第2話
「ん? ん~……」
菖蒲は紙コップに口をつけながら、奥のテーブルを盗み見た。壁際の隅のテーブル、そこに座るのは今年度『不可侵の医師団』に入ってきた者達だ。今回は十二人、まあまあ多い方ではある。『不可侵の医師団』はこの抗争社会においてどの組織にも肩入れをせず完全な中立の立場を保っているため、どの組織も攻撃をしないという暗黙の了解がある。そのため名前の通り『不可侵』な組織として有名なのだが、至るところで殺し合いが起きている今の時代、攻撃を受けずとも抗争に巻き込まれることはままある。治療のために抗争現場へ足を踏み入れることも多々あり、決して生存率がいいというわけではない。きっと来年の新人歓迎会の時には、この数は半数ほどに減っているだろう。
菖蒲はまじまじと彼女達の顔を眺めた。テーブルに着く少女達の顔は、新人とはいえ実はもう見慣れていた。何せ新人歓迎会は二度延期されており、彼女達が入ってから三か月以上経っているのだ。延期の理由はどちらも抗争の勃発で、救護に向かったため集まることが出来なかった。これも毎年の恒例行事だ。去年は四度延期になったため、今年はまだマシな方である。今も新人歓迎会を開催したとは言え、仲間の一部は救護のために現場へ出ている。例年通り、大きな抗争の勃発がないことをいいことに少々無理やり開催していると言った方が正しい。部屋にいる少女達が常にそわそわしているのも、いつ抗争の連絡が入るかと気が気でないためだ。新人達も用意された食事を食べたり先輩と談笑したりしつつも、気がそぞろになっているように見えた。
「あの右から二番目の子さ、筆記試験で一番だったらしいよ。あと、奥の……らんちゃんってわかる? この前現場一緒だったけど、整復の手際が良くてさ。もともと力がある子みたい。埋まってた子を出すために瓦礫を撤去した時、軽々持ち上げててびっくりしちゃった」
霞はそう言って、奥に座るボーイッシュな少女へと視線を向けた。菖蒲もその少女のことは知っている。何せ後輩観察は得意だ。
「……」
しかし、菖蒲の視線はその隣に座る少女へと向けられていた。菖蒲の気になっている後輩は、筆記試験の成績が一番の少女でも、現場での活躍を耳にする少女でもなかった。菖蒲の目が捉えた少女は、新人達が並ぶ中で一際こぢんまりと席についていた。体格がしっかりしている隣のらんと比べると、より小柄さが際立ちまるでリスのように見えた。彼女は内巻きの髪を揺らして、ちらし寿司を頬張っていた。小さい口をもぐもぐと動かし、慎ましやかに微笑んでいる。らんとは反対側に座る少女に向かっておずおずと声をかけ、彼女と穏やかに笑い合った。口の動きから、『美味しいね』と言い合っているようだ。
(……有望そうな子、ね)
彼女の名前は九十九たまか。今年度『不可侵の医師団』に入った新人だ。彼女は目立つタイプではなく、普段はとても大人しい。成績も一、二を争うような中にはおらず、現場でも先輩の指示の範囲内で粛々と動く。新人らしく軽いミスもするし、人と接するのが得意なようにも見えない。先輩達には恐らくまだ名前も憶えられていないような、本当に平凡で、控えめで物静かな女の子だ。
「……まだ、なんとも言えないかなー」
菖蒲はそう言いながら新人席から顔を戻し、手元に置いてあった割り箸を持ち上げた。力を入れて割ると、パキンという音と同時に右の箸の途中から豪快に裂けた。上半分がほぼ左箸へくっついていて、短い右箸の先はまるでメスのように鋭く尖っていた。菖蒲は悲しそうな顔で自身の両手を見下ろした。
「あはは、下手くそすぎる」
霞が横で笑い飛ばし、自身も箸を手に取った。彼女はそれを音を立てて綺麗に割った。
「……まあ、箸なんて食べられれば一緒でしょ」
「それはそう」
まだ愉快そうな顔をしている霞を放って、菖蒲はテーブルの中央へと手を伸ばした。悲惨な姿の箸が向かう先は、ちらし寿司の皿だ。菖蒲は紙皿を手にして、その上に色とりどりの具を雑に乗せた。……少し多かったかもしれない。まあ、構わない。
「いやー、やっぱさ、新人って眩しいよね」
霞の明るい声に振り向けば、霞は再び新人席の方へと顔を向けていた。菖蒲は紙皿を机へ置き、「そうだね」と御座なりに相槌を打った。こんもりと山になったちらし寿司を箸で掬い、口の中へ放る。海鮮がぷりぷりと口の中で踊り、卵の甘さが顔を出し、酢飯の芳醇さが舌に広がった。美味しい。
「初々しいけど、一緒にいると緊張感が伝染するっていうか。それでいて、患者さんを救うぞ! って気持ちが強くてこっちもやる気出るし。教えることで復習になるのも有難いし、何より尊敬の眼差しが痛くてしっかりしなきゃってなっちゃうよね」
菖蒲は黙って満杯の口を動かしながら、霞と同じ方へと顔を向けた。新人達は各々食事をしたり、先輩と話をしたりしている。こうして同僚や先輩とじっくり話す機会はあまりないだろうから、新人達にとっては貴重な時間となっているだろう。
「キラキラしててまぶしー」
「……」
菖蒲は霞の陰で密かに顔を曇らせた。菖蒲は新人歓迎会のこの光景が苦手だった。期待に目を輝かせ、熱意に溢れた顔で必死に先輩の話をきく少女達。まるで昔の自分を見ているようで嫌だった。その輝く目の先に、怪我のない世界も、人の命を魔法のように救う英雄の姿も存在しないのに。自分の力量さえ知らずに愚かに……いや、彼女達は菖蒲とは違う。彼女達は菖蒲のようにはならず、本当に期待する未来を掴むのかもしれない。それもまた違いを見せつけられるようで、菖蒲の心をどんよりと重くさせる。菖蒲は新人席から顔を背けた。
「皆の将来が楽しみだね。有望そうな子を見つけたら、こっそり教えてよ? ……ねね、一緒に新人席行かない? 私らんちゃんにこの前のこと話しに行きたい」
「……」
こちらを振り返った霞は、新人達に負けず劣らずキラキラとした目をしていた。菖蒲はその正面で暫し咀嚼を続け、やがてごくりと飲み込んだ。
「……ちらし寿司とっちゃったからさー、先行ってて? 後から行くから」
「えー? もう、絶対来てよ?」
霞はそう言って、椅子から腰を浮かした。霞は社交的であり、新人席に一人で突撃出来るタイプの人間だ。遠くなる背中を眺めながら、(……バックレようかな)と心の内で呟く。ちらし寿司を割り箸で掬い上げ、口の中へと詰め込んだ。
(……でも後輩のリサーチには、うってつけなんだよなあ)
菖蒲が毎年新人歓迎会をサボらない理由はこれだ。普段遠くから観察するだけではわからない情報を得るのにお誂え向きなのだ。それに顔を覚えてもらえれば、相手の心情的に治療を代わってもらいやすくなる。
(……『営業』、しにいくかあ)
菖蒲はちらし寿司を咀嚼しながら、一人肩を竦めた。新人席へと横目を向けると、霞がらんへ声を掛けているのが遠目に見えた。霞だけではなく、新人席の周りは多くの先輩達が囲んでいた。新人達が先輩の相手をしている中、たまかは席に座ったまま料理を食べ続けていた。冬眠前のリスの如く、一心にもぐもぐと口を動かしている。先輩の方も声を掛けようとせず、たまかの方も自分から交じろうという様子はなさそうだった。唐揚げを口に入れるたまかを眺めながら、菖蒲は『先輩』達は見る目がないなあと冷めた感想を抱いた。菖蒲は新人席から手元へと顔を戻すと、唐揚げの盛られた皿へと割り箸を伸ばした。一つ掴んで、紙皿を経由せずにそのまま口へと放る。柔らかな皮を歯で押し込むと、味の染みた肉汁が口の中に溢れ出した。
(……うめー)
衣はカリカリ、中はジューシー。濃厚な醤油の味が癖になる美味しさだった。菖蒲は唐揚げを堪能したあと、オレンジジュースを口へ流し込み、席を立った。新人達の調査兼営業の時間である。壁際のテーブルへ向けて足を踏み出した時、丁度部屋に同僚が入ってくるのが見えた。菖蒲は足を止め、顔を晴らして声を張り上げた。
「お疲れー! 現場帰り? 終わったの?」
「うおっ、相変わらず声でっか……」
相手は一度ビクリと肩を揺らした後、菖蒲の顔を確認して強張った身体から力を抜いた。菖蒲の声に反応して、周りからも歓迎や労いの言葉が次々と上がった。今部屋に入ってきた少女達は、抗争現場へ救護に向かっていた者達だ。治療が終わって帰ってきたのだろう。




