第21話
窓から差し込む夕日にそちらを振り向けば、遠目に人の姿が見えた。白い制服に身を包む、小柄な少女。……たまかだ。同じく『不可侵の医師団』の制服を着る二人の少女達と共に、外の敷地を歩いていた。治療が一段落したところのようで、たまかは仲間達と言葉を交わしながら晴れやかな笑みを浮かべていた。菖蒲は足を止め、窓の外をぼんやりと眺めた。
あの一件以降、たまかとは同じ現場になっていない。というより、菖蒲がたまかのことを避けている。なぜなら絶対に治療を代わってくれないことがわかっているからである。他の子に頼むのを遮られても困るので、なるべく彼女と接触しないように過ごしていた。たまかの頭から菖蒲の記憶が薄れるまで、しばらくこの距離感を保つつもりだ。たまかと話す機会はなくなってしまったが、菖蒲は治療を代わってもらう度にたまかのことをそれとなく訊き出すようになった。相変わらず彼女はあまり人の印象に残らないようで、菖蒲はいつも彼女のことを訊き出すのに苦労した。しかし伝え聞く限り、たまかはこれまで通り患者のために奔走し、そして命を沢山救っているようだった。先日は彼女の意外な一面も垣間見ることになったが、彼女の治療の腕は菖蒲が見込んだ通りの素晴らしいものだった。今後もその腕はいかんなく発揮され、やがては同期の中でもずば抜けた名医となるだろう。いや、彼女のことだから、もしかするとそれ以上の、菖蒲の想像もつかないような何かになっているかもしれない。
歩くたまかを遠目に眺めたあと、菖蒲は窓から顔を背けた。一人きりの静かな廊下を、再び歩き出す。
「眩しいね。……でも、悪くない」
呟くようにそう言って、菖蒲は夕日の中を潜り抜けて行った。
誰よりも真っ白な白鳥は、黒鳥のことを認めてくれた。白鳥の言うがまま、柄にもなく白鳥の真似事をしたりもした。白鳥はまるで仲間であるかのように黒鳥に接した。けれど、それはまやかしだ。だって黒鳥は、決して白くなることなど出来はしない。黒鳥は白鳥とは違う。黒鳥はそれを、痛い程よく知っている。だからどんなに無様で醜悪だろうと、黒鳥は白くなろうとはしない。夢を見ることをせず、現実を歩む。
黒鳥はこれからも、黒鳥として生きていく。しかし同時に、白鳥に掛けられた言葉はきっと、物覚えの悪い黒鳥の胸にもずっと残り続けていくのだろうと思う。
***
「それでね、この前食べたねぎ塩豚丼が凄く美味しかったの。明日皆で食べにいかない?」
たまかは笑顔を浮かべ、両隣の友人達へと尋ねた。抗争現場から帰り、患者の治療も一区切りついた、束の間の休息の一時。夕日に照らされる中、三人は寮を目指して歩いていた。
「おー、いいね。ちなみにいくら?」
らんが短い髪を揺らしてにこやかに頷いた。たまかはらんの問いに、少し困ったような笑みを浮かべた。
「うーん、実は先輩に奢ってもらったから、値段は知らないんだ」
「えっ、先輩に奢ってもらったの? 凄いね」
すずが目を丸くして、驚いたようにそう言った。「誰に奢ってもらったんだ?」とらんも興味深そうな様子でたまかへ尋ねる。
「えーっと……。あれ、……名前、……わからない……」
たまかはそこで、先輩の名前を聞き忘れていたことにはたと気が付いた。眉間に皺を寄せ、「ええと」と一声挟む。
「いつも元気に挨拶をしてくれる、寮の先輩……」
「挨拶……? 皆してくれないか?」
「その中でも、取り分け元気な声の……、わかる?」
たまかは必死に特徴を伝えようとしたのだが、らんもすずも眉根を寄せ、該当する人物にぴんと来ていない様子だった。結局言葉を足しても最後まで伝わらず、「今度見掛けたら教えるね」というたまかの言葉で会話はしめられた。
(名前をきいておくのって大事ですね……。今後は初対面の人にはちゃんと忘れずに名前を訊くようにしましょう)
たまかは内心で密かにそう決意して意気込んだ。そして、先日同行した先輩の顔を脳裏に思い起こす。彼女は何故か目立たないたまかに声を掛け、同行するように求めてきた。たまたま食堂に居合わせたからだろうと思っていたが、現場での様子を見るに、もしかするとそれだけが理由ではなかったのかもしれない。
(患者さんのことを常に想ってくれる、素敵な先輩だったな)
友人の言葉に耳を傾けながら、たまかは先輩を思い出して笑みを浮かべた。患者だけではなくたまかのこともよく見ていて、たまかの身を案じたアドバイスをくれたりもした。彼女は後輩の面倒見が良い人間なのだろう。たまかは柔らかく笑んだまま、瞳を伏せた。
(私も……あんな風になれるように、頑張らないといけませんね)
〈了〉




