第4話
(『不可侵の医師団』は、安泰だなあ……)
そんなことをぼんやりと思っていると、慌ただしく一人の少女が部屋へと飛び込んできた。扉が勢い良く開かれ、会場の視線が集まる。
「『ブルー』と『ラビット』の抗争が発生! 怪我人想定六十人! 新人歓迎会はここまでにして、行ける人は現場に急行して!」
次々に会場内の少女達が立ち上がっていく。抗争現場へ向かうのだろう。
「『ラビット』が『ブルー』の少女を数人捕まえて、解体ショーをしていたらしい。そこに『ブルー』が乗り込んで、その場にいた『ラビット』メンバーを同じ目に遭わせたみたい。というわけで損傷の激しい身体が多いから、オペが得意な人にはなるべく来て欲しい」
続いた状況説明に、入口付近のテーブルでサラダを頬張っていた少女が苦い顔をした。ため息をつき、彼女も箸をテーブルへと置いて立ち上がった。今の抗争時代、医療行為をする組織はこの『不可侵の医師団』くらいだ。そのため内科や外科など診療科が別れているわけではなく、組織員達はオールラウンダーに医療行為を熟す。手術から整復、果ては麻酔まで。しかしそれぞれで得意なことは異なるため、なるべく現場の状況を加味して向かう人員を判断する。今回は手術が多く想定されるため、手先の器用な人が行くべきだろう。
(じゃあ、あたしは会場の片付けを担当しようかな~……)
菖蒲が一人のんびりとそう考えていると、共に話をしていた新人が「私、行ってきます!」と言い残して入口へと走っていった。それに続くように次々と新人達が走り出す。結局、全ての新人が部屋から出て行ってしまった。
(ま、まぶし~……)
気付けば、部屋の中には十数人しか残っていなかった。
「いやあ、皆流石だよね。熱意が違うっていうか……」
入口へ向けていた顔を戻して霞へと半笑いを向けようとして、霞の姿もないことに気が付いた。彼女も現場へ向かったのだろう。
「……」
新人席にいるのは、一人突っ立っている菖蒲だけだった。先程まで少女達の声で賑わっていたのが嘘のような静けさだった。寮で一番広い部屋は、人が減るとがらんとして寂し気に感じられた。菖蒲は小さくため息をつき、気合いを入れるように顔をあげた。
「ねー、ゴミ袋ある~?」
気持ちを切り替え、声を張り上げて周りへと問いかけた。大きな菖蒲の声に、会場の準備に携わったとみられる少女が手を振って答えた。彼女は先日現場で治療中に襲撃に巻き込まれ、足を怪我している者だった。現場に向かわなかったのもそのせいだろう。そちらを見れば、彼女のもとには大きなゴミ袋が何枚も置いてあった。包帯でぐるぐる巻きになっている太い足を一瞥し、菖蒲は「動かないでいーよ。あたしがやるからさ」と声を掛けた。ゴミ袋を取りに少女のもとまで向かうと、彼女は座ったまま菖蒲を見上げて苦笑を浮かべた。
「斑目さんは行かなくていいの?」
……チクリ。胸の奥がなんだか痛んで、菖蒲はゴミ袋へ伸ばし掛けていた手を止めた。
「……あたし、今縫合糸切らしててさ。ナイロンの方。だからオペが必要な現場は避けたいっていうか……」
その場しのぎの言い訳を口にして、乾いた笑みを添えた。少女はさして疑う様子もなく、「そうなんだ」と言って頷いただけだった。
「……」
止まっていた手を再び伸ばし、ゴミ袋を掴む。バサバサと振って空気を入れた後、テーブルの上に置かれたままの割り箸や紙皿を手当たり次第に入れていった。
(……この方が、患者のためなんだから)
サボっているように見えるかもしれない、怠けているように見えるかもしれない。それでも、人をこの手で死なせるよりは百倍マシだろう。底の見える紙コップ、食べかけの紙皿、綺麗に割られた割り箸。掴んでは袋に入れ、また掴んでは袋に入れる。粛々と片付けを進めていると、手にした紙コップに中身が入っていたことに気が付かず、中身が派手に床へと零れていった。ビシャ、という嫌な音に、菖蒲は「あ」と零して眉を寄せた。
「やっちゃった……」
ため息をなんとか堪える。足を怪我した少女が、松葉杖をついてわざわざ布巾を持ってきてくれた。受け取った布巾で、床を拭う。中身はジュースだったようで、大きな染みになりそうだった。菖蒲は一人床に這い蹲うようにして、只管に手を動かした。なんだか酷く惨めな気持ちになって、布巾を持つ手に知らず力が籠ったのだった。
***
菖蒲が『不可侵の医師団』に入ったのは、『なんとなく』だった。自分は戦いに向いているとは思えない。そのため戦いを極力しない組織に入りたかった。『不可侵の医師団』はその条件に合致していた。この抗争社会において傷ついた人を分け隔てなく治療する、唯一無二の小規模組織。当然抗争などの武力行使はしない。それに加えて、人を助けられるのはとても素晴らしいことだと思ったのもあった。自分の手で人の命を救うことが出来たら、きっとやりがいに繋がる。菖蒲はあまり悩むことなく、『不可侵の医師団』に入ることを決意した。しかしいざ『不可侵の医師団』に入って周りの少女達の話をきくと、そもそもそこから『白鳥』達との違いを感じさせられた。彼女達の『人を救いたい』という熱意は相当なもので、菖蒲の『なんとなく』という理由がゴミのように感じるくらい強い思いを抱いていた。彼女達は、自分の身を切ってでも患者を救おうとする覚悟があった。……そんなの、『なんとなく』人を救えたらいいと思っている菖蒲が超えられるわけがないのだ。最初の頃こそ同調し、同じ気持ちだと仲間のように接していたが、段々と諦めの気持ちが芽生えていった。彼女達とは違うということを認められるようになったと思えば、ある意味では成長したと言えるのかもしれない。彼女達の熱意は、時が経っても全く衰えなかった。対して菖蒲は、最初の頃の僅かな熱意さえ吹き飛んでしまった。きっと今年の新人達も、今の気持ちを胸に抱いたまま進むことが出来る子達だ。白鳥達は驚くほど清らかで、美しい心を持っている。今はもう、羨ましいとも思わない。ただ純粋に、違いを感じるだけだ。
「おはよーございますっ」
菖蒲は人一倍大きな声で、にこやかな笑顔を振り撒いて部屋へと入った。部屋の中にいた少女達から、「おはよう」「おはよう~」と次々と挨拶の声が返ってくる。菖蒲はその一つ一つに反応して、笑みを浮かべたり、手を振ったりして応えていった。菖蒲は愛想を良くするため、元気な挨拶を欠かさないようにしている。これが菖蒲の毎朝の日課である。
菖蒲は部屋の奥までくると、窓際の席へと腰かけた。自身の制服からサイドポーチを外し、中の医療器具を机の上に並べて点検を始めた。今日の菖蒲は、治療要請に応えて現場へ向かう小隊の配属だ。『不可侵の医師団』の組織内は、目的に応じて様々なチームに分けられている。『不可侵の医師団』へ直接来る患者に対応したり、入院している患者へ対応したり、予め治療が必要だと判明している場所へ赴いたり。ローテーションで配属が変わるため、日によって属するチームは異なる。今日の菖蒲は、言わば当直だ。待機が長ければ暇な分、要請があれば臨機応変な対応が求められる。事前に治療を代わってもらうことが難しいため、菖蒲は苦手とする仕事だった。
「おはよ~」
聞き慣れた声が耳に届き、菖蒲は並べた医療器具から顔をあげた。丁度霞が隣の席に座るところだった。菖蒲は顔を明るくし、「おはよう!」とにこやかに手を振った。今日のチームは、霞と同じだ。それだけで憂鬱な仕事も少しは希望が持てる。
部屋には十人程の少女達が集まっていた。今日の当直のメンバーはこれで全員だ。治療の要請は日に何度も発生するため、正直もう少し人手が欲しいというのが現場の本音だが、『不可侵の医師団』全体でも七十人程度しかいないため、これ以上人を充てることは難しい。この前の新人歓迎会の時のような大きな抗争が勃発しないことを祈るしかなかった。




