第7話
「う~ん、爆発があったって感じみたいだね」
助手席の窓に顔を近づけ、菖蒲は外を見渡してそう言った。要請のあった現場は、色を失ったように黒が支配していた。元はいくつかの建物が並ぶ、市街地から少し離れた閑静で過ごしやすい場所だったはずだ。しかし今は地面は抉れてコンクリートの欠片が吹き飛び、街路樹は燃えて葉を散らし、枝も幹も折れて地面に散乱していた。鉄筋が見える半壊した建物、横のゴミ箱で辛うじて自動販売機であったであろうことがわかる残骸の山。爆発は複数個所だったようで、何ヵ所も黒いクレーターが出来上がっていた。既に鎮火されたらしく、煙が昇っているところはあっても炎が出ているところはない。そして荒れ果てている地面をよく見ると、瓦礫などに交じって人の身体が顔を覗かせていた。煤けた身体、飛び散った肉片、植樹帯に引っかかった千切れた片足。怪我人がいないかもしれないなどという発言が馬鹿らしくなるような光景だった。しかし見た限りでは死人が多く、助けを求めている者はいないようだ。
「『レッド』の仕掛けた爆弾に、『ブルー』が巻き込まれたみたいだね」
運転席の霞がそう言いながら、緩やかにブレーキを踏んだ。比較的被害の少ないところへ向かい、隅へ寄せて車を止める。霞の言葉に改めて外を眺めると、確かに倒れている身体はどれも『ブルー』の特徴的な制服を着ていた。煤けていたり裂けていたりはしているが、長く垂れる袖、背中で御太鼓結びされた太い帯は間違い様がない。本来は美しい薄群青色であり緻密な模様が彩っているのだが、今は黒が全てを塗り潰していた。
「生きている方は、いるでしょうか……」
後部座席から、不安そうな声がきこえてきた。菖蒲はヘッドレストから顔を覗かせ、励ますように笑みを浮かべた。
「手分けして生存者の確認と応急処置をしよう。たまかちゃんは一人でも大丈夫?」
「はい、平気です」
たまかは気丈に振る舞って頷いた。
「よし。何か分からないことがあればすぐに霞にきいて。あたしより説明上手いから」
それとなく霞の方へ誘導しつつ、菖蒲は後部座席に積まれた袋を指差した。中にはポーチに入りきらないような重いものや大きいものが収まっている。
「それ、一つ持っていって。もし重かったら、置いていって必要な時に取りに来るのでも大丈夫。それから担当範囲を決めよう。たまかちゃんはあのゴミ箱からそこの折れた街路樹まで。あたしはその街路樹からあの建物まで。残りは霞の担当にしよう。それでいい? 何かわからないことは?」
「え、えっと……」
たまかは霞の顔を心配そうに窺った。霞に先んじて、菖蒲が口を開く。
「大丈夫、大丈夫。霞は超優秀だからね、あたし達よりも患者を診るのも早いんだ。だからあたし達より担当範囲が広くても、あたし達よりも早く終わっちゃうんだから」
霞の担当範囲だけ広かったことにたまかは気付いていたらしい。少し申し訳なさそうな顔をしつつ、たまかは黙って頷いた。
「よし、じゃあ頑張ろう。早く終えて、ご飯の続き、食べなきゃね」
菖蒲のその言葉を最後に、三人は各々行動を開始した。最初に開いたのは後部座席のドアだった。勢い良く開け放たれたかと思うと、険しい顔をしたたまかが瞬く間に飛び出して行った。その腕の中には、しっかりと袋が抱えられている。遠くで倒れている身体目掛けて、一目散に駆けていった。菖蒲も霞も思わず動きを止め、小さくなっていく背中を見送ってしまった。
「凄い熱意だね。まるで『ブルー』の人みたい」
霞は驚いたようにそう零した。『ブルー』のメンバーは情熱に溢れている者が多く、仲間のためやら一度決めたことに対しては驚く程の熱量で突っ走る。『ブルー』の組織自体が気合いや根性を重視する風土ということもあり、熱意のある者といえば『ブルー』所属、というイメージがあるのだ。
「……そうだね」
菖蒲もたまかの小さな背中を見つめながら、小さく返事をした。
(いや、それ以上かも)
患者を死なせないという熱意、命を救ってみせるという決意。彼女のその想いは、きっと誰の追随も許さぬほど強く、純粋で崇高なものなのだろう。豆粒のような大きさになった小さな背中を見つめ、菖蒲はぼんやりとそう思った。
(……そんな熱意がほんの少しでもあたしにもあったなら、少しは違う生き方が出来たのかな)
患者の元に駆け付け、すぐさま生存確認を始めたたまかを遠目に見て、菖蒲は僅かに目を伏せた。そうしているうちに扉を閉める大きな音が横から聞こえてきて、座席が僅かに揺れた。振り向けば、窓越しに準備を終えた霞が走っていくのが見えた。菖蒲は小さくため息を漏らし、助手席のドアを開けた。二人に続いて、自分の担当範囲へと向かう。実際に足を踏み入れると車の中から見るより荒れ果てていて、瓦礫や木の枝を蹴飛ばすようにして進んだ。目についた倒れている身体に近寄り、しゃがみ込む。上に乗っていたコンクリートや何かの残骸、土の塊等を次々と退かしていった。現れた身体は損傷はそこまで酷くはなかったが、彼女はもう息をしていないようだった。霞の言う通り、この少女も『ブルー』の制服を着ていた。菖蒲は声掛けをした後、少女の口に手を当てた。風が当たることはなかった。続けて手首を取って、脈拍を診る。こちらも鼓動を感じられなかった。
「死亡、と……」
死体の手首を置き、菖蒲は小さなメモ帳を取り出した。ボールペンも取り出し、素早くバツを書き込む。そしてサイドポーチから黒く細長い紐を取り出し、少女の手首に巻き付けた。……こういう時、少しほっとする。治療を必要としない死体ならば、自分のミスで殺してしまうことはないのだから。菖蒲はメモ帳を仕舞うと、立ち上がった。
「さて、お次は……」
辺りを見渡し、奥にも倒れている少女を見つけた。小走りで駆け寄る。彼女は左足が千切れて無くなっていたが、苦痛に呻く様子もなかった。菖蒲は結果を察しつつも、呼吸と脈拍の確認を行った。メモ帳に、新たにバツの文字が並んだ。
そんなことを数回繰り返し、菖蒲は自分の担当範囲の確認を終えた。菖蒲の診た少女は全員死んでいた。青白い顔を沢山見たあとは、気分も引き摺られて少し落ち込んでしまう。しかしそれを顔に出さないようにしながら、菖蒲は車へと戻っていった。車のもとへ辿り着くと、その場には既に担当範囲が広かったはずの霞の姿があった。菖蒲の見立て通りである。彼女なら割り振った範囲を菖蒲と同じくらいの時間で終えると予測していた。霞は菖蒲の姿を確認すると、少し焦ったように近づいてきた。
「菖蒲、包帯余ってない?」
「うん? 包帯?」
霞は険しい顔で頷いた。
「私のとこ、生存者が三人いたんだけど、どの子も損傷が激しくて……包帯が足りないの」
菖蒲はあらら、と口にしてから、肩に下げていた袋へと手を伸ばした。
「いーよー、あたしのとこ生存者がいなかったから、包帯丸ごと全部あげる……あれ」
がさごそと袋の中を探すが、包帯が見つからない。菖蒲は眉根を寄せ、さらに袋の奥を引っ掻き回した。
(……。包帯……、入れ忘れた……?)
菖蒲の顔がさっと青くなる。完全に点検懈怠だ。諦めずに袋の中を探し続けるが、やはり包帯の姿はどこにも見当たらなかった。
「……」
背筋を嫌な汗が流れる。このような経験は、もう何度目だろうか。こんなに肝の冷えた思いをしても、全く直らず繰り返してしまう。今では罪悪感や反省する気持ちすら湧かない。自分はこういう人間なのだと、もう知っているから。
「あー、ごめん。何かに引っかかってるんだと思う、ちょっと見つけるのに時間かかりそう。あたし、たまかちゃんから分けてもらってくるよ」
霞が口を開く前に、「霞は患者さんとこ戻ってて!」と言い放って背を向けた。たまかを探して走り出す。後ろから、霞の靴音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「たまかちゃんの担当範囲は……」
たまかへ割り振った場所へ向かおうとしていると、視界の隅に白い制服が映って足を止めた。しゃがみ込む、小柄な姿。たまかだ。彼女はなぜか、菖蒲の担当範囲の中にいた。




