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ブラックスワンは白くならない  作者: 小屋隅 南斎


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第20話

「成程、救命率は先月と変わらず……ですか」

 『不可侵の医師団』の白一色の廊下を歩きながら、女性は渋い顔をしてそう言った。彼女は『不可侵の医師団』の真っ白な制服に身を包んではいるが、その服には皺や汚れが一切なく、医療器具の詰まったサイドポーチも携帯していなかった。菖蒲よりも数歳程年上であろう彼女は、来客用のスリッパをパタパタと鳴らして菖蒲の後ろを歩いていた。その手には書類が束になって握られている。

「はい。……ですが今月は大規模な抗争現場が多かったのです。死人が大量に出るような現場が多い中、先月と同じ数字を保つというのは、現場の努力なしでは成し遂げられなかったことだと思います」

 菖蒲はそう説明しながら、扉の前で足を止めた。扉を開けると、上質な調度品が揃えられた見栄えのする部屋が現れた。ここは『不可侵の医師団』の貴賓室だ。菖蒲は後ろの女性を恭しく中へと案内した。女性は慣れたように部屋へと入ると、言われるまでもなく奥の椅子へと腰かけた。菖蒲も扉を閉め、手前の椅子へと腰を下ろす。机を挟んで向かい合った二人は、じっと見つめ合った。片方は絶えず営業用の笑みを湛え、片方は仏頂面のままだった。

「……今月はまだ一週間ありますから、なんとか巻き返して先月よりいい数値を叩き出すようにしてください。特に今月は医療物資の供給にも問題がなく、物資が潤沢な環境だったはずです。それで数値が止まるようなら、現場の皆さんの努力不足と言われても仕方がないと思いますが」

「……仰ることはわかります、医療物資の確保、誠にありがとうございます。上層部の方々のご尽力あってこそのものだと、現場一同常に胸に刻んで治療に邁進しております」

 菖蒲はいかにもという表情で頷いてみせた。対面の仏頂面は、緩む様子はなかった。

 菖蒲の目の前に座る彼女は、『不可侵の医師団』の上層部の人間だ。上層部は組織の方針を決める他、医療物資や金の工面をしたり、他の組織と話をつけたりと組織全体を動かす役割を担っている。彼らは治療活動はほとんど行わない。普段も『不可侵の医師団』の建物に居ることはほとんどない。だが、こうして定期的に『不可侵の医師団』を訪れて様子を見たり、状況をヒアリングしたりする。その際は『不可侵の医師団』の者が相手をしなければならないのだが、仕事がローテーションかつ臨機応変に動くことが求められている環境のため、建物に常駐しているような者はいない。そのため誰が対応するかは明確に決まっていない。上層部の人間が現れた場合その都度誰が相手をするのかを決めるのだが、『不可侵の医師団』の少女達は上層部の人間の対応を酷く嫌がる。曰く、高圧的な態度が苦手だとか、何か失礼をしてしまったら怖いだとか。そのためその場に菖蒲がいれば、皆からお願いされる形で大体菖蒲が担当することになる。菖蒲としては上層部の人間の相手をしていれば治療をサボることが出来るため、いつも二つ返事で引き受けている。勿論菖蒲としても上層部の人間の対応は嫌なのだが、治療でミスをして患者を死なせるよりかは遥かにマシだろう。そんなこんなで、上層部の人間とももう何度も顔を突き合わせる間柄となっていた。

「一件、極端に救命率が低い現場がありましたよね。その際の担当者達の名前をリストアップしておいて頂けませんか」

「それは抗争が勃発してから救護要請が入るまで、既にかなりの時間が経っていたからだと思われます。救護の手順に問題はなかったと思いますよ」

「それは現場が判断することではないかと」

「救護に駆け付けるまでの時間は、常に救命率と密接な関係にあります。ご覧ください、仰っている現場は、抗争があってから三時間も経って現場に向かっています。救命率が下がるのは自然なことです」

 菖蒲が書類に記載された数値を指差してそう言うと、前方から大きなため息が聞こえてきた。

「……では、これまでの過去一年分の時間と救命率の関係性を示すデータを用意しておいてください。来月改めて説明を伺いましょう」

 そう言って女性は書類を捲った。菖蒲は面倒臭いという顔をしないようになんとか堪えた。

「次に、先月伺った医療用水の持ち運び容器の大容量化についてですが——」

 女性が進行し、何か尋ねられたら菖蒲が答える。それを何度か繰り返し、書類の最後のページに記載されている内容まで話し終えた。

「以上です。そちらからは何かございますか」

 女性の質問に、菖蒲は首を横へと振った。女性は「では、ここまでに致しましょう」と言って、あっさりと椅子から腰を浮かした。上層部の人間は定期的に訪れるものの、滞在する時間は短いことが多い。現場の忙しさを考慮してのことなのだろう。有難いが、菖蒲はその後もたっぷり時間をかけて部屋の後片付けという名のサボりを行っているため、実はあまり意味を成していない。

「あ、そーだ」

 部屋を後にしようと扉に近づきながら、菖蒲は思い出したように呟いた。菖蒲が振り返ると、後に続いていた理知的な顔と目が合った。

「うち、確か人事部って一人でしたよね? ……追加で充てる気とかありません?」

 真面目な話は終わったとばかりに、先程よりも砕けた言い回しで菖蒲は尋ねた。女性は眉一つ動かさないまま、口を開いた。

「ありません。どなたか当てでもあるのですか?」

「いやー実はですね、自身の治療の腕はそこまでではないのですが、人の治療の腕を見ることに非常に長けた者がいましてね。誰も気付いていないような才能の発掘と、本人すらわかっていない向いている仕事や担当の割り振りが可能になると思います。どうでしょう、救命率の向上に繋がると思うのですが」

 女性は瞼を伏せた。今にもため息をつきそうな表情で口を開く。

「まず人事部所属になるためには筆記試験の上位三位に入ることが必須で、なおかつ救護において特筆すべき実績を数件保有していることが大前提となります。その方は当て嵌まるのでしょうか?」

「試験三位と、実績……?」

 菖蒲は眉間に皺を寄せた。それから小さく首を横へと振る。

「……当て嵌まりません」

「それでしたら人事部への異動は不可能です」

「人事にそれって重要ですか?」

「人員配置は組織運営全体に関わってきますから、高い思考能力、そして優秀である証明を持つ人にしか任せられません」

 くだらないことを話していないでさっさと歩けという圧を感じ、菖蒲は顔の向きを扉へと戻した。渋々といったようにドアノブに手を掛ける。そのまま部屋を出て廊下を歩いていった。建物を出ようとしたところで、「ここまでで結構です」という声が後ろから投げられた。菖蒲は後ろを振り返った。

「そうですか? ……では、お疲れ様です」

「お疲れ様です」

 女性は綺麗にお辞儀を返すと、菖蒲へと背を向けた。来客用スリッパから靴へと履き替え、建物を出て行く。門へと向かう後ろ姿が遠ざかっていくのを突っ立って眺めながら、菖蒲はため息を漏らした。

「勉強が出来るのと人の仕事ぶりが見抜けるかはまた別の話だし、優秀な人が人事に行っちゃったら現場から治療の上手い人が一人減っちゃうじゃない」

 きっと彼女達は人を割り振っただけで仕事をした気になって、現場のことを何も考えてはいないのだ。建物の外では夕日が敷地を照らしていて、小さくなった彼女の背に長い影が伸びていた。視界一杯に広がる橙色を眺めながら、菖蒲は目を細めた。

「……たまかちゃんの言うこと、あたしなりに解釈したつもりだったんだけどな」

 ——『その人にはその人のやり方やペースがあって、きっと同じではなくてもいいんです。患者さんを救いたいという思いがあれば、同じ道に繋がっているはずですから』。

 風に揺れる毛先、それに彩られた穏やかな微笑みを思い出す。『菖蒲なりの方法』。それはきっと治療が下手でも他の得意なことを活かして患者を助ける、菖蒲にしか出来ない方法。……そう思ったのだが、結局門前払いを食らってしまった。

「まあ、そうだよね~」

 菖蒲は明るく声を張り上げると、眺めていた夕日に背を向けた。

「やっぱ指図されるなら自分より成績良くて治療が上手い人じゃないとねえ。あたしなんかじゃ無理無理~」

 誰にともなく笑い飛ばし、白い廊下を一人でのんびりと歩きだす。辺りに人影はなかった。皆治療で忙しいのだろう。

「さーてと、今戻ったら治療に参加させられそうだしサーボろ。食堂にアイスでも食べにいこっかなー」

 足を動かしながら、菖蒲は両手を天へと突き上げて大きく伸びをした。慣れないことはするもんじゃないな、と心の中でぼやく。そう、やはり今まで通りに生きればいいのだ。

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