第5話
医療器具の点検をしつつ霞と当たり障りのない会話をしていると、すぐに救護要請が入った。死傷者は五人程度ということで、三人の少女達が現場に向かうことになった。少し人の減った室内で、菖蒲はぼんやりと窓の外を眺めて過ごした。外は晴れてはいるが、雲が多く快晴とは呼べない微妙な天気だった。医療器具の点検は終わり、机の上に広げていた器具は今はポーチの中に仕舞ってある。隣の霞は本を読んで過ごしていた。教本なのか娯楽本なのかは菖蒲にはわからなかった。時々室内の少女達の会話が発生しては、すぐに静寂に戻った。救護要請の知らせは来ない。菖蒲は机に頬杖をつき、窓越しにぼんやりと地上を見下ろしていた。
たまかを注目し始めた切っ掛けも、丁度今日のような当直の日のことだった。救護要請待ちで何気なく外を眺めていると、白の制服に身を包んだ少女達が四人、菖蒲のいる建物へと歩いてくるのが見えた。制服の真新しさ、そして見ない顔ぶれだったため、彼女達は新人だろうと予測がついた。その中の一人がたまかだった。たまかは目立たない大人しい子だったため、菖蒲はその時たまかの名前すら知らなかった。彼女達はその手に抱えきれない程の大量の布を抱えていた。恐らく入院している患者たちのシーツの替えだろう。数人程で新人が固まり、なおかつ同じ作業をしているということは、どうやら先輩から仕事を頼まれたようだ。最初の一ヶ月程の新人の仕事は、先輩の作業を見て覚えることだ。それゆえ医療行為は勿論、雑務を任されることもあまりない。一昔前では信じられないような話らしいが、『不可侵の医師団』ではそれが当たり前だ。そのためシーツの運搬とはいえ、彼女達からすれば初めて任された仕事の最中かもしれない。彼女達は談笑しながら白い布を抱え、『不可侵の医師団』の建物の入り口を目指して進んでいるようだった。
その時、敷地の一般用出入り口となる正門の方から、一人の少女が入ってくるのが見えた。『不可侵の医師団』の白い制服は着用していなかった。外部の人間だ。彼女は腹部が赤く染まっており、抗争に巻き込まれて怪我を負ったのだと察せられた。恐らく近くで被害に遭い、自らの足で『不可侵の医師団』までやってきたのだろう。よろよろとした足取りで敷地内へ入ると、彼女はすぐに膝をついて崩れ落ちた。建物に入ろうとしていた新人の少女達は、門付近の血で染まった少女に気が付いたようだった。少女達は驚き慌てた様子で、建物の中へ入ってシーツを置こうとしていた。先輩に頼まれた初めての仕事であるなら、失敗したくないと思うのは当然だろう。シーツを先輩に渡してから患者のもとへ行く、もしくは建物内で汚れない場所を探して一旦置いてから向かおうとするのが普通だ。この抗争社会、殺し合いをするのも巻き込まれるのも常であり、命はとても軽い。一つ一つの命に重きを置く時代はとうに終わっている。そのためシーツを優先したところで誰も怒ったりしないし、それが当たり前でもある。しかし四人の中で、一人だけ門の方へ向かって飛び出した少女がいた。彼女は大量のシーツをその場で地面へ投げ捨て、患者のもとへ全力で走っていった。それがたまかだった。彼女は脇目も振らずに血塗れの少女のもとまでやってくると、すぐに怪我の確認を始めた。
(そう、まずは耳元で声かけ……。それから傷口を確認して止血。……うん、そう。出来てる)
菖蒲は上からその様子を眺めながら、たまかの作業を一つ一つ確認していた。彼女は新人らしい初々しさや緊張感を全く感じさせない手つきで、正しく怪我に対処していった。素早くはないが、それは単に経験した場数の問題だろうからその内嫌でも速くなる。速さのない分一つ一つの作業が丁寧で、その都度患者の反応を見ながら行うことが出来ている。そうしている間にシーツを建物内へ置いてきたらしい三人が駆け寄ってきて、たまかに合流した。そして一人がすぐに場を離れていった。恐らく担架を持ってくるのだろう。
「……」
新人とはいえ『不可侵の医師団』の組織員が三人も集まれば、後は大丈夫だろう。菖蒲の期待通り、三人は適切な段取りで患者へと対応していった。菖蒲は治療行為の確認をするのをやめ、内巻きのショートカットを揺らす小さな少女へと視線を向けた。彼女は強張った顔ながらも、必死に手を動かしていた。そして、菖蒲は少女から遠くに投げ出された大量のシーツへと視線を動かした。洗濯したばかりと思われる純白のシーツは、そのほとんどが土に汚れてしまっていた。
(あの子、たぶんこの後先輩に怒られるんだろうな……)
風が吹き、シーツの一部がバサバサと飛んでいった。さらにその身を汚しながら、離れて散り散りになっていく。
(でもたぶん……この四人の中で、彼女が一番『信頼』できる)
菖蒲には菖蒲なりの人の評価方法がある。大概、医療現場において評価されやすい要素は『手際の良さ』や『作業の速さ』だ。勿論素早く対処する分出血量や怪我の進行に影響するため、それらも大事ではある。手術中はモタモタしていると先輩からメスを取り上げられることも普通にあるし、速さに重きを置くようになるのもまあわかる。しかし、菖蒲が重要視する要素は別にある。それは患者を救いたいという熱意の強さだ。……別に精神論を言っているわけではない。その想いが作業の丁寧さや慎重さに直結する人間程、治療の成功率が高いように菖蒲は感じていた。患者の顔を何度も窺う人間程、怪我や病気の原因の特定が早い。患者のためを想って常に医療器具を確認したり何度も消毒をしたりする人間程、治療をする際に感染症などの突発的なアクシデントがなく、予想外の損傷を発見した時にも冷静に対処が出来る。要は患者の命を救いたいという気持ちが行動に表れる人間程、『信頼』出来るということだ。菖蒲がこれらを重要視するのは、菖蒲には出来ないことだからというのもあるのかもしれない。熱意の枯れた菖蒲は器具の点検も直前になるまで行わず、患者への声掛けも数回で終わらせてしまう。それに対してちせなんかは一枚のレントゲン写真を何度も見て何冊もの医学書を引っ張ってきて睨めっこをするし、手術の一番上手い少女はドライラボに欠かさず参加し、当直の待機時間もずっとお手製の簡易模型へ糸を通した針を刺し続けている。彼女達は決して驕らず、常に慎重で、何度だって確認を怠らない。それは全て、患者に何かあってはいけないという思いが強いが故の行動だ。そして、菖蒲はたまかからも彼女達と同じものを感じた。彼女はシーツが汚れようが先輩に怒られようが、目の前の患者を救うこと以外は何も見えていないようだった。他の有象無象を考えるより、怪我を負った少女へ向けて足を踏み出す方が早い人間。患者を救いたいという思いが、身体を勝手に動かすような人間。菖蒲が自身の患者を任せようと思う人物、そして治療の成功率が高く患者からも信頼されるような人物は、そういう人間だ。
地上では担架を持った少女が戻ってきて、二人掛かりで怪我人を運んで行ったところだった。残ったたまかは張り詰めていた息をふうと吐き出し、そして漸く散乱したシーツに気が付いたようだった。残ったもう一人の新人とともに、慌てて回収しに走り出す。
(あの子……顔、覚えた。名前はなんていうんだろ)
患者への気持ちが身体を動かすタイプは、成長も早い。菖蒲のように御座なりな対応や面倒臭がることもないから、現場に慣れていくにつれミスも減っていく。患者のことが第一だから、自分の手腕を誤魔化そうとしたり見栄を張ったりもしない。彼女はこの先、すぐに立派な『不可侵の医師団』の名医となるだろう。数多の後輩をよく見てきた、菖蒲だからこそわかる。
(今日からあの子のこと、注意深く観察してみよう)
困り果てた顔でシーツを掻き集めるたまかを見下ろしながら、菖蒲はにんまりと笑みを浮かべたのだった。
チャイムが鳴り響き、菖蒲ははっとして窓から室内へと顔を戻した。思い起こしていた記憶の中から、現実へと意識が引き戻される。この独特なチャイムは、救護要請の合図だ。




