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ブラックスワンは白くならない  作者: 小屋隅 南斎


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第8話

「たまかちゃん?」

 菖蒲は進路を変え、同じ制服を着た少女へと駆け寄った。たまかが見下ろす先には、一人の少女が横たわっていた。『ブルー』の制服を着て、煤だらけの少女。……先程菖蒲が診て、死亡判断を下した少女だった。手首には黒い紐が巻かれている。

「何してるの?」

 菖蒲は倒れている少女を間にして、たまかの対面へしゃがみ込んだ。たまかはその真剣な顔を少女の顔へと近づけた。

「彼女、まだ生きてます……!」

「……え」

 菖蒲は茫然として黒くなっている身体を見下ろした。……そんなはずはない。息もなく、脈拍もなかったはずだ。たまかは少女の頭へと両手を伸ばすと、額を固定しながら顎先を持ち上げた。頭を後ろへ反らし、気道を確保する。たまかは少女の鼻をつまむと、自身の顔をさらに寄せた。口で口を覆い、息を吹き込む。横たわった少女の黒く煤けた胸元が膨らんだ。

(生きてる? 本当に? なんで……?)

 菖蒲は動揺しながら、少女の身体の周りへと視線を這わせた。手も足もついており、損傷の少ない身体。菖蒲が離れた時と、寸分違わぬ体勢。辺りには瓦礫や枝が散乱しており、彼女の身体の周りは荒れ果てている。……瓦礫?

(もしかして……脇の間に瓦礫が挟まってた? だから脈拍を感じられなくて……死亡判断を……)

 口を離していたたまかが、再度横たわる少女へと顔を近づけた。彼女は小さい唇を大きく開け、患者の口へと深く息を吹き込んだ。合わせて少女の胸が上がる。それを見下ろしながら、菖蒲は膝の上の拳を握った。

(たまかちゃんが気付かなければ、この子は……。……瞳孔確認をサボらなければ、防げてた)

 菖蒲が瞳孔確認を省くのは、全て確認していると手間だという以上に時間短縮の意味合いが強い。手際が悪い菖蒲が呼吸と脈拍と瞳孔の全てを確認していると、余りにも時間がかかりすぎるのだ。より緊急性の高い患者を診るのが遅れてしまうし、複数人で同時に確認を行っている場合一人だけ終わらず仕事の出来なさが露呈してしまう。当然、怒られもする。菖蒲は自分の手際の悪さを自覚してから、瞳孔確認を省くようにしていた。今までそれで誤診したことはなかった。息がなくて脈拍もなければ、決まって瞳孔も縮小しなかった。……それなのに。

「…………」

 菖蒲は言葉を失い、人工呼吸を続けるたまかと横たわる少女を眺めることしか出来なかった。

「そういえば……私を探していましたか?」

 意識のない少女の呼気を待つタイミングで、たまかは菖蒲へと問いかけた。その間も、たまかの視線は患者の胸元と口を忙しなく動いている。

「あ……うん」

 たまかの問いかけで現実に引き戻された菖蒲は、なんとか言葉を返した。たまかは再び患者の口を自身の口で覆った。

「包帯が……足りなくて。たまかちゃんの袋に入っている包帯を、分けてほしいの」

 顔をあげたたまかが、患者の胸元を確認しながら頷く。

「分かりました。持っていってくだ——」

 意識のなかった患者の口から、小さく呻き声が上がった。たまかも菖蒲も、はっとして彼女の顔を覗き込む。たまかの手が鼻から離れると、彼女は口を小さく開け、息を吸った。続けて、手が動いて僅かにあがる。

「大丈夫ですか? 私のこと、わかりますか?」

 たまかが患者の耳元へ顔を寄せ、尋ねる。患者の白い顔が、ゆっくりと動き——瞼が僅かに開いた。

「!」

 菖蒲は目を見開いた。倒れている少女は言葉を発することはなかったが、僅かに首を傾けた。頷いたのだろう。たまかはそれを確認し、額と顎から手を離した。

「私は『不可侵の医師団』の者です。この場に敵はおりません。どこか苦しいところや痛いところはありますか? ないようでしたら、落ち着いて呼吸に集中してください。その後、声が出せそうなら貴方の所属をお願いします」

 たまかは頭をあげ、菖蒲へと顔を向けた。

「こちらは私が見ておきます。包帯をお願いしてもよろしいでしょうか」

「わかった、貰っていくね」

 菖蒲は弾かれたように立ち上がると、たまかの隣に置いてあった袋の中を漁った。中から包帯を取り出す。

「あと、患者の状況確認のメモ、あったらもらっておく」

「あ、はい。……お願いします」

 たまかは制服のポケットから紙片を取り出し、菖蒲へと差し出した。菖蒲はそれを受け取り、霞のもとへ向けて走り出した。停めてある車を通り越し、霞に割り振られた範囲へと向かう。辺りを見渡して探していると、端で治療にあたる霞の姿を発見した。菖蒲は息を切らせて彼女のもとへと駆け寄った。

「包帯。……ごめん、遅くなった」

「お、ありがと」

 霞は足が千切れた患者を診ていた。少女は意識があり、苦痛に顔を歪めていた。……まだ痛み止めが効いていないのだろう。

「今、たまかちゃんには患者のもとについてもらってるんだ。メモ貰って来たから、今から情報共有するね。あたしが勝手にしゃべってるから、霞は手止めなくていいよ」

「あいよー」

 霞は患者の切断部へガーゼを当てると、包帯を強く巻き出した。肌色と赤色が、すぐに白色で埋め尽くされていく。

「まずあたしの範囲、倒れていない街路樹から四階建ての建物まで。全部で六人、全員死亡……じゃ、なかった。五人死亡、一人重症度S、からBに変更。人工呼吸で意識回復」

「おぉ」

「……たまかちゃんのお陰」

 霞は反応を返しながらも、包帯を巻き続けていた。菖蒲は続けてたまかから預かったメモを読み始めた。

「次にたまかちゃんの担当範囲。ゴミ箱から倒れていない街路樹まで。東方向、手前から順にA、死亡、死亡、A、死亡……計五人、って書いてある。治療が必要な患者は二人だね」

「オッケー。こっちは建物からペットボトルのゴミ箱まで。順に死亡、A、死亡、死亡、A、A、死亡、計七人。生存者は三人。意識があるのは一人」

 菖蒲は頷いたあと、患者へと視線を向けた。痛みに必死に耐えているようだ。意識がある患者というのは、彼女のことを指しているのだろう。

「他の二人も損傷が激しいから、順に治療していく。……麻酔足りるかな」

「あたしの分けておくよ」

「おー、助かる。とりあえずこっちは千切れた足を見つけるところから始めないとな。千切れた足くっつけて、抉られた腹なおして、最後に切断された腕をくっつけて……。たまかちゃんとこの二人の患者も、似たような状況かな」

「たぶんね。……結果的に、三人で丁度良かったね」

 菖蒲がぽつりと零すと、霞は軽い調子で同意した。

「まとめると計十八人、生存者六名か。五人A、一人B。霞は担当範囲の患者を順番に対応お願い。たまかちゃんとあたしでたまかちゃんの範囲の人を対応したあと、こっちに来るよ」

「オッケー」

 麻酔の道具を置くと、菖蒲はたまかの元へと舞い戻った。たまかは離れた時と同じ姿勢で、患者へと何事か声を掛けているところだった。横たわった少女は回復体位をとっていた。たまかがとらせたのだろう。少女は完全に意識が戻ったようで、近づいた菖蒲に気付くとたまかとともに菖蒲を見上げた。

「状況共有。計十八人、生存者六名。五人A、一人B。あたし達はまずたまかちゃんの担当範囲の患者から」

 手短に状況を説明すると、たまかは真剣な顔で頷いた。

「……すみません、少し他の患者さんの対応に行ってきますね」

 少女へ声を掛けると、たまかは立ち上がった。小柄な身体は、そのまま患者をまわりこんで菖蒲の前へとやってきた。

「こちらです」

 たまかはそう言うと同時に、自分の担当した範囲へ向けて走り出した。菖蒲もその後ろへとついていく。爆発を免れた街路樹の葉が風に揺れるのを横目に、二人は対応が必要な患者目掛けて駆けて行った。やがて応急処置の施された少女が横たわっているのが見えてきた。その近くには、同じく応急処置の施された別の少女も倒れている。菖蒲は二つの身体を遠目に見比べ、口を開いた。

「たまかちゃんは向かって右側の患者をお願い。左はあたしが担当する」

 右側の患者の方が出血量が多いと判断し、さりげなくたまか担当にした。

「……」

 菖蒲の言葉に、たまかはすぐには返事をしなかった。

(あ、……バレた?)

 担当範囲の割り振りの時といい、彼女は細かいところにも気が付く性格のようだ。怒らせたかなと思っていると、「わかりました」と一言だけ返事が返って来た。言い方からして、怒っているわけではないようだ。ほっと安堵の息をつく。

「……ん?」

 横たわっている少女達に近づくにつれ、たまか担当となった患者に巻かれている包帯が血で真っ赤に染まっていることに気が付いた。たまかも気が付いたようで、その表情に焦りが浮かぶ。

「うーん、中のガーゼが少しズレちゃってるみたいだね。大丈夫、落ち着いて巻き直そう」

 菖蒲が声を掛けると、「はい」という今にも消え入りそうな声が返ってきた。たまかはたまらないといった様子で、スピードを上げて患者目掛けて走っていった。菖蒲も自身が担当することとなった少女へと近寄る。右足に大きな怪我を負っているようで、止血処置が施されていた。

「『不可侵の医師団』の者です。足の怪我を治療します。全身麻酔しますが、過去に麻酔や薬で何か……」

 菖蒲は倒れた少女へ決まり文句を並べていたが、流れるような言葉は途中で途切れた。苦痛に顔を歪めていた少女が、不思議そうに菖蒲を見上げた。

(そういえば……包帯、霞にあげちゃったんだった)

 たまかが患者に止血処置を行い直しているのだとすれば、包帯が必要になる。しかし、たまかの手元には今は包帯がないはずだ。

(治療を始める前に、あたしが霞から包帯を貰ってきた方がいいかな……)

 そう思いながら、菖蒲はたまかの方へと振り返った。たまかが自身の制服を音を響かせて破いたのは、ほぼ同時だった。

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