にも、

理解できない考えを持つ人はいる。

だが、だからといって。

この世界で、

結界を守る異界の巫女にまで、

危害を加えようとする人間がいる。

その事実は、

桜の中に、

引っかかるように残った。

だがそれは、

まだ「理解した」だけで、

実感としては、遠いままだった。



________________________________________

日常の中の警備強化


講義の翌日から、

桜の周囲の配置が、わずかに変わった。

第1診療所には、

外に一人。

中に一人。

二名の護衛騎士が立つようになった。

桜が結界制御室と診療所のあいだを移動する際も、

これまでは一人だった護衛が、

二人体制になっている。

神殿長から聞いた話は、理解している。

終末思想教団。

思想が行動に変わる可能性。

人からの脅威。

理由は、分かっている。

分かってはいるのだが――

(少し、大げさじゃないかな)

そんな感覚の方が、正直に近かった。

桜の生活は、何も変わっていない。

結界の調整。

診療所での補助。

いつも通りの、忙しくて静かな一日。

王宮の外に出ることも、ほとんどない。

どこに、

差し迫った危険があるのかも、

正直なところ、想像がつかなかった。

(彼らは、自分の仕事をしているだけ)

そう思うことで、

桜は自分を納得させた。

神殿長が言っていた通り、

これは、巫女という立場に対する、

一段階レベルの上がった警護だ。

国が必要と判断したことに、

桜が口を出すことではない。

まさか――

自分自身が、

狙われる対象になり得るなどとは。

その現実を、

常に想像し、

それを前提に行動する必要があるとは、

夢にも思っていなかった。



________________________________________

守る側の役目


桜の様子を見ていて、

クロトは改めて思う。

彼女には、

危機感がほとんどない。

それは、

鈍いからでも、

無防備だからでもない。

ただ、

本当に平和な国で生きてきたのだと、

はっきり分かるだけだ。

守られることが、

恐怖と結びつかない世界。

理由もなく、

誰かに狙われることを前提としない日常。

――本当は、

彼女は、

元の世界にいた方がいい。

そんな考えが、

ふと胸をよぎる。

それでも。

彼女が、

今ここで、

危険を感じることなく過ごしているのなら。

無用な不安を、

背負わせる必要はない。

危機を想定し、

最悪を考え、

先に立つのは、

守る側の役目だ。

桜が、

何も知らずに歩けるなら、

それを壊さずに済ませたい。

守るのは、

自分たちだ。

クロトは、

それ以上考えることなく、

いつもの位置に立った。



________________________________________

いつもの朝


桜にとって、

いつも通りの一日が始まる。

護衛は、

クロトと、

ヴァルド・エーレンフェルト。

警備体制が強化されてから、

複数名での配置が基本になっていた。

朝は、

いつも通り言葉を交わすことが少ない。

挨拶も、必要最低限だ。

それで、問題はなかった。

桜は、

結界制御室へ向かう。

背後には、

二人分の気配。

歩調も、

距離も、

乱れはない。

(今日も、平和だ)

そう思いながら、

桜は足を進めていた。

王宮の中から、

ほとんど出ることもない。

目に見える危険もない。

もちろん、

自分が誰かの標的になるなどという発想はない。

「今日は、

 診療所、忙しいかな?」

結界修正後の予定へと、

思考は自然に移っていく。

________________________________________


結界制御室に入った瞬間、

空気は、いつもと変わらなかった。

結界は、

静かに、確かに、そこにある。

桜は、

決められた位置に立つ。

何度も繰り返してきた動作。

迷いはない。

そのとき――

クロトは、

ほんのわずかな引っかかりを覚えた。

魔力の流れが、

一瞬だけ、歪む。

同時に、

結界を常に見続けているリエットも、顔を上げた。

「……違う」

結界表層部分に、

異常な魔力の流れを感じる。

「待って――!」

クロトとリエットが、

ほぼ同時に声を上げる。

だが、その声が届く前に、

桜の指先は、すでに結界へと触れていた。

次の瞬間。

結界制御室の中心で、

魔力が――爆ぜた。

音ではない。

衝撃そのものが、空間を叩き割る。

制御されない魔力の奔流。

一点に仕込まれた異常な出力が、

桜の立つ位置だけを正確に捉えて解放される。

爆風は、

桜の身体だけを吹き飛ばそうとした。

クロトは、

思考より先に動いていた。

魔力出力、最大。

桜の周囲に、

即座に強固な防御結界を展開し、

同時に、これ以上の魔力暴発を抑え込む。

同時に、

リエットが結界全体へ、

安定化の魔力を一気に流し込んだ。

崩れかけた結界の層が、

かろうじて持ちこたえる。

だが――

爆風は止まらない。

結界に守られてなお、

桜の身体が宙に浮く。

「――っ」

クロトは床を蹴った。

全力で距離を詰め、

吹き飛ばされかけた桜を抱き寄せる。

守る。

それ以外の選択肢はない。

クロトが前に出る形で、

桜を包み込む。

背中に、

壁の存在を感じた、その瞬間。

ヴァルドが、

即座に魔力を展開した。

クロトと壁のあいだに、

衝撃を受け止めるための魔力の緩衝層。

鈍い衝突音。

それでも、

完全には殺しきれない力。

クロトの身体が、

壁に叩きつけられる。

だが、

桜は無事だった。

クロトの腕の中で、

結界に守られたまま、

爆風の直撃から隔離されている。

制御室に、

遅れて静寂が落ちた。

暴走した魔力の残滓が、

霧のように消えていく。

リエットは、

結界から手を離さない。

安定化の魔力を流し続け、

崩壊を食い止めている。

クロトは、

荒い呼吸のまま、

桜を離さなかった。

肋骨に、

鋭い痛みが走る。

だが、

意識ははっきりしている。

守れた。

それだけが、

この場で確かな現実だった。



________________________________________

■音が、遠い


衝撃のあと、

桜は意識を保っていた。

だが、

ただ茫然としていた。

音が、遠い。

視界も、どこか白く滲んでいる。

何が起きたのか、

分からない。

耳元で、

クロトの声がしている気がする。

少し離れたところで、

リエットの声も聞こえる。

だが、

言葉として、桜の中に入ってこなかった。

ただ、

抱えられている、という感覚だけがあった。

温度。

確かな腕の感触。

「……桜」

名前を呼ばれている気がした。

それでも、

返事をするだけの感覚は、

まだ戻らない。

リエットの声が、

少し距離を取った位置から聞こえた。

「……ショックが強いですね」

「部屋へ。今は休ませましょう」

その判断に、

クロトが異論を挟むことはなかった。

クロトは、

何も言わずに桜を抱えたまま歩き出す。

肋骨に走る痛みを、

表に出すことはない。

腕の中の重さだけに、

意識を集中させる。

ヴァルドは、

すでに通信席に向かっていた。

近隣の騎士を招集。

師団長へ、即時報告。

そして、

クロトのそばへ戻る。

それは、

クロトを守るためではない。

桜の護衛を、

切らさないためだった。

廊下を進む途中で、

桜の意識が、ようやく現実に追いつき始める。

視界が、

少しずつ輪郭を取り戻す。

息を吸って、吐いて。

「……今のは……?」

掠れた声だった。

クロトは歩みを止めず、

短く答える。

「おそらく、結界に魔力爆発が仕掛けられていた」

説明ではなく、

事実だけを告げる言い方だった。

桜は、

その言葉を黙って聞いていた。

理解しきれない。

混乱している。

それでも――

ふと、別のことが気になった。

クロトの腕。

自分を抱えている、その身体。

私をかばって、

壁に叩きつけられたのではないか。

「……私……大丈夫、です」

「だから……もう、下ろして……」

自分は無事だ。

痛みもない。

それよりも、

彼の方が――

だが、

クロトは首を横に振らなかった。

答えも返さない。

そのまま、

桜の部屋へ向かう。

ヴァルドをリビングで待機させ、

ここから先は緊急時のみ入る区画へ。

クロトは扉を開け、

桜をそっとベッドへ横たえた。

動作は慎重で、

乱れがない。

まるで、

いつものように。

その直後、

部屋の外から足音が近づく。

師団長の命を受け、

リーゼが到着していた。

桜のそばにつき、

一人にしないための配置だ。

桜は、

天井を見つめたまま瞬きをする。

何が起きたのか、

まだ理解が追いつかない。

ただ――

守られていた、

という感覚だけが、

遅れて胸に残っていた。



________________________________________

■守った、はずだった


廊下に出た瞬間、

クロトは、ようやく息を吐いた。

胸の奥で、

鈍い痛みがはっきりと主張する。

肋骨だ。

ひびが入っているだろう。

だが、

それを気にかける余裕はない。

「ヴァルド」

名を呼ぶと、

すでに通信を終えたヴァルドが視線を向けた。

「交代要員二名が来次第、

 師団長へ直接報告を」

短く、要点だけを伝える。

「俺は、制御室へ戻る」

治療は後だ。

今は、それどころではない。

結界制御室で起きた異常。

人為的な魔力爆発。

それが意味するものは、

一つしかなかった。

――狙われた。

桜が。

結界が。

そして、この国の根幹が。

クロトは歩き出す。

痛みを無視し、

思考を切り替える。

体は守れた。

それは事実だ。

だが、

本当に守りきれたとは思っていない。

何より、

「未遂」で終わっただけだということも、

誰よりも理解していた。


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