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ブラックスワンは白くならない  作者: 小屋隅 南斎


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第9話

(……え?)

 布が裂ける高い音が、耳の奥にこびりついた。彼女の真っ白な制服の裾には豪快なスリットが入り、眩しい肌色が覗いていた。手には制服の一部だった白い布の断片が握られている。表情は真剣そのもので、気にする様子も恥ずかしがる様子も微塵もなかった。そしてたまかは、手にした布を患者の怪我した腕へと巻き付けだした。制服を破いたのは、包帯の代わりにするためだったらしい。

「……」

 菖蒲は声を掛けようと開きかけていた口を、黙って閉じた。

(なんか……大人しくて無害って感じの子なのに、意外と思い切りがいいというか……)

 昼食の件といい、今の件といい。菖蒲は神妙な顔をした。たまかの破れたスカートからは、太ももはもちろん下着すら見えそうになっていた。しかし本人は全く気にも留めず、懸命に治療を続けている。

(ちょっと大胆なところがある子なんだな……)

 菖蒲は振り返っていた顔を、自身の患者へと戻した。不思議そうに見上げる顔へ、「ごめんなさい」と一言謝罪を挟む。

「……過去に麻酔や薬で何か副作用が見られた、もしくはアレルギーを持っている場合は申告をお願いします」

 横たわった少女から言葉が出ることはなかった。小さく頭が動いたことからして、首を横に振ったのだろう。

「では、これより全身麻酔、および手術を始めます」

 一昔前なら手術は手術室で行っていたのであろうが、抗争ばかりの現代では外での手術は当たり前だ。衛生面では良いとは言えないが、贅沢は言っていられない。殺し合いが至る所で勃発しすぎて、一人一人手術室へ運んでいると対応が間に合わないのだ。治療をする者にとってSSI(手術部位感染)は常に頭に付き纏う程の重要にして難関な問題だが、現代ではある程度割り切らなければならないのが現状だ。

 菖蒲は袋から特殊処理のされた布を二枚取り出し、殺菌処置を行った。そして二枚とも広げ、一枚に患者を、もう一枚に器具を並べていった。まずは麻酔からだ。自分の手際の悪さは知っている、無理に時間短縮を強行せず、時間が掛かってもいいから慎重な作業を行おう。同時に始めたたまかより時間が掛かってしまうだろうが、もうしょうがない。たまかが先に終わったら、その時点から理由を付けて手術を代わって貰えばいいのだ。菖蒲は殺菌処置を行ったゴム手袋を装着し、静脈麻酔薬の準備を始めた。体温管理の出来る器具を患者へ装着し、手術器具の直前殺菌を始める。準備を終えると、菖蒲は患者の全身麻酔に取り掛かった。

 菖蒲は患者の手術を淡々と進めていった。お世辞にも要領が良いとは言えない段取りで、不器用な手つきでメスを握る。背中の奥で、たまかも同じ様に手術をしているのであろうが、お互い音を立てず手術に集中していたため意識がそちらへ向くことはなかった。そのまま一時間近く経過した辺りで、菖蒲は背後に靴音と気配を感じた。たまかの手術が終わったようだ。

「終わった?」

 切れた筋肉の修復をしながら、菖蒲はマスク越しに尋ねた。ちなみにマスクは麻酔が終わった段階で装着したものである。背中側から「はい」と大きくはないもののはっきりとした声が響いた。

「患者さんの状態は良好です。私、残りのAの方の治療に行ってきま……」

「あ、ちょっと待って」

 手は動かしたまま、呼び止める。遠ざかろうとしていた靴音が止まった。

「ちょっと手が攣っちゃってさ。ミスしたら怖いし、悪いけど代わってくれないかな。残りの患者のとこにはあたしが行くよ」

 一瞬、沈黙が流れた。……やはり、たまかは何か察するところがあるようだ。

「……わかりました」

 しかし先輩の頼みは断れるわけがない。たまかは予想通りにそう言って、患者を回り込んで菖蒲の視界内にやってきた。現れた彼女の顔は普段通りで、怒りや呆れなどは特に浮かんではいなかった。

「ちょい待ってね、ここの筋肉の修復まで終わらすから」

 未修復の場所を教えようかとも思ったが、見逃している箇所がある可能性を考えてやめた。たまかはその場にしゃがむと、じっと怪我の状態を観察した。先輩の治療する手を見ながら、彼女は一体何を思っているのだろうと菖蒲は思った。下手くそだな、と思っているのかもしれないし、時間が掛かり過ぎだな、と思っているのかもしれなかった。

「……あの」

 露になっている脚の筋肉と腱を見つめながら、たまかがぽつりと声を掛けた。

「私の腕前じゃ、不安じゃないですか……?」

「ん?」

「一人で手術を任せていいのでしょうか? まだ、先輩のように沢山現場を経験したわけでもありません。ミスや不手際をしてしまう可能性は先輩より高いのに、私に任せることは本当に得策なのでしょうか」

 菖蒲は思わず、真っ赤な視界を逸れてたまかの顔を一瞥してしまった。患部を見下ろし続ける顔からは、感情は読み取れなかった。菖蒲は安心させるように、笑みを浮かべた。

「いやあ、たまかちゃんを信頼しているからね」

 菖蒲は軽い調子でそう言って、シューチャーアンカ―から伸びた縫合糸を筋肉へ通していった。この言葉は本心だ。自分の腕前より、たまかの腕前の方が余程信頼できる。

「信頼……ですか。……その、医療現場においては、根拠がないといいますか、不適切では……」

 たまかは遠慮がちにそう零した。腑に落ちないらしく、小さく眉を顰めていた。まるで『レッド』の者のようなことを言うな、と菖蒲は思った。『レッド』は合理性を重視する組織で、根拠のない感情論を嫌うところがある。

「……いえ、先輩に信頼してもらえるのはとても嬉しいんです。ただ……患者さんのことを思うと、少し不安で……」

 彼女はそう付け足して、眉を下げた。あまり場数を踏んでいない者の立場からすると、そのように心配になるのは自然なことだろう。菖蒲はマスクの奥で、柔らかな笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ。たまかちゃんは対応もきちんと出来てるし、慎重だから患者さんの変化にもすぐに気付く。何かあったらそうやって言葉にしてくれるし、本当にヤバい時は霞を頼ればいいんだから、怖がらないで平気」

 菖蒲は宥めるように言いながら、縫合糸を外科結びで結紮しようとした。しかし失敗し、再び最初からやり直し始める。たまかはそれを、無言でじっと見下ろしていた。

「それにたまかちゃんは、患者を救うって熱意が凄くあるじゃない? ちゃんと患者さんのことを想って行動出来てる。だからね、たまかちゃんに任せてもあたし達は安心出来るの」

 慎重に、たどたどしい手つきで糸を操り、なんとか無事に結ぶことが出来た。マスクの下で、ふぅと安堵の息を漏らす。

「……なるほど。先輩と一緒ってことですね」

(……うん?)

 菖蒲は縫合糸の先を剪刀で切ったところで、思わず顔をあげた。たまかはなんだか納得したような晴れた顔で、それを見下ろしていた。

(一緒? あれ、何の話してたんだっけ……)

 縫合糸を結ぶことに集中し過ぎて、直前に話していたことが頭から吹き飛んでしまった。流石に新入生の前で二度も外科結びを失敗するような失態は晒せないと必死になり過ぎていた。その結果結ぶことに成功したのだから、結果オーライではある。

「あとは引き継ぎます。残りの患者さん、よろしくお願いします。終わり次第、こちらについて頂けますか」

「うん、わかった。悪いけど、お願いね」

 たまかは患者から離れ、ゴム手袋の殺菌処理を始めた。菖蒲も引き継ぐ準備を始める。たまかがゴム手袋とマスクを装着したのを見て、彼女と場所を換わった。菖蒲はゴム手袋とマスクを外し、自分の担当した範囲へと戻っていった。向かうは、たまかの人工呼吸によって意識が戻った少女のもとだ。この時間なら、今は霞が優先度Aの最後の患者を治療している頃合いだろう。霞は優秀である、彼女の手腕を鑑みると、丁度三人目の治療に取り掛かっているくらいの時間だ。とすれば今からAの患者のもとに向かっても無駄骨だ。Bの患者のもとへ直接赴いた方がいい。

 しばらく走ると、建物の陰で回復体位で寝かせられている少女が目に入った。特別変わったところもなく、離れた時と同じ状態だ。苦し気な様子もなく、落ち着いている。遠目にそれを確認してほっとすると、菖蒲は急いで彼女のもとへと向かった。

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